花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

「中国・磁州窯―なごみと味わい」展

2005-08-28 23:39:33 | 展覧会
最近日本の茶碗の面白さに目覚めた花耀亭なので、きっと勉強になるかも…と、出光美術館「中国・磁州窯―なごみと味わい」展を観てきた。
http://www.idemitsu.co.jp/museum/2005new_tenjimain04.html

中国陶磁器と言えば景徳鎮窯が有名だが、華北の磁州窯(じしゅうよう)系は素朴で力強い庶民感覚のものが多い。それでも、その技巧と洗練された作風の作品もあるわけで、永青文庫から出展されていた「白地黒掻牡丹文梅瓶」は一際洒落た気品に満ちていた。

磁州窯の基本の特徴は、鉄分系灰色土の上に薄く白土がけ(化粧がけ)をして、その上から透明釉をかけたものだ。更に技法が発展するとその白釉層の上に黒釉をかけて、黒釉層のみを掻き削って白地に黒の文様を表わすものが出て来る。

「白地黒掻牡丹文梅瓶」は、すんなりと形の良い白地梅瓶に、黒地で繊細な菱形の牡丹文が程よく置き散らばる。菱形中央の牡丹模様とそれを囲む葉模様が緻密で繊細な技法で掻き削られている。梅瓶の上下には、やはり同じように掻き削られた菊の花弁を並べたような模様が帯状に取り巻く。白地が多いので余計にその模様と牡丹模様の配置のセンスが光る。家に飾りたいたいなぁ…と思ってもダメな話だ(笑)

さて、庶民の磁州窯だから瓶や壷のほかにも日用品としての茶碗や盤や鉢も多く展示されていたが、その中でも枕コレクションを見られたのは楽しかった。陶磁器製の箱型の枕は日本でもあったようだが、画像の「白地黒掻落鵲文枕」などカーブした団扇型の枕で驚いてしまった。う~ん、もしかして当時の安眠枕だったのかも(^^;

今回、磁州窯系として遼の陶磁も併せて展示されており、三彩系の作品も幾つか見られた。私的には唐三彩はあまり好きではなかったのだが、何とこの遼の三彩に素敵な小皿を見つけてしまった!その「三彩印花花文方盤」は縁取りのある四角い小皿で中央には菊花文(多分)が肩押しかなにかで浮き模様になっており、そこに三彩釉がかけてあるのだが、緑釉と黄釉がシックな調和を見せ文様が輝きを増していた。この小皿なら貰っても良いかなぁ…などと思ったのだった(^^ゞ

中国の華麗な景徳鎮ものは今年の春にドレスデンで見てきたが、この庶民感覚の磁州窯系のさりげなさは実に心地良かった。まさにタイトル通り、なごみ味わったと思う。確かに磁器をチャイナと言うくらい中国の陶磁器は素晴らしい。今回、庶民派磁州窯の系統を見ながら、中国陶磁器の裾野の広さと歴史の奥深さを勉強できたような気がする。

「華やぐ女たち エルミタージュ美術館展」(3)

2005-08-26 02:47:38 | 展覧会
アンソニー・ヴァン・ダイク(1599-1641)の「エリザベスとフィラデエルフィア・ホートン(Wharton)の肖像」(1640)である。幼いながらも姉の毅然とした表情は英国貴族の威厳を感じる。姉にすがる妹がとても愛らしい。ちょっとタイプの違う姉妹のような気もするけれど(^^;
ルーベンスもだが、ヴァン・ダイクも子供の表情を描くのが巧みだ。髪のカールの描写も繊細でさすが…と唸る。2人のドレスの光沢ももちろんだ。姉(ご主人さま)の気を惹こうとする犬は忠誠の象徴とか。背景の木が傾いているのは風の強さを表わしているのか、姉の肩にかけた薄いショールも風にたなびいている。

このショールのたなびき方に、フリック・コレクションで観た「The Countess of Clanbrassil=Lady Anne Carey(クランブレイシル?伯爵夫人)」(1636)の肖像を思い出した。姉妹と同じような構図でショールが風に靡いているのだ。
更に、面白いことを発見してしまった。ネットの画像検索でいつも参照させてもらっている「Web Gallery of Art」上で、姉妹の絵の題が「Portrait of Philadelphia and Elisabeth Cary」になっているのだ!
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/d/dyck_van/2portrai/index.html
さて、もし Carey=Cary だとしたら、この姉妹はレディ・アン・キャリーとどんな間柄なのだろう?それとも単なる題の誤記なのだろうか??なんだか気になって仕方が無い(^^ゞ。花耀亭は美術素人なので、ご存知の方はぜひぜひお教えいただきたい。

ヴァン・ダイクは若い頃ルーベンスの助手として活躍したが、その後イタリア滞在(アングィソッラを訪ねたのもこの頃だろう)を経て、英国で肖像画を多数制作している。この姉妹の肖像画が1640年制作という事は最晩年の作品と言えよう。肖像画家として名声を博した格調の高い画風は、この幼い姉妹の品の良い愛らしさに凝縮しているような気がした。

「華やぐ女たち エルミタージュ美術館展」(2)

2005-08-25 03:24:14 | 展覧会
オランダのユトレヒト出身の画家ヘリット・ファン・ホントホルスト(1592-1656)はアブラハム・ブルーマルトを師とし、1610年代にはローマで学んだ。その間にCARAVAGGIO作品に触れ、明暗のコントラストの強い画法を取り入れたカラヴァッジェスキとなるが、特に夜の蝋燭の灯りの中に浮かび上がる人物像を得意とした。ローマではCARAVAGGIOのパトロンでもあったジュスティニアーニ侯の庇護を受け、「夜のゲラルド(ヘリット)」と呼ばれるまでの名声を得る。エルミタージュで観て感動した「キリストの少年時代」(1620)は大工仕事をしているヨセフの手元を照らそうと蝋燭を差し照らす少年イエスを描いていおり、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)の「大工の聖ヨセフ」(1645)を想起させる作品だ。
http://www.wga.hu/html/h/honthors/c_christ.html
http://www.wga.hu/html/l/la_tour/georges/2/06carpe.html

さて、今回展示されていたホントホルスト作品は音楽演奏をテーマにした絵で、リュートを弾く肩をあらわにした女性の肖像だ。光が明暗のコントラストがCARAVAGGIOの影響を見せるが、タッチは明るく陽気な音楽が聞こえてくるようだ。女性の肌や黄色い衣装が光を受けて明るく輝く。対になる男性像もあると言う。同様の画題は同門のヘンドリック・テル・ブリュッヘン(1588?-1629)などにも見られ、当時人気のあった画題のようだ。今年の春に行った独カッセル州立美術館でも良く似た作品を観た。
http://www.wga.hu/html/t/terbrugg/1/flutepla.html

余談だが、私的に、ラ・トゥールの夜の作品はゲラルド=ホントホルストに、昼の作品はテル・ブリュッヘンの画法に似たものを感じてしまうのだが…。

「華やぐ女たち エルミタージュ美術館展」(1)

2005-08-22 01:28:17 | 展覧会
お盆帰省のついでに岩手県立美術館で「華やぐ女たち - エルミタージュ美術館展」を観てきた。エルミタージュで観た作品もあったが初めて観る作品もあり、お盆初日の空いた館内でゆっくり楽しめた。
http://www.ima.or.jp/03_exhb/kikaku_dtl.asp

さて、やはり私的に惹かれたのはルネサンス・バロック作品だ。ティツィアーノやクラナッハの理想化された女性像はそれぞれの時代の社会性もあるだろうが、やはり両巨匠の好みなのよね、などと観てしまった(^^;。一目見ただけでわかる個性と言うべきなのだろう。ティツィアーノの女性の腕には後世の筆が入っているそうだが、ベネチア趣味の太め女性の腕はそれにしても太い。クラナッハの「発育不良」(少佐談)とは実に対称的だ(笑)
アングィソッラ作品の写実的な衣装装飾の描写は見事だった。豪華な刺繍装飾に眼を見張ってしまった。アングィソッラはクレモナの女性画家で、フェリペ2世の宮廷画家でもあり、ヴァン・ダイクも会いに行ったという実力派だ。ロンバルディアの画家として、その自然主義的作風はCARAVAGGIOにも影響を与えており、去年のMET「Realityの画家たち」展でも何点か紹介されていた。

で、バロックは私的に一番充実だった。リベーラ(?)「音楽の寓意」はCARAVAGGIOの影響が色濃く見え、光と闇による陰影、衣装の質感、肌の描写など実に似ている。特に眼を惹いたのはのはブラウスのほつれた糸(袖紐?)で、きらりと光が当たり、画面を引き締めていた。月桂樹の冠を頭にいただきラッパと本を持った女性はフェルメールの「絵画芸術」にも登場しているクリオだが、この時代、このような寓意画が流行したと思われる。
ところで、この作品は展示にも図録にもホセ・デ・リベーラ作と記されているが、専門家の間では疑問視されているそうだ(^^;。工房作、或いは模作、他画家の可能性もあるとか。帰属問題は難しい。が、私にとってはカラヴァッジェスキ作品としてとても興味ある作品だった。
リベーラ(?)作品の隣にはスルバランの「聖母マリアの少女時代」で、ムリーリョ風の清楚な愛らしさのなかにもきりりとした表情に精神性を感じる。マリアは縫い物を膝に天を仰いで祈っている。組んだ手の指、左手の親指が構図の中心となるようで印象深い。緑の針刺し用クッションの質感が素敵だ。スルバランはプラド美術館でも印象的な作品を何枚か観ているが、やはりCARAVAGGIOの明暗を感じる。図録によるとスルバランの画風が時代遅れになり、当時台頭中のムリーリョ風を取り入れたとか。要するにCARAVAGGIO風が時代遅れになったということじゃないの?と少々ムッとした花耀亭である(^^;;
ちなみに、ドレスデンのアルテ・マイスターでリベーラ(真作)「囚われの聖アグネス」を観た時ムリーリョ風だなぁと思った。ところが、反対にムリーリョがリベーラ風なのだ!スペインの画家たちの画風の変遷と影響の相互関係は複雑そうだが面白い。

(次回に続く)

模写・模造と日本美術

2005-08-11 02:36:28 | 展覧会
東京国立博物館「模写・模造と日本美術」展を観てきた。
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=1930

以前、サイトの掲示板でも話題になったが、絵画の修復、特に洗浄のし過ぎについて結構人により意見が分れることがわかった。その作品の経た年月をも大切にしたいから洗浄のし過ぎは好きでない人、やはり制作当時の姿を復元して見たい人、様々な意見がある。私はどちらかと言えば後者で、当時の姿を見てみたい派である。システィーナ礼拝堂の天井画は修復中と修復後を見ているが、圧倒的に修復後の姿に感激した。しかし、「最後の晩餐」のように復元の難しい作品も多い。最近はコンピューターを使っての復元画像が見られるようになり、「最後の晩餐」も最新CG画像であらためてレオナルドの凄さを知った。

今回の「模写・模造と日本美術」の作品の中にもCG復元と同じで、模写・模造によって現在では失われた姿、色彩まで復元した作品がいくつかあった。特に感動したのが「玉虫の厨子」だった。なにしろ学生時代、教科書で見てどこが玉虫なのか皆目わからなかったのだから(汗)。今回、復元模造作品を観て漸くわかった。蛍光色に輝く玉虫を飾文様の彫りの中に埋め込むことにより螺鈿象嵌と同じような効果を出すためだったのだ!厨子自体が蛍光色の宝石できらきらと輝く様は当時の人々をも魅了したに違いない。当時の職人の知恵を見たと思った。
この「玉虫の厨子」復元のための玉虫集めには多くの人達が協力したと言う。観ながら私まで感謝の念でいっぱいになった。

美術品の修復は確かに難しく、特に古いものほど破損の危険を伴っている。今回の展示作品は模写・模造という形で制作当時の姿を私たちに生き生きと伝えてくれる。最近観た「厳島神社展」の「平家納経」も素晴らしい模造作品により雅できらびやかな当時の様が髣髴できた。憧れの正倉院「螺鈿紫檀五絃琵琶」の螺鈿細工も見事だった。こうした作品を復元模作した美術家たち自身も、当時の制作技術を研究することにより、伝統技術が現代に伝承され、新たな創造源にもなり得るという。展示された作品たちは観ていても単なる模造ではない迫力を持っていた。作者たちの気迫が込められている。

もちろん本物を観ることの歓びに勝るものは無い。が、当時の姿を見てみたい派の私は模写・模造でも大歓迎である。今回の展覧会は私には予想以上に楽しめた展覧会であったのだ。

(先日の日本経済新聞に、画像の「執金剛神立像(模造)」により、親指の握り方が明かになったという記事が出ていた。)