日中には青空が広がり、雪もだいぶ融けたようでもあります。
定番スポット・・・早池峰古参道跡の鳥居

伝承園と天ヶ森

雪がちょっと多めに降ったとしても、また吹雪になろうとも、2月も下旬、春の足音が徐々に聞こえてきております・・・というより昨年の12月から足踏みをしていた音がしてましたからね・・・・笑
さて、本題・・・謎の内城館
内城とは盛岡南部藩士、内城氏が遠野時代に居舘としていた内城館のこと・・・
資料には上郷細越村内城館、50石とあり、伝えられる人物は内城治兵衛とあり、遠野阿曾沼氏旧臣と思われ、本姓は菊池氏・・・・。
後に盛岡へ移り盛岡藩士として家を残し4系があるとのこと。
遠野阿曾沼氏旧臣の中には盛岡南部藩に仕え、遠野を離れて盛岡藩士として命脈を伝える多くの家がありますが、内城氏もそのひとつ、しかし、細越村の内城館とは、全く以ってどこなのか不明でもあります。
また遠野市内の城館跡を調べ上げたお二人の郷土史家(荻野馨先生、菊池春雄先生)共に遂にわからずと報告しております。
お二人は調査に当っては深く地域に入って聞き取り調査やら怪しい箇所も探った雰囲気もみられますが、不明のままです。
(それは、ないじょ(ないしょ)だて・・・・汗)
これは何を意味するものなのか、おそらく遠野に居た期間が短かったのか、或いは本姓を菊池氏と称するように上郷の菊池一族から分家した一族なのか、とにかく内城という苗字もなければその館跡も不明、これはまさに謎でもあります。
しかし、その子孫は南部藩士として内城姓のまま時代を生きている現実がありますし、若干のその伝えも残されている。
まさに要課題というべきものが山積といったところです。
松崎館、真立館と天ヶ森

八幡館と六角牛山

八幡館

雪と融けた部分の地肌で段状の形跡が確認できると思います。
この雪が融けましたら早期に八幡館の縄張図作成に取り掛かりたいと思います。
おまけ
ちびまる子ちゃんのクラスメート「ながさわ君」
末娘が書きました・・・・笑
定番スポット・・・早池峰古参道跡の鳥居

伝承園と天ヶ森

雪がちょっと多めに降ったとしても、また吹雪になろうとも、2月も下旬、春の足音が徐々に聞こえてきております・・・というより昨年の12月から足踏みをしていた音がしてましたからね・・・・笑
さて、本題・・・謎の内城館
内城とは盛岡南部藩士、内城氏が遠野時代に居舘としていた内城館のこと・・・
資料には上郷細越村内城館、50石とあり、伝えられる人物は内城治兵衛とあり、遠野阿曾沼氏旧臣と思われ、本姓は菊池氏・・・・。
後に盛岡へ移り盛岡藩士として家を残し4系があるとのこと。
遠野阿曾沼氏旧臣の中には盛岡南部藩に仕え、遠野を離れて盛岡藩士として命脈を伝える多くの家がありますが、内城氏もそのひとつ、しかし、細越村の内城館とは、全く以ってどこなのか不明でもあります。
また遠野市内の城館跡を調べ上げたお二人の郷土史家(荻野馨先生、菊池春雄先生)共に遂にわからずと報告しております。
お二人は調査に当っては深く地域に入って聞き取り調査やら怪しい箇所も探った雰囲気もみられますが、不明のままです。
(それは、ないじょ(ないしょ)だて・・・・汗)
これは何を意味するものなのか、おそらく遠野に居た期間が短かったのか、或いは本姓を菊池氏と称するように上郷の菊池一族から分家した一族なのか、とにかく内城という苗字もなければその館跡も不明、これはまさに謎でもあります。
しかし、その子孫は南部藩士として内城姓のまま時代を生きている現実がありますし、若干のその伝えも残されている。
まさに要課題というべきものが山積といったところです。
松崎館、真立館と天ヶ森

八幡館と六角牛山

八幡館

雪と融けた部分の地肌で段状の形跡が確認できると思います。
この雪が融けましたら早期に八幡館の縄張図作成に取り掛かりたいと思います。
おまけ
ちびまる子ちゃんのクラスメート「ながさわ君」
末娘が書きました・・・・笑
