2025年「冬のローマ&マドリード」旅行記のローマ編が一段落し、マドリード編に入る前に、途切れたままの「(2023年)秋の北イタリア旅行」続きをサクッと記しておきたい。ヴィチェンツァの続きを含め、各都市ごとにまとめながら、全4~5回ぐらいで終わらせたいと思っている。
※ご参考:秋の北イタリア旅行(11)ヴィチェンツァ①
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/dc38196a6c0238b810fc2c3234cc21be
ということで、まずはヴィチェンツァ編の続きを急ごう。
◆「キエリカーティ絵画館」
ヴィチェンツァはヴェネツィア共和国のテッラ・フェルマだから、やはりヴェネツィア派絵画が並ぶ。早速、ヴェネツィア派の創始者パオロ・ヴェネツイアーノの三連祭壇画から。
パオロ・ヴェネツィアーノ《聖母の死と聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニウス》(1333年頃)
当然ヴェネツィア派である地元のバルトロメオ・モンターニャはもちろんだが、チーマ・ダ・コネリアーノ作品などもあった。
(デジカメ写真がボケてました!!
)
チーマ・ダ・コネリアーノ《聖ヨハネと聖ヒエロニムスのいる聖母子像》(1489年)
その中にあって、意外やメムリンクなどの初期フランドル絵画もあり、ヴェネツィアとフランドルの交流も推察された。
ハンス・メムリンク《ヤン・クラッベ祭壇画(中央部分)》(1470年頃)
ちなみに、メムリンク《ヤン・クラッベ三連祭壇画》はブルッヘで完成されたが、その後解体散逸を経て、現在は両脇翼部分をグルーニング美術館とピアモント・モーガン・ライブラリーが所蔵している。
ハンス・メムリンク《ヤン・クラッベ三連祭壇画》(1465-70年頃)
◆「サンタ・コローナ教会」
2009年ローマで観た「ジョヴァンニ・ベッリーニ展」は今思い出しても凄かったなぁと思う。出展されていた《キリストの洗礼》を、ぜひ所蔵元の教会(ガルザドーリ祭壇)で観たかった。やはり私はベッリーニ好き。
モニュメンタルな威容の「ガルザドーリ祭壇」。1487年からの教会拡張建設のため礼拝堂設置は無理で祭壇のみとなったようだ。
ジョヴァンニ・ベッリーニ《キリストの洗礼》(1501-03年)
◆「パラッツォ・レオーニ・モンタナーリ美術館」
古いイコンやヴェネツィア派絵画が展示されていた。
◆「パッラーディオ博物館」(「パラッツォ・バルバラーノ」)
パッラーディオ博物館の入っているパラッツォ・バルバラーノもパッラーディオの設計によるものだ。
「パラッツォ・バルバラーノ」外観 中庭のロッジアにイオニア式オーダーが映える。
パッラーディオ博物館にはパッラーディオ設計の建築物の模型が数多く展示されていた。
<翌日>
◆「ラ・ロトンダ(Villa Almerico-Capra)」
パッラーディオの名作。しかし、なんと!休館日で泣いた
!!でも、写真だけは撮ったのだった
。
やはり美しい佇まいのヴィッラである。
◆「ヴィッラ・ヴァルマナーラ・アイ・ナーニ」
ラ・ロトンダへの道を右に折れる先にある、同じくパッラーディオ設計のヴィッラだ。ナーニ(nani)は「小人たち」のことで、塀の上に小人像が並んでいるのに因む。室内の壁はティエポロの絵で装飾され、アンティークな家具調度もヴィッラでの生活を偲ばせる。
◆「パラッツォ・ティエネ」
元々1490年に建てられたゴシック様式のパラッツォであるが1542年に改修が始まった。当初ジュリオ・ロマーノが改修計画を担当し、その後パッラーディオが引継ぎ、変更を加えて進められたようだ。
ゴシック様式に(天井にはリヴボールトが見えた)、ジュリオ・ロマーノのパラッツォ・テを想起させるマニエリスム的なものとパッラーディオの古典的要素が入り混じったような、建築ド素人眼にもなかなかに複雑で見応えあるパラッツォだった。
右の奇妙な暖炉はアレッサンドロ・ヴィットーリアによるもので、ハデスの口を表現したものらしいが、まさにマニエリスム的と言えるかも。
ということで、ヴィチェンツァ後編を超サクッと飛ばしたが、この後は列車ですぐ近くのパドヴァに向かった。パドヴァは以前訪れたことがあり、今回は移動のための宿泊だけという、ちょっともったいない滞在となった。なにしろ駅近くのホテルからスクロヴェーニ礼拝堂は近かったのだし、再訪したかったなぁ...(溜息)。