平成21年11月3日(火) 午前10時
法門山福泉寺五重塔にて
遠野郷しし踊りの元祖、駒木鹿子踊保存会が結成されて50周年となった。
12時30分から記念祝賀会が護摩堂客殿にて開宴予定であり、その前段でしし踊りの披露、奉納が午前10時より2時間の予定で行われました。
前日には遠野地方に初雪が・・・この日も青空はみえるものの、かなり冷え込んで寒い日となり、時折雪が舞う・・・。
遠野で唯一の五重塔を背景に遠野郷しし踊、まずはほとんど見ることがない光景です。
今後も見られるかどうかも不明、駒木鹿子踊の55周年、60周年の記念に見れるかどうか?
当ブログでは一度だけ告知エントリーをしておりましたが、今回は五重塔との組み合わせもさることながら、普段みられない演目がじっくり踊られております。
女鹿狂い、柱掛り、案山子踊り・・・
遠野郷しし踊りではリズム、テンポが一番遅いとされる駒木ししですが、いつもより少し早かったような?・・・実は後で関係者に聞くと、テンポが極端に遅くなったのはここ十年位だとか?以前は遅めのテンポながらも、演目によって早いところは早く、遅いところは遅いということらしい・・・太夫達の力量が左右されるとのこと・・・なるほどと納得・・・。
どおりであまりにも遅いテンポに違和感もあったのも事実で、そのせいかいつもの踊りとは違って生き生きしており静かで重厚な駒木ししながらも、躍動感も少し感じられた、良い踊りでもありました。
何度も言いますが、他団体のように飛ぶ、跳ねるといった躍動感はない、小耳にはさんだり、あるブログの記事にもあった「駒木しし踊りはつまらない・・・」・・・見る人によってはその感じ方もそれぞれ、また小生のように地元のしし踊りを贔屓目に見ること、これもありだろう・・・しかし、元祖としての誇りと数百年守り通してきた伝承としての踊り、ほとんどアレンジもなく中野角助が3百数十年前に伝えた踊りをそのままに受け継いでいること、このことは大いに誇らしげにして良いと小生は思います。
しし踊り、ただ勇壮で躍動的であることに加え、優雅である・・・これも必要だと改めました思ったところです。
いずれ、最高のロケーションでの踊り、これを見ない手はなかったと思いますよ・・・笑
撮ったり・・・笑
引き続き祝賀会
何度か保存会事務局長さんから、祝賀会の打ち合わせ会議の案内をいただいておりましたが、何故か会議の日は全て小生の勤務日・・・。
一応、数日前にいつも通りカメラマンをしてくれとの依頼、得意分野ではないが、カメラは持っているし、嫌いでもないので引き受けることに・・・・。
さて、祝賀会では乾杯辺りまでカメラ撮りをして、何処か席が空いていたらちょっと座って何か摘まんでから帰ろうと考えていた。
ところが受付で名簿をみると小生含み実行委員が5名、肩書は実行委員となっていて、他の方々はカメラ撮影している間にテーブルを並べたり裏方の仕事や受付をしていたらしい・・・てっきりカメラマンだけの役目とばかり思ってましたが、きちんと席もあって、どうやら片付けの任もあるとのこと、ということで最後まで会場に残ることになり、仕方ないので呑むことに・・・・笑
結局、しし踊りを踊る若手グループが二次会に某お宅へ行くとのことで、小生も誘われお邪魔することに・・・・なかなか普段は聞けないしし踊りの裏話や意気込み等、詳しく聞くことができて良かったです。
が・・・しかし・・・すっかり酔ってしまって後半部分は記憶が飛んでいる・・・汗
覚えているのは家に帰ってきて久しぶりに嘔吐したこと・・・翌日は具合が悪くまたもや寝たり起きたり・・・汗
しばらくは飲会はご遠慮いたします・・・笑
本田遠野市長さんと太田三治翁
駒木鹿子踊の大師匠、太田翁・・・・。
十年位前の遠野まつりポスターの顔となり、遠野郷しし踊りの代名詞となった御仁。
寒い中、たいへんお疲れ様でした。
言って下さいよぉ~急いでビデオ予約だわぁ~
50年の歴史に凄さを感じます。それも五重塔の前でなんて、凄いですよね♪
簡単に見てコメントするの、申し訳ない気持ちです。
遠野でロケされたドラマですね。
普段あまりドラマなんか見ませんのでお知らせしませんでした・・・謝
50年は保存会のお話、中身は400年近くの伝統といわれております。
この全ての名所とらねこさんは、わかってるんでしょね?
伝統は、字のごとく伝えて継いで行く事が大事。なかなか古き伝統は、減って行くばかりで・・(悲し)
こちらの方も、そうなのです。
仰せのとおりですね。
失われてしまう・・・わかっていてもなかなかという場面もあり、難しいですね。
五重塔の前でしし踊り。
ぜったいここで見られると思っておりました。また、あちらでも。ありがとうございます。
でも、行きたかったですね~。
ただ、五重塔全体を入れての撮影は難しそうですね。
ん~、次回は・・・・(^_^;)
すばらしい歴史のある土地なんですね。
うちの田舎にも安久津八幡の三重塔があり
舞をやっているようです。
ところで、丸に九曜紋の家紋が多々見えますが
由来はあるのでしょうか。
てっきり来られるものとばかり思ってましたので残念です。
おそらく遠野のしし踊と五重塔という組み合わせは、ここ数年みられるものでなく・・・というよりおそらくこの先もみられない可能性の方が大きいと思います。
ですからせめて遠野プロガーの皆さんやしし踊り愛好者、市内のカメラマンの方々だけでもと思いまして、一回だけ告知させていただきました。
あまり多くのカメラマンに来られても色々と不都合もありますしね・・・といいながらもやはり広く知っていただきたい、いいものは共有という意味もないわけではなく、まさに今回の駒木鹿子踊は最高でした。
五重塔全体と鹿子踊の構図も一応撮りましたよ、縦ですが、これは例の○○用です・・・笑
いずれちょっと残念でした。
お越し及びコメントありがとうございます。
さて九曜紋・・・
遠野の江戸藩政時代は南部家の時代、遠野は八戸から移封となった南部一族の遠野南部氏の領地で家紋は南部鶴(南部双鶴)ですが、裏家紋が九曜紋ということで、領主に踊りを披露した際に家紋使用の許可をいただくも南部鶴では恐れ多いということで裏家紋の九曜紋を授かったと伝承されております。
簡単ですがこういったいきさつが語られております。
ございます。
南部家の裏家紋ですか、丸を付けるのも意味があるようですが
やはり風格を感じます。