「gooブログ」から「はてなブログ」へのデータ引越し完了に伴い、新規の記事は「はてなブログ」の『花耀亭日記』だけに投稿しています。
https://kal1123.hatenablog.com/
「花耀亭日記」は「はてなブログ」で書き続けていますので、これからもよろしくお願いいたします。
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なんと、ブログの引っ越しが思ったよりも早く済みました。
下記↓URL「花耀亭日記」(はてなブログ)に引っ越しましたのでお知らせします。
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皆さま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
末尾になりましたが、長年お世話になった「gooブログ」さんにも御礼申し上げます。
ありがとうございました!!
gooブログのサービス終了に伴い、「gooブログ」から「はてなブログ」への引っ越し作業を始めます。
現在、goo側の移行データ作成作業が混みあっている事と、はてな側のデータ読み込み時間がかかるため、ブログ引っ越し完了が予想以上に長引きそうです(2週間くらい??)。
不安だらけの引っ越し作業ですが、引っ越し完了までの期間、ブログをお休みします。無事完了しましたら、改めてお知らせしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
コルシーニ美術館《洗礼者聖ヨハネ》とネルソン=アトキンズ美術館の《洗礼者聖ヨハネ》は、もしかしてモデルは同一人物なのではないか? と思ったのは2月の旅行時だった。
※ご参考拙ブログ:https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/1ad0b5c1da03156338a11194d82dfc69
今回の展示では、その2枚が並んでいた。
左)カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》(1604-06年頃)コルシーニ美術館
右)カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》(1602-04年頃)ネルソン=アトキンズ美術館
展覧会場は作品の明暗効果を引き出すために暗くし過ぎで、両者の目元の影部分を見比べながら観察するのはかなり難しかった。なので、両者は同一モデルなのか? 私的に確信が持てなかったのが残念である
。
で、解説にはミケランジェロ《システィーナ礼拝堂天井画》人体ポーズの影響が言及されていた。同じくポーズ引用が認められるカピトリーノ美術館《洗礼者聖ヨハネ》(1602年)や、ベルリンの《勝ち誇るアモル》(1602-1603年)もだが、制作年がほぼ同じ頃なので、当時のカラヴァッジョのミケランジェロへの関心と研究が偲ばれる。
※ご参考画像:(注)展覧会には展示されていません。
カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》(1602年)カピトリーノ美術館 (注:展示されていません)
さて、続いて、プラド美術館で観たばかりの《エッケ・ホモ》とカポディモンテ美術館《キリストの笞打ち》、ボルゲーゼ美術館《ゴリアテの首を持ツダヴィデ》が並んでいた。1606年、カラヴァッジョが殺人を犯し、ローマから逃亡後の作品が並ぶ。
カラヴァッジョ「?」《エッケ・ホモ》(1606-07年頃)寄託(写真撮影不可)
で、この《エッケ・ホモ》だが、プラドと同じで撮影禁止だったので、ネット上から写真画像を借りた(汗)。写真で見ると真作かも?とも見えるのだが、実際に実物を観ると画面からカラヴァッジョらしい生気が感じられず、私的には「?」作品だと思えるのだ。カラヴァッジョ作品特有の沈鬱な空気も漂わず、美術ド素人的には保留作品としておきたい。
その「?」感を助長するのが、隣に並んだ《キリストの笞打ち》なのだった。
カラヴァッジョ《キリストの笞打ち》(1607年)カポディモンテ美術館
文句無しにカラヴァッジョの傑作のひとつである。笞打つ男の憎々し気な顔が良い
。キリストの腕の縄目のズレ跡の痣描写がリアルに痛々しさを誘う。今回のカポディモンテ特別室からの出張は素直に嬉しかった。企画側としては類似テーマ作品として並べたのだろうが、作品の質の違いが一層際立つのだ。もしかして、それを狙っていたりして??
そして右隣りには《ゴリアテの首を持つダヴィデ》が並ぶ。
カラヴァッジョ《ゴリアテの首を持つダヴィデ》(1609年頃)ボルゲーゼ美術館
ゴリアテの顔は言わずと知れた画家自身の自画像だ。シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿に「後悔反省してますからパウルス5世にお執成しを」というエクスキューズ作品である。観る度に露悪的に描いた顔に悲壮な切実感を感じてしまう。まぁ、その後もあの瞬間沸かし器的性格は治らないのだけれど(溜息)。
この猛暑の中、JR東日本の「大人の休日パス」を使い、上野(東京)と郡山(福島)で、大人の休日作戦を実施してきた。
・国立西洋美術館「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展」
いやぁ、アンニーバレ・カラッチ作品が前面に出るなんて...ボローニャ贔屓としてはちょっと嬉しくなるではありませんか。素描は画家の肉筆画であるから、画家チゴリの描く姿を活写したアンニーバレ素描が展覧会テーマ的にピッタリだったのは素直に了解できる。
・郡山市立美術館「常設展」(写真撮影禁止)
県庁所在地ではない郡山市に立派な美術館があるのは素晴らしいと思う。西洋絵画は英国絵画を中心としたコレクションというのが珍しいと思った。写真が撮れなかったので、レイノルズとバーン=ジョーンズ作品のポストカードを購入。
ちなみに、郡山市立美術館の庭林で、今年初めて蝉の鳴き声を聞いてしまった。まことに早々と猛暑の夏である💦
国立西洋美術館で、フルーニング美術館・国立西洋美術館所蔵「フランドル聖人伝板絵―100年越しの“再会”」展が開催されるようだ。
◆「フランドル聖人伝板絵―100年越しの“再会”」展
・会場:国立西洋美術館 本館展示室
・会期:2025年10月25日[土]-2026年5月10日[日]
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2025flemish.html
国立西洋美術館(旧松方コレクション)所蔵のフランドル絵画「聖人伝 板絵」と、対になるフルーニング美術館所蔵作品が、100ぶりに”再会”するらしい。
作者不詳《大ヤコブと福音書記者ヨハネの召命》(1525年)フルーニング美術館
作者不詳《聖ヤコブ伝》国立西洋美術館 旧松方コレクション
西美でこの↑《聖ヤコブ伝》を観たことがなかったので、本当に驚いてしまった。
※追記:西美サイトの作品検索をチェックしたら、2019年「松方コレクション展」で出展されたようだ。観ていなかったので残念。作品検索で画像ズームしたら、左翼の左側人物は人違いだった
。
https://collection.nmwa.go.jp/P.2017-0048.html
実は、大人の休日作戦で西美に「スウェーデン国立美術館 素描 展」を観に行き、この展覧会のポスターを発見、それで知ったのだった。とにかく、今から展覧会が楽しみである。
暑中お見舞い申し上げます。
仙台も暑くて、なかなか旅行記の続きが書けないので(汗)、シラクーサの海の写真でちょっとひと息。
シラクーサ滞在時は、ホテルがオルティージャ島だったので、毎日イオニア海を眺めていた。
透き通った淡緑から青へのグラデーションが美しく、ずっと見ていても飽きなかった。
次の展示室は「展覧会」らしい展示室だった。
まずは、《マッフェオ・バルベリーニの肖像》が2枚並ぶ。今回の展覧会は、カラヴァッジョ真作である《マッフェオ・バルベリーニの肖像》がパラッツォ・バルベリーニに戻った帰館祝いのようなもであるのだし...。
左)カラヴァッジョ「?」《マッフェオ・バルベリーニの肖像》(1595年頃)個人蔵(フィレンツェ)
右)カラヴァッジョ《マッフェオ・バルベリーニの肖像》(1598-99年)個人蔵
私的にも以前からこの並び展示を熱望していた。なぜなら、左の日本に来日したこともあるフィレンツェ作品は以前から私的に「?」作品であり、真作である右の個人蔵作品と並べ比較してみたかったのだ。
当然と言うか、今回の並び展示から2つの作品の質と完成度の違いがはっきりと了解された。あくまでも美術ド素人眼ではあるが(汗)、フイレンツェ作品はマッフェオ自身を描く描写力にやや稚拙さを感じるのだ。画面から溢れる生気(リアル感)が全然違う!! 静物画を得意とするカラヴァッジョにしては構成要素の机上の花瓶と花も「らしく」はあるがイマイチであり、白ブラウスの襞描写もありきたりである。
それに、1595年頃? デル・モンテ枢機卿に庇護されとしても、早々に肖像画を描くほどマッフェオ・バルベリーニと懇意にできたのだろうか??
※ご参考(拙ブログ):「カラヴァッジョ《マッフェオ・バルベリーニの肖像》初公開展」サクッと感想
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/5c8d69d658f0391cb197b0eeafa1b7a9
続いて並んだのは《マグダラのマリアの回心》と《ホロフェルネスの首を斬るユディット》だった。
左)カラヴァッジョ《マルタとマグダラのマリア》(1598-99年頃)デトロイト美術館
右)カラヴァッジョ《ホロフェルネスの首を斬るユディット》(1599-1600年頃)バルベリーニ国立古典絵画館
あらためて2作品を並べて観ると、カラヴァッジョの「紅(赤)」の使い方に目が惹かれた。マグダラのマリアの衣装の袖の紅色とユディットの背景のカーテンの紅色、そのドレープ(襞)の複雑な波打ち方が二人の感情と画面の緊張感に大いに寄与しているのだ。特にユディットの紅カーテンはホロフェルネスの血飛沫と呼応したように禍々しくうねる。カラヴァッジョは他作品でも紅(赤)ドレープを多用しており、その使い方が実に長けていると思う。
そして....今回の展覧会の顔となっていた《聖カテリナの殉教》が続く。この作品はマッフェオ・バルベリーニ(教皇ウルバヌス8世)の甥であるアントニオ・バルベリーニ枢機卿がMet《リュート奏者》とともにコレクションしていたものだが、要するに、バルベリーニ企画ならではの含みがあったわけ...かな?
カラヴァッジョ《アレキサンドリアの聖カテリナ》(1598-99年頃)ティッセン・ボルネミッサ美術館
聖カテリナの紅(赤)は赤いクッションもだが、何と言っても彼女の持つ剣先に付着する血色である。自らを死に追いやった剣の禍々しさを暗黙の裡に私たちに示しているのだと思う。
この3作品が並んだのはモデルが同一であり、そのモデルはカラヴァッジョが懇意にしていたコルティジャーナのフィリーデ・メランドローニとされる。確かに、目元から鼻筋にかけてよく似ているのだ。
カラヴァッジョ《フィリーデ・メランドローニの肖像》(1597年頃)(元)カイザー・フリードリッヒ美術館(ボーデ美術館)(1945年焼失)のカラー復元写真
カラヴァッジョの同一モデル作品を並べることのできた今回の展覧会は、ある意味でとても贅沢だと思った。
展示は続いてカラヴァッジョがデル・モンテ枢機卿に庇護された頃の作品が並んだ。ここに米国所蔵作品が集結したのが興味深いが、私的には特に《いかさま師》に思い入れがある。キンベル美術館ではジョルジュ・ド・ラ・トゥール《クラブのエースを持ついかさま師》作品と並んでいたが、「いかさま師」や「女占い師」という世俗画のテーマを確立し流行させたのは、カラヴァッジョの生きる世俗的観察眼の賜物だろう。騙す側も騙される側も「いかにも」感のある、当時にしてはリアルな現代絵画だったのではないだろうか。
左)カラヴァッジョ《女占い師》(1596-97年)カピトリーノ美術館
右)カラヴァッジョ《合奏》(1597年頃)メトロポリタン美術館
左)カラヴァッジョ《いかさま師》(1596-97年頃)キンベル美術館
右)カラヴァッジョ《恍惚の聖フランチェスコ》(1597-98年頃)ワズワース・アシニウム美術館
そして、何よりも私的に嬉しかったのは《サウロの回心》第1ヴァージョンだった。個人蔵ということで、2010年ローマ「カラヴァッジョ展」で漸く観ることができたのだが、それ以来の久々の再会である。あれからもう15年、今回の出展も貴重な機会となった。
画面は混みあいながらも、サウロの目に神の声と光が注ぐ瞬間がキアロスクーロにより劇的に描かれている。私的に背景にヴェネツィア派の影響を感じるのだけれど。
カラヴァッジョ《サウロの回心》(1600-01年)ニコレッタ・オデスカルキ・コレクション
元々、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂の祭壇画として発注されたが、納品前にチェラージが亡くなり、礼拝堂自体の設計変更も重なり、画面のサイズが合わなくなったという説が近年出ている。実際、オデスカルキ版は237×189cmの板絵であり、現在のヴァージョンは230×175cmのカンヴァス画である。
更に興味深いのは、オデスカルキ版がバチカンのパオリーナ礼拝堂壁面に描かれたミケランジェロ《サウロの回心》の影響を受けたと思われることだ。
ミケランジェロ《サウロの回心》(1542-45年)バチカン・パオリーナ礼拝堂
いずれにせよ、同名の大先輩であるミケランジェロの残したものを、カラヴァッジョはしっかりと観察し受け取ったことだろう。
「CARAVAGGIO 2025」展は日時予約制だが、会場のパラッツォ・バルベリーニの入口には既に人々の列ができていた。展覧会は既に3月から始まっているが、相変わらずの人気ということなのだろう。実際、会場内もかなり混雑していた。
今回の展覧会については「現代とのつながりの見えない展覧会である」との批評もあるようだが、それは仕方がないことだと思う。以前、元Metのキース・クリスチャンセンが「展覧会とは集めることのできた作品の結果である(意訳)」とクールに書いていたが、特にカラヴァッジョのような現存する作品の極めて少ない画家の回顧展なのだから、24作品(「?」も含め)を集めた結果を素直に褒めてあげたくなる。
例えば、2009年ボルゲーゼ美術館「Caravaggio/Bacon」展のような、カラヴァッジョと現代画家との競演であれば「現代とのつながり」もわかりやすい。しかし、多分、今回の趣旨はパラツォ・バルベリーニに《マッフェオ・バルベリーニの肖像》が帰還したことを寿ぐ展覧会なのだと思う。(未だ買取交渉中??)
さて、展覧会のオープニングは回顧展の定石としてカラヴァッジョ初期作品、それも私的に「?」作品から始まった。(美術ド素人の勝手な「?」なので申し訳ありません。m(__)m)
左)カラヴァッジョ「?」《ナルキッソス》(年代表記無し)バルベリーニ国立古典絵画館
右)カラヴァッジョ「?」《果物を剥く少年》(1595-96年頃)英国ロイヤルコレクション
2月の旅行記でバルベリーニの《ナルキッソス》が「CARAVAGGIO(?)」になったことを書いたが、今回の展覧会では(?)が省かれており(解説では一応触れてはいたが)、バルベリーニ側の苦慮が伺われた。
《果物を剥く少年》は解説にもあったが数ヴァージョン存在し、真作・模作については微妙である。あくまでも美術ド素人の見解ではあるが、果物の写実描写は優れているものの、人物表現の拙さを見ると今回の英国作品も多分「?」のような気がする(汗)。
ちなみに、東京の石塚コレクションにも《果物を剥く少年》の別ヴァージョンがあったはずで、まだコレクション中にあれば幸いである。(もし、あれば、いつか拝見したいです。>石塚様)
そして、カラヴァッジョの自画像と言える《病めるバッカス》が並んだ。
カラヴァッジョ《病めるバッカス》(1595-96年頃)ボルゲーゼ美術館
先に並んだ2作品との質の違いが際立つ。今回、私的に目についたのは果物が置かれたテーブルである。遠近法的には歪みがあるが、ああ、《キリストの埋葬》の石棺に似ているなぁ...と。この頃のカラヴァッジョは未だ角の凸面効果に気付いていない。若いなぁ。しかし、明暗効果による人物の造形、そして瑞々しい果物の静物描写の巧みさは、既に画家の力量を際立たせている。