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ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

アニキの教え

2012-09-28 10:35:07 | 日記
「大富豪アニキの教え」(ダイヤモンド社)を読ませて頂きました。

アニキこと、丸尾孝俊さんは1966年、大阪府で生まれ、3歳で母親と離別。食べるものに困るほどの「極貧」時代を過ごす。中学を卒業後は、「看板屋」に住み込みの「丁稚」として就職。
その後、運送会社や、吉本興業(株)などを経て、20代後半で、単身インドネシアのバリ島に渡り、事業を開始する。
多くのインドネシア人にお金を貸しているうちに、気がつくと「自分がほぼ無一文」に。そこから、奇跡の大逆転をし、「不動産デベロッパー」として大成功。
バリ島での資産は圧倒的で、現地関連会社29社を所有し、現地人従業員は5300名を超え、自宅がなんと25軒、さらに800ヘクタール(東京ドーム170個分)の土地を所有する世界レベルのウルトラ大富豪。その「資産」は、「ありすぎて試算できないレベル」。
地元の人々に、学校、病院、サッカー場などを寄付するだけでなく、アスファルトの舗装、伝統芸能の楽団を維持・運営するための資金を援助、52人の孤児の「里親(経済的なすべての援助をする)」になるなど、今でも、困っている人には惜しみなく手を差し伸べる。現地の人からは「兄貴」「マルさん」「ボス」などと呼ばれ、慕われている。

本の内容としては、平凡なサラリーマンが、アニキが住んでいるインドネシアのバリ島へ行き、アニキから成功するためのコツを聞くという設定になっています。平凡なサラリーマンの男性は架空の人ですが、アニキを訪ねた大勢の人の話を集約したものが本の内容となっている為、90%以上は実話となっているそうです。

アニキが平凡なサラリーマンに話をした内容を一部紹介させて頂きたいと思います。

アニキが第一に掲げているのは「つながり・縁・絆」
「やっぱり、一番、大切なんはな・・・「相手を自分ごとのように大切にする心」やねんて。なぜ「相手を自分ごとのように大切にする心が最も重要か?それはな、「自分がそうなら、人もそう」なんやて。「自分がしたいことは、人もしてみたい」んや。「自分が欲しいものは、人も欲しい」からなんやて、わかりますか?「多くの人が、おんなじ思いを持っている」ということなんやて。せやからな、なんでもかんでも、他人ごとではなく、自分ごととして、必死のパッチで共有してかかるんや。」

「「過去の諸先輩たちの努力があって、今の自分がある」ことに、ぜ~んぜん気づいていない人も、いっぱいいてるやろ。おじいちゃん、おばあちゃん、ご先祖さんがな、そら、必死のパッチで、「さらによくしてから、タスキをつないできていただいたおかげ」で、今の自分があることに、まったく気づいていないんやて。自分一人の力で、今の生活を手に入れたような顔をしとるんや。そんでな。もし、オレらが必死のパッチでがんばることをせずにな、自分たちのところでさらによくして、次の世代にタスキを渡さなかったら、人類はどうなってしまうんや?「こうやって生きたほうが幸せだ」「こうやって考えたほうがもっとよくなる」ということを、伝えられなかったらどうや?進化の歴史がそこで止まってしまうやろ?それって、人類の危機やねんて。日本の危機やねんて。進化しない生物はな、みな、滅びてしまうんや。せやからな、オレが、次の世代がよくなるように伝えるタスキはな、「日本人の原点を取り戻すこと」やねんて。これがなくなったら、日本人が日本人でなくなってしまうんや。本当に、世界に誇れるな、「和をもって貴しとなす」、やさしい日本人を、「相手を自分ごとのように大切にする心(=つながり・ご縁・絆」を持った日本人を、取り戻さなくてはならんのや。」

また、ライバルを持つことの大切さも語られています。
「ライバルがおれへんかったら、自分が上に上がりっこないんやて。それにライバルがおらんと知恵がつかんわ。どっちか一方が勝ちまくっていては、実はアカンねんて。ずっと一人勝ちしているとな、いつか、バコーンと一気に衰退してしまうんやて。それは、「競争状態」じゃなくなるからや。お互いに知恵がついていってな、両方が上がったり、下がったり、競争している状態が「シーソーが機能している状態」で、それを保つことが肝要なんや。」

平凡なサラリーマンが三度バリ島へ行ってアニキから話を聞き、アニキの話の内容を実行して、大成功をおさめる、というストーリーになっています。

ストーリーの内容が読みやすく、楽しみながら読めました。バリ島の美しい景色、住んでいる人々、建物、食べ物等を伺い知ることができました。

他国へ行って、自分たちだけが豊かになるということだけでなく、現地の人々に奉仕し、豊かさを与えているアニキの姿に感動しました。

年を重ねることによって、後世、時代を担う人々に向けて、伝えるべきものを何か持って行きたいですね。(横)


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ダイエット

2012-09-27 12:24:59 | 日記
9/9(日)の夜、いつものように体重計に乗ると、3ケタの数字(少数部は含まず)が表示された。

入社以来、80~99の間を行ったり来たりしていたが、100kgになったのは大学浪人中以来のことで、久しぶりに見る3ケタの表示には衝撃を受けた。99kgも100kgも実際の重さに大きな差は無いが、精神的なインパクトはだいぶ違う。

このところ、徐々に体重が増えていて、そろそろ止めないとと思いつつ、とうとうこの日が来てしまった。さすがに、どうにかしないとまずいと言う危機感から、この日を境に、(本当に)ダイエットを開始した。

これまでも、摂取カロリーには注意してきたつもりだった(例えば、これまでは、スーパーのお弁当バイキングで、ご飯はほんの軽く一杯、+ 魚や肉を少しづつ + サラダ と言った感じで、糖質を控えつつ栄養バランスも考えた食事をしてきた)が、全く効果がなかった。なので、今回は昼食をおでんにする事にした。

こんにゃく、しらたき、昆布、大根、卵 + おにぎり1つといったメニューである。何を食べても、腹7~8分目を厳守できれば、絶対に減量は成功するのだろうが、自分の場合、食後の満腹感がないと満足できない(そもそも、8分目がどこなのかわからない...)。その点、このおでん作戦は、カロリー控えめで満腹感が得られる。ちなみに、ある日のお昼のメニューは以下の通り。
  こんにゃく 9kCal
  しらたき 6kCal
  卵 80kCal
  大根 9kCal
  コンブ     1kCal
  ロールキヤベツ   50kCal
 おにぎり      200kCal
 --------------------------------
合計        355kCal

以上のメニューとストレッチ等の軽い運動(30分程度)を(毎日と言いたいところだが、)1~2日おきに、1週間続けたところ、早速2kgほど減った。今までであれば、2kg減った時点で気が緩み、次の1週間で3kg太るといった事を繰り返してきた。

今回は危機感が強く、今のところ、気の緩みは無いが、いかんせん、毎日変わり映えの無いメニューにだいぶ飽きて来た。

後、1週間、続けられたらまた、体重が減り楽しくなるはず。今回はこれまでの繰り返しにならないように、がんばりたい。(井)


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届け!!!

2012-09-26 11:29:51 | 日記
9月の3連休に、仙台で行われたAIRJAM2012というフェスに行ってきました。

AIRJAMとはHi-STANDARD(以後「ハイスタ」)というパンクロックバンドを中心に企画されたフェスで、今までは都市型フェスとして開催されていました。

ハイスタ自身が2000年以降活動を休止していたためAIRJAMも休止となっていたのですが、東日本大震災の復興支援とハイスタの復活によって2011年には横浜スタジアムで、そして2012年は仙台で行われたフェスのことです。

このハイスタというバンドは私が大学時代に趣味でバンドをやっていた時にこれでもかというぐらいCDを聞きまくったバンドで、熱狂的な若者には神のような存在のバンドでした。

大学時代、音楽活動はしていたのですが、ライブを見に行くことはほとんどなく、社会人になってライブを見に行きだしたころにはハイスタは活動休止となってしまい、一度も見ることができなかったバンドでした。

そのハイスタが復活!しかも復興支援のために仙台で!!ということでこれは行かねばということで結婚してからは控えめにしていたフェスだったのですが、何の迷いもなく参戦してきました。

以前のブログでも少し書いたのですが、私自身高校時代に阪神大震災の被害にあい、本当に地獄のような火の海や倒壊した建物を実際に体験し見てきました。

実家は今も神戸なので年に何回か帰りますが、今では震災があった街ということは誰かに言われないと全く分からないぐらい繁華街も住宅街も復興してにぎわっています。

今回は妻もいたこともあり、ただ見に行くだけでなく観光もかねてと思い松島に行くことにしました。

松島は大小260ほどある諸島をさしていうのですが、その地形が防波堤的な役割をしたこともあり街自体はそれほど大きな津波の被害はなかったようでした。

ただ当日宿泊した旅館も当日は1メートル以上浸水したり、遊覧船も何隻かは流されてしまいし一か月以上運航もできなかったりあまりニュースには出てきていませんでしたがかなりの被害があったようでした。

さらに、初めて行ったのでわかりませんでしたが、文化財になっていた諸島のいくつかは津波により崩れてしまうなどの被害が海の上ではあったようです。

ただ今回見た限りでは、松島周辺に関してはほぼ震災前と同様の経済活動が行われているようにみえました。

とはいえ、今回の震災で多くの企業や住民が建物の修理や震災後収入がない状態があったりで、いわれてみないと外からは見えない苦労が多くあったのだと思います。

私の実家の神戸も震災時、半壊となり修理にウン百万円かかったそうなのですが、国からの見舞金は10万円。地震保険に入っていないのが悪いといわれればそれまでなのですが、もう少し何とかならないのかなと思った記憶があります。

今は別に直接お金をばらまくのがいいとは思わないのですが、被災地での国の仕事に関しては被災地の企業を優先するとか、観光で仙台方面に人がいきやすくするなど(調べていないので既にあったらすみません)したらいいのではないでしょうか。

今年のお盆には天橋立に行って感動したのですが、松島も日本三景といわれるだけあってどうしてこのような地形になったのだろうと不思議な場所でとてもきれいでした。

是非皆さんも行ってみて現地の状況を見てきてください!!

で肝心のフェスはどうだったかといいますと、私が好きなバンドがハイスタ以外にも出ていて楽しかったのですが、ハイスタが出てきたときの雰囲気は今までのどんなフェスでも味わったことがない不思議な雰囲気でした。

周りにいるのは、若者もいれば私と同年代で子供を連れた人もいるという年代は様々な人たちだったのですが、ハイスタが出ている間は会場が一体となって一つの方向に向かっているような感覚を覚えました。

その空間にいた人たちのどれだけが復興に対しての意識や震災に対しての思いを持っていたのかはわかりませんが、フェスの前後は仙台駅周辺でもフェス目当ての人たちが宿泊したり飲食店に行ったりしていたし経済効果としては大きくはないですがきっかけの一つにはなっているのだなと実感しました。

今の日本は震災だけでなく経済もなんだかパッとしないですが、みんな無駄は省くとしても節約節約方向ばかりでなく、このようなイベントのようにお金が回る方向でみんなが動いていけばいいのになーとふと思ってしまいました。

タイトルの「届け!!!」はハイスタが今回のフェス開催について初めてツイッターで情報を出した時のワンフレーズです。今回の仙台でのAIRJAMは届いたと思います!!(の)


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献血に行こう

2012-09-25 09:58:32 | 日記
 初めて献血したのは20歳のとき。成人式の会場に「二十歳の献血キャンペーン」で献血車が来ていて、何となく献血をした。それからは、面倒なこともあり、わざわざ痛い思いをしなくてもという思いもあり随分長い間献血に行くことはなかった。

 献血が復活したのは、上の子供が小学校に入ってから。参観日に合わせて学校に来る献血車で献血をした。PTAが献血活動を推進していたため、半分お付き合いという面もあったが、家族や自分がいつお世話になるかも分からないという思いも強くなっていたせいもある。

 復活して以降は、習慣化したせいもあり、年の上限まで必ず献血を行うようにしている。いまだに針を刺されるときの痛みや、血を取られているときの感覚は正直好きではないが、血を取られてまたそれが再生されていくことが、体をリフレッシュしてくれているような気がして、続けることができているのかもしれない。

 献血手順をざっとレポートしてみよう。私はだいたい横浜東口の献血センターを利用している。まずは受付を行い住所、氏名、生年月日等を記入する。献血手帳を作っていれば、ここは自動的に処理され、変更が無いかだけを確認される。問診票の用紙を機械にセットし、タッチパネルで病歴や過去の渡航状況などの質問に答えていく。全部の回答が終わると、問診票が印刷され、それを再度受付に持って行き、呼ばれるのをじっと待つ。

 次は医師の問診。ここで血圧の測定や、睡眠時間等々の問診が行われる。何故か血圧を測定するときに緊張してしまい、いつも若干高めに出てしまうが、許容範囲のため問題なく通過出来る。次にヘモグロビン濃度の測定。少量採血され、貧血の心配が無いかどうか検査が行われる。女性の場合、せっかく献血に来ても、この検査でひっかかり献血出来ないケースが比較的多いらしい。

 ヘモグロビン検査を無事通過すると、ここで副作用予防のための水分の事前補給とクッキーなどの軽食。準備が完了するといよいよ献血開始。歯医者さんにあるような椅子に座り、氏名などが再確認され採血が行われる。400mlの献血であれば、椅子にセットされているテレビをのんびり見ながら、15分もすると採血が終わる。

 採血終了後は、飲み物やアイスを食べて少しの時間ゆっくりと過ごす。ここで体を十分に休めておかないと、貧血を起こしたりして倒れるなど、思わぬ事故を起こしてしまう可能性もある。最近はいろいろと条件が厳しくなり、献血後に貧血症状等が3回発生すると、それ以後献血が出来なくなってしまうそうだ。献血に行って輸血をしてもらうというのも、笑い話だけではない。

 いつも行っている献血センターの様子を説明したが、サービス等については、献血センターにより異なっているようだ。献血センター巡りをしてみるのも一風変って、面白いかもしれない。献血センターに行って思うことは、女性ばかりが目立って、男性、特に若い男性の姿をあまり見ないこと。女性の場合上述のように献血したくても献血出来ないケースも多い。男性たちの積極的な参加を期待したい。(菊)


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会話

2012-09-24 08:29:02 | 日記
 普通に生活しているだけで、身の回りのモノはどんどん増える。だから年齢とともに自分のモノが周囲にあふれることになる。かなりストイックな生活をしている人でも1年も生きればかなりあれやこれやとモノが増えるはずだ。人はこのうず高く積もる「自分のモノ」をどう整理して生涯を終えるのだろうか。
 
 父が亡くなった時、私はすでに実家を出ていて、しかも単身赴任中の身だったため、父の残した様々なものを整理した経験がない。特にこれといった趣味を持たない人だったから趣味の道具がたくさん残ったという事もなかったはずだ。もう誰も読まないような、ほこりが積もった茶色い紙の本ばかりが大量に残っていたかもしれないが、父の葬儀から数カ月後にまた実家に帰った時には、すっかり無くなっていた。
 
 先週、友人の父上が亡くなり葬儀に参列した。医者に診てもらった時にはすでに末期の癌だったそうで、宣告されてから半年で亡くなったと聞いた。本人も家族も覚悟の半年だったようで、自分で自分の後始末をしっかりやり尽くして亡くなったという。通夜の夜に行くと、子供の頃遊びに行くと見せてくれた笑顔と変わらない優しい顔で静かに寝ていらっしゃった。残された時間の中でやるべきことをすっかりし終わった満足の表情だったのだろう。
 
 モノが多い時代だ。食料に限らず形あるものはほとんど消費されて行く。消費されずに残ったものは次代に残す遺産とはみなされず、ただゴミとして捨てられる。どのぐらい残るのかわからないが、残るのは結局形を持たない思い出ばかりだ。人と繋がることもなくモノばかりに埋もれて生活した人には、実は後始末が大変なゴミ以外何も残さない結末が待っているかもしれない。せめて生きているうちに少しでも身の回りのモノを片付けて自分が亡くなった後の誰かの苦労を軽くしておこうと通夜の線香に火をつけながら考えた。
 
 これからはディジタル化された思い出がネット上に残る時代を迎える。そこに残っている電子化された記号こそ人生の真実であったように解釈する人も現れるだろう。電子的な場で取り交わされた言葉の数々こそが人との交流であると考える人も増えていくだろう。現実世界ではいずれゴミとなるモノに囲まれ、ディジタル化された人々との交流の世界でのみ生きていく人がどんどん増えていく。このネット世界では「自分のモノ」を自分で整理するすべが用意されていない。すでに消費されて過去のものとなった様々な記録が捨てられることもなくアクセスしようと思えばいつでもアクセスできる状態で保管されていく。すでにこの世にいない人と会話しているような錯覚を引き起こすことも当たり前にできる時代が来るだろう。
 
 目の前にいて同じ時代の空気を一緒に吸いながら生きている人たちと生(なま)の声で交わす会話がいかに大切なことであるか、人との直接的な関わりを通して残る思い出の数々がいかにかけがえのないものであるか、あらためて考えた。捨ててもいいようなモノはできるだけ整理し、できるだけたくさん会話してやろう。(三)


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