花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

日経新聞(美の粋)「ルネサンス期の聖母像(1)ボッティチェリ」(^^;

2024-01-07 21:14:32 | 西洋絵画

今日(1/7)付の日本経済新聞(日曜版)見開き「美の粋」にボッティチェッリ図版が溢れていたので驚いた

「14~16世紀のルネサンス期、イエス・キリストの母マリアを描いた聖母像は身近な人物へと変化した。ボッティチェリ、ペルジーノ、ラファエロ、ティツィアーノという4人の画業を通してその変化をたどってみよう。」とのことで、第1回目が「ルネサンス期の聖母像(1)ボッティチェリ」だったようだ。

4人の画家の選定基準はよくわからないけど(少々面白みに欠けるかも)、ベルリンの《バルディ家祭壇画》が登場したので文句は言わないことにした

ボッティチェッリ《聖母子と二人の聖ヨハネ(バルディ家祭壇画)》(1484-85年)ベルリン国立絵画館

記事に「聖母の硬い表情はイエスの受難、聖者の殉教を予想しているためかと思いきや、実は禁欲的なサヴォナローラの影響もあるのかもしれない」とあり、私的に、へぇ~、だった。

美術ド素人眼にはサヴォナローラの影響が現れる前の作品だと思われるのだけどね。それこそウフィッツィ《受胎告知》(1489-90年)と比べても違いがわかるし...。


プラド美術館のカラヴァッジョ《ダヴィデとゴリアテ》修復完了&展示再開。

2023-12-21 10:32:40 | 西洋絵画

プラド美術館所蔵のカラヴァッジョ《ダヴィデとゴリアテ》の洗浄&修復が完了し、展示が再開されたようだ。(Fさん情報に感謝!!)

https://www.museodelprado.es/en/whats-on/new/the-museo-del-prado-is-displaying-its-magnificent/85b7358d-8dd3-237e-a820-8212cb308453

※修復動画:https://www.youtube.com/watch?v=oiw7erUJ6_U

下↓の写真は修復前の姿。プラド美術館...また訪れたいなぁ

カラヴァッジョ《ダヴィデとゴリアテ》(1597-98年)プラド美術館


カラヴァッジョのモデル《Fillide(フィリーデ)の肖像?》展示!

2023-08-16 17:19:51 | 西洋絵画

ボローニャのFさんからレプブリカ紙の記事を送っていただいた。(Grazie!!>Fさん)

記事はこれから読む予定であるが、とりあえず、その内容をサクッと...

https://www.repubblica.it/cultura/2023/05/11/news/fillide_melandroni_caravaggio_amante_scoperta-399703457/

カラヴァッジョお気に入りのモデルであるフィリーデ・メランドローニは、《ホロフェルネスの首を斬るユディット》などのいくつかの作品に登場しているし、彼女の風貌は失われたベルリンの肖像画の白黒写真で私たちも良く知るところである。

カラヴァッジョ《フィリーデ・メランドローニの肖像》(1597年頃)(元)カイザー・フリードリッヒ美術館(1945年焼失)

なんと!そのフィリーデの新たな肖像画とされる作品が発見され、5月~7月までパラッツォ・バルベリーニで展示されたようだ。果たしてカラヴァッジョの手によるものかは不明であるが、帰属させたいと思っている研究者も多分いる模様

17世紀初頭にローマで活躍した画家《若い女性の肖像》個人蔵(80 x 65cm, キャンバスに油彩)

※ご参考

http://www.arte.it/notizie/roma/un-inedito-a-palazzo-barberini-%C3%A8-la-fillide-di-caravaggio-20403

さて、作品調査がなされているとは思うが、果たしてどのような結論(?)になるのか、私的にも興味津々である。


リュイス・ダルマウ《(バルセロナ)市参事会員の聖母》。

2023-08-12 23:37:36 | 西洋絵画

イスパノフラメンコ様式についてちょっと知りたいと思い、「スペイン美術史入門」(NHKブックス)をサクッと読んだ。

https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000912512018.html

で、興味深かったのは(第二章のP141-P142をサクッとまとめると)…

ヤン・ファン・エイクはフィリップ・ル・ボンの使節団の一員として、1428年から29年にかけての10か月間、ポルトガルとスペインに滞在した。しかし、イザボーの肖像画を除き、ヤンが旅の間に何らかの作品を制作した痕跡はなく、ヤンと現地の画家たちとの接触を裏付ける記録も残されていない。したがって、来訪をイスパノフラメンコ様式誕生の要因とみなすことはできない。むしろ、この様式を生んだ当時のスペインとフランドルとの緊密な関係性の象徴ととらえるべきであろう、とのこと。(ちなみに、第二章の著者である松原典子氏は、イスパノフラメンコ作品はヤンの技法よりも、むしろロヒール・ファン・デル・ウェイデンに着想源を求めている、と見ている。)

ヤンとの直接的な接点を持ったという意味で例外的なのは、イスパノフラメンコ様式の最初期の画家リュイス・ダルマウ(Luis o Lluís Dalmau,バルセロナで1428-1461年活動)である。彼はアルフォンソ5世の命により、1431年から5年間フランドルに滞在し、ヤンの工房に迎えられた。ヤンが《ヘント祭壇》の仕上げにかかっていた時期と重なっている。ダルマウが帰国後にバルセロナ市庁舎の礼拝堂を飾る祭壇画として描いた《市参事会員の聖母》は本場での油彩画技法の習得修行の成果を示し、ヤンの作品からの引用も見て取ることができる、とのこと。

ということで、画像を探して見ると...本当にそうだった...

リュイス・ダルマウ《市参事会員の聖母》(1443-45年頃)カタルーニャ美術館

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dalmau_Mare_de_Deu_dels_Consellers.jpg

拡大してみると、合唱天使たちがそっくりで(;'∀')、ダルマウはヤン工房でちゃんと修行したのだなぁと、なんだかほっこりしてしまったのだった

ちなみに、カタールニャ美術館には以前行ったことがあるのだが、観た記憶が無いのが残念と言うか...


《グリッフォーニ祭壇画》。

2023-08-04 23:29:06 | 西洋絵画

ロベルト・ロンギ「フェッラーラ工房」でも言及されている、フランチェスコ・デル・コッサとエルコレ・デ・ロベルティによる《グリッフォーニ祭壇画(Il Polittico Griffoni)》(1472-73年頃)は、ボローニャのサン・ペトロニオ大聖堂内のグリッフォーニ礼拝堂の祭壇画だったが、後に分割され、現在は世界各地の美術館に分かれて所蔵されている。

※ご参考:https://it.wikipedia.org/wiki/Polittico_Griffoni

この分割された《グリッフォーニ祭壇画》をボローニャの地に結集・再構成を試みる展覧会が、2020年-2021年にかけて、ボローニャのパラッツォ・ファーバで開催された。(私は当然観ていません

「La Riscoperta di un Capolavoro: a Bologna la mostra dedicata al Polittico Griffoni 」( Palazzo Fava)

「La Riscoperta di un Capolavoro(傑作の再発見)」は、イタリア・ルネサンスの最も重要で独創的な作品の1つであるフランチェスコ・デル・コッサとエルコレ・デ・ロベルティによる《グリッフォニ祭壇画》をボローニャの街に持ち帰るための、特別な展示会であり、完全に例外的なイベントです。」

※展覧会動画:https://www.youtube.com/watch?v=6LRBUrJdL4s&t=2s

※展覧会紹介記事:http://www.arte.it/calendario-arte/bologna/mostra-la-riscoperta-di-un-capolavoro-il-polittico-griffoni-64129

フェッラーラのスキファノイア宮で一緒に仕事をしたコッサとロベルティが、再びボローニャでタッグを組んだ祭壇画であり、私的に断片のいくつかを各地の美術館で観ていたものの、この展覧会を観逃したのはとても残念である


サザーランド《チャーチルの肖像》。

2022-12-25 23:24:31 | 西洋絵画

Netflixで「クラウン」の第2シーズンを見ていたら、グレアム・サザーランド(Graham Vivian Sutherland,1903 -1980)が登場した。彼がチャーチルの肖像画を描き、秘書が(妻も承認する)その絵を燃やすという、実にドラマチックなシーンが印象的だった。

https://en.wikipedia.org/wiki/Portrait_of_Winston_Churchill_(Sutherland)

この失われた《チャーチルの肖像》を見ていると、ほぼ同じ頃(1953年頃)ベーコン(Francis Bacon,1909 -1992)も《インケンティウス10世》シリーズを手掛けており、何やら権力者への眼差しが重なるような気もしてくる

更に興味深いのは、ベーコンとルシアン・フロイト(Lucian Freud, 1922 - 2011)も親しかったことである。

https://www.afpbb.com/articles/fp/2530388

2007年キンベル美術館で「The Mirror and The Mask(鏡と仮面:ピカソの時代の肖像画)」展を観た時、現代美術苦手の私にもベーコンからフロイトへの流れが違和感なく了解できた理由がわかったような気がした。

https://kimbellart.org/exhibition/mirror-and-mask

ということで、思いがけず、この時代の英国の現代美術の方向性を改めて思いめぐらすことのできた《チャーチルの肖像》であった。(って、現代美術苦手が何を言う?なのだけどスミマセン)


フランチェスコ・デル・コッサ(2)

2022-12-03 22:25:12 | 西洋絵画

ドレスデンのアルテマイスターにあるフランチェスコ・デル・コッサ《受胎告知》を勉強したのだが、なかなかに興味深い作品である。でも、ドレスデンで観た記憶が残っていないのが残念ではある

フランチェスコ・デル・コッサ《受胎告知》(1470-72年)ドレスデン・アルテマイスター

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Francesco_del_Cossa_-_The_Annunciation_-_Google_Art_Project.jpg

私的には全体的にマンテーニャやヴェネツィア派の影響を感じたのだが、M先生は大天使ガブリエルの向きのねじれ具合(斜に後ろ向き)がフェッラーラ派らしいとおっしゃっていた。確かにであり、コッサの後ろ向き加減のガブリエルはかなり珍しいと言える。

で、私的にふと想起したのがオヴェターリ礼拝堂で観たマンテーニャ《聖ヤコブの殉教》場面であり、プラドの《聖母の死》をも想起してしまったのだ。

(窓からマントヴァ風景が見える)

アンドレア・マンテーニャ《聖母の死》(1461年頃)プラド美術館

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Andrea_Mantegna_047.jpg

(ピンボケ写真すみません(^^;)

アンドレア・マンテーニャ《聖ヤコブの殉教》(1457年)エレミターニ教会

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Padova_GS,_Cappella_Ovetari.JPG

もしかして(私的妄想だが)、コッサがオヴェターリ礼拝堂で見て、このモニュメンタルな斜め後ろ向きのポーズに触発された可能性もあるのではないかなぁとも思ってしてしまった

で、また、大天使ガブリエルの造形でとても面白いのが、そのネジで止められているようなニンブス(光輪・aureola)である。先生も、サンバイザーのように頭部に被せられているように見える、とおっしゃっていた。

先生によると...

・天使は実は本物の天使ではなく、受胎告知の劇を上演している役者としての天使ではないだろうか?

・聖なる場面の演劇を描いている、とは言っても、演劇を通して芸術(絵画)というものの本質を表しているのではないか。

とのことだった。

それと、興味深いのがプレデッラとの境を這うカタツムリである。ダニエル・アラスによれば、中世イタリアではカタツムリは露で受精すると考えられ、マリアの処女受胎の象徴とされたらしい。しかし、やはりペトルス・クリストゥスの蠅を想起してしまうし、Met展でも来日していたクリヴェッリ《聖母子》の蠅もだが、画家の写実力誇示的側面も大いにあり得るんじゃないかと思う。

ということで、「私的蛇足」として...1470年代ニンブスの描き方について

ピエロ・デッラ・フランチェスカ《ペルージャ祭壇画》(1470年頃)ウンブリア国立絵画館

1470年代当時、ニンブスって円盤状で描かれている例が多いのよね。このピエロ作品では鏡面仕上げの(!)ニンブスに聖人の頭頂は映り込んでいるのが面白い。ちなみに、先に挙げたマンテーニャ《聖母の死》の聖人ニンブスも一部映り込みが見えるし。でも、コッサのネジで装着されたニンブスってやはり特異なケースだと思うし、その不思議さに故に強く惹かれるのだ。


フランチェスコ・デル・コッサ(1)

2022-11-20 18:38:44 | 西洋絵画

フランチェスコ・デル・コッサ(Francesco del Cossa, 1430頃 - 1477年頃)は、イタリア初期ルネサンス、フェッラーラ派の画家であり、スキファノイア宮(Palazzo Schifanoia)のフレスコ画制作にコスメ・トゥーラと共に参加している。

フランチェスコ・デル・コッサ「スキファノイア宮壁画」《4月の寓意:ヴィーナスの勝利》(1470年頃)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Francesco_del_Cossa_003.jpg

Wikipedia によれば…

「『4月の寓意』には、3人の美の女神が描かれていて、女神たちが裸で寄り添って踊るその描写は、ポスト=古典描写の最も初期のものの一つである。ちなみに、サンドロ・ボッティチェッリの『プリマヴェーラ』の日付は1482年から始まっているし、ラファエロ・サンティの『3人の美の女神』の制作も1501年からで、コッサの没年が正しければ、コッサが死んだ後のことになる。」

《4月の寓意:ヴィーナス(金星)の勝利》の一部拡大

2013年にフェッラーラに行った折、スキファノイア宮でこのフレスコ画を観てはいたが、美術ド素人の勉強不足で、装飾プログラムや細部まで良く観察していなかった(汗)。確かに《三美神》が描かれているのだよね

ニッコロ・スピネッリのメダル裏面《三美神(le Tre Grazie)》も1486年頃だから、デル・コッサのものは本当に最も初期のものの一つだと思う。するとコッサのイメージ 着想源は、やはりピッコローミニ枢機卿が所有していた群像彫刻あたりに求められるのだろうか? また、ラファエッロはフェッラーラのフレスコ画を観たのだろうか? という素朴な疑問も生じてくる。

それとは別に、しみじみ画面を見ていると、奇岩の造形や樹木の枝先のとんがりっぺ具合とか、なにやらヒエロニムス・ボスの描く風景に似ているように思えるのが面白い。コスメ・トゥーラもだが、フェッラーラ派の奇想と言うべきなのだろうか。次回、フェッラーラに行ける機会があったら、ぜひスキファノイア宮を再訪したいなぁと思っている。

で、実は土曜日、ドレスデン・アルテマイスターのデル・コッサ《受胎告知》についてお勉強し、ついでにコッサを調べて「三美神」に気が付いた訳だが、《受胎告知》も実に興味深い作品なのである。

ということで、次回は《受胎告知》について書きたい

こそっと情報...幸福輝氏がファン・エイク本を執筆中だそうで、何年か後には中央公論美術出版から出るようだ。


シャルル・ル・テメレール登場♪

2022-11-12 21:41:54 | 西洋絵画

日本経済新聞(仙台:全日版)で土曜連載されている「王の綽名」をいつも楽しみに読んでいる。佐藤賢一氏の著書はフランス史を主題とした小説や「ヴァロア朝」や「英仏百年戦争」などの歴史書を私的にもいくつか読んでいる。この新聞連載も欧州の中世初期から時代を下りながら、王の綽名にまつわる話が興味深い。

で、ブルゴーニュ公国の大公たちの綽名は私的に親しんでいるが、「王」では無いので多分無理だろうなぁと思っていたら、何と!本日(11/12付)、シャルル・ル・テメレールが登場

新聞を捲りながらイラストを見て「シャルルに似ているなぁ」と思ったら、 だった(笑)。それも、ルーベンス描く「シャルル・ル・テメレールの肖像」を参照したのがすぐわかる似せ方だったし

ピーテル・パウル・ルーベンス《シャル・ル・テメレールの肖像》(1618年頃)ウィーン美術史美術館

それにしても、本当に「王国を夢見て猪突猛進」だったル・テメレールであったなぁ


「LA COPIA, IL FALSO E IL FINTO」

2022-11-02 19:47:15 | 西洋絵画

NHK-BS番組「贋作の誘惑」を見ながら

https://www.nhk.jp/p/ts/6QJPZ5QL6M/

5月にボローニャのFさんから送っていただいたカラヴァッジョ作品を中心にした或る論考を想起してしまった。番組の方は「贋作」であったが、こちらは「コピー」に関する論考なのだが...。

RODOLFO PAPALA RIPRODUZIONE DELLE OPERE D'ALTE(美術作品の模造)」

カラヴァッジョ《聖マタイと天使》の最初のヴァージョンは第二次世界大戦末期のベルリン砲火で焼失し、現在では残されたモノクロ写真でそのイメージを知るしかない。ところが、フィンランドの画家 Antero Kahila が果敢にも《聖マタイと天使》の再現(模造)に挑んだ。

https://www.stiftung-stmatthaeus.de/programm/veranstaltung/vernissage/

(上記↑URLサイトの写真をクリックすると拡大できる)

ちなみに、論考のテーマ「LA COPIA, IL FALSO E IL FINTO」の訳語であるが、Fさんの見解では

・La copia=模写作品 または模倣 ・Il falso=贋作 ・Il finto=偽物

ということだった。(深謝です!!>Fさん)

さて、論考の内容だが(拙略訳なので誤訳等があったらすみません

「作品保護のため、或いは、失われた作品を交換する必要性と、視覚的および環境的な観点から効果的な選択を行う必要性により、模写画家によるコピーと、写真製版またはデジタル複製手段の使用との間のジレンマが生じている。 これは、贋作(Il falso)と偽物(Il finto)のどちらが優れているかという問題にもつながる。」

例えば、ローマのキエーザ・ヌォーヴァ(サンタ・マリア・デッラ・ヴァリチェッラ)にあったカラヴァッジョ《キリストの埋葬》であるが、作品保護のため、現在はヴァチカン絵画館に所蔵されており、キエーザ・ヌォーヴァには代替として Michael Koch による模写作品が元の礼拝堂に設置されている。

カラヴァッジョ《キリストの埋葬》(1602-04年)ヴァチカン絵画館

Michael Koch 《キリストの埋葬》(19世紀初頭)キエザ・ヌォーヴァ

「しかし、美術作品には、その「イメージ」に還元できない深みがある。」

私的にも、この代替模写作品は当時の礼拝堂の様子を偲ぶことができても、やはりヴァチカンのオリジナルの素晴らしさには及ばない寂しさを感じるのだ。

一方、パレルモのサン・フランチェスコ・ダッシジ教会のサン・ロレンツォ祈祷堂から盗まれた《パレルモの生誕》は、現在写真コピーが元の礼拝堂に設置されている(らしい)。私的には残念ながら実見できなかったが、もしかして、写真の持つ味気無さを見ずに済んだのは幸いかもしれない。

「芸術作品には、技術的、職人的、文化的、実存的、政治的な重層的深みがあり、その「イメージ」という用語の最も表面的な意味に還元することはできない。この厚み(深み)はオリジナルの抑えきれない個性を構成している。イメージとしては写真撮影、コピーさまざまな複製に適してはいるが、芸術作品としては、多かれ少なかれ、それに近しい他の作品の源泉となりうる。見えるもの、見えないもの、すべての次元(ディメンション)を含めて再起動するのだ。

コピーは、それ自体が偽造であることが明らかにされた場合、贋作ではない。贋作は、悪意、署名の消去、作成者の誤解を前提としている。コピー(模写)は、それぞれの傑作が引き起こす影響の歴史の中で、最初にして最も近い効果(結果)である。

作品が元のコレクションで利用できない場合、忠実なコピーがその存在を再解釈することは正当であり、これは芸術作品でもあるコピーを通じてのみ行うことができる。」

ということで、酷い略訳スミマセンだが、要するに、 Antero Kahila の《聖マタイと天使》の再構築(模造)は正当である、ということなのだろうと読んだ。もしかして、誤読、理解不足かもしれないので、その場合はご容赦くださいませ