経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

おなじ穴の狢(むじな)、

2007年01月14日 | Weblog
お菓子屋の事件。ばれなければいい。ばれても振ればいい。この今の利益出しのために。
あれもこれも、人の意思決定から、始まる。

5年前の話。
「小泉、とりわけ竹中に経済を任せておくと、日本は大変になる」、と大声あげていた自民議員が大勢を占めた。今は、自民を飛び出したK氏などその典型である。

 参議選挙もあることだし 今、その彼らにそのセリフ、もう一度云ってもらいたいとおもうが、誰もいうまい。今は、「格差を生んだのは、あの二人だ!」と新しいセリフを吐くのに夢中だからである。
 
 国民は見ている。彼らの発言は、その場、その場。ヒステリックで、根拠がないおもいつきではないか、と。要は自分を際だたせるために、相手を叩く術(すべ)しかないのだ。理念、戦略などもともとなく、そうしたことを考えるまでもなく、自らも承知の上で、その場限りの発言で凌いでいるにすぎない。

 これは政治家の資質を欠く要件になる。とりわけ1に、天下、国家の立法、行政、本来、将来(さき)への布石であるから、国家レベルの理念、戦略を思考する資質がなければ、他人のなした結果の評価、それもいわゆる「けち」をつけることしかできない。2に、繰り返し同じパターンを繰り返す体質だ。懲りない面々、学習能力がない、体質化している、などなどいろんな表現が出来よう。やること、なすこと、いつか昔通った同じ道、誰かさんがしたことを、繰り返す癖(へき)、体質を持つ。この国の代議士のパターン、体質。

 家賃無料の事務所で家賃が発生するはずはない、といったことは、国家議員でなくともわかること。法律不備に振らないで欲しい。法律以前のありえないことだ。偶然ではない。誰かが意図してやらなければ、パソコンが自動振り分けするわけはない。

 経営者も同じだ。今回の「不二家」の事件から、8年前の「雪印事件」を、久々に彷彿、思い出した人は多かろう。まったく同じこと。誰かが通ってきた道。そこには墓穴があった。知らないわけはないから、意図的な意思決定で、また自らの墓穴を掘っている。馬鹿なことである。

 どうして。こうした事件を起こす企業は、同じパターンになるのだろう。
 それは、思うに「今、良かれ」でいった判断しかできないからである。
 まずはチョロ、チョロ、一社員のせいにする。しばらくたって「一部組織的な関与が」といい、次に「倫理感とマニアルの見直し」と、これまた政治家同様、振る。最後に、トップがそろって、ロボット風に頭を下げる。しぶしぶ辞職し相談役や顧問に収まる。
 
 こうして将来に、会社を潰す体質、土壌をつくった代々の経営陣に莫大な退職金を払い、相談役や顧問として、崇めている体質は、今も昔も、おそらくはこれからも変わらないであろう、この国の大手企業の経営者の体質。それも国会議員ほど表面化しないだけで潜在的にはむしろ企業の方が多いのではないか。
 こうした政治家、経営者に共通するものはなにか。学べるものはなにか。
 そのキーは、同じパターンだということにある。談合しているはずはないのに同じだ。ここに普遍性がある。普遍性があることは、他者、自分の企業でも起こりえる。だから学べる、ということになる。

 それは、戦略思考である。
 戦略思考を一言で言えば、「今だけ良しの考えを排除し、将来の幸せのために今をどうするか」ということである。だから将来のために、今を犠牲にすることはあっても、今のために将来を担保することはない。
 そうした政治家、そうした経営者には、戦略思考が欠如していることはあきらかである。

 重要なことは、そこで留め置かないことである。この俺も、この我が社にも、そうしたことがないか。今朝即、再点検することである。これで確実に進歩発展、革新ができる。そして二度と起きない、という誓いの具現化に歩を進めることになるのだ。皮肉なことだが、彼らも死して世の役に立つことになり、少しは浮かばれよう。

 おなじ穴の狢(むじな)、せめて身を滅して、世を治し