花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

2014年秋-ペルージャ編(2)

2015-02-25 01:28:24 | 美術館
■ウンブリア国立美術館(Galleria Nazionale Umbria


ヴァンヌッチ通りに面した「ウンブリア国立美術館」はプリオーリ宮の一角を占めている。

さて、ウンブリア国立美術館で一番楽しみにしていたのはピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, 1412 - 1492)の《サン・タントーニオ祭壇画》を観ることだった。この祭壇画はペルージャの「サン・タントーニオ・ダ・パドヴァ女子修道院」(フランチェスコ会)のために描かれたものだ。


ピエロ・デッラ・フランチェスカ《サン・タントーニオ祭壇画》(1468年頃)

「玉座の聖母子」から見て右側に「洗礼者聖ヨハネと聖アントーニオ・ダ・パドヴァ」、左側には「聖フランチェスコとハンガリーの聖女エリザベト」が描かれている。ちなみに、聖母や聖人たちのニンブスの円盤に頭頂部が映っているのが面白く、特に禿げた聖人の頭まで…ピエロのリアリズムなのだ(^^;;


「洗礼者聖ヨハネと聖アントーニオ・ダ・パドヴァ」ニンブスの映りに注目(^^;

プレデッラは二重で、円形の小聖人像、聖女アガタと聖女キアーラが上段に、下段には、聖アントーニオと聖女エリザベトの奇跡の話と、真ん中に「聖痕を受ける聖フランチェスコ」が描かれている。


プレデッラ「聖痕を受ける聖フランチェスコ」

ピエロの「聖痕を受ける聖フランチェスコ」はその素朴さ故に、もしかして弟子の筆によるものかもしれないが、しかし、光の放つ描写は素晴らしく、アレッツォの聖フランチェスコ教会フレスコ画《聖十字架の伝説》中の《「ンスタンティヌス帝の夢」を想起させる。そしてまた、光への感性はヤン・ファン・エイクの同主題《聖痕を受ける聖フランチェスコ》をも想起させるのだ。ピエロの北方絵画からの影響が見えるようで非常に興味深い。


ヤン・ファン・エイク《「聖痕を受ける聖フランチェスコ》(1438-40年頃)フィラデルフィア美術館
(一昨年のロヴェレート「アントネッロ・ダ・メーッシーナ展」にはトリノ作品が出展されていた)

さて、祭壇画の上部はギザギザ三角形のパネルで、ルネサンス的遠近法による列柱(コンポジット式のエンタシスみたい)の並ぶ白亜の建物を背景に「受胎告知」が描かれている。


「受胎告知」


マリアは聖書を右手に持ち、謙譲のポーズをしている。

石鍋真澄・著『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』を読んだら、祭壇画全体の不統一性について言及されていたが、美術ド素人の私見でも確かに完成度にばらつきが見られる。それでも、やはりピエロらしさに溢れた作品だと思えるのだ。

ちなみに、ヴァザーリもこのままの構成状態で観たようで、ロベルト・ロンギが全体の視覚的統一性を指摘したのにかかわらず、現在でも別々の作品との説があるようだ。

【参考文献】
『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』(石鍋真澄・著/平凡社)(2005)
『芸術家列伝1』(ジョルジョ・ヴァザーリ・著/白水Uブックス)(2011)

蛇足だが、中央公論美術出版の完全訳『美術家列伝』(全6巻)の第3巻が2月刊行予定だが、まだ出ないのだろうか?
http://www.chukobi.co.jp/user_data/%E6%96%B0%E5%88%8A%E9%80%9F%E5%A0%B1No63.pdf

ということで、「ウンブリア国立美術館」編もまだ続く予定だ(^^ゞ

2014年秋-ペルージャ編(1)

2015-02-22 23:50:24 | 海外旅行
先日、友人のMさんが拙宅へ遊びに来てくれた。お茶を入れている間、PCで去年秋の旅行写真を見ていただいた。そういえばブログではまだ旅行詳細について触れていないのだと気が付いた。遅ればせながら、ぼつぼつと書いていきたいと思う。既にローマでの「da Gurcino a Caravaggio」展と「MEMLING」展までは触れたので、ペルージャ編から始めたい。

ペルージャへはフィレンツェから列車で移動した。ローカル列車の快速で2時間ちょっと、ローマからだともう少し時間がかかってしまう。ペルージャの中心部は鉄道駅から少し離れた小高い丘の上にある。ホテルはそのすぐ麓部分に位置しており、鉄道駅からはバスで行くことにした。でも、バスに乗ったものの降りる停留所がわからない。運転手さんにホテルの名前を告げると、すぐそこだよとホテルを指さし降ろしてくれた。

ホテルは事前にネットで口コミチェックしていたのだが、評判どおり小ざっぱりとして居心地も良さそうだった。部屋には眺めの良いバルコニーもあり、ウンブリアのなだらかな丘陵が遠くへと続く。


ホテルの部屋からの眺め

お天気も良く、さっそく中心部探検に出かけることにした。ホテルのすぐ近くに中心部へ通じるエスカレーター乗り場があり、3本ほど乗り継ぐと5分ぐらいで頂上(県庁脇)へ着いてしまった。ちょうど土曜日で、そのせいか街にはたくさんの出店屋台が出ていた。県庁前の広場には、なんと、メリーゴーランドまで♪


県庁脇からペルージャの目抜き通りであるヴァンヌッチ通りをまっすぐ行くと大聖堂にたどり着く。さすがペルジーノの出身地だ。通りの名は画家の本名であるピエトロ・ヴァンヌッチに由来するのだから。


カルドゥッチ公園にはペルジーノの銅像が...。かなり汚れてはいるけれど似ている(^^;

ヴァンヌッチ通り近くには様々な屋台出店が所せましと並んでいて、見ているだけでも楽しい♪ 興味深かったのは、単なる八百屋とか花屋と言うより、マニアックっぽい専門店が多かったのだ。イタリア人って職人気質が強いのかもしれない。

香辛料の店


お茶葉の店

ハーブティーも色々あったが、なんと日本の番茶やほうじ茶まで揃っている!

シチリア産オリーブの店に、チーズの店



たまねきの専門店?


花屋さんの屋台も。シクラメンやらサボテンやら。



ということで、次回は美術館・博物館・教会巡りをば...(^^ゞ


スコルツァ(SCORZA)

2015-02-18 00:27:20 | 食べもの
先にベルナルダのSCORZETTAを紹介したが、今回ボローニャのFさんからMAJANI(マイアーニ)のチョコレート「SCORZA」を頂戴してしまった。(Fさんに感謝!)
ちなみに、今回、ScorzettaはScorzaの縮小詞だと勉強してしまった(^^ゞ


「スコルツァ(SCORZA)」 文字通り「樹皮」の形をしている。

プヨ腹を気にしつつも、さっそく食してみたのだが、このSCORZAは凄く美味しい♪! 洗練されたショコラの甘さが口の中に溶けて広がる(#^.^#)。日本では「FIATチョコ」が有名なようだが、こちらのSCORZAも絶品だ。

さて、FさんからはSCORZAと一緒にレプブリカの切り抜き記事も頂いてしまった。
L’opera d’arte nella sua storia Ecco la lezione di Roberto Longi」


Roberto Longhi “Proposte per una critica d'arte”(2014)Portatori d'acqua・刊

去年12月に、ロベルト・ロンギ(Roberto Longhi, 1890-1970)の本がイタリアで出版されたようだ。“Proposte per una critica d'arte(美術批評のための提言)”( Portatori d'acqua 刊)で、序文は哲学者のジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben, 1942 - )。ロンギは言わずと知れたカラヴァッジョやピエロ・デッラ・フランチェスカ等の再評価の立役者である。そのロンギの現代における再評価ということだろうか??

ペパーミント色のマフラー。

2015-02-13 00:56:51 | 着るもの
今日(昨日?)は珍しく春めいた暖かさだったが、夕方からは風も冷たく、真冬に逆戻りしたようだ。仙台の冬は寒く、外出時にはダウンコートに帽子・マスクが欠かせない。鈍色のモコモコスタイルで過ごしていたら、街のショーウインドウが春色に変わっていた。春の兆しになんとなく嬉しくなる。

私の持っている服は殆ど地味色で、唯一春らしい色はマフラーのペパーミント色かもしれない。もうそろそろ出番が来そうだ。



その昔、ペパーミント色に強く惹かれていた時期がある。ミラノのサンバビラ広場に面した店のショーウインドウに様々な色のマフラーが飾られていて、その中のペパーミントが何故か私を呼んでいた(笑)。手触りの良いカシミヤで、長さもあり、ぐるぐる巻けるので仙台の寒さには格好だった。

何年か経ち、雑誌に見たことのあるようなロゴが登場するようになった。あれっ?と思い、取り出してタグを見た。ああ、これはロロピアーナだったのね。(ブランドには無頓着(^^ゞ)

何気に買ったものが流行するとやはり嬉しい。何気に気に入った画家がメジャーになるのはちょっと寂しい。う~ん、人間の心理って微妙かも(^^;

横浜美術館「ホイッスラー展」を観た。(4)

2015-02-12 01:05:41 | 展覧会
昔から浮世絵にはあまり惹かれなかった。先の「ホイッスラー展が楽しみ」でも触れたが、面白いと思えるようになったのは近年になってからである。葛飾北斎「富嶽百景」や歌川広重「東海道五十三次」など、今ではその構図の見事さが良くわかるようになった。そんな美術ド素人でさえ凄いなぁと思うのだから、欧州の画家たちが驚いただろうことは想像に難くない。


歌川広重《京橋竹がし》(1857)


ホイッスラー《Nocturne: Blue and Gold - Old Battersea Bridge circa》(1872-75)テート・ブリテン

ホイッスラーも構図に大きな影響をうけていることがわかる。しかし、広重の月明かりの下で行きかう橋上の賑わいや橋下の船人に比べ、ホイッスラーは全てをひっそりと濃紺の諧調に落とし込む。スモッグの空に月はけぶるような淡い光を見せ、月明かりを映す川面に浮かぶ艀は静かな水音をたてているのだろう。屹立する橋脚のデフォルメは画面に緊張感を与え、艀人を危うくカロンに仕立て上げそうだ。いや、もしかしたらテムズ川の彼岸はトゥオネラなのかもしれない。

ホイッスラーとジャポニスムの関連を示す展示コーナーも設けられていたが、興味深かったのは「ピーコックルーム」の映像展示室があったこと。


《陶器の国の姫君》(1863 – 64)フリーア美術館

フリーア美術館のピーコックルームは窓が全て閉じられているのに、この映像では窓や扉が開け放たれた様子を見ることができるのだ。あの息の詰まりそうな耽美的空間が生活空間として機能ができることがわかったのは幸いである(^^;


「ピーコックルーム」(1876-77)フリーア美術館

つくづくピーコックルームの家主だったレイランドさんは偉いと思う。ホイッスラーと絶交した後もあの部屋を使い続けたそうだ。はっきり言って芸術空間としては素晴らしいのだが、実際の居住空間としてはどうかなぁと思ってしまう(^^ゞ。確かに唯美主義は美しく素敵なのだが、カラヴァッジョのリアリズムを好む者としてはどうも居心地が悪いのだ。ごめんね(^^;;>ホイッスラーさん

ということで、最後はかなり端折ってしまったが、「ホイッスラー展」感想文は以上で終了だ。ああ、終わって良かった(^^;;;

横浜美術館「ホイッスラー展」を観た。(3)

2015-02-03 23:10:56 | 展覧会
「唯美主義」を調べていたら、思想的源流にテオフィール・ゴーティエ(Pierre Jules Theophile Gautier,1811 - 1872)がいた。ということで、本棚で古色に染まった新潮文庫版『モーパン嬢』(田邊貞之助・訳)を何十年ぶりかで手に取り、「著者序」を読んでしまった。

「美しいものは、その何たるかを問わず、すべて人生に必要缺くべからざるものではない。たとえば、花というものを全くなくしてしまっても、世人は物質的には全然困らない。しかし、誰が花をなくそうと思おうか。僕は、どちらか一方を捨てろと言われれば、薔薇よりもジャガ薯を捨てる。チューリップの花壇をむしって、キャベツを植えることができるような功利主義者は、この世の中に恐らく一人ぐらいのものだろう。....眞に美しいものは、何の役にも立てないものばかりだ。有用なものはみんな醜い。なぜなら、それは何かの必要のあらわれで、しかも、人間の必要は、その貧弱な性質と等しく、下劣で厭わしいからだ。」

昔は序文なんてすっ飛ばして読んでいたけど、けっこう過激で挑発的な内容だったのね(^^;;。当時のロマン主義への批判であるらしい。しかし、現代の私的には「機能的なものは美しい」と言うル・コルビジェの方に加担したいなぁ。

さて、今回来日しなかった《白のシンフォニーNo.1:ホワイト・ガール》。

《白のシンフォニーNo.1:ホワイト・ガール》(1862)ワシントン・ナショナルギャラリー

モデルは当時の恋人。「唯美主義」への傾きが良くわかる作品だ。白色のハーモニーを表現すること自体が絵画の目的となっているとのこと。ワシントンで観た時、ただ綺麗な絵だなぁと思って写真を撮った。多分、唯美主義ってそんな風に鑑賞して良いのだと思う。

ということで、展覧会に戻ろう。第3章はジャポニスム。
ホイッスラーのジャポニスムを観ていると、当時の欧州を席捲した日本美術のインパクトの大きさが実感できる。会場にはホイッスラーの唯美主義とジャポニスムが融合した作品が並んでいた。

今回来日した《白のシンフォニーNo.2》と《白のシンフォニーNo.3》は団扇を持つジャポニスムだった。


《白のシンフォニーNo.2:小さなホワイト・ガール》(1864)テート美術館


《白のシンフォニーNo.3》(1865-67)バーバー美術館

すみません、本当は(3)で終わらせたかったのに、次回へ続く、です(^^;;;