昨日あんなに拾ったはずなのに。
散乱した紙屑を見て私はため息をついた。
「さあ始めるぞ」
吸い殻1つも見過ごすことはできない。最初は小さなところから始まって、だんだん大きなものへとエスカレートしていく。それが世の常だ。
捨てることには2つの罪がある。1つ目は世話になったものに対する不義理だ。中身がある内はありがたく傍に置いていたものが、用が済んだ途端に自分から切り離してしまう。そこには感謝の念が欠けている。もう1つは好き勝手に捨ててしまうことでスペースを潰してしまうことだ。世界のスペースが無限にあるのなら、問題は少ない。しかし、現実のスペースは限られている。何かがそこに存在することは、それ以外のものの存在に干渉してしまう。無闇な廃棄を繰り返せば、スペースはあっという間に失われ、明日には歩く場所もなくなるだろう。
「全く困ったものだ」
ポイ捨て衝動を引き起こすもの、その主な要因は『誰も見てないんちゃうかシンドローム』だ。元は若者に多く見受けられたものだが、最近では世代の枠を越えて蔓延しているようだ。それほど大人になりきれない老人が増えている。
「もう少し考えればいいのに」
「まあ地道にやっていくさ」
空き缶、紙パック、古雑誌、右手袋、折れたストロー、ギターピック、サンダル、折れた傘……。
無情に捨てられたものを見るのは誰にとっても気分のいいものではないだろう。1つ1つを拾い上げ街のスペースを回復していく私たちの仕事は根気がいる。好きでなければとても勤まらない。
「あれは……」
何であれその正体を見定めてから手を伸ばすのが決め事だった。近づいてみると少し厚みがある。ハンカチではない。
「いつかのアベノマスクですね」
こんなものまで……
「全く、命が惜しくないのか……」
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不織布のガードをかけてがっちりとアベノマスクが口を封じる