「しんぶん赤旗」8日付、「学問・文化」欄に、永原陽子京都大学教授(南部アフリカ史)の「寄稿文」が掲載されました。 永原教授は、「昨年末、ネルソン・マンデラが亡くなり南アフリカ全土が喪に服したとき、私は偶然にも現地に滞在していた」「日本のメディアは報じなかったが、今回のマンデラの死に際し、当人が1964年に終身刑を宣告された時点で南ア共産党の一員であった事実が明らかになった。 『アフリカ民族同盟(ANC)を主体とする政府を率い、人種間の『和解』を推し進めた大統領の過去として、意外に響くかもしれない。しかし歴史を振り返るなら、それも納得がゆく」と紹介しています。
その上で、永原教授は、「1921年創立の南ア共産党は、この国の解放運動が総じて人種別に組織される中、当初から多人種構成をとる稀有な組織だった。 第2次世界大戦後、アパルトヘイト(人種隔離政策)を掲げて政権についた国民党が最初に行ったのが、共産党の非合法化である。 黒人を徹底的に隔離・差別する体制は、『アフリカ大陸に共産主義が広がるのを防ぐ』役割を自任した」
「以後、共産党員は亡命先から、あるいは地下から国内の運動と連携し、最大の黒人解放組織ANCに加わって活動するようになる。 1955年には、ANCをはじめとする解放組織が結集し、『南アフリカはそこに住むすべての人のものである』とうたう『自由憲章』を採択した。 反アパルトヘイト闘争の綱領的位置を占め、今日の南ア憲法の土台ともなるこの憲章の運動は『共産主義』とみなされ、運動の中枢にいたマンデラらは大逆罪に問われた」と指摘しています。
永原教授は、「民主化から20年を迎え、マンデラもいなくなったいま、南ア共産党は、ANCとの関係を再考すのか、はたまた多数者革命についての考え方を練り直すのか、岐路に立たされている。 私には、ANCのマンデラ追悼集会であいさつに立った共産党の幹部が『黒人の資本家が白人の資本家より良いというわけではない』と発言し、聴衆の喝采をうけていたのが印象的だった」結んでいます。
南ア共産党と日本共産党との直接的な交流については、私もほとんど知りません。 2004年9月3日~5日、中国・北京市で開催された第三回アジア政党国際会議(35カ国80以上の政権党・野党が一堂に会し、共同の課題を議論し確認する機会となった)に日本共産党からは不破哲三団長らが参加しました。 この会議と個別の各国の政党との交流のなかで、不破氏が、オブザーバー参加していた南アフリカ共産党とアフリカ民族会議(ANC)の代表団と交流した写真が、紹介されています。(日本共産党ホームページより)
日本共産党の志位委員長は、昨年12月6日、南アのネルソン・マンデラ元大統領の死去のあたり、次の弔電をジェイコブ・ズマ大統領に送っています。
「南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領の死去の報に接し、ご遺族と南アフリカのすべての国民に深い哀悼の意を表します。 マンデラ元大統領は、ANC(アフリカ民族会議)の指導者として生涯を白人政権によるアパルトヘイト(人種隔離)の撤廃にささげ、27年間獄中で不屈にたたかったのち、黒人初の大統領として人種・民族の和解の国づくりをすすめました。 その活動は、南アフリカだけでなく、民主主義、平等、人権をもとめる世界の人々を激励しました。 南アフリカのみなさんがマンデラ元大統領の遺志をついで南アフリカの社会発展をいっそう前進させるよう心から願うものです」
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