冬は気がつくと鍋をしていた。温まるやら美味しいやら簡単やら色々とよかったのだ。夏になると鍋をすることはまずなく、冬の間に買い込んだ鍋出汁の類が余って少し賞味期限が心配だ。
鍋があれば肉や野菜やキノコや豆腐やとごちゃごちゃと何も考えずに入れてしまう。挙げ句の果てにはうどん、さらにご飯とお腹パンパンになってしまう。夏は思考力も鈍り、素麺などシンプルなものを好むようになる。今度は栄養不足が心配なので、冷蔵庫の中にはチーズや竹輪、かにかまなどタンパク質を取れるものを入れておきたい。
最近のかにかまはほほ蟹だとも聞く。かにかまはそれだけでも美味いが、小松菜などちょっとした野菜とごちゃごちゃしても美味しくいただくことができる。
ラーメンならラーメン、丼なら丼、昔からシンプルなものが好きだった。コラム・エッセイ、囲碁将棋、それらは仲間としてくっついているのだろうか。
短歌って、俳句って、川柳って、何? 少し興味を持った人に詳しく語るのは面倒くさい。まあ、歌ですわ。わびさびですわ。
川柳が苦手だった。ぐいぐいと来る感じが合わなかったのだ。サラリーマン川柳と聞くと逃げ出すようにしていた。今はそうでもない。むしろ俳句よりも身近に感じる時もある。季節と共に人も変わっていくようだ。
日本のドラマは季節の節目に生まれ変わる。
中でも人気は刑事・探偵ドラマだ。探偵がとんちを利かせ見事に事件を解決に導く。その安心感こそ愛される秘密ではないだろうか。
「謎はすっかり解けましたよ」
探偵の自信に満ちた文体が好きだ。
正直な話、細かい内容まではちゃんと聞いていない。ずるずると素麺を啜る音に交じって、着実に事件は解決へと向かっていく。
「あなた方は前もってスポーツの枠組みを変えることを計画した。それに合わせてあたかも水が流れるように、自分たちの鍋に客を放り込むことに成功した。ここまでくればあとはちょっと細工するだけです。
肉だ魚だ葱だ白菜だ水菜だ小松菜だ豆腐だ椎茸だエリンギだブナシメジだと徐々に具を増やしていった。一旦入れることを決め込むと考える隙を与えずに、どれだけ入れるかというテーマに変えていったのです。
ぐつぐつと煮込むほどに香りが立ち上がり何が何やらよくわからなくなっていく。
頃はよし。
あなた方は密かに温めていた別枠・トッピングという概念を取り出して、チョコレートを放り込んだ。既に上限が決まっていたはずの器の中にまんまと溶かし込んでみせたのです。巧妙なのはその手順でした。
最初からチョコレートだけを放り込めば、誰だって顔をしかめる。反発は目に見えています。一般的な下地を敷いてあたかも事が終わったようにみせて安心させ、タイミングをずらすことによって所期の狙いを実現させたのです。これが五輪の鍋計画の全容でした。
皆さんお味はいかがでしたか」
探偵が話す間、関係者たちはチーズのように固まったまま動かない。一番の見せ場に対しては邪魔をしない。それが刑事・探偵ドラマにおける黄金の法則だ。高い緊張感が保たれた中をずるずると素麺を啜りながら楽しむ。それが夏のドラマ観賞の醍醐味ではないだろうか。
「ふっふっふっふっふっ……、
すべてお前の妄想ではないか」