ここ半年は、エントリーに3日は空けない考えでしたが、3日ほどご無沙汰してしまいました。
さて「遠野士族」・・・
只今、別家サイト「奥州虎猫舘・遠野南部氏物語」で準備中であります遠野士族一覧、数年前に遠野士族名簿のコピーを入手したのですが、その資料からPCに文字を打ち込んでおりますが、遠野には無い苗字が散見されます。
佐郷屋(谷)・島森・小軽米・懸田・欠下・富岡・女鹿・遊井名田・一條・・・・外・・・・・。
明治30年、遠野南部家の当時の当主である南部行義氏が男爵となり、これを機に旧家臣達による士族に復籍運動が起こり、明治30年12月から明治32年12月までの間に士籍に復した者、320人、さらに100人余りも認められて425人とされます。
そんな中、上記姓の旧臣、故あって遠野を離れなければならない事由や、姓名を変えなければならなかったこと、或いは後継が絶たれてしまったこと等が考えられますが、私のひとつの目標といいますか、将来成してみたいこと、そのひとつに遠野南部家臣の家系をできるだけ全家調べること、そして資料として残すことですが、まずはその前段として遠野士族名簿を分家サイトへ加筆中です、いずれなかなか難しいことでもありますがね。

おまけ
「醍醐」(だいご)
醍醐味という言葉がありますが、何ものにも変えられない楽しさ、本物の面白さを表現するとき頻繁に使われる言葉でもあります。
仏教(経典)では、牛乳を精製する過程に五段階があってこれらを五味というそうです。
最後の5段階目が醍醐味で、この最終の醍醐味が最高の味といわれ、醍醐をサンスクリット名称で「サルピス」というそうで、某メーカーの「カルピス」はここからくるとか・・・・。

とネネ先生が解説ということにします・・・笑
さて「遠野士族」・・・
只今、別家サイト「奥州虎猫舘・遠野南部氏物語」で準備中であります遠野士族一覧、数年前に遠野士族名簿のコピーを入手したのですが、その資料からPCに文字を打ち込んでおりますが、遠野には無い苗字が散見されます。
佐郷屋(谷)・島森・小軽米・懸田・欠下・富岡・女鹿・遊井名田・一條・・・・外・・・・・。
明治30年、遠野南部家の当時の当主である南部行義氏が男爵となり、これを機に旧家臣達による士族に復籍運動が起こり、明治30年12月から明治32年12月までの間に士籍に復した者、320人、さらに100人余りも認められて425人とされます。
そんな中、上記姓の旧臣、故あって遠野を離れなければならない事由や、姓名を変えなければならなかったこと、或いは後継が絶たれてしまったこと等が考えられますが、私のひとつの目標といいますか、将来成してみたいこと、そのひとつに遠野南部家臣の家系をできるだけ全家調べること、そして資料として残すことですが、まずはその前段として遠野士族名簿を分家サイトへ加筆中です、いずれなかなか難しいことでもありますがね。

おまけ
「醍醐」(だいご)
醍醐味という言葉がありますが、何ものにも変えられない楽しさ、本物の面白さを表現するとき頻繁に使われる言葉でもあります。
仏教(経典)では、牛乳を精製する過程に五段階があってこれらを五味というそうです。
最後の5段階目が醍醐味で、この最終の醍醐味が最高の味といわれ、醍醐をサンスクリット名称で「サルピス」というそうで、某メーカーの「カルピス」はここからくるとか・・・・。

とネネ先生が解説ということにします・・・笑
それから南部とは違いますが、十二ヶ村・栃沢という姓とか。
話は変わりますが、明治の世になって田畑を持たなかった家臣の方々は、そうとう苦労したんでしょうね。(阿曾沼から南部に移る際にも、盛岡や三戸等へ相当数の方々が移住しているようですし)宮仕えの悲哀を感じます。
そういえば江刺家と姓もありますね。
小軽米、女鹿は県北にありますが、三戸南部家にも同姓の家臣もありますから、県北にあった飛地に関連がありそうですね。
それと島森姓は新田氏の家臣として遠野へ移って来たようですし、こういった家臣も多かったと思います。
阿曽沼時代から南部時代、この時代の阿曽沼旧臣の件も懸案のひとつでもありますから、こちらも併せて取り組みたいと思ってます。
47歳になって、初めて父親に先祖に関して聞いてみました。話によると軽米というところにお墓があるらしいとの事で、『軽米・一條』であくセスしてこのサイトにたどり着きました。父親によると九戸軽米から開拓時代の北海道釧路へ移り住んでいる様です。北海道に移り住んでからのお墓は「熱田(アツタ)?」という所にある様で両方の墓参りをしたいと思っていおりますが、軽米の方の情報が全くが分からない状況です。何かご存知の事はございますでしょうか。ぶしつけですみません。
はじめまして、遠野在のとらねこと申します。
遠野南部士族に関しては、たいへん興味があって将来もっと調べてみたいと思っておりますが、現段階では誠に申し訳ございませんが、わかりかねます。
いずれ早期にご先祖様のお墓参りが実現できることをご祈念しております。
誠にすみませんです。
早速のご返事ありがとうございます。実は父親の兄弟(北海道の叔父)もそちらに出向き調べたましたが分からなかった経緯があります。難しいと思いますがこつこつやってみます。
本当にありがとうございました。
今回はお役に立てずすみません。
とりあえず手持ち資料やら市図書館にて、わかる範囲は調べてみたいと思ってますので、そちらでの調べに何か疑問等がありましたら、またコメント等いただければと思っております。
お役に立つ内容かはわかりませんが、ちょっとこちらでも調べてみたいと思います。
次回、コメントがあった場合、メールアドレスを貼り付けますので、その際に詳しくお伝えいただければと思います。