小学生の時は両親も若く、今みたいにやれ血圧がーとか、やれ尿酸値がーとか、という話は一切無かった。両親、特に母親は私の同級生の親たちとテニスをしていたので、一緒に付いて行くことが多かった。ただし子供達はボール拾いをしたり、コートの隣にある広場で鬼ごっこや野球をしたりと、テニスを一緒にすることは無かった。
ある日、自宅から自転車で通える範囲にスポーツジムができた。スイミングスクールやトレーニングルームもあり、複合的な施設である。そこにはテニスコートが2面あり、テニススクールも備えていた。ある日母親からこんなことを聞かれた。
母「テニスやりたいと思わない?」
照「ん?何で?」
母「ほら、あそこにできたでしょ?」
照「うん」
母「もしもやりたいと思うなら行ってみる?」
照「うーん・・・テレビが見られなくなるからいいや。」
もしもここで「やる!」と言っていたら、メキメキと実力が上がり、ジュニアでも名前を知られプロに転向後は恐らく日本のトップランカーになって、デビスカップのメンバーに入り、日本の代表としてコートにたっていたはずだ。が、小学生の私はテレビを優先した!何てもったいないことを・・・。それほど大切なテレビ番組って何だよ!ドラゴンボールか?今となっては覚えていない。
それでも平日の夕方~夜にかけてテニスに付いて行くことは減らなかった。単純に晩ご飯が無かったからかもしれないが。ただ、全く何もしなかった訳でもない。ラケットはあるしボールはあるしコートもある。条件は揃っていたため「ねぇ、教えてよ」と口を開けば母からのレッスンが始まるのは至極当然のことだった。別に母は学生時代の経験者ではない。でもメンバーと楽しくゲームができる程度の腕前を持っていた。いつ覚えたのかは謎だ。母としては「こんなに楽しいこと、息子にもやらせたいな」ぐらいにしか思っていなかったと思う。何となくボールを打ち返せるようになるまでにそれほど時間はかからなかった。子供の順応性は高い。
当時は小学生の男の子と言えば少年野球チームに入団し、日曜日の朝からもしくは昼から練習をすると相場が決まっていた。私も何度か友達に誘われたが、断るセリフは決まっていた。
照「うーん・・・テレビが見られなくなるからいいや。」
日曜日の朝から見るテレビ番組って何だよ!今だと戦隊もの?ライダー?今となっては覚えていない。ただ、我が家にビデオデッキが導入されてから5年生の春に入団したのは内緒の話。
母「そんなに野球やりたかったの?」
少しさびしそうに話す母を背に、日曜日の朝からバットとグローブを持って出かける息子には母の姿は見えていない。
2年間の少年野球の活動が終わると小学校も卒業する。当然、中学校では何部に入るのか友達同士での話題になる。野球仲間でも進路はそれぞれだ。
「野球部」
「柔道部」
「バレー部」
「サッカー部」
「陸上部」
照「うーん・・・テレビが見られなくなるからいいや。」
とはならず、「テニス部」を選ぶ。そこはぶれずに一択だった。過去記事にもあるとおり3年間やり遂げた。高校時代は残念ながら途中で別の道を選んだわけだが、テニスをしたい気持ちがなくなったわけではない。吹奏楽部に入部してからテニス部の顧問に退部届けを出したすぐくらいの頃、母に相談したことがある。
照「ホントはもっとテニスを続けたかった・・・」
母「そう?だってあんたゲームセンターに行ってたでしょ?」
照「(ドキィィィィッッ!!)Σ(;゚ω゚ノ)ノ」
母「ピアノも辞めちゃったし、何かすれば?」
照「バイトは部活の練習があるから難しいなぁ」
照&母「・・・あ!」
受験生になる前の半年間ほどは、水曜日にラケットを持って登校することができた。感謝しかない。そんな母は膝を悪くしてからはランニングやマシントレーニングを続けていた。今ではバレエを習っているらしい。とても楽しいらしく「あんたもやればいいのに」とすすめてくる。いや、それはカンベンして。
私の娘も小さい頃は色々やりたいと言っていたが、最近は「相撲」のようだ。
娘よ、スマン。近所に土俵は無い。
---終わり
(照)
moniswitch
今お使いの離床センサーがそのまま使える!
離床センサーのスイッチ入れ忘れ事故を防止する
monipet
動物病院の犬猫の見守りをサポート
病院を離れる夜間でも安心
ASSE/CORPA
センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
OSGi対応 ECHONET Lite ミドルウェア
短納期HEMS開発をサポート!
GuruPlug
カードサイズ スマートサーバ
株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
ある日、自宅から自転車で通える範囲にスポーツジムができた。スイミングスクールやトレーニングルームもあり、複合的な施設である。そこにはテニスコートが2面あり、テニススクールも備えていた。ある日母親からこんなことを聞かれた。
母「テニスやりたいと思わない?」
照「ん?何で?」
母「ほら、あそこにできたでしょ?」
照「うん」
母「もしもやりたいと思うなら行ってみる?」
照「うーん・・・テレビが見られなくなるからいいや。」
もしもここで「やる!」と言っていたら、メキメキと実力が上がり、ジュニアでも名前を知られプロに転向後は恐らく日本のトップランカーになって、デビスカップのメンバーに入り、日本の代表としてコートにたっていたはずだ。が、小学生の私はテレビを優先した!何てもったいないことを・・・。それほど大切なテレビ番組って何だよ!ドラゴンボールか?今となっては覚えていない。
それでも平日の夕方~夜にかけてテニスに付いて行くことは減らなかった。単純に晩ご飯が無かったからかもしれないが。ただ、全く何もしなかった訳でもない。ラケットはあるしボールはあるしコートもある。条件は揃っていたため「ねぇ、教えてよ」と口を開けば母からのレッスンが始まるのは至極当然のことだった。別に母は学生時代の経験者ではない。でもメンバーと楽しくゲームができる程度の腕前を持っていた。いつ覚えたのかは謎だ。母としては「こんなに楽しいこと、息子にもやらせたいな」ぐらいにしか思っていなかったと思う。何となくボールを打ち返せるようになるまでにそれほど時間はかからなかった。子供の順応性は高い。
当時は小学生の男の子と言えば少年野球チームに入団し、日曜日の朝からもしくは昼から練習をすると相場が決まっていた。私も何度か友達に誘われたが、断るセリフは決まっていた。
照「うーん・・・テレビが見られなくなるからいいや。」
日曜日の朝から見るテレビ番組って何だよ!今だと戦隊もの?ライダー?今となっては覚えていない。ただ、我が家にビデオデッキが導入されてから5年生の春に入団したのは内緒の話。
母「そんなに野球やりたかったの?」
少しさびしそうに話す母を背に、日曜日の朝からバットとグローブを持って出かける息子には母の姿は見えていない。
2年間の少年野球の活動が終わると小学校も卒業する。当然、中学校では何部に入るのか友達同士での話題になる。野球仲間でも進路はそれぞれだ。
「野球部」
「柔道部」
「バレー部」
「サッカー部」
「陸上部」
照「うーん・・・テレビが見られなくなるからいいや。」
とはならず、「テニス部」を選ぶ。そこはぶれずに一択だった。過去記事にもあるとおり3年間やり遂げた。高校時代は残念ながら途中で別の道を選んだわけだが、テニスをしたい気持ちがなくなったわけではない。吹奏楽部に入部してからテニス部の顧問に退部届けを出したすぐくらいの頃、母に相談したことがある。
照「ホントはもっとテニスを続けたかった・・・」
母「そう?だってあんたゲームセンターに行ってたでしょ?」
照「(ドキィィィィッッ!!)Σ(;゚ω゚ノ)ノ」
母「ピアノも辞めちゃったし、何かすれば?」
照「バイトは部活の練習があるから難しいなぁ」
照&母「・・・あ!」
受験生になる前の半年間ほどは、水曜日にラケットを持って登校することができた。感謝しかない。そんな母は膝を悪くしてからはランニングやマシントレーニングを続けていた。今ではバレエを習っているらしい。とても楽しいらしく「あんたもやればいいのに」とすすめてくる。いや、それはカンベンして。
私の娘も小さい頃は色々やりたいと言っていたが、最近は「相撲」のようだ。
娘よ、スマン。近所に土俵は無い。
---終わり
(照)
moniswitch
今お使いの離床センサーがそのまま使える!
離床センサーのスイッチ入れ忘れ事故を防止する
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ASSE/CORPA
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「できたらいいな」を「できる」に
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株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業