花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

「こんにちはクールベさん」

2005-05-26 01:18:20 | 展覧会
ロンドンのウォーレス・コレクションにフランス・ハルスの傑作「笑う騎士」の絵がある。
http://www.wallacecollection.org/c/w_a/p_w_d/d_f/p/p084.htm
ハルスの闊達な筆のタッチが今にも噴出しそうな笑顔を生き生きと描き出し、繊細なレースや細やかな刺繍描写も素晴らしい作品だ。少し離れたところに立っていた私は騎士の笑顔に魅せられ、絵の前まで近寄ってみた。絵は私の目の位置よりもやや上方に展示されおり、私の視線は少し仰ぎみるように騎士の視線と出会った。ところが、あの愉快な笑顔が急に傲慢な人を見下すような視線と笑みに豹変したのだ!今でも変わっていなければウォーレス・コレクションのガイド本の表紙はこの騎士の絵だし、画集にも載っていると思うので、お持ちの方は試しに下から仰ぎ見ていただきたい。私には未だに画家の意図なのか偶然なのかよくわからない。とにかく視線の位置によって絵の印象がこんなにも変わるものかと驚いてしまった。

ところで、最近、損保ジャパン「17-19世紀のフランス絵画」展でギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet、1819-1877)の「出会い、こんにちはクールベさん」を観た。
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index5.html
私的には、クールベはCARAVAGGIOのリアリズムの流れを汲む画家だと認識しており、その写実主義の画風は大好きである。ところが、この絵の前で不快を覚えた。ハルスの「笑う騎士」とは違って、クールベ画家自身の傲慢さを感じたのだ。私は画家とは時代も国も異なる鑑賞者である。もしかして、異なる文化間の視線の違い=誤解によるものかもしれない。しかし、実際に絵から感じた不快感は拭えず、ささやかな考察を試たくなった。

「出会い、こんにちはクールベさん」は129 x 149 cmと、かなり大きな油彩画である。
http://www.artchive.com/artchive/C/courbet/bonjour.jpg.html
当時のフランス・アカデミー画壇からその革新的な写実主義を非難されていたクールベだったが、ようやく画家を理解し支持するパトロンにめぐり会うことができた。そのパトロンのブリュイアスをモンペリエに訪ねた時の情景を描いたのがこの作品だ。私的に観ても、画面はモンペリエの明るい陽射しと風景を的確に描写し、影による陽光の表現は新鮮だし、道端の草花も生きている良い絵だと思う。ブリュイアスはこの絵を記念として大切に飾っていたらしい。と言うことは、描かれた側としても満足していたのだろう。

さて、画面では登場人物たちが歴史画の如く堂々等身大で描かれている。描かれているのは向かって右に旅姿のクールベ、左寄り中央にブリュイアス、その左に従者。美術研究家によれば、この作品の構図は「さまよえるユダヤ人に語りかける町のブルジョワジー」という民衆版画の構成を下敷きにしているとのことだ。私も画集で確認したのだが、版画は向かって左にややうつむき加減の若いユダヤ人、右に二人のブルジョワジーが向き合って立っており、構図は確かに似ていた。ところがこの「出会い」では、画家が自分をユダヤ人に擬えたとしても、顔を上げ、胸を反り返し、版画とは違って実に尊大な姿を見せている。反対に、ブルジョワジー役(?)のブリュイアスは画家の訪問に対し帽子を手に敬意の挨拶姿勢を取る。その従者も主人に倣って画家に頭を下げ、敬礼をしている。
絵の前に立つと、写実主義のクールベが切り取った場面は、どうも画家自身を主人公として描いたもののように見えてしまうのだ。もしかして、クールベは民衆版画の主従の位置関係を意図的に逆転してしまったのではないだろうか?そんなことを考えながら観ていたら、どうも画家の傲慢さが鼻についてきた(笑)。画家自らだけを描く自画像ならば、いくら傲慢不遜でもかまわないが、実在の人物を引き立て役として、自らを歴史画の英雄的主人公の如く描いているなんて反則じゃないか…と(^^;;;

ところで、クールベには良く似た構図の作品がもう1枚ある。その「村の子供に施しをする婦人たち」は、向かって左に村の貧しげな少女、右に二人の上品な若い女性が描かれている。この女性たちのモデルはなんとクールベの妹たちだ。施しを受ける村の少女の身になれば、描かれる立場としてはたまったものではない。画家の身内の徳ある姿を描くために引き合いに出されるなんて…(^^;;

実は偶然「出会い」における民衆版画の構図引用に関しての一説を読んだ。クールベが自分を彷徨えるユダヤ人に重ねたことについて、「ここには、文明化された社会の中で一野蛮人として生き、民衆に語りそこから知恵を引き出し、放浪と独立の生活を送ろうとする画家の考えがこめられている」とのこと。きっと、識者の目にはそう映るのだろう。

恥ずかしながら、私はただの絵画好きに過ぎず、美術史をまともに勉強したこともない。おまけに19世紀フランスについての知識もない。時代も生まれ育った国も違うし、その文化的背景の違いによる誤解もあるかも知れない。しかし、同じ人間として見る時、構図の逆転は民衆側に立つ英雄としてより、返って自尊心の強い普通の人間であることを証明してしまったのではないかと思われるのだ。
もしかして、謙虚さを美徳とする日本人の視線と、西洋の自負心そのもののような画家の絵が出会った時、ハルスの「笑う騎士」のように、異なる文化間の視線の違い=誤解によって「傲慢さ」に変じてしまったのかもしれない。
絵画は観る側の視点により様々な側面を見せてくれる。これも絵画鑑賞の楽しみのひとつかもしれないなぁと思った。

CARAVAGGIO:The Final Years 展 (9)

2005-05-12 01:43:11 | 展覧会
(6)で書いた、何故メッシーナ美術館が2作品をナポリ展、ロンドン展と連続貸出しをしたのか?という疑問が何と解決してしまった!
検索で偶然ラ・トゥール愛好家・桑原靖夫氏のブログ『時空を超えて』を見つけたのだが、その愛情溢れる「ラ・トゥールを追いかけて」(12)で「The Final Years展」作品融通の裏話に触れておられたのだ。
http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/e/a7bbbfac372c8bf2d5b8fe377a18d22f

メッシーナ美術館はナショナルギャラリーに2作品を貸出す代わりに「エマオの晩餐」を借りる約束を取り付けたらしい。あの一見地味な美術館のホスピタリティ溢れる館員さんたちを思い出すに喜ばしいことだ。あ、一見地味と書いてしまったが、CARAVAGGIO2作品とともにアントネッロ・ダ・メッシーナの作品コーナーは必見である!

作品融通と言えば、ロンドンの後に廻ったベルリン国立絵画館のラ・トゥール「豆を食べる人々」が残念ながらパリ、ボンへと出張中だった。6月に戻るらしい。パリと聞いて、もしかしてルーヴルの「ダイヤのエースを持ついかさま師」の代替用かも…と思ったのだが、ルーヴルで見掛けた方はいないだろうか?

CARAVAGGIO:The Final Years 展 (8)

2005-05-09 00:20:25 | 展覧会
<第4室> ― シチリア ―
「羊飼いの礼拝」(1609)      シチリア州立メッシーナ美術館 (メッシーナ)
http://www.wga.hu/html/c/caravagg/11/67sheph.html

シチリア時代の作品のなかで「羊飼いの礼拝」が一番心を打つ。安らかな面持ちの聖母に抱かれた幼子の愛らしさ、羊飼いに紹介するヨセフの誇らしさ。羊飼いたちの貧しくとも真摯な佇まい。粗末な馬小屋の中に何やら心温まるものを感じるのだ。特に、手を合わせる羊飼いの剥き出しの肩や足に、「ロレートの聖母」に通じる貧者の祈りを見る。しかし、このひねったようなポーズはかなり不自然だとは思うのだが…(^^;
構図を見ると、画面右上から斜めに人物を配置し幼子イエスへと視線が収束され、どことなく「キリストの埋葬」の嘆く人物の構図が想起される。キリストの生誕と死が画家のイメージの中で重なり合ったのだろうか?

メッシーナで観た時は暗闇に目を凝らしながらもCARAVAGGIOの筆致を追った。大きな絵であるから、ちょうど目の前の前馬小屋に敷いてある干草だけは良く観察できた。擦れたような奔放な筆使いで、まるで草を撒き散らしているかのようだった。
今度のナポリ展及びロンドン展で、初めて明るい中(と言っても比較してだが)で詳細にみることができ改めて気がついたことも多い。まず、聖母の衣装のビロードのような光沢…これはロンドン展のスポットライトが効果的だったのかも知れない。そして、左下方に置いてある籠の中のパンや大工道具の写実描写だ。CARAVAGGIOとしては久々の静物画的描写をしている。この絵の注文主であるフランチェスコ派カプチン会からかなりの額の代金を受け取ったようだから当然かなぁ…とも思った(^^;;

CARAVAGGIO:The Final Years 展 (7)

2005-05-08 01:29:44 | 展覧会
<第4室> ― シチリア―
「ラザロの蘇生」(1608-9)    シチリア州立メッシーナ美術館 (メッシーナ)
 http://www.wga.hu/html/c/caravagg/10/65lazar.html

「ラザロの蘇生」向かって左方向から注し込む強い光こそラザロを蘇生させる聖なる光だ。「ラザロよ、出て来たれ」と指差すキリストの顔が逆光にシルエットとなっている。ラザロの十字架を思わせる硬直した身体の右手の平は光を直接に受け、今生き還ろうとしている。見守る人々は驚き光源に目を向ける。
教会の設置場所の光窓に応じて構図を決めたCARAVAGGIOを考えれば、多分、この絵が飾られていたクロチーフェリ修道会の礼拝堂は左に窓があったのかもしれない。光源を凝視しようとする人々のなかにCARAVAGGIOの自画像と思われる男がいる。いつでも画家は自らを目撃者として描いているのが面白い。画家の視線は観る者の視線をも誘導する。
構図的に上部空間を広く取り人物をフリーズ状に並べる構成はシチリア時代に共通して見られる。ラザロの側で心配するマルタとマリアを観ていると、ローマ時代より心情的に訴えるかのように感じられた。しかし私的にはシチリア時代の作風はどうも粗過ぎるようで、昔の画家を想うとあまり好もしくは思えない。ちなみに、ミア・チノッティ『カラヴァッジオ』によれば、1950年の修復調査時、マルタやマリアはCARAVAGGIO筆だが、衣装等は助手の手によるものとわかったそうだ。

この「ラザロの蘇生」について、宮下規久朗氏は著書『カラヴァッジョ―聖性とヴィジョン』で「マタイの召命」と対比をしながら、両者ともキリストを見ておらず、光とキリストの声だけによる、「マタイ」は内面の覚醒であり「ラザロ」は死からの覚醒であるとしている。なるほど…と、とても興味深い。

CARAVAGGIO:The Final Years 展 (6)

2005-05-05 02:40:40 | 展覧会
画像の悪さはお許しあれ。シチリア州立メッシーナ美術館で撮った「ラザロの蘇生」デジカメ画像である。

<第4室> ― シチリア・再びナポリへ ―
「ラザロの蘇生」(1608-9)    シチリア州立美術館 (メッシーナ)
「羊飼いの礼拝」(1609)      シチリア州立美術館 (メッシーナ)
「受胎告知」(1608-09 )     ナンシー美術館(ナンシー)
「洗礼者聖ヨハネ」(1610頃)   ボルゲーゼ美術館 (ローマ)

さて、第4室について書こうとして、迂闊にも、今回のロンドン展ンに欠けている作品がもう1枚あることに気がついた。ナポリ展では展示されていた「聖女ルチアの殉教」(シチリア州立シラクサ・ベッローモ美術館)だ。ベッローモ美術館はアントネッロ・ダ・メッシーナ「受胎告知」とCARAVAGGIO「聖女ルチアの殉教」が売り物だから、CARAVAGGIO作品の長期出張は打撃なのかもしれない。だとしたら、2枚の作品を出しているシチリア州立メッシーナ美術館は…?

ラ・トゥール展講演会で、木村三郎氏のロンドン展は「真っ暗」との話にイメージしたのはメッシーナ美術館だった。カポディモンテ美術館「キリストの笞打ち」室は暗くても効果的な照明なのでまだ良いのだが、メッシーナ美術館の場合あまりにも暗過ぎ、細部がよく見えずに苛立った経験がある。スポットライト照明も弱くて効果が無いのだ。今回の展覧会出張で2作品を仔細に見る事ができたことは幸いだ。

ジョルジオ・アルマーニ展

2005-05-04 01:11:02 | 展覧会
森アート・ミュージアムでジョルジオ・アルマーニ展を観てきた。
http://www.roppongihills.com/jp/events/i8cj8i000001dsqr.html

アルマーニの衣装デザインの歴史が見て取れるだけでなく、その優れたデザイン力、そして、それを支えるイタリアの服飾技術の総合を見たような気がする。
私が現代のファンション・デザイナーとして一番好きなのはアルマーニかも知れない。実際に何枚か持っているが、リアルクローズとしてのジャケット類は他の比類を許さないほど実用的であり優美である。シンプルでありながら身体のラインに優美に沿うデザイン、身を包む素材の持つ軽くしなやかな着心地の良さ。洋服は肩で着ると言われるが、アルマーニの肩のライン、首に沿う襟のデザインは、着る者をお洒落且つ賢く見せる魔法を持っているように思える。ビジネスの場において、ここ一番の会議服としてアルマーニが好まれるのは良くわかる。
しかし、このアルマーニもパーティー用のドレスを多くデザインしており、そのシンプルで優美なラインを持ち込みながらも、ゴージャスな素材とアルマーニならではの微妙な色彩で、絢爛たる美の世界を創造している。今回のアルマーニ展の圧巻はファッション・ショーで使用したと思われるこの豪華なドレスの数々で、うっとりするような絹の素材感はもちろん、煌くメタリックなスパンコール、クリスタルに輝くビーズに刺繍、生地を盛り上げるレースにチュール…と、構築する素材もデザインもドレス自体が芸術作品であることを主張していた。
会場の構成は、ミニマム、デコラティヴ、色彩別、エスニック調などに分けて展示されており、そのドレスの数もかなりのもので、見応え充分である。あまりの素敵さに、このシックなジャケットが欲しい、この綺麗なビーズのドレスは似合いそうだ…一緒に見た義姉とお互いに言いたいことを言いながら、溜息をつきつき見惚れてしまった。

CARAVAGGIO:The Final Years 展 (5)

2005-05-03 01:12:37 | 展覧会
さて、第3室はマルタ島時代の作品だ。

左に「マルタ騎士の肖像」、右に「眠るアモル」が並ぶ。

「マルタ騎士の肖像」は現在の定説では騎士アントニオ・マルテッリの肖像と言われている。黒の騎士服の中央に縫い取りしてある白絹のマルタ十字を近寄って注意深く見ると、白乳色に灰色・灰褐色と複雑な色味で、意外に素早いラフな筆致で描かれていることがわかる。離れて観ると、それが白絹の光沢ある質感と微妙な陰影になっており、若い頃からの写実描写の腕が認められる。
イタリア人騎士らしい体躯と風貌なのだが、黒の騎士服で堂々たる威厳を感じる。細部を見ると意外に手を抜いているところが見え、速描きCARAVAGGIOのご愛嬌なのかも…とも思った。

「眠るアモル」は黄昏の陽光の注ぐなかで眠る。子供らしいくびれの皺が可愛らしさと言うより何か生々しさを感じさせるのは何故だろう。背景の闇の中にアモルの翼が弧をえがき浮かび上がるのだが、その弧だけで大きな翼の存在を暗示する。CARAVAGGIOの計算のようなものを感じる。
どうも私にはこの眠るアモルを取り巻く背景の闇が得体の知れぬもののように感じられ、何故だかこの眠りも安らかなものとは思えないのだ。

CARAVAGGIO:The Final Years 展 (4)

2005-05-01 03:04:34 | 展覧会
写真はティツィアーノ「エッケ・ホモ」(ダブリン国立美術館)だが、どことなくCARAVAGGIO「キリストの笞打ち」を髣髴するものがある。

さて、レポート(感想?)を続けよう。

第2室はローマ逃亡後、故郷縁のコロンナ家領地を経て第1次ナポリ滞在時代作品が並ぶ。この中では告知ポスターにもなっている「キリストの笞打ち」が圧倒的存在感を示し、まさに今回の展覧会メイン作品とも言えよう。
サイトのナポリ展レポートでも書いたが、ナポリでは隣にティツィアーノ「エッケホモ」(個人所蔵)が並んで展示されていた。しかしここでも私的には、隣にはぜひとも同じティツァーノでもダブリン国立美術館で観た「エッケ・ホモ」が相応しい…との想いを強く感じた。何故なら、「キリストの笞打ち」では縄で縛られたキリストの右腕には縄目が食込んだ跡が赤黒い痣となり痛々しく、ティツァーノ(ダブリン作品)のキリストの縛られた手首にもこの縄目跡の生々しい描写が観られるのだ。ロンバルディア仕込みのリアリズムはヴェネツィア派の巨匠とも合い通じるのか、影響を受けたのか、果たして…?

CARAVAGGIO:The Final Years 展 (3)

2005-05-01 02:53:45 | 展覧会
第1室はナポリ展と同じく「エマオの晩餐」LNG(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)とミラノ・ブレラ美術館作品が並び、オープニングに相応しい話題性と存在感を放っていた。今回の地味になりがちな晩年期作品群の中で、やはりLNG作品は異色ではある。
最盛期の画技と新奇性を盛り込んだLNG作品は観る者を否応なしに画面内に引きずり込みテーブルの手前に座らせてしまうが、ローマ逃亡後のブレラ作品の持つ内省的な静けさは宿屋の主人たちとともに惹き込まれながらも佇んでしまう。