本日のエントリー関連のとある場所にまずはお参り・・・。
谷地館跡(遠野市綾織町)・・・遠野遺産
○宝徳合戦と金成右京大夫政実・・・金成淵
谷地館主、宇夫方守儀の時代、宝徳2年(1450)隣国葛西領気仙郡東山の金成政実が率いる軍勢が突如として綾織谷地館を攻撃する。
谷地館の宇夫方氏は遠野でも富裕の武家であり一族郎党も多く、不意の攻撃をよく凌ぎ、さらに鱒沢氏、宮森氏が谷地館救援の援軍を差し向けたので、葛西勢は攻めあぐねて籠城戦となった。
籠城戦となるや葛西勢は山谷川をせき止めて館を水攻めとするが、達曽部民部、稗貫大迫の大迫掃部が大軍を率いて来援すると谷地館側も力を得て反撃に移り、寄せ手の大将金成右京政実は討ち取られ、葛西勢は散散に敗れて敗走したといわれる。
この時、政実の嫡子、松千代は13歳の初陣であったという・・・・。
敗走途中に遠野方に討ち取られてしまったという。土地の人々はその死を憐れみ墓を作って弔ったという・・・。
後日、その母親が松千代の墓参りに来たというが、悲しみのあまり猿ヶ石川の淵に身を投げたと伝えられる。
猿ヶ石川・・・綾織町札場橋から上流方向
さて、金成右京大夫政実の奥方が身を投げたという淵は・・・・ということになりますが、小生の母親や叔父の話によると、アイオン台風で水害が出る前までは、猿ヶ石川は現在の堤防の南側を流れていたそうで、日影橋の南側袂を流れ、山際を通って現在のゴミ処理場辺りも川原であったという・・・。
母親の母(私からすれば祖母)は新田の出身で、母親が子供の頃に新田に行く際は、山道の下部に猿ヶ石川を見ながら新田に行ったそうです。
途中、流れが渦巻く淵があって、その場所が地元では金成淵と呼ばれていたそうです。
この淵の上部山中には戦いで亡くなった武士の鎧を埋めた塚があるとか、一説には寄手の大将、金成政実の鎧ともいわれている。
綾織町新里日影地区・・・山際を川が流れていた。
旧河川跡
綾織町新里、西風館・・・右手の道路は旧国道283号
ビニールハウスの辺りは猿ヶ石川が流れていた。
その名残
ということで、ここまで来たので遠野遺産である「西風館跡」はどうなっているのかと気になり訪ねて参りました。
遠野遺産ということで、若干人が出入りしただろう雰囲気がみられますが、小生のような城館跡マニアや研究者、そして地元の山稼ぎの人達のみ、年間10名未満が訪れるだけではないのかな・・・なんて思ったりして・・・。
標識のある場所は館跡の東端部分ですが、本来は・・・・
こちらが正面といいますか、力攻めの場合はこちらから・・・冬枯れの季節、早春の頃は斜面に張り付く幾えもの段差、帯廓が見えると思います。
さて、本来は本日、こちらへお邪魔しようかな・・・と考えておりました。
松崎町光興寺宮代・・・元八幡宮例大祭
こちらのお祭りに行こうと思ったのですが、どうせならイカ焼きを肴に生ビール片手に郷土芸能やら出し物を楽しみたいが本音、しかし、嫁さんは仕事で送迎は叶わず、では歩いていくべ・・・と思うも面倒になって取りやめといたしました・・・汗・・・来年は是非にお邪魔したいと思ってます。
宮代ついでに・・・
宮代ご出身でフランスにお住まいの女性からお土産をいただく・・・謝
なんでも仏国の鯖缶で、マスタード味とか、白ワインと合いますよということで・・・・。
でっ・・・たまたま白ワインがありました・・・笑
「う~ん・・・こまんたれぶっ~★■●▽△らセーヌ・・・おっぉぉシャンゼリゼ・・・」・・・なんともいえないはじめての味・・・これは行ける・・・そこで母親にも勧めると・・・・
「ありゃ、いい色っぺの粕漬けだごと、鯖の粕漬け、こりゃいい・・・」
「フランスに粕あるわげねぇべ」
「ほだじぇなぁ・・・奈良漬だなこりゃ・・・」・・・大汗
大騒ぎな夕食となりました・・・笑
谷地館跡(遠野市綾織町)・・・遠野遺産
○宝徳合戦と金成右京大夫政実・・・金成淵
谷地館主、宇夫方守儀の時代、宝徳2年(1450)隣国葛西領気仙郡東山の金成政実が率いる軍勢が突如として綾織谷地館を攻撃する。
谷地館の宇夫方氏は遠野でも富裕の武家であり一族郎党も多く、不意の攻撃をよく凌ぎ、さらに鱒沢氏、宮森氏が谷地館救援の援軍を差し向けたので、葛西勢は攻めあぐねて籠城戦となった。
籠城戦となるや葛西勢は山谷川をせき止めて館を水攻めとするが、達曽部民部、稗貫大迫の大迫掃部が大軍を率いて来援すると谷地館側も力を得て反撃に移り、寄せ手の大将金成右京政実は討ち取られ、葛西勢は散散に敗れて敗走したといわれる。
この時、政実の嫡子、松千代は13歳の初陣であったという・・・・。
敗走途中に遠野方に討ち取られてしまったという。土地の人々はその死を憐れみ墓を作って弔ったという・・・。
後日、その母親が松千代の墓参りに来たというが、悲しみのあまり猿ヶ石川の淵に身を投げたと伝えられる。
猿ヶ石川・・・綾織町札場橋から上流方向
さて、金成右京大夫政実の奥方が身を投げたという淵は・・・・ということになりますが、小生の母親や叔父の話によると、アイオン台風で水害が出る前までは、猿ヶ石川は現在の堤防の南側を流れていたそうで、日影橋の南側袂を流れ、山際を通って現在のゴミ処理場辺りも川原であったという・・・。
母親の母(私からすれば祖母)は新田の出身で、母親が子供の頃に新田に行く際は、山道の下部に猿ヶ石川を見ながら新田に行ったそうです。
途中、流れが渦巻く淵があって、その場所が地元では金成淵と呼ばれていたそうです。
この淵の上部山中には戦いで亡くなった武士の鎧を埋めた塚があるとか、一説には寄手の大将、金成政実の鎧ともいわれている。
綾織町新里日影地区・・・山際を川が流れていた。
旧河川跡
綾織町新里、西風館・・・右手の道路は旧国道283号
ビニールハウスの辺りは猿ヶ石川が流れていた。
その名残
ということで、ここまで来たので遠野遺産である「西風館跡」はどうなっているのかと気になり訪ねて参りました。
遠野遺産ということで、若干人が出入りしただろう雰囲気がみられますが、小生のような城館跡マニアや研究者、そして地元の山稼ぎの人達のみ、年間10名未満が訪れるだけではないのかな・・・なんて思ったりして・・・。
標識のある場所は館跡の東端部分ですが、本来は・・・・
こちらが正面といいますか、力攻めの場合はこちらから・・・冬枯れの季節、早春の頃は斜面に張り付く幾えもの段差、帯廓が見えると思います。
さて、本来は本日、こちらへお邪魔しようかな・・・と考えておりました。
松崎町光興寺宮代・・・元八幡宮例大祭
こちらのお祭りに行こうと思ったのですが、どうせならイカ焼きを肴に生ビール片手に郷土芸能やら出し物を楽しみたいが本音、しかし、嫁さんは仕事で送迎は叶わず、では歩いていくべ・・・と思うも面倒になって取りやめといたしました・・・汗・・・来年は是非にお邪魔したいと思ってます。
宮代ついでに・・・
宮代ご出身でフランスにお住まいの女性からお土産をいただく・・・謝
なんでも仏国の鯖缶で、マスタード味とか、白ワインと合いますよということで・・・・。
でっ・・・たまたま白ワインがありました・・・笑
「う~ん・・・こまんたれぶっ~★■●▽△らセーヌ・・・おっぉぉシャンゼリゼ・・・」・・・なんともいえないはじめての味・・・これは行ける・・・そこで母親にも勧めると・・・・
「ありゃ、いい色っぺの粕漬けだごと、鯖の粕漬け、こりゃいい・・・」
「フランスに粕あるわげねぇべ」
「ほだじぇなぁ・・・奈良漬だなこりゃ・・・」・・・大汗
大騒ぎな夕食となりました・・・笑
遠野遺産の中では見た目と実際の役割が結びつきにくいだけに、その重要さをより分り易く伝えていければ・・・その適任者はとらねこさんを置いて他にいないのでは・・・
粕漬けか奈良漬けか、論争飛び交う謎の鯖缶!
容器のイラストがいいなぁ~
どっかで見たことある黄色いパッケージ・・・ワタクシ勝手にショコラの類かとおもてましたら、なんとナント(w
ならい。。。読めんです。はい
ワタクシも前を通りながら看板だけデジッてスルーしました_| ̄|○
そうですよね「西風館」と書いて「ならいだて」そうは読めませんよね。
遠野遺産、これに申請、認定されることで荒れ気味だったその場の環境整備やら観光客にもやさしい施設整備ができるといったメリットはありますが、館跡のようなただの山ですと、そうはいきませんし、入口に看板があっても何がなんだかわからない場面も多いと思います。
説明板の設置も必要かと思います。
それと遠野遺産ガイドなる専門スタッフも養成も必要ではないのか?・・・なんてね・・・笑
アルエンさんからのお土産、ありがとうございました。
通い人さん達は、隠れた遠野を発見する方々が多いですが、そのうちにネタ切れとなりましたら、館跡含む別な意味でディープな世界へも足を踏み入れましょう・・・笑
山登りと遺跡探訪、さらに野生動物、おまけに歴史もわかったりして、一粒4度美味しい南蛮味噌となるかもしれません・・・意味不明・・・汗
この分野は、まずはそのうちに・・・・。
お母様のコメント
粕漬け、奈良漬いいですね。
美味しそうで賑やかでとってもいいですね。
マコンヴィラージュですかっ!
鯖缶のために開けさせてしまったようで申し訳ない事をしてしまったような。。もしかしてエスカルゴなんかが良かったかも?。。ふふふ
お母様の仰るとおり粕漬けに似てますね。
私もそう思います。
だから日本人の口にあうのでしょう。。
ところで・・
宮代出身は私の『母』です。
松崎小学校の。。笑
理屈抜きにぐっとくるものがあります。
川の流れも大きくかわってるんですね。
旧流路をたどるのもいいですね。
さて、仏蘭西の魚缶詰、ルネッサーンスという感じ?、これもまた興味津々といったところです。
田舎丸出しの我が家の夕食の雰囲気をお伝えしましたが、鯖缶はマスタード味、母親にはマスタードの味がどんなものか初体験だったかもしれません。
洋風粕漬が最後の印象だったようです・・・笑
この度は御心遣いありがとうございました。
エスカルゴ・・・・どうぞお気を遣わないでくださいね・・・母親はそれみたらぶったまげること疑いなし・・・です・・・笑
はい、宮代ご出身のお母さん、了解です・・・笑
こういった戦いでの逸話には、悲話がつきものといった印象ですね。
ことに敗れた側には・・・・。
川の流れ、今現在の雰囲気からは想像もできない場所を流れていたこと、見る風景こそ、そんなに大きく変ってはいなくても中世や江戸期の雰囲気とはだいぶ違うのだろうな・・・と時折思います。