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キンちゃんの「マイコレ」partⅤ

果樹栽培、自然観察、・・・そして時々人間観察等です。

山寺・立石寺(1)

2024-10-31 07:10:28 | 風景

(つづき)

麓から見上げる山寺は思っていたより近いと感じたけど・・、芭蕉の時代には、ここに来るまでが既に大変だったのだろうと思い直す。

(24/10/28撮影)

以下、奥の院までの道順に従って。

根本中堂

山門

登り道

せみ塚

仁王門

釈迦堂

奥の院

 

「鬱蒼と茂る木々に囲まれた参道石段と奇岩怪石の景勝地「山寺」。
この山寺が深くかかわった紅花栽培と紅花交易は莫大な富と豊かな文化をこの地にもたらした。」

「最上紅花その価値は米の百倍、金の十倍。紅花は莫大な富をもたらし、経済文化発展の礎となりました。」

 

この夏に比叡山根本中堂を訪れた時「不滅の法灯」「油断大敵」の話を聞いたが・・、改めてWikiから引用。

「立石寺は、山形県山形市にある天台宗の仏教寺院。」

「天文12年(1543年)、山形・立石寺の再建の際、同寺からの要請で分灯。その後、元亀2年(1571年)9月の織田信長の比叡山焼き討ちの際に今度は比叡山の法灯が消えたため、立石寺から再分灯してもらい、天正17年(1589年)、これを復活させた。」

(つづく)


最上川三難所舟下り

2024-10-29 06:55:38 | 風景

(つづき)

最上川舟下り・・、今の時期水量は少ないとの事でした。

(24/10/25撮影)

乗船

出だしは「碁点」の難所(川底にある岩を避けて下る)。

水鳥が多く、川中の岩の上で休む鳥達も。

船内

船頭さんは、梶棒を手で操作するだけでなく、時に足も使いながら、岩を避けて進みます。

大きく曲がる所は景色が良いので、数名の画家が拠点にしていたそうです。

「三ヶ瀬(みかのせ)」の難所(山形城主最上義光は、岩礁の大開削を行い・・らしい。)

左側の橋脚と河岸の間の狭い間を通り抜けた所で船底が擦れる音がしたが・・、船頭さんは「大丈夫」と言っていた・・。

 

「隼」の難所は、7月の豪雨の影響で、通行不可との事。

そう言えば、川岸の斜面にあったヤマセミの巣も、その時壊れたらしい。

 

紅花、米を積んで酒田下り、帰りの上りは塩・・、往復2週間?

 

船頭さんの「最上川舟唄」も聴かせてもらって・・、下船。

もし次回があるなら、水量の多い時期(雪解け水の時期か五月雨の時期)に訪れてみたい・・。

(つづく)


鳴子峡

2024-10-28 06:42:33 | 風景

(つづき)

今回のテーマは「南東北、紅葉紀行」・・、今年は、猛暑の影響か中途半端な色付きのまま黒化し落葉しそうだという話も聞こえてきます。

 

朝一で鳴子峡に行きました。

(24/10/27撮影)

 

峡谷は深く、下まで歩道が付いていたが・・、

朝一で体力を消耗し切る訳にもいかず・・、途中で、断念。

(つづく)


鳴子こけし工房

2024-10-27 07:18:05 | 風景

ツアーに参加してきました。

 

家を出たのは、やっと明るくなり始めた頃でしたが・・、始発便に乗るために空港に着いて、屋上に出てみました。

(24/10/24撮影)

 

仙台にむかう新幹線で食べた弁当は、懐かしいシュウマイ弁当。

 

仙台からはバスで・・、「岩下こけし資料館」、巨大こけしがお出迎え。

工房では、こけし製作デモ中。

 

この日の宿は鳴子温泉郷、熱めの湯でした。

(つづく)


妙見山散歩

2024-10-15 07:44:14 | 風景

久し振りにウオーキングに行こうと思い、山中のルートで妙見山古墳に向かいました。

 

途中、雑柑畑の様子を見に行くと・・、草まみれの畑は、ミゾソバ(溝蕎麦)がいっぱいでした。

(24/10/13撮影)

 

山に向かう足元には、小柄なトンボが止まりました。

山中の溜池は、水鏡になっていました。

山道には枯枝が沢山落ちていました。

イノシシが掘り返した所が、あちこちにありました。

 

妙見山古墳に出て、古墳上からドック・・、2隻の自動車運搬船は、まだ入りっぱなし。

ちょうど古墳の説明員が来ている時間でしたが、客が登ってくる気配がなかったので・・、話し相手に、久し振りに古墳内に入りました。

 

帰りは、下道を通ることにして・・、山を下る途中、可愛いキノコが並んでいました。(1個は、撮影の為に倒す。)

池まで下りると、カイツブリが1羽・・、さらに遠くには川鵜らしき1羽も。


草刈役、サフランモドキ

2024-10-02 06:42:33 | 風景

この日は地域の草刈役の日でしたが、住所を移した事等もあって声が掛からなくなりました。

それでも近くに畑があるので、以前は事前に道端や畑の草刈をしていましたが・・、今年は、危険な暑さを理由として完全放置でした。

最高気温がもう少し下がれば草刈を始めようか等と思いながら、様子を見に行きました。

 

道端草刈後・・、通る人もいなくなって・・。

(24/09/28撮影)

草茫々の畑・・、それでも、雑柑類が実を大きくしていました。

 

道端のサフランモドキ、花が終わると、このように萎むと思っていたので・・、前投稿の焼却場横の花の終わり方は、新鮮な驚きでした。

ハナムグリ(花潜)が来ていました。


留寿都、支笏湖、サーモンパーク・・

2024-09-21 06:42:34 | 風景

(つづき)

この日の宿「ルスツ高原」に向かって北上します。

 

車窓から、北海道駒ケ岳

(24/09/10撮影)

 

事故があったとの事で、再び八雲PAで休憩・・、曇り空。

並んだバスのナンバー(左奥は888)

 

ホテルは広く、大浴場まで着けるか心配しました。

修学旅行時期で小~高生も多く来ていました。

翌朝、雨でした。

(24/09/11撮影)

 

支笏湖

恵庭岳は雲の中

風不死岳(フップシダケ)、樽前山(後ろの雲の中)

山線鉄橋(やませんてっきょう)

「現在は歩道橋として観光客に開放されている山線鉄橋ですが、かつては王子製紙の専用軽便鉄道として活躍していたもの。」

 

「道の駅サーモンパーク千歳」横の千歳川にサケが上り出したとの事で、見に行きました。

インディアン水車「年間およそ20万尾のサケを捕獲するこの捕魚車は、さけ・ます人工ふ化放流事業に用いるサケの親魚を捕獲するため、秋の一時期だけ設置されます。」

「千歳川(ちとせがわ)は、北海道の支笏湖を源として石狩低地帯を流れる石狩川水系石狩川支流の一級河川である。」

何匹か泳いでいるのが見えたけど・・、画像では・・?

道の駅でトイレを借りると・・

 

その後、出発遅れや夕立がありましたが・・、帰宅出来ました。

(おしまい)


函館元町、北海道東照宮、ザ・男爵ラウンジ

2024-09-20 06:53:29 | 風景

(つづき)

函館元町には、多くの教会がありました。

八幡坂・・、正面に摩周丸、山向こうの雲の中には北海道駒ケ岳(?)

(24/09/10撮影)

 旧函館公会堂

元町公園には、箱館奉行所跡(五稜郭内に移転する前)

ペリーも居ました。(後ろは函館山)

 

北海道東照宮・・、ツアー訪問先としては違和感があったが、コナンの映画絡み?

 

「THE DANSHAKU LOUNGE」(ザ・男爵ラウンジ)

「男爵いも」のモニュメント

「男爵いもの生みの親・川田男爵の功績を数多くの展示物を通してかいま見ることができます。」

「展示物のなかでも特に目を引くのは、天井から吊り下げられた数多くの紙。実はこれ、川田男爵の死後に鍵のかかった金庫から発見された90通にも上るラブレターの複製。すべて、男爵がイギリス留学時代に知り合ったジェニーという女性から送られたものです。男爵は当時ジェニーと結婚の約束までしますが、父親の大反対に遭って泣く泣くあきらめざるを得ませんでした。」

(つづく)


摩周丸

2024-09-19 06:41:33 | 風景

(つづき)

前夜からの宿は、オーバーブッキング的事態が発生し・・、出発数日前に、変更の連絡がありました。

旅行会社基準ではSランクホテル、「展望風呂付のスイートルーム」が用意されたとの事でした。

 

部屋に用意されていたので、数十年振りにミルでコーヒー豆を挽きました。

(24/09/10撮影)

中庭

食事は会席料理・・、裏交渉を抜きにすれば、宿泊+食事代金で、今回のツアー代金に相当しそう・・。

 

函館朝市・・、早々に抜け出して、そばの摩周丸(青函連絡船廃止後、博物館船として保存)の見学に行きました。

操舵室(船橋)

無線通信室にブラタモリ

連絡船模型一覧

甲板から函館山

埠頭で寛ぐカモメ

(つづく)


赤レンガ倉庫、函館山からの夜景

2024-09-18 06:41:11 | 風景

(つづき)

岸壁には、カモメ。

(24/09/09撮影)

遠望する中央の尖った山は、北海道駒ヶ岳(?)

金森赤レンガ倉庫(建物内を歩くと、素敵なショップがいっぱいでした。)

函館山ロープウェイ(中間支柱無し)

 

函館山に上りました。

観光バスの駐車時間は30分、時間を見計らっての登頂です。

 

下北半島が目の前です。

バス到着は1番でしたが、既に公共バスやロープウェイで上ったのであろう多くの人が集まっていました。(自家用車禁止)

人の壁の後ろから、カメラを持つ手を上に伸ばして撮影。

人の少ない所からも。

(つづく)


箱館奉行所、五稜郭タワー

2024-09-17 07:10:15 | 風景

(つづき)

《明治2年に開拓使出張所が箱館に設置された時に書かれた記録から、明治2年9月に「函館」に改称することになったという記述が見つかっている。理由は不明だ。》

 

箱館奉行所

《箱館奉行所は、日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所です。
当初は箱館山の麓に置かれましたが、内陸の地に移転が計画され、その外堀となる五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。》

(24/09/09撮影)

大広間

函館は「名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)」で賑わっているとの事で・・。

 

五稜郭タワー

夜景を見に行く函館山

下りた後、見上げる

(つづく)


洞爺湖、山々・・、函館へ

2024-09-16 07:03:46 | 風景

(つづき)

「サイロ展望台」から洞爺湖・・、四つの島のうち右端の饅頭島には、青大将がウジャウジャいるらしい。

(24/09/09撮影)

対岸正面は有珠山、少し左の尖った山は昭和新山。

横に目線をやれば、羊蹄山

その左奥(雲の下)はニセコらしい。

 

昼食所のそばには有珠山

昭和新山

「昭和新山は個人の所有物なので、一般登山客の入山は禁止されています。昭和新山の持ち主は「三松正夫」という人物で、昭和新山の保護および土地を失った住民の支援のために土地を買い取った方です。」

 

洞爺湖サミット(2008年)会場・・、三日間とも霧の中だったらしい。

 

函館へ向かう途中八雲PAで休憩・・、気持ち良い広さ。

 

北海道駒ヶ岳

(つづく)


登別温泉

2024-09-14 06:48:17 | 風景

(つづき)

登別温泉の宿に着き、

(24/09/08撮影)

 

少し歩いて、地獄谷に行きました。

 

観光客に小さなザワメキがあって・・、近くに鹿が居ました。

その後、宿に向かう途中では、家族らしき・・、警戒しているのがリーダーか・・。

 

翌日、高速道路通行中・・「鹿」「狐」への注意表示が各所に立っていました。

(つづく)