花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

ローマ「da Guercino a Caravaggio(グエルチーノからカラヴァッジョ)」展(10)

2014-12-31 23:39:38 | 展覧会
Sir Denis Mahon’s star began to shine in the post-war years with his essay on poussin in 1946 and “Studies in Seicento Art and Theory” in 1947.
(デニス・マーホン卿の星は、戦後1946年のプッサンについてのエッセイと1947年の『1600年代の芸術と理論の研究』で輝き始めた。)

マーホンは当時コートドール研究所ディレクターであったプッサン研究家のアンソニー・ブライトンとの論争で有名になり、美術史研究家としてのスター街道を進んでいったらしい。ということで、最後はフランスの誇るニコラ・プッサンの展示室になっていた。

ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin, 1594年- 1665年)は、バロック時代のフランスの画家。と言っても、主にローマで制作していたから、私的にはローマ・バロックの画家だと思っている(^^ゞ。フランス古典主義の代表画家であり、アンニバレの古典主義の延長線上にいるように思える。

・《ヴィーナス、牧神とプットたち》(1631)エルミタージュ美術館

アンニバレ作品にもあるけれど、この主題って神話に名を借りた性的な意味があると思うのですよ(^^;;

・《ミディアン人に対するギデオンの戦い》(1625)ヴァティカン絵画館

『旧約聖書』士師記7章。ナポリの国立博物館で観たモザイク画《アレクサンドロス大王の戦い》を想起してしまったくらいだから、きっとバリバリの古典主義作品だと思う(^^;;
追記:コンスタンティヌス帝の凱旋門→ラファエッロのヴァティカン・スタンツァの影響かも

・《アマレク人に対するイスラエル人の勝利》(1625)エルミタージュ美術館

『旧約聖書』出エジプト記17章。観たときにあまり気づかなかったのだが、画像で見るとカラヴァッジョ的明暗が画面に見られる。確かにプッサンはローマでカラヴァッジョ作品を観ているはずだ。

今年、バルザックの『知られざる傑作』を読み、映画「美しき諍い女」をDVDで見た。青年画家ニコラ・プッサンが登場する。フランス人にとってのプッサンの重みが理解できたような気がした。

以上、長々と退屈な作品紹介におつきあいいただき、ありがとうございました!
ようやく年が越せます。みなさま、良いお年をお迎えください(^_^)/

ローマ「da Guercino a Caravaggio(グエルチーノからカラヴァッジョ)」展(9)

2014-12-30 23:42:27 | 展覧会
さて、禍々しくも美しい《フォロフェルネスの首を斬るユディット》の次に続いたのは…

・《歯抜き》(1608-10)ピッティ宮・パラティーナ絵画館

見物人たちは面白がり、歯医者(偽医者?)はこちらを見ている。画面からは場末の猥雑な雰囲気が伝わってくる。帰属問題は決着したのだろうか? 画面が痛んでいるだけでない、主題的にも筆致的にも、(真作であるならば)画家自身にさえ痛々しさを感じる作品だ。
2004年にサイトの方でナポリ「CARAVAGGIO: l'ultimo tempo 1606-1610」展レポートを書いたが、その時に拙いながら構図考察してみたのを思い出す。

・《リュート奏者》(1594頃)エルミタージュ美術館

カストラートの濡れたような瞳と歌う口元(のぞく歯と舌先の効果ったら!)。NYメトロポリタン美術館作品には無いぬめぬめ感が観る者の目と心を捉えて離さない。細い指先で奏でるのはアルカデルトのマドリガーレ。さぁ、あなたもご一緒に…大理石のテーブルの上に置かれたバイオリン。特に添え置かれた果物と花の瑞々しさが静物画を得意とする画家の真骨頂を遺憾なく示してくれる。久々の再会だったので、もうじっくり見入ってしまった。
エルミタージュ作品がジュスティニアーニ候のために描かれたとすれば、カラヴァッジョにとってMET作品のデルモンテ枢機卿よりも上得意だったということなのだろうか??

・《瞑想の聖フランチェスコ》(1606頃)バルベリーニ国立古典絵画館

この作品については2008年にトラパニ「L'immagine del divino」展の感想文で扱っているので、そちらをご参照いただけると嬉しい。すみません、はっきり言って手抜きです(^^;;;

・《聖ヒエロニムス》(1606頃)ボルゲーゼ美術館

この作品は2001年の東京都庭園美術館「カラヴァッジョ展」で来日している。カラヴァッジョは白と赤の扱い方がとても上手い。シンプルな色使いでいながら美しい。でも、一番凄いのは聖人の額に注ぐ聖なる光かもしれない。

カラヴァッジョ派作品
《バッカス》エルミタージュ美術館

作者はわからないが、カラヴァッジョの影響が強く見られる作品だ。私的には、ジョルジョーネ的風景に、ムキムキで濃い顔立ちのカラヴァッジョ風バッカスが、《洗礼者聖ヨハネ(笑うイサク)》或いは《テンペスタ(嵐)》の女性ポーズをとっているように見える、極めてキワモノ的作品に思える(^^;。このインパクトのあるアクの強さを褒めてあげたい(笑)。

ようやく、この「da Guercino a Caravaggio」展シリーズもあと1回を残すところまで来た。もしかしてメモし忘れた作品もあったかもしれないがお許しあれ。次回のニコラ・プッサンで終了予定である。今年中に終わらせたいと思っていただので、なんとか目途がついて、ほっ。でも、明日までに書かなくちゃ(^^ゞ

2015年カレンダー

2014-12-26 23:09:43 | 西洋絵画
日本テレビのカレンダーを頂いた♪ 元上司ご夫妻に感謝!
1月から6月は「ルーヴル美術館展」の出展作品から、7月から12月は「モネ展」から。画面は大きいし、各絵画の解説が勉強になる。

 

1月はクエンティン・マセイス(Quentin Massys, 1465/60-1530)の《両替商とその妻》(1514)だ。額縁の銘文に「天秤は正しく、重りは等しくあらねばならぬ」と記せられているらしい。「妻のまなざしは信心に根ざした正しい商い、すなわち『正義』を象徴する天秤を見守っているのかもしれません」とのこと。

なるほど、貪欲な眼差しではなかったのね(^^; しかし、『愚神礼讃』を著したエラスムスの肖像画を描いているマセイスだ。その実相を見据えた皮肉を絵画に見なければいけないんじゃないのかなぁ? (実は某大学で1コマ聴講生をしているのだが、つい最近マセイスを勉強したばかり(^^ゞ)


クエンティン・マセイス《ロッテルダムのエラスムスの肖像》(1517)バルベリーニ国立古典絵画館(ローマ)

だが、それよりも気になるのは凸面鏡の中の人物。ファン・エイク《アルノフィニー夫妻の肖像》に倣ったかのような画家の姿?!(追記:本を読んでいる人物みたい


ともあれ、国立新美術館「ルーヴル美術館展」が今から楽しみだ♪ って、今サイトを見たら…やはり…レポート展覧会が決まったみたい… (・・;)

クリスマス会

2014-12-24 01:09:42 | Weblog
今日、あ、昨日? 友人たちとのクリスマス会があった。友人ムラちゃんのお店が会場だったので、なんとケーキ持ち込みをしてしまった私たち(^^;;



でも、ムラちゃんち特製のデザートも食したのだった。山元町特産の紅玉を使ったりんごのキャラメル・コンポート、美味しかった!♪



元々、ムラちゃんの自宅&お店は山元町にあったのだけど、震災の津波で流され、縁あって仙台の某大学構内にお店を構えることになった。山元町は震災後の人口流出も多く、戻っても客足の少なさが予想されるので、このまま仙台で営業を続けていこうかと悩んでいるようだ。

震災で被害を受けた沿岸部の市町村の人口流出問題は、残った住民の生活の質の低下をも招きかねず、更なる流出の可能性も出てくるかもしれない。ムラちゃんの悩みは沿岸部住民共通の悩みなのかもしれない。

ローマ「da Guercino a Caravaggio(グエルチーノからカラヴァッジョ)」展(8)

2014-12-24 00:16:32 | 展覧会
会場には往年のマーホンを偲ぶ映像が流れていた。齢をとってからの姿しか知らなかったが、若い頃のマーホンはかなりイケメンだった! そのうえ、裕福な銀行家一族出身でお金持ち、オクスフォード出身、更にカドガン・スクエアに住居あり。まぁ、なんて理想的なエリート婿さん候補なんだろう(笑)。でも、美術オタクの道をまっしぐら…だったのだと思う(^^;;

Mahon had an eye, he lived amidst masterpieces, and above all he loved art.
マーホンは見る目を持ち、古典傑作に囲まれて生き、そしてなによりも芸術を愛した。(誤訳だったらすみません)

さて、ようやく展示作品紹介もカラヴァッジョにたどり着いた。カラヴァッジョ自身については今更なので、超サックリと。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio、1571 - 1610)はロンバルディア出身、バロックを切り開いた革新的かつ天才的画家である。
光と闇に浮き彫りされた人物像は、観る者にリアルに迫ってくる。宗教画の聖なる光は清冽に画面に降り注ぎ、生々しき聖者たちは観る者を画面に誘う。

《病めるバッカス》(1594)ボルゲーゼ美術館

《病めるバッカス》を明るい会場で真正面から向き合うなんて久々のような気がする。病んだ自画像と言われるが、静物画を得意とする画家の魂が葡萄の房にも葉にも、桃にも、白布にも、我が技量を誇るかのように込められている。今回、まじまじと葡萄の葉への光の差し込み方、反射の仕方を観察しながら、なんという描写力なのだろう!と改めて感嘆する。

《ホルフェルネスの首を斬るユディット》(1597)バルベリーニ国立古典絵画館

それぞれの顔の表情の面白さ、連続する手の表情の面白さ。目を剥き断末魔をあげるホルフェルネス、嫌悪感に眉間に皺を寄せるユディット、好奇と興奮で目が飛び出そうな召使老女。苦しさに宙を掴む手、髪を握り剣で斬る手、包む布を思わず握りしめる手、緊張感のなかにもリズミカルに連鎖しているような気がする。それに鮮血の赤とカーテンの赤の連動も生々しく、画家の劇的構成の上手さが味わえる一品だと思う。

ローマ「da Guercino a Caravaggio(グエルチーノからカラヴァッジョ)」展(7)

2014-12-17 00:33:33 | 展覧会
アンニバレ・カラッチ
《狩人のいる風景》(1590頃)ボローニャ国立絵画館》(帰属?)

この作品を観ると、ドメニッキーノの風景画への流れを見ることができるように思う。ドーリア・パンフィーリ《エジプトへの逃避のある風景》(1602-04)に先行する風景画であり、まだちょっとねぇ、という感想を持ってしまった(^^;

・《洗礼者聖ヨハネ》(1594-95)ボローニャ国立絵画館

洗礼者聖ヨハネの背景となる風景描写が素晴らしい。特にヨルダン川(イタリアの川としか見えないけど)の流水表現に眼が行ってしまった。この作品はマーホンによる寄託作品のようで、コレクターとしての眼の確かさを再認識した。

風景画の歴史を語る時、必ずと言って良いほどアンニバレ作品が登場する。去年のヴェローナ「Verso Monet」展の時も、ニコラ・プッサンとクロード・ロランに挟まれ登場したし、2012年国立西洋美術館「ベルリン国立美術館展」の時も、アンニバレとライスダールとルーベンスが風景画で並ぶという、思わずニンマリする展示もあったし。風景画(物語の背景であろうとも)アンニバレの自然主義的な眼差しの表れのような気がする。彼の後にロランやプッサンが続くのだから。

・《復活した墓での聖女たち》(1590年ごろ)エルミタージュ美術館

エルミタージュからのアンニバレ出展作品ハイライトだ。復活後の空になった墓に驚く聖女たち。三人の聖女たちの身振りやキリスト復活を示す天使の造形など、アンニバレらしい作品だなぁと思う。

アントニオ・カラッチ(Antonio Carracci ,1583 - 1618)はアンニバレの兄アゴスティーノの庶子である。先に紹介したアンニバレの自画像に描かれている少年だ。ボローニャでの絵画修業の後、ローマでアンニバレの元で働く。

・《エウロパの誘拐》(1602-1605)ボローニャ国立絵画館

父アゴスティーノの元でドメニッキーノやランフランコらと共に学ぶ。だからか、どことなくドメニッキーノと通じる清明な光を感じる。と言っても、ヴィッラ・ファルネジーナのラファエッロ《ガラテアの勝利》の影響を色濃く宿しているように見える。

ルドヴィーコ・カラッチ(Ludovico Carracci, 1555 - 1619)はアンニバレやアゴスティーノの従兄で、彼らとともにボローニャで絵画アカデミーを創設する。

・《受胎告知》(1584)ボローニャ国立絵画館

初期作品だからか、ちょっとルネサンス風にも見える《受胎告知》だ。色彩的にほのぼの感があり、なんとなくコレッジョの影響を感じる。でも、この作品だけでルドヴィーコを語ることはできないよなぁと、なんだか可哀そうにも思えた。

ということで、急いでサックリと紹介したが、アバウト過ぎたようで、反省(^^;;

東京に行ってきた。

2014-12-13 23:44:49 | 展覧会
仙台の定禅寺通りで毎年恒例の「光のページェント」が始まった。欅並木はすっかり葉を落し、替りに眩いイルミネーションの衣を纏う



ちなみに、一昨日は銀座に居た。夕暮れに輝くクリスマス・ツリー。東京は暖かくて良いよなぁ…。



実は、「ホイッスラー展」を観るために横浜美術館に行った。突風と激しい雨に襲われながら美術館に向かったのだが….ひえ~っ(@_@;)。木曜日が休館日だなんて!!

美術館は月曜日か火曜日が休みという先入観があった。まさか日本に木曜休館の美術館があったとは…。それも、何回も行ったことのある横浜美で!

まぁ「ホイッスラー展」は始まったばかりだし、落ち込みはしたものの、来年また横浜に来れば良いやと思い直した。我ながら意外に立ち直りは早い。歳とともに諦めがよくなったような気がする。代わりに予定から外していた畠山記念館「松平不昧の数奇」展を観ることにした。



仙台は寒くて殆どの広葉樹はすっかり葉を落してしまったが、東京は今が紅葉の盛りのようだ。畠山では《油屋》とともに、お庭の晩秋の風情も楽しんでしまった。

今回訪れた展覧会は
・「ボストン美術館 ミレー展」三菱一号館美術館
・「デ・キリコ展」パナソニック汐留ミュージアム(okiさんチケットに感謝!)
・「大名茶人 松平不昧の数奇」畠山記念館
・「仁清・乾山と京の工芸」出光美術館

出光が仁清をあんなに持っていたなんて…今まで出し惜しみしていたのね(^^;

ローマ「da Guercino a Caravaggio(グエルチーノからカラヴァッジョ)」展(6)

2014-12-09 22:33:32 | 展覧会
さて、ようやくカラッチ一族の展示にたどり着いた。メモを参考に画像をチェックしてみると、展覧会では気付かなかったことが見えてきて、自分の勉強になる。って、書く内容はかなり端折っているのだけれど(^^;

アンニバレ・カラッチ(Annibale Carracci, 1560 - 1609)はカラヴァッジョとともにイタリア美術における初期バロック様式を確立した画家であり、ボローニャ派の代表的画家である。アンニバレを中心とするカラッチ一族(兄アゴスティーノ、従兄ルドヴィーコら)の門下からは多くの著名画家が育っており、グイド・レーニ、ドメニキーノ、グエルチーノらを輩出した。

アンニバレ・カラッチについてはボローニャの展覧会やパラッツォ・ファルネーゼの展覧会でかなり興味を持つようになった。特にファルネーゼのフレスコ画やその下絵を観ること、アンニバレって本当に上手い画家だったのだなぁと思う。今回の展覧会では大作が出展されていないので、その優れた技量がわかりにくいかもしれない。

・《他の人物を伴う自画像》(1585)ブレラ美術館(ミラノ)

一説によると、向かって左から、父のアントニオ、アンニバレ、甥のアントニオ、とのこと。観る者に視線を向けるアンニバレに、一族を牽引すべき自分の役割を自覚しているかのような意志を感じる。あるいは、鏡の中の自分にその覚悟を確認している眼差しかもしれない。私的には初期のやや荒削りの自然主義的傾向が好もしい。
この作品を観ながら、ふとティツィアーノのロンドン・ナショナル・ギャラリー《時間の寓意》を想起してしまった。老人(ティツィアーノ)、中年(息子オラッツィオ)、青年(甥のマルコ)。アンニバレはティツィアーノの影響を受けているし、それに倣い自分の一族の《時間の寓意》を密かに描き込んだのかもしれない、と美術ド素人は思ってしまった。

さて、その隣に展示されていたのは、意外にもバチステッロ(Battistello)ことジョヴァンニ・バティスタ・カラッチョーロ(Giovanni Battista Caracciolo , 1578–1635)だった。バティステッロはナポリでローマから逃亡してきたカラヴァッジョの作風に強い影響を受けた、所謂ナポリ派のカラヴァッジェスキである。では、何故カラッチ一族と同じ展示室に作品が並んでいるのか?

ウィキペディアに興味ある記述があった。1618年、彼はナポリを出て、ジェノヴァ、ローマ。フィレンツェを訪れる。ローマでは古典主義を復活させたカラッチ派の影響下、自分のカラヴァッジョ譲りのテネブリズムとの融合を試みたらしい。

・《ゴリアテの首を持つダヴィデ》(1612)ボルゲーゼ美術館(ローマ)

日本のボルゲーゼ美術館展で来日したことがあるので、ご記憶の方も多いのではないかと思う。カラヴァッジェスキらしい明暗の中にダヴィデが艶めいて佇む。
ダヴィデのこの主題はカラッチ派も多く描いていて、グイド・レーニ作品が有名かもしれないが、西美にもグエルチーノの同主題作品がある。しかし、やはりカラヴァッジョ作品の凄味には負けると思うカラヴァッジョ偏愛である(^^ゞ


カラヴァッジョ《ゴリアテの首を持つダヴィデ》(1609-10)ボルゲーゼ美術館(ローマ)

カラッチ一族作品は次回に続く

ローマ「da Guercino a Caravaggio(グエルチーノからカラヴァッジョ)」展(5)

2014-12-07 23:58:18 | 展覧会
ドメニキーノ(il Domenichino)、本名ドメニコ・ザンピエーリ(Domenico Zampieri, 1581 - 1641)はボローニャのカラッチ派の画家である。身体が小さかったことからドメニキーノと呼ばれた。
私的には結構気に入っている画家だ。ボルゲーゼ美術館《狩りをする女神ディアナ》(1617)など、見応えのある作品を描いている。

さて、今回の展示作品は

・《クーマ(クマエ)の巫女》(1610)ボルゲーゼ美術館(ローマ)

ドメニキーノらしい作品である。レーニよりも愛嬌があって案外好きなのだ(^^ゞ。展示作品ではない巫女のフレスコ画像を見たことがあるが、ミケランジェロのシスティーナ巫女坐像に似ていた(^^;

・《マグダラのマリアの空中浮揚》(1620)エルミタージュ美術館(サントペテルブルグ)

《マグダラのマリアの空中浮揚》は『黄金伝説』に由来するテーマで、プロヴァンスで苦行中に天使の力を借りて浮揚するという神秘体験シーンを描いたもの。以前、拙ブログでボローニャ派の「浮揚」の系譜を探ったことがある。興味のある方はこちらをご参照あれ。

・《川とボートのある風景》(1603-1605)ボローニャ国立絵画館(デニス・マーホン委託)

ボルゲーゼ《狩りをする女神ディアーナ》の風景を想起する。フランドル絵画の光を見る向きもあり、平滑な絵肌からも案外そうかもと思ってしまう。ちなみに、師匠格のアンニバレ・カラッチのドーリア・パンフィーリにある風景画が1603年だから、師匠の影響で風景画に目覚めたのだろうか?ランフランコも《マグダラのマリアの空中浮揚》(カポディモンテ美術館)で鳥瞰図的風景画を描いているし…。