花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

ハサミ。

2015-06-14 01:01:33 | 使うもの
古い花鋏がすっかり錆びついてしまったので、新しい花鋏を購入した。ネットで色々調べたら、坂源の「ハンドクリエーションF170」が使いやすそうだった。

最初、持手の色はモスグリーンにしようと思ったのだが、Amazonで白色のF170を見つけ、一目惚れ(*^。^*)。「超プレミア色」との惹句に(弱いのよねぇ)、思わずポチっと(笑)。

赤いGマークがカワイ過ぎるので、シールを剥がしたらシックな大人仕様になりましたわ♪ 軽いし、切れ味も良いし、長く使えたらと思う。

 
ハンドクリエーションF170 フッ素樹脂 超プレミア色 クリスマスホワイト

と言うのも、30年以上も現役で使っているハサミがある。今でもシャキシャキ気持ちよく切れる。


アドラーのNO.285

 

DOVOが受注して作ったみたい。ドイツのゾーリンゲン製

その昔、青山のスパイラルビルの文房具屋さんで買ったものだ。少々手荒に使ったこともあるが、こんなに長く持つなんて、もしかしたら一生モノかも。

不器用過ぎる私としてはよく切れるハサミに感謝したい。気に入った道具を持つって嬉しいし、大切にしたいよね。 


山梨県立美術館「夜の画家たち」展(2)

2015-06-09 20:07:08 | 展覧会
山梨県立美術館《夜の画家たち》展の「出品リスト」を参考用にリンクしておく。→こちら

小林清親や川瀬巴水などの版画を観ていると、明治以降の近代化への急速な歩みとともに、江戸情緒の名残がそこはかとなく垣間見られることが嬉しい。おぼろ月夜に照らされた川辺や、ガス灯が灯り始めた街の風情は、なにやら郷愁をかきたてるものがある。多分、昼間の雑踏や喧騒が、夕暮れから夜へと移ろう闇の中に静かに沈んでいくからなのだろう。その間(あわい)こそが版画家としての感性の見せどころとなったのだと思う。


小林清親《大川岸一之橋遠景》(1880年)がす資料館


小林清親《新橋ステイション》(1881年)がす資料館


川瀬巴水《大宮見沼川》(1930年)平木浮世絵財団

さて、今回の展覧会で特に興味深かったのは、第5章「近代画家たちとバロックの闇」であり、そこに展示されていた満谷国四郎《戦の話》を観て、カラヴァッジョ偏愛として本当に驚いてしまった!!(・・;)

先ずは、参考としての画像を...カラヴァッジョ《聖マタイの招命》。

カラヴァッジョ《聖マタイの招命》(1600年)サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂(ローマ)

今回の展覧会に展示された満谷国四郎《戦の話》。

満谷国四郎《戦の話》(1906年)倉敷市立美術館

時代的に日露戦争に参戦した軍人の話を聞いている人々(家族)を描いているものだと思われる。が、画面を詳細に観ると、向かって右からの光は話し手の軍人の背後の障子窓から斜めに差し込み、その顔は逆光によりキリストと同じように半ば影に沈む。更に、聞き手の家族の構図やポーズも注意深く見ると、《聖マタイの招命》の人物たちに似ており、どうしても《聖マタイの招命》を髣髴とさせるのだ!!

正面の男の身を乗り出す身振りは、羽飾りの帽子を被った若者(マリオ・ミンニーティがモデル)のポーズに似ており、女性たちの身のこなしは後ろ向きの羽飾り帽子の男を想起させる。左奥に位置する老人に抱かれ(話に飽き)寝入る孫娘は、お金を数えている若い男の俯くポーズに通じる。老人は眼鏡をかけ髭を蓄え、まるで《聖マタイの招命》の左3人を合体させたような造形と佇まいではないか?!

満谷 国四郎(みつたに くにしろう、1874年- 1936年)は日本の洋画家であり、五姓田芳柳、小山正太郎の門に学ぶ。1900年アメリカ経由でフランスへ渡り、ジャン・ポール・ローランスの門に学び1902年帰国。アカデミックで写実主義的な画風の作品を描く。この頃描いたのが《戦の話》だ。

写実描写の頃の《車夫の家族》。幼児を抱く母親は聖母子像を想起させ、子供の足裏の汚れはカラヴァッジョを想起する。《ロレートの聖母》とは言わないまでも...。

満谷 国四郎《車夫の家族》(1908年)東京藝術大学大学美術館 

1911年大原孫三郎の援助で再度渡欧、パリで初歩からデッサンに取り組み勉強した。新しい研究成果を身につけて1912年に帰朝、後期印象派などの影響により、幾分象徴主義的な画風へと転じた。

後期印象派の影響が見える《椅子による裸婦》。

満谷 国四郎《椅子による裸婦》(1912年)東京国立近代美術館

平泉氏の講演会でも満谷の《戦の話》は「カラヴァッジョ研究者の間でも話題になった絵」として紹介されたのだが、私的にも、宜なるかな!と激しく頷いてしまったのだった。

《戦の話》が描かれた1908年当時、まだカラヴァッジョ再評価の動きは始まっていない。更に満谷がカラヴァッジョ作品を観たという実証的証拠も無い。しかし、現に《戦の話》にはカラヴァッジョ作品からの影響としか思われない痕跡が満ち満ちている。

某大学の美術史の先生がおっしゃっていた。「画家は本当に凄いと思っているものには口をつぐむ。しかし、言わないけれども<形>にあらわれているものだ。」と…。

ということで、次回も高島野十郎や須田国太郎も登場する「近代画家たちとバロックの闇」の続きをば…。

甲府プチ旅行。

2015-06-05 23:46:48 | 国内旅行
先週、5月29日(金)の午後から2泊3日のプチ旅行をしてきた。目的地は甲府、目的は山梨県立美術館「夜の画家たち」展を観ること&講演会を聴講すること&ミレー・コレクションを観ること。でも甲府には宿泊していない(^^;

29日(金):午後、仙台から新幹線で上野へ。東京国立博物館に行ったものの「鳥獣戯画」170分待ちとのことで断念(ゲストのぴのこさんも前々週に同じように断念したそうだ)。ということで、代わりに東京都美術館「大英博物館展」を観る。(東京泊)


東京国立博物館のチケット売り場前の看板。午後5時過ぎ現在の待ち時間情報(;_:)

30日(土):朝、「特急あずさ」に乗って甲府へ。山梨県立美術館で展覧会&講演会&常設展を堪能。甲府から「スーパーあずさ」で八王子へ。ホテルで地震に会う(・・;)。(八王子泊)


山梨県立美術館


甲府駅前の武田信玄の銅像 帰り(夕方)に撮ったので逆光になっている(^^;


信玄餅は好きじゃないので、信玄プリンを買って列車の中で食べた♪

31日(日):東京富士美術館「レオナルド・ダ・ヴィンチとアンギアーリの戦い」展を観る。その後、移動して印刷博物館「ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ」を観る。夕方、新幹線で仙台に帰る。


東京富士美術館「アンギアーリの戦い」展

東京へ行くと帰省気分になり、東京以外に出かけると旅行気分になる。それなのに、美術館以外どこにも寄っていないのだよ…(-_-;)

山梨県立美術館「夜の画家たち」展(1)

2015-06-03 20:47:46 | 展覧会
山梨県立美術館「夜の画家たち-蝋燭の光とテネブリスム-」展を観た。併せて平泉千枝氏 (ふくやま美術館学芸員)による記念講演会 「ラ・トゥールとテネブリスムの画家たち」も聴講した。


山梨県立美術館 展覧会場入口

展覧会はジョルジュ・ド・ラ・トゥール《煙草を吸う男》をオープニングに配し、17世紀バロックのテネブリスム(暗闇主義)が海を渡り、日本の絵画に与えた影響とその展開の諸相を解き明かしてゆく。国内から幅広く集めた作品を通した丹念な解説には勉強すること多々であった。


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《煙草を吸う男》(1646年)東京富士美術館

やはりラ・トゥール作品は何度観ても惹き込まれる。光と影による質感表現だけでなく、炎が照らす暗闇の深さまで表現してしまうのだから。

実はこの展覧会を観ながら、もしかして2012~13年にかけてのトゥールーズ&モンペリエ「Corps et Ombres」展とロザンゼルス「Bodies and Shadows」展を継承し、日本的展開を試みた展覧会と言えるのではないかと思ってしまった。と言うのも、オーギュスタン美術館ではレンブラントがさり気に展示され、ファーブル美術館とカウンティ美術館ではそれぞれの展示最終章はラ・トゥールであったのだ。


オーギュスタン美術館(トゥールーズ)「Corps et Ombres」展 会場入口


カウンティ美術館(ロサンゼルス)「Bodies and Shadows」展 ラ・トゥール作品が並ぶ

さて、今回の展覧会構成は下記の通りである。(山梨県立美術館公式サイト参照
序 章:テネブリスムの歴史  
第1章:江戸絵画と明暗表現の出会い  
第2章:近代 闇と炎に魅せられた画家たち  
第3章:近代の街を描き出す版画家たち  
第4章:明治期~昭和 夜の闇と光 表現への昇華  
第5章:近代画家たちとバロックの闇

カラヴァッジョ偏愛の私でも「蝋燭の光」と言えばラ・トゥールやホントホルストを想起する。ユトレヒト派カラヴァッジェスキのホントホルストがレンブラントに与えた影響もあろうし、もちろんエルスハイマーのレンブラントへの影響も見逃せない。(エルスハイマー銅版画作品は前期のみ。観られず残念)

展示されていたレンブラントの銅版画《足のきかない男を癒すペテロとヨハネ》(1659)には画家の光への繊細で鋭敏な感覚が彫り込まれている。一方ルーベンス原画の銅版画《聖ラウレンティスの殉教》(1621)はカラヴァッジョ的明暗が多用されているように見えた。


ルーベンス原画《聖ラウレンティスの殉教》(1621年)町田市国際版画美術館

ちなみに、マウリッツ・ハイス美術館のルーベンス《老女と蝋燭を持った少年》(1616-17年)はホントホルストと同様にカラヴァッジョの影響を強く感じさせる作品だ。できればこれを借出して頂きたかったなぁ。>企画者さま
  

ルーベンス《老女と蝋燭を持った少年》(1616-17年) マウリッツ・ハイス美術館

ユトレヒト派やレンブラントの活躍したオランダは、鎖国中の江戸時代、世界へ開かれた唯一の窓だった。どうやらこのオランダからテネブリスムが日本に流入したようだ。


亜欧堂田善(銅版画)《二洲橋夏の図》(1804-18年)

遠近法的奥行や花火の明るさや影、煙の表現など面白い。何よりも作品の端飾りがテーブルセンターを意識したようで、細い糸を模した線描が凝っている。なんだか和洋折衷のようでもあるけど、このような銅版画作品が江戸時代に流通していたなんて、日本人の新しもの好きって昔も今も変わらないなぁ、と楽しくなる(^^ゞ

幕末から明治にかけては開国に伴う欧州絵画作品も日本に多数入ってくるし、欧州に留学する画家も現れる。明治期に海外から購入された作品の中にはテレブリスム的作品を多く描いたゴッドフリート・スハルケン(Godfried Schalcken,1643 –1706 )の作品があったようだ。それを観た山本芳翠が触発され描いたのが《灯りをもつ乙女》(1892年頃)である。今回のメイン作品であり、企画者がラ・トゥール作品と並べたくなる気持ちが良くわかる。


山本芳翠《蝋燭をもつ乙女》(1892年頃)岐阜県美術館・寄託

解説に拠れば、この《灯りをもつ乙女》は偶然にもスハルケンの《蝋燭を持つ少女》に似た作品となったとのこと。観ていなくても研究により似たような作風や画題に行き着くこともあるのかもしれない。


ゴッドフリート・スハルケン《蝋燭をもつ少女》(1670-75年)パラティーナ絵画館(フィレンツェ)

そう言えば、以前Bunkamuraで「トレチャコフ美術館所蔵・レーピン展」にレンブラント作品を模写した作品が展示されていた。非常に良くできた模写だったのだが、筆触を観ながら、これはむしろティツィアーノの筆触に似ている!と思ってしまった。私的にレンブラントの原点のティツィアーノがレーピンにより炙り出されたのではないかと考えてしまったのだ。もしかして、山本のスハルケン研究もスハルケンの源泉にあるテネブリスムの歴史を炙り出したと言えるかもしれない。(あ、ド素人のたわごとなのでお許しあれ)

と言うことで、明治から昭和にかけては小林清親も含めて次回に続く。なんと日本にもカラヴァッジェスキ作品(?)があったのだ!