宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
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「日本共産党の領土交渉の経過」ー不破哲三氏の「千島問題と平和条約」から

2018年11月24日 | 千島返還問題と日本共産党

 日本共産党は綱領(2004年1月採択)で千島問題について、次のように記述しています。

 「日本の歴史的領土である千島列島と歯舞諸島・色丹島の返還をめざす」

 この立場、方針に到達するまでには、歴史的経過があります。 1959年、党が50年問題を克服し、自主独立の立場を確立し、新綱領(61年綱領)を確立する過程でソ連共産党との最初の領土交渉が行われました。 不破氏の著書から紹介します。

 「1959年の日ソ両党会談―これは日本共産党とソ連共産党との最初の公式会談でしたーでまず、宮本書記長(当時)が領土問題を提起しました。 安保条約の改定とともに、日米軍事同盟の強化の道をすすむか、この道をたちきって真の独立・平和・中立の道にすすむかが、大問題になっていたときでしたが、日本がそういう軍事同盟の道をはなれ平和的・民主的な発展の道にすすんだ場合には、南千島の問題に新しい接近の可能性が生まれるということを、両党でたがいに確認しあいました」(「千島問題と平和条約」(103~104頁)

「これは、日ソの政府間交渉の3年後のことでした。 こちらが、道理ある立場を明確にして交渉した場合には、ソ連側も、『解決ずみ』論とか、歯舞、色丹以外は一切不動だという立場はとれなかったということを、しめしています」(同104頁)

「つぎに、71年の両党会談があります。 このときは、日ソ両党の間では、フルシチョフ時代以来のソ連からの干渉問題が未解決で、両党の関係がまだ不正常な時期でした。 その時期におこなわれた首脳会談でも宮本委員長(当時)が領土問題を提起し、とくに、日米安保条約改定のときにソ連が日ソ共同宣言の歯舞、色丹返還を約束した部分について棄却するという通告をしてきた問題をとりあげて、これを『考え直す』よう主張しました。 これにたいして、ソ連側も、会談のなかで、『外務省で検討させる』ことを言明せざるをえませんでした」(同104頁)

1979年の両党首脳会談です。 この会談は、フルシチョフ以来の15年間にわたる干渉にソ連側が反省を表明したことで、一応。党と党との間の関係が正常化した会談だったのですが、このときの宮本・ブレジネフ会談では、最大の問題の一つとして領土問題を取り上げて、非常に立ち入った交渉をやりました」(同)

「もちろんソ連側はわが党の主張にたいして、『解決ずみ』論をとなえる。 それにたいして宮本委員長(当時)の方から、ソ連側の一つひいとつについて全部反論する。 こういうやりとりが長時間にわたっておこなわれたのです。 宮本委員長が、ソ連側の『解決ずみ』論の根拠を世界の民主主義と国際法の道理ある立場から全部論破したら、結局、相手はそれについて一言も反論できないで、日本側の主張への弁明として、もっぱら軍事情勢だけを語るようになったのが、特徴でした」(同、104~105頁)

「このときの会談では、未解決の領土問題をふくめ、『日ソ平和条約の締結』問題について、今後とも意見交換をつづけてゆくことを、共同声明で確認しあいました」(同105頁)

 こうした、実際のソ連側との交渉、さらに千島問題の調査、研究をふまえて、1990年9月に、「日ソ領土交渉にあたっての提言(4つの提言)」が発表されました。