経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

じっと我が手を

2007年01月06日 | Weblog
日常の中で、ふと引っかかることを見つけては、自分なりの仮説を立て、それにまた自分ありの検証を行い、自分なりの立証、結論を導き出す。これは私のトレーニングの一つであるし、楽しみ、趣味でもある。また勉強の一つでもある。

 だが、だから政治とか、経済とか、芸能とか、それら自体がどうのこうのといった強い関心があってそれらをテーマにしているのではない。それらは単なる題材、食材に過ぎない。

政治を取り上げているから、政治を論じているのではない。
経済をテーマにしているから経済について、
もの申したいつもりで書いているのではない。

たまたま政治を材料に、料理を作ってみたかったに過ぎない。
たまたま経済を材料に、料理を作ってみたかったに過ぎない。
たまたま某国を材料に、料理を作ってみたかったに過ぎない。
 
たまたま私は、経営指導を生業(なりわい)にしている。
だから、経営に関する材料を用いて、経営の範疇に内包する料理を作っていることが多いが、そのこと自体が本来の目的で生きているのではない。
そうしたものを通じて、命を最大限に生かした生き方をしたい。これが私の人生の目的、生き方の目的である。
私の幸せは、たまたま、あるいはたまたまではないことも、たまたまあるのかもしれないが、経営という人間が生きる術(すべ)にしている、生き様(よう)に近いことを生業として、生きていることである。
 
要は、「専門性、特殊性ではなく、日常性、普遍性を良し」としている。良い言い方を許してもらえれば、縦割りではなく、横断的なの生き方を好む。雑学屋といってよい。
だから政治がどう、安倍さんがどう、小沢さんがどう。イラクやイランがどう、と問われると、とたんに私の浅学が露見することになる。たまたま書いた小説の登場人物の固有名詞が、彼らであったにすぎない程度あるから、どぎまぎしてしまう。

著名人の固有名詞を使うのは、1に、ときとしてマスコミから題材を得ることがある、2に、無名人、仮名とした話では、は読む人に伝わらないことがある、3に、むろん著名人の名を借りて、振り向いて欲しいといったスケベな気持ちもある、という理由からである。

旅がすきなのは、上を理由とする。
街歩きが好きなのも、上による。
映画がたまらないほどの趣味なのは、上に起因する。

だから、旅をし、町歩きし、映画を見て、一生を過ごせたら、と夢を見る。
「・・・・・じっと我が手を見る」といった啄木の句を思い出す。