経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

今年も街を旅したい

2007年01月08日 | Weblog
新しい年になった。
新しい年に似つかわしい、なにか抱負なり決意を書きたいと思い、キーボードを叩き始めた。

なぜが、街を思った。その街を歩いている自分を思った。
街を歩くことが好きである。できるだけ時間を取り、街を、無目的に歩きたい。大都会の繁華街、雑踏を歩くともの悲しくなり、心を締め付けられる。
「これだけの人々がいるのに、私は一人だ」。

若いときは、そういう気分に浸りたくて新宿や渋谷の裏道までくまなく歩き回った。だが、今はそうした大都会のもの悲しさに耐え得る自信を失い、都会ではなく、もっぱら地方の街を歩く。
それは15年前あたりかから、都会の繁華街にもの悲しさどころではない。嫌悪感すら覚えはじめたからである。

この仕事に入って25年。その地方の街を歩いていて、街を構成している商店の商人たちの「性〔さが)〕が見えるようになったことで、昔みたいにただひたすら街を楽しんで歩くことができなくなり、少し寂しい思いである。
 
町の顔は街であり、商店の有り様はそこの商人の顔や性格である。街はそれぞれの商店主たちの顔や性格(エゴ)の集約されたものであるともいえる。
 そのことを誹謗しているのではない。逆である。
歩く楽しみは半減したとしても、街を見る楽しみは、彼らの顔や性格が見えることで倍加しているからである。

「このはみ出しやっている商人は、この商店街でも間違いなく自分だけ良ければいいの、はみ出し者であろう」といったように、いろいろ勝手な想像をして歩くことは、楽しいものだ。そしてたまたま、街の集まりでこの商店の店主にあうと、やはりそのとおりで、思わずクスリとする、といったこともある。
だから、商店主の顔が見えない街は、私にとっては不気味で怖い存在でしかない。そのことをいいたかった。
暖かさにしろ、優しさにしろ、人間味にしろ、人と人のふれあい、接点があってこそ感じるもの。合理化という名目の元に、接点を減らし、「人に優しい街づくり」、「真心を込めて接客を」といっている商人を見ていると、私には彼らがロボットに見えてしょうがないのである。
今年も、頑なに、人と人との接点を大事に慈しむ商人たちを求めて、いっぱい旅をしたい。ささやか過ぎて、気の利いた新年の抱負には遠いかもしらないが、私はいっぱい旅をして、いっぱい街を歩きたい。美しい商人とともに・・・・・・。