中央奥に頭だけみえるところが館跡
「糠森館」・・・山城
遠野市上郷町細越地内
標高480メートル・比高95メートル
館主・築時代不明
帯郭
上部に5段、北寄の中腹下に5段確認。
空掘
こじんまりとまとまった館跡という印象ですが、館全体を囲むように一重の空掘が残され、館の背部の峰を2重の堀で断ち切っている。
館跡の一番高い部分には土塁らしき遺構が確認でき、斜面に張り付く段差もよく原型を留めている。
堀切と土塁
2重堀
2重目空堀
館主不詳、館築年代は不明といった見解ながらも安倍時代とも考察されてますが、背部の堀切こそ2重ながらも斜面に張り付く帯郭等、その造りは遠野型規格をコンパクトにしたといった印象で、その遺構の残存度も良好であります。
本姓を菊池と伝えられる内城氏、その居舘は上郷細越の内にあったといわれる内城館で、その場所は何処なのか?、そんな思いから此処糠森館跡が怪しいのではないのかという思いで探訪をいたしましたが、館跡そのものは阿曾沼時代といった雰囲気がヒシヒシと感じられ、その遺構の残存度からも感じられます。
しかし、主郭部とされる館跡の高い位置は、館主等が生活できるようなスペースがなく、全て斜面となっている。
斜面の帯郭的な平場は幅2メートル程度と狭く、戦時に詰めるといった館跡だったかもしれません。
館跡下部は開けた平場が確認でき、近年に開墾されたものか?畑やら草地として利用されていた雰囲気も感じられますが、この場所に館主一家等が暮らした屋敷があったかもしれません。
館山下の平場
○糠森について
遠野の館跡を調べ上げた先人郷土史家によると、糠とは何かにくっついていて、それを取り去ったもの、すなわち玄米についているのが糠であり、砂には砂金やら砂鉄がついている。
さらに館跡の西方集落は「火尻」という地名であり、産鉄と関りある一族が住み着いたところではないのかと考察されている。
そして何よりも産金、産鉄の関りある伝承を残す館跡には樺の木があるとか、此処糠森館も大きな樺の木が館跡を示す目印と資料には記述されていますが、20年以上も前の調査時のこと、今回、大きな樺の木は確認していない・・・というか忘れておりました・・・汗
そしてもうひとつ・・・
先日、小友町の新谷館を探訪しましたが、資料には遺構に糠森とあり、主郭前面やら背部に庭園のような石を配置させた跡がみられましたが、このような部分を糠森という・・・と記述されております。
この石等はかつては産鉄、金の熔解炉としての役目があったものか、それについては記されていない。
館跡への入口付近から
左の山野は細越氏のかつての居舘「林崎館跡」・右の山野は本姓を菊池と称する切掛蔵人の居舘「大寺館跡」、同じ山野続きにはやはり菊池姓、平倉氏の居舘「刃金館跡」が残されている。
中央の集落は火尻、中央奥は物見山。
いずれ菊池一族は産金やら産鉄にも優れた一族であったとも語られ、本姓を菊池と称する内城氏もまたこれらに関りがあったものなのか?糠森館との関連は未だに不明ですが、その範囲は少しずつ狭まっていると感じております。
○おまけ・・・攻城記
上郷八日市のバス停からは右手一番奥の山野に一際目立つ山があり、そこが糠森館に違いないと考えていた。
また地形図やら空中写真でも確認済み、勢い勇んで山野に分け入り斜面を進むも、館跡らしい痕跡は皆無。
既に大汗を掻いて額の汗は滴り落ちるほど、さらに奥まった高い尾根を目指すもまたもや空振。
北側にはさらに高い山野が控え、まさしくそこに違いないと目指すも、斜面もきついが、辺りは背丈以上の笹藪だらけ・・・・良くみると至るところの笹竹が下方に向って倒れている箇所が多数ある。
獣が下った跡、獣道か?・・・・上郷の山城はこんな場面が結構あって、歩き難いのなんの、佐比内の太田館、来内の来内館、平倉の大寺館、細越の森下館・・・なんで上郷の山はこうなんだっ・・・と思いながら難儀して登っていると、何やら獣臭い・・・汗
脳裏をよぎるのは・・・・熊公だっ、熊公たちは笹薮に入って寝ているともいう・・・ここは撤退か、いやっ、間もなく山頂といったところ、此処まで来て・・・・。
倒れている笹竹
これはやばいかな?・・・なんて考えていると一際大きく周囲の笹竹が倒れているちょっとした平場に到着、此処はさらに獣臭い・・・なにやら動物の毛が落ちている・・・・汗
思わず・・・「し・ろ・く・ま・・・だっ」と叫んでしまった・・・汗・・・ホント・・・大汗
これ↓
割と固めの毛、白熊なはずはないですよね・・・笑・・・鹿類ですよね、カモシカか?
とにかく山頂にたどり着くも笹薮が酷くて南側へ少し下ると、空掘跡を発見、笹竹に覆われ写真には上手映らなかったが、まさしく空掘跡でした。
本日はこれで良しにして、来た斜面を下山していると先に林道を発見、どうせ帰るなら楽な道をと思い先を進むと開けた場所に出る。
そこが4枚先の画像のところ。
その上に山野があって、斜面をよく見ると段差が結構確認でき、それで今回の糠森館を発見といった経緯です。
なんのことはない、笹薮だらけの山頂を北側に下って50メートルも行けば館跡背部の2重の堀切に至ったはず・・・・是より下は杉林で結構歩きやすかった。
大汗掻いての上り下り、さらに獣の気配に恐怖しながら、最後は遺構ひとつを見つけるも探訪したことにしての撤退が思わぬ方向へ・・・・いずれにしましても大変疲れました。