経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

ふりかえれば、いそぎし

2007年01月30日 | Weblog
人は自分で生まれてきたわけでもなく、自分だけで生きてきたわけでない。
そんなこと聞きあきた、と逃げてきた自分が、真っ白な世界の中で思いにふけいっている。

 「俺が、俺が」で通し、それがもとでの波紋が、さらに大きな波紋を呼ぶ。大喜びもするが挫折感を味わい、落ち込むこともある。誰のせいでもない。「そんな、弱気でどうする」と、無理に自らを励まし、頑張ってきたことの結果ではないのか。
 
 それが、会社という組織を離れ、脱サラこの仕事を始めたことで、知らずして社会という組織に身を投じることになり、しかも仕事上、たくさんの組織をみてきたことで、「そうか。組織って一人で生きられない事を前提に存在するんだ」ということがわかるようになってきた。その視点で、企業を見るとその現在の問題点、行く末まで見えるし、人の場合でも組織を活かせる人かそうでないかもわかるようになった。その分、自分の我が儘も受け入れてくださる周囲の方々の好意も見えるようになったし、そうした中での自分の役割もまた認識できるようになった。

 お互い様、個性を発揮する、役割、分担、使命、仲間、社会、などなど、みんな「組織」の存在を前提として、存在する言葉だ。こう考えてくると逆にそうしたことを否定する在り方、言葉こそ、「生きること」にとっては、危険な、災いを招くことになる。
社会組織(社会システム)の中で、企業組織は存在している。このことを活かすか、否定し孤立して存在するか、あるいは反逆した存在を採るか。

 このことは、人の体を社会組織とし、正常細胞とガン細胞に置き換えることができる。後者に属し、頑張る企業ほど、頑張る人ほど、頑張るが故に、自らの組織の死期を早め、人体組織を崩壊させることになる。

 「社会システムとの有機的結合」、このことを欠く
 そうした企業の起こす事件が、毎朝のように新聞に載っている。

 今朝、5時に起き、まだ暗い空から雪が降る旭川校の窓外、降りしきる雪以外、何もかも止まってしまったような空間の中に身をゆだねて、おだやかな気持ちにひたり、「おれもまだまだ急いでいたんだ」、と思った。