花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

2016年国立西洋美術館で「カラヴァッジョ展」が!!

2015-03-28 20:51:38 | 展覧会
某カルチャーセンターで宮下先生の特別講座を受講した。テーマはもちろんカラヴァッジョ。その冒頭で、「非公式ですが…」と…。

なんと、来年2016年3月~6月、国立西洋美術館で、「カラヴァッジョ展」が開催されるとのこと!!

現在、《ロレートの聖母》招聘を交渉中なのだが、果たしてどうなるか未だわからないとのこと。ぜひぜひ頑張って日本でカラヴァッジョ祭壇画の真の実力を披露していただきたい。


カラヴァッジョ《ロレートの聖母》(1604-06年)サン・タゴスティーノ聖堂 来てほしいなぁ!!

来日作品や展覧会構成など、どんな風になるのか、今からワクワクしてしまう。きゃ~、嬉しいなぁ~ )^o^(

ということで、非公式ということだが、聞いちゃったからには書いちゃいます(^^ゞ

「ボローニャ派とグエルチーノ」講演会レポート(2)

2015-03-23 03:48:21 | 講演会
アンニバレの基底にはマニエリスム的なもの(封建的なもの)に対する怒りがあり、また、反宗教改革という時代の要請として、民衆教化のために宗教画自体の変化も求められていた。(トレント宗教会議でね)

例えば、ガブリエーレ・パレオッティ『聖俗画像論』では「説教師としての絵画」が求められ、トンマーゾ・ラウレーティ(Tommaso Laureti ,1530 - 1602)の《聖スザンナの殉教》のようなリアリティのある祭壇画も描かれた。


トンマーゾ・ラウレーティ《聖スザンナの殉教》(1595-96年)サンタ・スザンナ聖堂(ローマ)
ちなみに、カラヴァッジョ《聖ルチアの埋葬》に影響を与えたようだ。

目の前の鑑賞者との対話ができるよう、わかりやすく伝えることが宗教画の目標になる。


アンニバレ・カラッチ作《聖ロクスの施し》(1595年)ドレスデン・アルテ・マイスター絵画館

歴史・神話画は空間芸術であり時間芸術である。アンニバレのInvenzioneによりモデル・鑑賞者にも開かれたものになっている。

蛇足だが(^^ゞ、ドメニキーノがアンニバレを手本として描いたのが《聖女チェチリアの施し》だ。


ドメニキーノ《聖女チェチリアの施し》(1612-15年)サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂ポレ礼拝堂
ご存じの通り、コンタレッリ礼拝堂にはカラヴァッジョがある。

ということで、まだ続く(^^;; (全然サクッとじゃなくてすみません~)

石巻の牡蠣。

2015-03-22 02:34:23 | 食べもの
友人たちと仙台国分町にあるオイスターバー「オストラ・デ・オーレ」で牡蠣料理をたっぷり食べてきた。久々で白ワインを飲み、帰宅したらいつの間にかウトウト…。講演会レポートの続きは明日(今日?)にでも(^^ゞ


一皿10個の生牡蠣が載っているプレートなのだが、最初の一皿はあっと言う間に平らげ、この写真は2皿目(^^;

「ボローニャ派とグエルチーノ」講演会レポート(1)

2015-03-19 01:42:08 | 講演会
片頭痛でブログご無沙汰してしまったが、土曜日に国立西洋美術館で高橋健一(和歌山大学准教授)講演会 「ボローニャ派とグエルチーノ」を聴講した。

高橋先生も聴講者が多いのに驚いておられたが、私もグエルチーノが日本でこんなに受けるなんて意外でもあった。聴講券入手の列中でカラヴァッジョの名前がちらほら聴こえたので、イタリア・バロックへの興味が広がって来ているのだろうなぁとも思われた。それに、日本における美術文化の成熟を示すものだったら、この勢いでホセ(ジュゼッペ)・デ・リベーラ展なんかもできるんじゃないだろうか?>西美さま

さて、今回の講演では色々と興味深いお話やら勉強になること多々だった。グエルチーノの周辺からグエルチーノを明らかにするというテーマは、まさに当時のカラッチ派を知ることでもあったのだから。でも、先生が早口になるほど(^^;ぎっしりと詰まった内容だったのだが、私のメモ書きに意味不明なところがあり、レポートの方はサクッと飛ばしていきたい(^^;;。間違った勝手な翻訳や寄り道も多々あろうが、文責は花耀亭にある。

講演の内容は、高橋先生のボローニャ派との出会いからグエルチーノ登場前夜のボローニャ派(カラッチ派)の動向に及んだ。

私的に一番面白かったのは、カラッチのアカデミーはモデルのデッサンに基づく自然主義であり、アンニバレはヴァザーリのディッセーニョ批判を行っていること。要するにマニエリスム批判と言うことだね。『美術家列伝』の序文にも書いてあるが、ヴァザーリのディッセーニョとは単なる素描ではなく、観念的なもの、アイデアの造形と言って良いものだ。アンニバレはマニエリスムの造形された人体プロポーションが自然に即したものではないことを批判しているのだ。本に「ヴァザーリの馬鹿!」なんて書き込みしたりしてカワイイ(笑)。

アンニバレは現実を観察し、写し取ることを重視する。この現実重視の指向から風俗画的主題を多く描いている。例えばコロンナ美術館《豆を食べる男》やキンベル美術館《肉屋》など。ヴィンチェンツィオ・カンピ《リコッタチーズを食べる人々》(1580年)の人を見下したような表現とは違い、アンニバレ作品には描かれた対象への共感が見られる。


アンニバレ・カラッチ《豆を食べる男》(1580~90)コロンナ美術館


アンニバレ・カラッチ《肉屋》(1580年ごろ) キンベル美術館


ヴィンチェンツィオ・カンピ《リコッタチーズを食べる人々》(1580年)リヨン美術館

ちなみに、カンピ一族もカラッチ一族も元々はクレモナ出身だし、表現されたものは違っていても、ヴィンチェンツィオの下絵素描(ドレスデン)を見る限り、アンニバレと同じような現実への眼差しが感じられるのだよね。
あ、そう言えば『食べる西洋美術史』を書かれた宮下先生が講演会にご臨席されてましたね。


閑話閉題(あだしごとはさておき)、レポートに戻ろう。カラッチ派はその自然主義を風俗画だけでなく神話画や宗教画の高位ジャンルへと応用して行く。例えばルドヴィコの《受胎告知》、アンニバレの《十字架上のキリストと聖人たち》(1583年)。


ルドヴィコ・カラッチ《受胎告知》(1584)ボローニャ国立絵画館


アンニバレ・カラッチ《十字架上のキリストと聖人たち》(1583年)サンタ・マリア・デッラ・カリタ

ああ、やはり長くなってしまった(^^;;。ということで次回に続くが、展覧会感想文の続きも書きたいし、う~む、悩んでしまうなぁ。

国立西洋美術館「グエルチーノ展」を観た(2)

2015-03-07 00:35:06 | 展覧会
「グエルチーノ展」の展示構成は下記の通りだ。
Ⅰ. 名声を求めて Ⅱ. 才能の開花 Ⅲ. 芸術の都ローマとの出会い Ⅳ. 後期①聖と俗のはざまの女性像-グエルチーノとグイド・レーニ Ⅴ. 後期②宗教画と理想の追求

私的にグエルチーノらしいと思えるのは、やはりローマに出てからの作品である。その意味ではアレッサンドロ・ルドヴィージの教皇選出はルドヴィージ家ならず、グエルチーノにとっても幸運と言うしかない。コレッジョもそうだったが、地方の才能ある画家がローマに出るとその作風が大きく変わる。偉大な作品群に触れることにより、グエルチーノの才能がはじけたように花開いていった様子が作品から見えるのだ。

ローマでは当然カラヴァッジョやアンニバレ・カラッチの作品も観ている。ましてや、カジノ・ルドヴィージの天井画《アウロラ》《名声》を描いた時、カラヴァッジョの天井画を子細に観ているはずだ。なにしろ、《名声》とカラヴァッジョ《ジュピター・ネプチューン&プルート》は隣り合った部屋同士なのだから(笑)。以前にも書いたが、カジノ・ルドヴィージはカラヴァッジョのパトロンだったデル・モンテ枢機卿がルドヴィコ・ルドヴィージ枢機卿に売却したものだ。

さて、展覧会作品に戻ろう。今回の展覧会で私的に一番輝かしいと思った作品は《聖母被昇天》だった。


グエルチーノ《聖母被昇天》(1622年ごろ)サンティッシモ・ロザリオ聖堂(チェント)

展覧会のチラシでは見ていたのだが、実際に作品を観ると聖母の気品ある迫力に魅了された。聖母の目に宿る光(白点描)が素晴らしい。仰角で描かれた聖母の堂々とした存在感と、聖母を取り巻く天使たちの動きによる空間表現とが、上昇感を持って白鳩の指す天上へと観る者を誘う。

聖母を天上に押し上げようとしている天使たちに見覚えがあった。以前書いたボローニャ派の浮揚の系譜ではないか?!そして、なんと、グエルチーノは《マグダラのマリアの浮揚》を描いているグイド・カニャッチとローマで同居していたのだ!!


アンニバレ・カラッチ《聖母被昇天》(1600-01) 聖ポポロ教会 チェラージ礼拝堂(ローマ)


グイド・カニャッチ《マグダラのマリアの空中浮揚》(1640年ごろ)アルテピナコテーク(ミュンヘン)

ということで、まだ続きます(^^ゞ

「大人の休日作戦」

2015-03-05 23:35:34 | 国内旅行
ゲストのmomoさん命名「大人の休日作戦」とは、JR東日本「大人の休日10周年パス」を使い、毎日 仙台⇔東京 を往復するという、私的むちゃ旅行計画を言う。

「大人の休日10周年パス」はJR東日本管内を4日間フリーで乗り放題、そのうち新幹線指定席を6回使用できる。故に、3日間毎日、展覧会を観るために仙台から東京へ新幹線通勤していた。老体に鞭打つ旅ではあったが、収穫は大きかった。

観た展覧会
・「燕子花と紅白梅-光琳アート」MOA美術館
・「グエルチーノ展」国立西洋美術館
・「THE 琳派」畠山記念館 
・「ルーヴル美術館展」国立新美術館


合間にポール・ボキューズ ミュゼでランチ

老体にはかなり応えたが、しっかりと楽しんでしまったのだった♪

国立西洋美術館「グエルチーノ展」を観た(1)

2015-03-04 23:54:32 | 展覧会
さて、「大人の休日作戦」(momoさん命名)で国立西洋美術館「グエルチーノ展」を観た。

展示作品によるグエルチーノの画風の変遷も興味深かったが、図録でボローニャ派関連について勉強できたことも収穫だった。


「展覧会図録」表紙が《聖母のもとに現れる復活したキリスト》で嬉しかった♪

また、「Sir Denis Mahon」の表記が日本では「サー・デニス・マーン」であることも確認できたし、そのマーンがグエルチーノの明暗表現はカラヴァッジョからの影響ではなく、ロンバルディアの明暗とルドヴィコ・カラッチに求めたことも知った。今回の解説も、なんだかムキになってカラヴァッジョの影響を排除しようとしているように思えたのは、カラヴァッジョ偏愛のヒガミであろうか?(^^;;; その上、追い打ちをかけるように音声ガイド解説も同様だったから、むむむ…であった(-_-;) そーなんですかぁ?>宮下先生

Ⅰ. 名声を求めて
グエルチーノ初期画業への影響大ということでルドヴィコ・カラッチがクローズアップされていた。ルドヴィコがグエルチーノを認めたのも確かだし、《聖家族と聖フランチェスコ、寄進者たち》(1591年)が賑々しく展示されていたのもなるほどだ。


ルドヴィコ・カラッチ《聖家族と聖フランチェスコ、寄進者たち》(1591年) 画質悪いです(^^;;

同じく影響を与えたフェッラーラ派のスカルセッリーノ《聖カテリナの神秘の結婚》も紹介されていた。図録でもパルミジャニーノの影響が指摘されていたが、ルドヴィコやスカルセッリーノにパルマ派の影響を感じてしまう。

ということで、続きます(^^;

国立西洋美術館にフェルメール帰属《聖プラクセディス》寄託!

2015-03-03 22:00:31 | 西洋絵画
国立西洋美術館「グエルチーノ展」を観た。



仙台在住の田舎者は、久しぶりの西美ということで、フェルメール帰属《聖プラクセディス》の寄託展示が3月17日から始まることも知らなかったので驚いた(・・;)




フェルメール帰属《聖プラクセディス》(去年クリスティーズでオークションがあったはず(^^;)

ちなみに、普通に常設展示で観られるようだ。常設展示室は現在閉室中(3月16日まで)なので、「グエルチーノ展」入場者はこんなチケットを頂いた。


8月30日まで有効の常設展無料観覧券

「グエルチーノ展」感想文ももちろん書く予定(^^ゞ



MOA美術館「燕子花と紅白梅-光琳アート」展を観た。

2015-03-03 01:42:51 | 展覧会
遅ればせながら駆け込みで、MOA美術館「燕子花と紅白梅-光琳アート」展を観た。


尾形光琳《紅白梅図屏風》18世紀

5月に根津美術館で観ようと思っていたのだが、MOAの「光琳アート」が面白そうで、急遽熱海に出かけてしまった。結論として、行って良かった♪ 尾形光琳300年忌記念特別展と銘打つだけあって、光琳へのオマージュとともに、現代作家たちの窯変ぶりがとても面白かったのだ。


尾形光琳《燕子花図屏風》18世紀

《紅白梅図屏風》と《燕子花図屏風》が対面(振り返って観られる)で並ぶ面白さは当然のことなので、今回特に目を惹かれた作品を中心にサクッと感想を。

・尾形光琳《秋吉中宮図》の紅葉の朱の美しさ!箱の蓋にこんもりと盛られた紅葉のなんと雅な風情であることか。光琳は朱赤の使い方が上手い。公家文化の伝承であろうか、京のはんなりとした色気が朱赤に込められている。朱赤に染まる紅葉の輝く様にクラリとしてしまった。背景の唐草紋屏風の青と緑が朱赤の補色であり、光琳の色彩感覚は流石「雁金屋!」


尾形光琳《秋吉中宮図》18世紀 

・速水御舟《八重の花》の思わず咲きこぼれそうな淡あわとした花びら。蕾もつ山桜のつつましく凛とした一重の花びら。葉脈まで繊細に描き切る御舟の写実に魅了される。

・杉本博司《月下紅白梅図》のアイデアは良い。確かに夜気に浮かび上がる白き梅の輝きは月明かりの賜物なのだろう。しかし、これは《月下白梅図》なのだと思う。光琳の紅梅は月に白く身を晒すだろうか? いや、むしろ夜気に紛れその姿を隠そうとするのではないか?香のみがその紅を追慕させるのだと思う。

・森口華弘《古代縮緬地友禅訪問着 早春》は、私が今まで抱いていた友禅のイメージを覆すほど素晴らしかった!意匠の妙ももちろんだが、それ以上に超絶技巧というべき繊細な色の重ねが、古代縮緬地に黄金の輝きを与えているように見えた。紅梅色も品良く、ああ、この着物を纏ってみたい(似合わなくとも(^^;;;)と思わせられたのだから…。


森口華弘《古代縮緬地友禅訪問着 早春》1955年 

・福田美蘭《風神雷神図》はフランシス・ベーコン版で、思わず笑ってしまった。崩し具合が似ているのだもの(^^;

もっと感想を書きたいところだが、取り急ぎのサクッと感想文ということで、お許しあれ(^^ゞ