花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

受胎告知

2005-02-28 01:57:35 | 西洋絵画
以前、朝日新聞社『ユングと学ぶ名画と名曲』林 道義 (著)を読んだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022575999/250-3431061-8261804

うる覚えなのだが、そのなかに「受胎告知」について書いてあった。ユング心理学的にみると、画家は画面の左側と上部を上位と考えているらしい。従って、描かれた「受胎告知」のマリアと大天使ガブリエルとの位置関係から画家の心理が推し量れると言う。

さて、CARAVAGGIOの「受胎告知」であるが、ガブリエルは左側で雲に乗って、マリアより上部に描かれている。と言う事は、右側下部にひざまずき、つつましやかに(あきらめ境地の?)マリアはやはり「人間マリア」として描いているのだろうか?顔の良く見えない(白い腕が艶かしい)少年天使は神の御使いとして、いと高き処にあるのだろうか?

ちなみに、エル・グレコの「受胎告知」はCARAVAGGIOと位置が逆になっている。スペインのマリア信仰の強さがあらわれているのだろうか?

などと…考察中なので、「ナンシー(2)」はちょっと先になるかもしれません。「受胎告知」の面白い例がありましたら募集中です。参考にさせていただきたいと...。虫が良過ぎます?(^^ゞ

2003年夏 ― ナンシー(1)

2005-02-26 01:46:07 | 海外旅行
ナンシーはロレーヌ地方の中心都市である。日本ではエミール・ガレのガラス工房があった都市ということで、ナンシー美術館よりはガレ作品を所蔵するナンシー派美術館の方が有名かもしれない。実際、ナンシー美術館のショップで日本人と知るや、「ナンシー派美術館に行ったか?」と尋ねられたし、ロレーヌ博物館では日本の「ナンシー派美術館展」ポスターがオフィスに貼ってあるのを見かけた。だが、私の目的はあくまでもCARAVAGGIO作『受胎告知』のある「ナンシー美術館」にあった。

駅に程近いホテルからナンシー美術館へは歩いて行ける距離だった。10分ほど歩くと、黒色鉄柵に金の装飾が眩しいスタニスラス門が見えてくる。ポツダムのサンスーシ宮殿の門に似ていると思った。門をくぐるとナンシーの中心ともいうべきスタニスラス広場に出る。広場に面してナンシー美術館はその重厚な佇まいを見せていた。

 もし、『受胎告知』が貸出されていたら…という不安と、会えるのだという期待とが交錯したドキドキ気分のまま入館する。建物の重厚な外観とは違い、館内は白で統一された意外にモダンな造りになっており、外光も取り入れた明るい展示空間を創り出していた。入り口でもらった館内図をチェックしながら、1階の近代・現代美術は後回しにして、さっそく2階のCARAVAGGIO『受胎告知』をめざして進む。2階階段を上ったところに居た館員に展示場所を尋ねると、すぐ隣の広々とした部屋にその絵はあった…。

控えめなカメレオン

2005-02-22 22:26:57 | 西洋絵画
今日は風邪で会社を休みました。経験上、拗らせる前に1日休んでしまった方が早期回復への早道のように思われます。ということで、会社の診療所でもらった薬をきちんと飲みながら寝ておりました、が…性懲りも無くそぞろPCの前に…(汗)

最近みつけた弘前大学美術史講座サイトの過去ログがユニークで、かなりハマっております。学生の質問も先生の答えも面白く、つい、今日も続きを読んでしまいました。
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/cp-kouza/qanda2002-4-15.htm

学生:他の文化圏の美術作品を見るとき、感じるとき、どうすればいいのか?逸話などを知るしかないのか?

先生:多少優等生的な言い方になりますが、他の文化圏に可能な限りのリスペクトとして、知識を得ながら、それでもなお「自分としてみる」という、それ自体カメレオン的な行為となるでしょう。そしてそのような控えめなカメレオンは、趣味の押しつけや強制といった野蛮なは虫類たちから、そしてまた、他人と自らを線引きして安住する傲慢なる両生類からもっとも遠いところにあります。

(無断引用申し訳ございません)

拝読し、果たして控えめなカメレオンになれるか…自信のない花耀亭でございます。

知識が無くともできる鑑賞と「解釈」とは別ものなのだ…ということも学ばせていただき、美術ド・シロートの独断と偏見を多々反省しております(^^;;;

文体練習

2005-02-20 03:50:28 | 読書
「地下鉄のザジ」の作者レーモン・クノーの「文体練習」を読み始めた。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4255960291/ref=pd_sr_ec_ir_b/249-6581990-2677910
1頁に収まるような思わず笑ってしまうようなつまらない内容なのだが、それを99通りに書き換えたところがこの本・クノーの凄さである。すなわち99の文体だ。

私の自説は文体=人格である。ということは、クノーは99の多重人格を演じてみせたことになる。その99の人格が1つのストーリーを違った視点と主観と文体で各々語る。フランス人らしく時に辛らつで、時にウィットに富み、更にばかばかしく、きどったり、ふざけたり、戯曲風だったり...もう、ニヤリと笑うしかない。

まぁ、思うに、真実だって相対的なものだし、自分にとっての真実と、他者にとっての真実とが違っていることなんて多々あることだ。大体1+1=2だって数学的には真実なのかもしれないが、Rock的には違うし(笑)。ミック・ジャガー+エリック・クラプトンが組めば凄い曲ができるか...と言えば、倍以上の素晴らしいものができるかもしれないし、1.5いや1以下のつまらないものができるかもしれない。ああ、つまらない例をだすのが好きな花耀亭なのでお許しあれ。

ということで、クノーの本は頭をシャッフルしてくれる、真面目にも斜めにも読める本なのである。日本語に翻訳した訳者も本当に大変だったと思うけどね(^^;

踊るサテュロス

2005-02-19 22:41:06 | 展覧会
東京国立博物館で「踊るサテュロス」を観てきました。
頭を傾け、きっと右足をつま先立ててピルェットしている...しなやかなサテュロス像は観る者の心を楽しくします。
酔いしれ、回転しながら踊るサテュロスの髪は風に靡き、彼の目は虚空を見つめ、口元には恍惚の笑みを浮かべています。若々しい均整のとれた肢体、特に臀部が魅力的です(笑)。どうも最近彫刻を見る時は後からしみじみと眺めてしましますが、この像は回転の身体のねじれを表現しているので、どの角度からも見応えがあります。躍動感あふれた素晴らしい造形だと思いました。

ちなみに、このサテュロス像はギリシア・ヘレニズム期のオリジナル彫刻をローマ期に模刻したものではないか...というのが有力説のようです。
図章研究では、バッカスの従者であるサテュロスは飲み干した酒杯(カンタロス)を左手に、霊杖(テュルソス)を右手に持っているのだとか。サテュロスの肢体部分から全体像が想像できるようです。
彫刻に見られる眼彩の白目部分のアラバスターは残っているのですが、残念ながら虹彩部分が欠落しています。

さて、展示されている表慶館内で、驚いたことにチョコレートを売っていました。日本人ショコラリエが作った「サテュロス」と言う名のショコラ。好奇心の強い私ですのでもちろん買って食しました。ショコラのほろ苦さとシャンパンの効いた押さえた甘味の美味しいショコラでした。しか~し!1粒1000円はいけません。庶民として怒ります。原価の半分はパッケージ代ではありませんか?>Hさん。