JA6VQA 日々新たに

趣味のアマチュア無線で海外との交信や写真などを中心に、日々感じることを書き綴ってみます。
 

78回目の終戦記念日

2023-08-15 18:27:26 | 徒然
 台風7号の影響か北風がちょっと強く吹いています。時々日差しがありますが
北風の影響か、気温はそれほど高くない78回目の終戦記念日です。
 まだ5歳で、広島県の北のほうの駅家町という田舎に疎開しておりました。
 戦争も知らずに祖父と生活しておりました。もちろんラジオもなく、終戦の
玉音放送などはまったく知る由もありませんでした。
 翌年には広島県府中市で尋常小学校だか国民小学校に入学したようです。
 先の戦争を意識しだしたのは中学生になってからの事でしょう。
 もう大分市に引っ越してきておりました。
 社会科の授業で歴史についての話を聞いていたのでしょうが、今から思えば
GHQの教育方針に沿った教育をされていたのでしょう。戦争相手のアメリカに
ついては、家に車が何台もあり、各家庭には電話が備わっていると教えられ、
子供ながらにすごい生活をしているものだと羨ましく思ったのでした。
 小学校時代の低学年の時に小倉から大分に引っ越したのでしたが、航空隊の
飛行場を朝鮮戦線に派遣される米軍の空挺部隊の落下傘降下練習に使っており
福岡の板付から飛んできてたくさんの落下傘が降ってきておりました。
 別府からたくさんのパンパンと呼ばれる女性が駆けつけておりました。
 落下傘で降りてくると風にあおられるのを子供ながらに落下傘に飛びついて
落下傘が膨らんが引っ張られるのを防いでやるのを手伝ったものです。
 よく駄賃にチュウーインガムを貰って得意がったのを思い出します。

 大人になって、いろいろと歴史の本や戦争の話を見聞きすることで、改めて
先の戦争は大東亜戦争というのが日本人としては正しい呼び方だという確信を
持つに至っております。
 アメリカとの確執は多くの歴史書により、いやいや戦争に引きずり込まれた
というのが正しい解釈だと思っております。
 あの戦争のあと、アジアから植民地がなくなって、多くの国が独立できた
事実を思うと、まさしく大東亜戦争だったと理解できます。
 日本が終戦をした後もインドネシア、ベトナム、インドなどの現地に残り、
独立のために戦った多くの日本兵がいたことは事実です。
 アジアから欧米の占領国を追い出し、独立を果たせたきっかけは大東亜戦争
だったことは多くの独立を果たせた国から感謝されています。
 GHQが押し付けた第二次大戦、太平洋戦争という呼称は使わないようにして
おります。
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