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花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

(2023年)秋の北イタリア旅行(12)ヴィチェンツァ(続き)

2025-05-13 01:39:47 | 海外旅行

2025年「冬のローマ&マドリード」旅行記のローマ編が一段落し、マドリード編に入る前に、途切れたままの「(2023年)秋の北イタリア旅行」続きをサクッと記しておきたい。ヴィチェンツァの続きを含め、各都市ごとにまとめながら、全4~5回ぐらいで終わらせたいと思っている。

※ご参考:秋の北イタリア旅行(11)ヴィチェンツァ①

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/dc38196a6c0238b810fc2c3234cc21be

ということで、まずはヴィチェンツァ編の続きを急ごう。

◆「キエリカーティ絵画館」

ヴィチェンツァはヴェネツィア共和国のテッラ・フェルマだから、やはりヴェネツィア派絵画が並ぶ。早速、ヴェネツィア派の創始者パオロ・ヴェネツイアーノの三連祭壇画から。

パオロ・ヴェネツィアーノ《聖母の死と聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニウス》(1333年頃)

当然ヴェネツィア派である地元のバルトロメオ・モンターニャはもちろんだが、チーマ・ダ・コネリアーノ作品などもあった

 (デジカメ写真がボケてました!!

チーマ・ダ・コネリアーノ《聖ヨハネと聖ヒエロニムスのいる聖母子像》(1489年) 

その中にあって、意外やメムリンクなどの初期フランドル絵画もあり、ヴェネツィアとフランドルの交流も推察された。

      

ハンス・メムリンク《ヤン・クラッベ祭壇画(中央部分)》(1470年頃)

ちなみに、メムリンク《ヤン・クラッベ三連祭壇画》はブルッヘで完成されたが、その後解体散逸を経て、現在は両脇翼部分をグルーニング美術館とピアモント・モーガン・ライブラリーが所蔵している。

ハンス・メムリンク《ヤン・クラッベ三連祭壇画》(1465-70年頃)

◆「サンタ・コローナ教会」

2009年ローマで観た「ジョヴァンニ・ベッリーニ展」は今思い出しても凄かったなぁと思う。出展されていた《キリストの洗礼》を、ぜひ所蔵元の教会(ガルザドーリ祭壇)で観たかった。やはり私はベッリーニ好き

モニュメンタルな威容の「ガルザドーリ祭壇」。1487年からの教会拡張建設のため礼拝堂設置は無理で祭壇のみとなったようだ。

ジョヴァンニ・ベッリーニ《キリストの洗礼》(1501-03年)

◆「パラッツォ・レオーニ・モンタナーリ美術館」

古いイコンやヴェネツィア派絵画が展示されていた。

◆「パッラーディオ博物館」(「パラッツォ・バルバラーノ」)

パッラーディオ博物館の入っているパラッツォ・バルバラーノもパッラーディオの設計によるものだ。

 

「パラッツォ・バルバラーノ」外観       中庭のロッジアにイオニア式オーダーが映える。

パッラーディオ博物館にはパッラーディオ設計の建築物の模型が数多く展示されていた。

<翌日>

◆「ラ・ロトンダ(Villa Almerico-Capra)」

パッラーディオの名作。しかし、なんと!休館日で泣いた!!でも、写真だけは撮ったのだった

やはり美しい佇まいのヴィッラである。

◆「ヴィッラ・ヴァルマナーラ・アイ・ナーニ」

ラ・ロトンダへの道を右に折れる先にある、同じくパッラーディオ設計のヴィッラだ。ナーニ(nani)は「小人たち」のことで、塀の上に小人像が並んでいるのに因む。室内の壁はティエポロの絵で装飾され、アンティークな家具調度もヴィッラでの生活を偲ばせる。

◆「パラッツォ・ティエネ」

元々1490年に建てられたゴシック様式のパラッツォであるが1542年に改修が始まった。当初ジュリオ・ロマーノが改修計画を担当し、その後パッラーディオが引継ぎ、変更を加えて進められたようだ。

ゴシック様式に(天井にはリヴボールトが見えた)、ジュリオ・ロマーノのパラッツォ・テを想起させるマニエリスム的なものとパッラーディオの古典的要素が入り混じったような、建築ド素人眼にもなかなかに複雑で見応えあるパラッツォだった

 

 

右の奇妙な暖炉はアレッサンドロ・ヴィットーリアによるもので、ハデスの口を表現したものらしいが、まさにマニエリスム的と言えるかも。

ということで、ヴィチェンツァ後編を超サクッと飛ばしたが、この後は列車ですぐ近くのパドヴァに向かった。パドヴァは以前訪れたことがあり、今回は移動のための宿泊だけという、ちょっともったいない滞在となった。なにしろ駅近くのホテルからスクロヴェーニ礼拝堂は近かったのだし、再訪したかったなぁ...(溜息)。


冬のローマ&マドリード(15)ユニクロをチェック。

2025-04-28 21:39:29 | 海外旅行

サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会でゆっくりしていたので、外に出ると冬の日差しが既に傾き始めていた。ということで、ホテルに帰ろうと道すがらコルソ通りに出ると、なんと!見慣れたロゴが向こうに見えるではないか

そう、ユニクロのローマ・コルソ通り店だった。どうやら去年4月に開店したばかりのようで、店内に入ってみるとまだ真新しさの名残りが見え、買い物客も普通にいるし、なんだか日本人的に嬉しかった。店内のディスプレイとか並べ方はちょっと日本とは違うポップさがあり、やはりイタリアっぽい感じかなぁ。すぐ近くにZARAもあったし、同じような客層狙いなのかもしれない。

ちなみに、ローマの無印良品(MUJI)は去年2月に撤退したらしく、それってやはり寂しいよね。あ、ボローニャにも無印良品あります

ユニクロでは当然見るだけ、何も買わずで外に出た。コルソ通りついでだったので、もし「濱清」が開店していたら夕食しようかなと覗いてみたら、案の定まだ開店前の時刻だった。ということで、日本食恋しさを胸に、すごすごとホテルに向かったのだった。


冬のローマ&マドリード(14)サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会

2025-04-26 23:50:27 | 海外旅行

さて、久しぶりのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会である。午前中休館だったため、予想通り入口も混みあっており、特に団体さんが多いのが目立った。今まで何度も訪れているが、それほど混みあったという記憶もなく、今回はやはり午前中休館が響いている。

教会内に入場すると、特に団体客で渋滞していたのは、案の定コンタレッリ礼拝堂の前だった。しばし離れた椅子に座りながら(休憩もしながら)、人の群れが引くのを待った。

コンタレッリ礼拝堂

カラヴァッジョ《聖マタイの召命》(1599-1600年)

今回の私的注目点は、やはり、聖マタイはどっち?であり、礼拝堂で実際に観た時の印象を再確認したかったのだ。

「イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。」(「マタイによる福音書」9章9節)

カラヴァッジョの祭壇画が納品された当時、コンタレッリ礼拝堂内に一般の人々が入場できたかは不明だが、現在は柵の外からの見学となる。なので、私的に現在の柵外からの視点でしか語れないが、ごく普通に観る限り、右上部斜めからの光は帽子を被った髭の男を照らしており、お金を数える若い男は手元以外は陰に沈んでそれほど目立たない。髭の男の指は微妙ではあるが自分を指しているように見える。

《聖マタイの召命》ズーム拡大写真

しかし、一般に流布している図像は正面からの写真である。多分、研究者は特別に柵内からの実物正面観察も可能かもしれない。それにより美術ド素人の視点と研究者の視点が異なることもあり得る。そういう訳で、正面から実物を観ることはできない美術ド素人の観た感想として、聖マタイは髭のおじさん説、になるのだ。(実物を正面から観た方のご感想をぜひお聞きしたいなぁ

カラヴァッジョ《聖マタイの殉教》(1599-1600年)カラヴァッジョ自画像がカワイイ

カラヴァッジョ《聖マタイと天使》(1602年)万人受けする描き直し作品だよね

なんだかんだで出直しを強いられたサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会ではあったが、久々のコンタレッリ礼拝堂詣では楽しかったし、ポレ礼拝堂のドメニキーノ作品もしみじみアンニバレ・カラッチの影響を見ることができて嬉しかった


冬のローマ&マドリード(13)パンテオン

2025-04-20 21:38:31 | 海外旅行

午後からの開館に合わせ、14:30過ぎにサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会に行ったのだが、入口前に係りのおじさんがいて、なんと!開館が遅れ15:00過ぎになる、とのこと!!

教会前には開館を待つ観光客も屯しているし、多分開場すぐは混みあうだろうと思い、だったらパンテオンで時間つぶししようと思い立った。

久々のパンテオン内には観光客用にベンチが設けられていて、ずっと立ちっぱなしで疲れていたので助かった。ベンチで休みながら、ぼーっと天井からの光を眺める。

パンテオンは紀元前27年にアグリッパが建て、80年に火災で焼失後、118年にハドリアヌス帝により新しく再建されたようだ。「アラ・パチス博物館」で見た当時のカンポ・マルツィオのジオラマ風景では、真っ直ぐ北方向にはアウグストゥス帝廟が位置するはずで、ベンチに座りながら帝廟に向かいイメージしながら幻視してしまった

ちなみに、パンテオン内にはラファエッロのお墓とかあるけれど、メロツォ・ダ・フォルリのフレスコ画《受胎告知》もあるのだ。

メロッツォ・ダ・フォルリ《受胎告知》(1480年代)

ということで、パンテオンでのささやかな休憩の後は、3度目の正直的なサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会に向かったのだった


冬のローマ&マドリード(12)パラッツォ・アルテンプス(ローマ国立博物館)

2025-04-17 23:56:43 | 海外旅行

サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会の午後からの開館(14:30)にはまだ時間があるので、パラッツォ・アルテンプス(ローマ国立博物館)を見学することにした。

このパラッツォは元々教皇シクトゥス4世の甥であるイーモラ&フォルリ領主ジローラモ・リアーリオがカテリーナ・スフォルツァとの結婚(1477年)にあわせ、メロッツォ・ダ・フォルリの設計で建てたものである(1480年完成)。

メロッツォ・ダ・フォルリと言えばヴァチカンに有名なフレスコ画があるが...

 (左から2人目がジローラモ・リアーリオ)

メロッツォ・ダ・フォルリ《シクトゥス4世によるプラティーナのヴァチカン図書館長任命》(1477年頃)ヴァチカン博物館

メロッツォ・ダ・フォルリ派によるメインフロアのロッジアのフレスコ画装飾は美しく見事だった

1511年にはソデリーニ枢機卿により購入され、アントニオ・サンガッロ(父)やバルダッサーレ・ペルッツィ設計で中庭を含め拡張および装飾がなされたようだ。

その後16世紀にアルテンプス枢機卿が所有し、現在はそのコレクションを始めとして、ルドヴィーシ・コレクション、マッティ・コレクションなど、ローマ国立博物館の古代彫刻コレクションを中心に展示されている。

古代ローマ彫刻ではローマ人と蛮族の戦いを描いた《大ルドヴィーシの石棺》とかあったが、オリジナルがギリシア彫刻であるローマ時代の摸刻も多かった。

《マルス》と《大ルドヴィーシの石棺》(3世紀)

 

   

しかしながら、マグナ・グラエキアにあったギリシア彫刻やエジプト彫刻もあり、なかなかに見応えある展示ではあった。

《ルドヴィーシの玉座》正面:海から引き上げられるアフロディーテ

 

右側面                  左側面

しかし、この《ルドヴィーシの玉座》は、フェデリコ・ゼーリを含む一部の研究者によると、19世紀に作られた偽物である可能性があるらしい。う~ん、どうなのだろうね??

下↓の《ルドヴィーシのアクロリス》はマグナ・グラエキアのオリジナル彫刻であるようだ。

    

《ルドヴィーシのアクロリス》(紀元前3世紀  )

私的に眼が惹かれたのは少年の頭部像で、頭の右側に髪が結び垂れていたので、エジプト彫刻なのかなぁと思ったら、ローマ時代に存続していたイシス神信仰者の少年のようだった。

《イシス神信仰者の少年頭像》(3世紀初頭)

この他にもエジプト彫刻や古代の壺やガラス破片など展示物は色々と多岐にわたり、かなり見どころの多い博物館だった。


冬のローマ&マドリード(11)サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会

2025-04-09 23:20:53 | 海外旅行

さて、サンタゴスティーノ聖堂を出た後、もちろん向かったのはサン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂である。しかし、扉に張り紙がしてあり、なんと!「工事のため午前中は休館」とのこと。この後の回る予定を変更しなくてはならない。

ということで、ナヴォーナ広場を横切り、向かった先はサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会である。この教会は教皇シクトゥス4世により1482年に建立され、その後、1656年から1667年にかけては教皇アレクサンデル7世がピエトロ・ダ・コルトーナによって建物を修復した。コルトーナはバロック様式の有名なファサードも追加している。ルネサンスからバロックへと、建築的にも内装的にも興味深い教会なのだ。

さて、教会に入ってすぐ右側にあるキージ礼拝堂にはラファエッロが1514年に描いたフレスコ画《シビラ(巫女)と天使》がある。アゴスティーノ・キージのために描いたものだ。キージはラファエッロの大パトロンだものね

「キージ礼拝堂」

ラファエッロ《シビラ(巫女)と天使》(1514年)

そのすぐ左隣はアントニオ・サンガッロ設計によるチェージ礼拝堂で、その上部のルネッタにはロッソ・フィオレンティーノによる《イヴの創造》と《原罪》のフレスコ画が描かれている。

ロッソ・フィオレンティーノ《イヴの創造》と《原罪》(1524年)

内部クーポラに続く天井には15世紀当時の交差ヴォールトが見える。奥の主祭壇は由緒ある《聖母子》の絵を装飾するためにカルロ・マデルノが1614年に設計したものだ。

主祭壇前の八角形のクーポラ壁面には絵画が飾られていた。

訪れた時には教会の外装も内装も改修工事中で、工事用の足場が組まれていて、教会の全容が見れなかったのが残念だった

ちなみに、コルトーナによる有名な半円形のファサード↓も...酷過ぎるのだわ...

まぁ、気を取り直して、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会の左側から続く「キエストロ(Chiestro/回廊)」に向かった。見学にはチケット購入が必要(5€)。

ブラマンテ設計によるキエストロ(1500-1504年)は、オリヴィエロ・カラファ枢機卿のために建てたものである。「カラファ枢機卿はビッグネームがお好き?」の良い例だと思う。このキエストロは、16世紀ルネサンスの最も重要な作品の1つであり、ミラノ時代以降にブラマンテによってローマで設計された最初の作品の1つである。

 

ブラマンテ《キエストロ(回廊)》(1500-1504年)(こちらも工事中

1499年にブラマンテがミラノからローマにやってきた時はアレクサンデル6世時代で、しばらくはローマと近郊の古代建築の研究に励んだようで、このカラファ枢機卿からのキエストロの仕事で、ブラマンテの名はローマでも知られるようになったという。(参考:「世界のゆめのルネサンス建築」)

ちなみに、このキエストロの2階には現代的なカフェがあり、ちょうど昼時だったので、カフェでホットベーグルサンドを食べたのだが美味しかったのだったよ


冬のローマ&マドリード(8)ブルガリホテル前を通る。

2025-03-04 12:27:13 | 海外旅行

アラ・パチス博物館を出るともう午後6時過ぎ、既に辺りは夕闇に包まれていた。すぐ傍の工事閉鎖中のアウグストゥス廟も糸杉とともに暗い影を際立たせており、人通りの多い方の道を通ってコルソ通りに出ようと思った。

アウグストゥス廟の角を右に曲がると左手に大きなパラッツォがあり、広めで長いポルティコの下がお洒落で素敵なオープンカフェになっていた。座り心地の良さそうな椅子と緑豊かな観葉植物がゴージャスな雰囲気を醸し出している。寒いからか客が誰も見えないので、その軒下に沿って(時々中に入りこんで)コルソ通りに向かった。

で、ホテルに戻ってから地図で確認してみると、なんとぉ~!ブルガリホテルだったのだ!!

写真↑はホテルの公式サイトから拝借

https://www.bulgarihotels.com/ja_JP/rome/events/il-caffe

※ご参考:ホテルの公式動画

https://www.youtube.com/watch?v=wlV4Vaf0QPU

ゴージャスなのは当たり前ね

ちなみに、動画の最後の遠景で、茶色の円形の建物がアウグストゥス廟で、傍に見える白い長方形の建物がアラ・パチス博物館である。


冬のローマ&マドリード(3)ローマのホテル

2025-02-17 20:40:30 | 海外旅行

ローマのホテルがバルベリーニ広場なのは、もちろん!パラッツォ・バルベリーニ(国立古典絵画館)に近いからだ。ローマには3泊の予定で、ローマを歩き回れるのは正味2日しかない。どれだけ効率的に回れるかが鍵になる。

さて、ホテルはこじんまりした今流行のブティックホテルだが、なにしろ部屋は一番安いシングルなので、かなりシンプルな設えである。でも、インテリアは白とベージュを基調とした女子好みのお洒落な部屋だ。バスルームはバスタブは無くシャワー室のみであるのは、まぁ仕方のないところだ。

当初は空港から列車でテルミニ駅に向かうつもりで、事前にホテルのチェックイン時間は午後11時頃と連絡しており、そのためか多分シングルでも一番悪い部屋を割り当てられたと思う。2階の部屋なのだが、すぐ階段下(半2階)が朝食ルームになっていて、朝には物音が響いて目覚まし時計代りになった

しかしながら、朝食は気持ちよいサービスを提供しており、ホテルのスタッフ全員がホスピタリティに溢れたプロの仕事をしていた。

生のオレンジジュースも美味しく、アラカルトで卵料理やサラダなども注文できる。3泊したので私の好みも覚え対応してくれ、ブティックホテルならではのきめ細かなサービスを知ることができた。


冬のローマ&マドリード(2)羽田→ローマ

2025-02-15 19:53:40 | 海外旅行

アリタリア航空は何度も利用したことがあったが、経営破綻後のITAになってからは利用したことがなく(怖くて)、噂によると機材も新しくなったようで、今回久しぶりにAZ便に乗ることになった。ローマ直行便は今のところITAしかないしね。

ビジネスクラスだから日本人CAさんが1人はいるだろうと思っていたが、全員イタリア人(多分)で意外だった。もちろん、片言の日本語で対応してくれたが、私的にはイタリア語(たどたどしい)で押し通すことにした。L先生推奨イタリア語会話レッスンだし。

昔は機内でワインも楽しんだものだが、せっかくのビジネスだというのに持病ありの老体だから禁酒なのである。それでも、少しだけ唇を潤す程度に食前酒を味わうことにした。コースメニューはイタリアンしかないので、選んだのはやっぱりスプリッツ(フェッラーリのスプマンテにすれば良かったと後で後悔)。

スプリッツ                南瓜のムース

  

パスタ                  豚肉のベーコン巻き

 

フルーツ                 起床後の軽食

(追記)こちらが本当の軽食(夜食?)

メインのコースはちゃんとした美味しいイタリアンで、量的に多いなぁとプリモのパスタだけは少し残したものの、その他はしっかりと完食してしまった。残したけれどパスタソースはゴルゴンゾーラ入りでもちろん美味

メインの昼食の後はさっさと座席をフルフラットにして寝ることにした。今回失敗したのは、古い睡眠導入薬を持って来たのでさっぱり効き目がなく、ぐっすり睡眠をとることができなかったこと。うつらうつらと寝不足感の残ったまま15時間のフライトをなんとかやり過ごし、無事ローマのフィミチーノ空港に到着した。

入国審査もサクッと終え(日本国パスポートは優秀)、そのまま空港出口に向かった。今回の旅行は荷物をできるだけ減らし、機内持ち込みキャリーケースとボストン型バッグにまとめたので、荷物レーンで待つ必要もなし。

ところが、である!! 突然、後ろから突き飛ばされて、なんと!べたっと転んでしまったのだ  

私の後ろを歩いていたガタイの良い外人のおにいさんが、荷物に足を取られて転んだ際、私にぶつかり突き飛ばしたようだった。私を助け起こしながら謝っていたが、まぁ、運よく痛みもそれほどでなかったのは幸いであった。でもね、ローマに就いたばかりの空港アクシデントになんだか不安も覚えてしまったのだよ。

気を取り直して、タクシー乗り場に向かう。もう午後9時なのでタクシーでバルベリーニ広場にあるホテルに行くことにした。タクシー料金は空港から市内の間は均一料金で55€である。本当は以前泊まったことのあるホテルにしたかったのだが、今回調べてみたら宿泊料がとんでもなく高騰し(円安もあり)とても無理で、その近くのブティックホテルに予約を入れていた。


冬のローマ&マドリード(1)東京(羽田)

2025-02-13 19:46:47 | 海外旅行

寒い最中、ローマとマドリードに行ってきた。もちろん、一番のお目当てはパラッツオ・バルベリーニのカラヴァッジョ《マッフェオ・バルベリーニの肖像》特別展示である。

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/197466a9f369135e9861bb269e7acb32

上↑は《マッフェオ・バルベリーニの肖像》特別展示室。1枚だけのスポット展示だった

この展示ニュースを知った日はちょうど去年の私の誕生日で、もしかしたらこれはバースデープレゼントなのかもしれないと勝手に思ってしまった。だったら、せっかくローマに行くついでにマドリードの新発見(?)《エッケ・ホモ》も見た方が良いかも、とも。

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/04981eac401d3f64924ece08e2b8a1a2

上↑はプラド美術館脇の立看。館内は写真禁止だしね

ということで、旅行計画を立てはしたが、なにしろ持病を抱えた老体なので無理は禁物なのである。今回も往復ビジネスを選択せざるを得ず、円安ともども懐に痛~いものがあった。利用したのは、往路はITAエアウェイズ、復路はANA(全日空)、ローマ→マドリードとマドリード→ミラノはイベリア航空である。

ITAローマ便は昼過ぎの羽田発だが、冬場は降雪で東北新幹線に影響がでる恐れがあり、安全策を取り前泊にした。それも羽田ターミナル直結のホテルに...。なので、朝食はゆっくりと頂いた

日本食は当分食べられないだろうし...ね。

で、ホテルを出れば出発ロビーで、搭乗手続き後はラウンジへ。ITAのラウンジは「デルタ スカイクラブ」だった。

甘いものは別腹だから、ついおかわりまで

とうことで、搭乗時間になった。