花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

ブリヂストン美術館

2005-07-30 22:57:45 | 展覧会
ぐるっとパスの期限が迫ってきたので、久々にブリヂストン美術館に行ってきた。
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/

企画展は「絵のなかのふたり」という事で、シャガールの恋人たちやら、男女ふたり、母子像など、ふたりの人物が登場する絵の特集だった。さて、絵のなかのふたりは様々な状況の基に対峙している。アダムとイヴであったり、親と子であったり…。なかでも私的に面白かったのはベンシャーンの作品で、《思いがけぬ邂逅》や《心を悲しまてしまった両親のこと》など、手の指の表現が雄弁に語る心と関係だった。バロック絵画の身振りの表現も手に負うことが多いが、ベン・シャーンは握手の指やテーブルを叩く指だけでふたりの心の物語(邂逅の歓び、息子への心配)を瞬間的に捉え、鮮やかにクローズアップして描いているのだ。シンプルな線描がユーモアさえ感じさせる。

ところで、実は、今回一番興味深かった作品は企画展ではなく平常展の方にあった。会場には、ちょうどセザンヌの《自画像》と《ヴィクトワール山》の前に椅子が置いてある。観疲れてぼーっとセザンヌを眺めていた眼を…ふと右に移すと…見覚えのある構図が暗い色調のなかから濃厚な色と形として浮かび上がってきた。ディアズ・ド・ラ・ペーニャ風の雅宴画…。思わず絵の前に寄って観ると、アドルフ・モンティセリ(1824-1886)の《庭園の貴婦人》だった。厚塗りの画面は宮廷の庭園に集う貴婦人たちを描いている。ロココのヴァトーを想わせる貴族風な雅宴絵画である。

面白いことに、先日うらわ美術館で観た後藤美術館のディアズ、長崎美術館で観たフォルトゥーニ、いずれもこのロココ・リバイバル的な当時の流行画題を描いている。
ブリヂストン美術館の奥に図録閲覧室がある。ここに偶然1995年「モンティセリ展」図録が置いてあった。読んで行くうちに、当時の流行ということだけでなく、モンティセリがディアズの影響をかなり受けた事実を知ってしまった。長崎の図録によるとフォルトゥーニもディアズの影響を受けている可能性があると言う。バルビゾン派ディアズの別の側面に触れたようでとても興味深かった。

ちなみに、モンティセリはその厚塗り技法でゴッホに影響を与えたことでも知られている。画家たちの影響の与え合いを自分の眼で画面に観られたことが素人故にとても嬉しかった。

ファッションとスペインの文化展

2005-07-24 04:01:21 | 展覧会
さて、「300%スパニッシュ・デザイン」展と同時開催の「ファッションとスペインの文化」展も、華麗なドレスとインスピレーション源になったスペインの絵画を並べて見比べるという大変面白い企画だった。

会場は大切なドレスが痛まないように照明を落としているのでメッシーナ美術館のように真っ暗だ(引き合いに出してごめんなさい)。しかし、係りの人がクレジットを読むためにペン・ライトを貸してくれる。暗くても、素敵なドレスばかりなので目が吸い寄せられる(笑)。シャネルのクラシックなドレスやロエベのラム・スゥエードのロング・ドレスには目を見張った。ミロの油彩《悪の華》とジャン=ポール・ゴルチエのドレス《ミロ》(画像)は今回の展覧会でも圧巻だったと思う。

絵画は近代スペイン絵画が中心だったが意外な作品などもあり、古典絵画好きとしてはあのファン・カレニョ・デ・ミランダの油彩画がさり気に展示されていたので嬉しいと同時に驚いた。まぁ、さすがにベラスケスやスルバランやゴヤなどが複製写真だったのは仕方が無いところだ。今回の展示されていた絵画作品には個人蔵も多く、このような形でも日本で観られることは滅多に無い幸運だと思う。カレニョ作品は《ドン・フェルディナンド・デ・バレンスエラ・ビリャシエラ侯爵―宮殿の亡霊》と題されており、黒い服を着た色白の青年貴公子が描かれている。亡霊というより繊細な夢見る青年という感じだったのだが(^^;;。ちなみに当時のスペインでは染色で黒を出すのが難しく、黒を着るのは貴族や金持ちの証拠だったそうだ。フェリペ2世も黒ずくめだったしね。

ところで、会場で観ている途中、グループを引率したスペイン人のおじさんが解説を始めた。ラッキーと思いその説明を側で聞きながらの鑑賞となったのだが、意外にサックリと飛ばすので後でまたゆっくりと自分で観直すことになった。もしかしてその方は今回のキュレーター氏なのではないかと睨んでいるのだが、実際はどうだったのだろう?
ちなみに、そのおじさんはドリス・ヴァン・ノッテン(多分)のドレスの説明で、並んで展示されていたフェデリコ・マドラッソが孫娘のマリー=ルイーズ・フォルトゥーニを描いた絵を指し「ゴヤの絵から影響を受けた…」なんて、まるでこの絵がゴヤ作品と間違われそうなことを言っていた(・・;) 。確かにエンリケ公女風のドレス姿なのだけれど、私的にはちゃんとマドラッソ作品と言って欲しかったなぁ。う~ん、ゴヤ作品を持ってこられなかった代わりだった可能性もあるけどね。今回の展覧会はフォルトゥーニ(子)デザイン作品をお目当てに行ったのだが、お祖父さんのマドラッソ作品まであって大収穫だった。

日本ではあまり知られていないフォルトゥーニの家系を参考までにちょっと…。
http://www.fortuny.com/Mariano/History.html

画家マリアーノ・フォルトゥーニが画家(プラド美術館長もした)フェデリコ・マドラッソの娘セシリア・マドラッソと結婚して長女マリー=ルイーズ・フォルトゥーニ(先に挙げた絵のモデル)とデザイナーとして活躍する長男アリアーノ・フォルトゥーニ(子)をもうける。西美「プラド美術館展」でのフォルトゥーニ作品《日本風居間で遊ぶ画家の子供たち》を思い出していただけたら幸いである。

さて、更に驚くことに、モスキーノの扇型ハンドバッグと並んで展示されていたのは、何とマリアーノ・フォルトゥーニ(父)の水彩画《アグラソ夫人》だった!)^o^( 観葉植物のあるサロンに座った女性を描いた絵で、開いた扇を持っている。ドレスの繊細な水玉模様までしっかり描き込んである。フォルトゥーニ作品は油彩画、特に人物のいる渇いた風景画が好きなのだが、繊細な水彩画も魅力がある。この展覧会でフォルトゥーニ(父)作品を観られるなんて予想していなかったので、本当に本当に嬉しかった。

で、当然、服飾デザイナーとしても活躍したフォルトゥーニ(子)のプリーツ・ドレス《デルフォス》も展示されていた。解説のおじさんも「重要作品」と言うくらいに当時としてもインパクトのある有名作品である。彼はドレスから舞台照明やファブリックのテキスタイル・デザイン等まで、多彩なデザイン活動を行った。スペイン人ではあるがヴェネチアに工房を構えていたのでイタリアのデザイナーとても登場する場合がある。ちなみに、MET「ロバート・レーマン・コレクション」の深紅色の壁布はフォルトゥーニ製である。

なんだか、今回の感想文は去年のスペイン旅行ですっかり興味を持ってしまったフォルトゥーニ親子を中心とした感想文になってしまったようだ(^^ゞ

それから...実は迷った挙句、2つの展覧会図録を購入しなかったので、記憶違い等ががあったらどうぞお許しあれ。なにしろ、スペイン語図録で日本語訳部分も少なく、フォルトゥーニ親子に関しても詳しく触れておらずがっかりしたのだった。

300%スパニッシュ・デザイン展

2005-07-20 03:05:15 | 展覧会
埼玉県立近代美術館で「300%スパニッシュ・デザイン展」と「ファッションとスペインの文化展」を観た。スペインにおける20世紀初頭から現在に至るデザインを一望できる画期的な展覧会だった。
http://www.saitama-j.or.jp/~momas/3.htm
ちょうど行ったのが展覧会オープニングの日と言うこともあり、会場にはスペイン人関係者が多く、日本人観客の方が少なく感じた。なにしろ聞こえてくるのは元気なスペイン語ばかり(笑)

さて、今回は「300%スパニッシュ・デザイン」の感想なのだが・・300%とは、椅子・ポスター・照明の3種類のデザインを指す。

【椅子】
そのデザインを誇るだけあってシンプルでモダンなものが多かった。やはり皮革製品に定評あるスペインなので良質の皮の椅子もある。しかし、一番見応えがあったのはアートとしての椅子だった。ミロの椅子「座る女と子ども」は色彩豊かないかにもミロ的造形で、子どもが空豆のような形で座面にちょこんと置いてある(ように見える)。ダリの椅子の足はハイヒールを履いた女性の足だ。もしかしてガラ夫人の足だろうか?(^^; タピエスの椅子には画家の衣服が貼り付けてあり、椅子と言うよりオブジェ作品と言った感じだ。そんな中で一際目を惹いたのはアントニ・ミラルダ「ロッキング・チェア」だった。揺り椅子全面を覆いつくすのは銃を構えた無数の兵隊の列。白い兵隊のフィギュアが整然と銃を構え、沈黙がロッキング・チェアを支配する...。

【ポスター】
さながら20世紀ヨーロッパにおけるアート・デザインを回顧するような内容だった。ロートレックを思わせるポスターやアール・デコそのものと言えるものなど、当時のスペインが欧州デザインの流行に否応なく影響を受けざるを得なかったことが見て取れる。
しか~し!スペインは圧倒的個性を持った芸術家を生んだ。ダリ自身が作った「ダリ劇場美術館」ポスターの何とシックで素敵なこと!もちろん大御所ピカソやミロも自身の展覧会ポスターを描いている。自分の展覧会だからモチロン力が入っていてオシャレである(笑)。ピカソ「女官たち」もあったが、ベラスケスの絵を元にしたものだと思うのだがどうなのだろう…?
実は私的に一番興味深かったのはアルモドバル監督の映画「ハイヒール」のポスターだった。作者のファン・ガティはヒール部分を拳銃の銃身として描いている。う~ん、この映画を観ているので確かにわかるけど…デザイン的にちょっと考え過ぎのオチという気がしないでもなかった(^^;

【照明】
なにしろ今回の展覧会の一番の期待はマリアーノ・フォルトゥニー(息子)のデザイン作品にあった!下目黒研究所長さまから、期待できそう、との情報をいただき、初日に走ってしまった花耀亭である。と言うことで、期待通りフォルトゥーニの照明ランプもあった(^^)v。繊細なプリント地や房飾りを用いたにランプ・ シェードはそのフォルムも含め東洋的な雰囲気を醸し出していた。実は会場で白いプロジェクターを見たのだが、後でリストを見たら、それもフォルトゥーニのデザインだったようで意外だった。
フォルトゥーニはスペインの画家マリアーノ・フォルトゥーニの息子で、母は画家でありプラド美術館長を務めたマドラッソの娘である。フォルトゥーニ(息子)はベネチアに工房を持ち、照明・ファブリック・衣装等々、さまざまなデザイン活動を行った。今回の2つの企画展では何と親子競演が見られたのだ!)^o^(

さて、スペインの照明ランプで一番有なのはル・フリーク「ピンポン」ではないだろうか?ピンポン玉の集合体としての楽しい作品になっている(ブログの画像参照)。では、一番意表を突いた作品はと問われるならば、はやはりダリの作品と答えたい。スタンド部分にまるで燃えるキリンに出て来るような抽斗が付いているのだ!抽斗の中からコードが出てくるのもダリらしくおちゃめだと思った(^^;。そして、一番見惚れてしまったのがラモン・バイス「ブルカノ」(多分)である。メタリック板素材でスパイラル状に上へと引き伸ばされたような造形で、フォルム的にも素敵だ。その先端からふと天井を見ると、何とスパイラル円の渦巻きが美しい光の影となって映っているのだ!計算し尽くされた造形の美を見たような気がした。ウルカルヌスとウェヌスのシンフォニーと言うところだろうか?

今回スペインのデザインをまとまった形で観ると、歴史に裏付けられながらも、現在のスパニッシュ・デザインがより斬新なものに向かっている様子が見え、目にも大変楽しい展覧会となった。
なお、次回「ファッションとスペインの文化展」へと続く…(予定(^^;;)

小林古径展

2005-07-17 03:44:30 | 展覧会
先日、用事で郵便局に行った折、花の絵柄に目が惹かれ記念切手を購入した。白と紅の芥子の花に緑の茎葉の立ち並ぶ様が印象的で、出光の展覧会での芥子壷と屏風を想い出した。ちょうど1シートしかなかったこともあり、これは神さまが買えと言っているのに違いない..と勝手に思い込んだ(笑)。購入してから気がついたのだが、切手の絵の作者は小林古径だった。

東京国立近代美術館で「小林古径展」を観た。もちろん、あの『芥子』もあった。まろやかな清明さの際立つ古径作品のなかで、この『芥子』は特に写生力が漲り、芥子の持つ豊穣な生命力が他を圧して私を魅了した。古径は茎も葉も地から立ち上がり繁茂しようとしているこの緑色世界を緻密な線描と色彩で描き出している。その緑色の補色である芥子の花の紅、そして清冽な白。傍らに咲く淡色の蛍草の可憐な姿にも植物の生命への賛歌を感じた。

なるほど古径は新潟から上京して入門した半古塾でみっちり写生や模写の修行を行っていたらしい。その作品群を見ても、古径の傑出した才能の一端を垣間見ることができる。平治物語絵詞の模写の線など緊張感を孕んで、線描だけでも十分に見応えのあるものになっている。古径は同じ日本画の早水御舟の細密描写にも傾倒したと言う。更に興味深かったのは古径がレオナルド・ダ・ヴィンチに惹かれていたことだ。そう言われれば、『芥子』の葉の線描などレオナルドのうねりを感じる精細な植物素描を髣髴するものがある。

ところで、ルーヴル美術館「ダ・ヴィンチ展」を観た時に感じたのだが、レオナルドは猫が嫌いなのではないだろうか?冷静な眼差しによる生態観察といった感じで、猫の愛らしさなど描かれていないのだ。しかし、古径の描く鳥や小動物に対する眼差しには暖かさがあふれ、自然と笑みが湧くのだ。展示されていた『子犬』や『狗犬』の愛らしさ!なんだかラ・トゥールの『子犬を連れたヴィエル弾き』の子犬とも似ているような気がした。『紅蜀葵と猫』も鮮やかな花弁の赤と白黒の猫の対比だけでなくニ毛猫の微笑ましいポーズが実に良い。今回惹かれた『夜鴨』も鴨は夜空を飛びながら眼下の水面に映る月を見ている。上空の月ではなくこの鴨が主人公の構図、水面に映る楕円の月…古径には参ったと思った(笑)

『芥子』を描いた翌年の1923年、古径は前田青屯とともに欧州留学へと出かける。欧州絵画やエジプト美術などに触れながら、新しい境地を切り開いて行ったようだ。古径の尊敬する先輩格の速水御舟も文章でマチスについて触れていたが、後年になって行くほど古径の作品にマチス的なものを感じた。写生からどんどん無駄なものを削ぎ落とし、フォルムも単純化され自然な軽やかさに変化して行く。代表作『髪』も女性の上半身よりも梳る髪の流れと櫛に引かれる髪の緊張感に集約されているような気がした。

ところで、私は小林古径の作品をまとめて観たのは今回が初めてである。独自の清明な線と色にたどり着くまでの画家の歴史は興味深いものがあった。そのなかで、何故か心に残っている作品がある。おかっぱ頭に肩上げした赤い着物の少女の『琴』だ。少女の琴に向かう気構えが伝わって来そうで、初心ということの大切さを改めて教えてもらったような気がする。実に気持ちの良い絵を見せてもらったと思った。

光悦と琳派展

2005-07-05 21:32:32 | 展覧会
土曜日、上諏訪にあるサンリツ服部美術館で「光悦と琳派展」を観てきた。
http://www.shinshu-online.ne.jp/museum/sanritsu/sanritu4.htm

展示数は少なかったが珠玉の..と形容したくなる佳作品で構成された展示内容だった。中でも一際オーラを放っていたのが本阿弥光悦・作 国宝『白楽茶碗 銘 不二山』である。最近茶陶の面白さに目覚めた私には、楽と言えば長次郎からの黒楽と、光悦の傑作『熟柿』の赤楽のイメージが強かったが、この『不二山』は意表を突くかのような白楽だった。
http://shinshu-online.ne.jp/museum/sanritsu/sanritu2.htm

全体に白釉がかかっているのだが、低い高台から胴の中ほどにかけて濃淡のある灰褐色に窯変している。上部の白釉が雪をいただき天に向ってそびえる富士山を想像させるところから『不二山』と命名されたと言う。その釉景を観ながら、私は初めて茶碗の「景色」というものを自分なりに了解しと思った。灰褐錆色の景色は富士の裾野でありながら見る者の心に添ってさまざまな景色を見せてくれるのだ。
その景色を生かしているものこそが手づくねにヘラで形を削った茶碗自体の絶妙な造形美である!飲口部分の削り具合、筒形の微妙なゆがみこそ、渋く落ち着いた趣で不二の景色を映している。光悦はこの茶碗を振袖で包んで嫁ぐ娘に渡したと言う。多分、光悦としても形見と言える会心の作だったのだろう。

光悦作品の他にも、宗達、乾山、光琳、抱一等々目を惹く作品は多々あったのだが、詳細はいづつやさんのブログを参照していただいた方が良いかもしれない。
http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2005/07/post_4f37.html
なにしろ、いづつやさんの紹介文章を拝見して上諏訪まで駆けてしまった花耀亭である。

さて、今回の展覧会には奈良の大和文華館から3点の出張作品が展示されていたのだが、その中に伝・俵屋宗達筆「伊勢物語図色紙・六段芥川」があった。背負った女の問いに答えるかのように見遣る男….。背景のたらしこみによる山並みの青緑のうつくしさ、手前に流れる芥川。その狭間に立つふたりの衣装から覗く艶やかな紅がとても印象的だった。

この伝宗達筆の色紙を観ながら、先日亡くなった塚本邦雄を想った。昔、『露とこたへて-業平朝臣歌物語』(文藝春秋・刊)を読んだことがある。今は実家の本棚に埃をかぶっているのだが、題字は塚本自身の高野切風筆跡だったように思う。

白玉か何ぞと人の問ひし時 露とこたへて消えなましものを

(草の上に降りた露を、真珠ですか、何ですか?とあの人が尋ねた時
 「露です」と答えて、そのまま私も露のように消えてしまえばよかったのに…)

芥川の段、業平と高子の恋愛逃避行物語を、思えば塚本にしてはさらりと描いた作品だったような気がする。