しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

前原にて、イルミネーションと糸島情報。

2012年11月23日 06時25分29秒 | 糸島関係

古材の森の有田さんに会いに前原に行ってきました。「ここのき」内のタナカフェで会って糸島の歴史のことでいくつか質問に答えていただきました。

前原はイルミネーション光ってます。お隣の三角屋でラーメン食べてきました。前田さん大串さんに会ってきました。ラーメン美味かったです。itopさんのカフェ情報を少しいただきました。月一回の軽トラ市の日に九大に来ている留学生直伝のスイーツのカフェをやるそうです。場所が表通りじゃないし、月一のオープンじゃなかなかお客さんとのコミュニケーションがとれないと思うけど、まずはやってみることだと思います。かなり、宣伝が必要だと思います。三角屋でも牡蠣がおいてありました。

 

そのほかの前原付近で得た情報お伝えします。

11/25コウモリ博士でも糸島では有名な野島智司(さとし)さんのワークショップです。

 

前原イリスロードにあったサンリブが閉鎖していました。25日にそこでイベントがあるみたいです。物産販売みたいで、同日唐津街道前原宿名店街では軽トラ市を開催するそうです。

 

だそうです。

だそうです。

有田さんからは宣伝を頼まれました。三之助の落語です。

前回の寄席も行きましたがさすが真打でしたよ。

 

 

野北(のぎた)の「おはな」さんと「おはな」さんの前の海岸が舞台です。サーフィンやおはなのスケボード・パークでのスケボーイベント、ビーチマーケット、野外でのサーフムービーの上映会、ミュージックライブと糸島ならではのイベントです。温かくした服装で来て下さい。

詳しくはhttp://www.itoshimabeachfes.org/

 

糸島市のカキ小屋情報です。

福岡市のカキ小屋もよろしくhttp://www.karatomari.jp/

 

今年糸島農芸祭を主催された二丈のアトリエクラの寺崎さんのワークショップです。

お子さんにプログラミングの基礎を体験させてあげてはいかがでしょう。

将来すごいゲームを作るかも・・・・。

以上糸島情報でした。


山田姉妹12/9糸島でゴングです!

2012年11月22日 11時04分04秒 | ユニーク糸島人

イオン学研都市店にて、

将来。姉妹で女子ボクシング世界チャンプになるであろうという糸島の逸材、山田姉妹が12/9糸島市伊都文化会館でチャリティのエキシビジョンマッチを行なうみたいです。

山田姉妹のお父さんがかなり熱血です

http://ameblo.jp/sakimako-12/entry-11410088120.html?frm_src=thumb_module


西日本新聞に矢野寛治さん著「伊藤野枝と代準介」の書評が

2012年11月19日 13時17分30秒 | ニュース・テレビ関係

これも大内さん情報だが、上記の中で大杉と従姉妹千代子が密通してるといううわさは瀬戸内寂聴さんの小説による誤解であり、密通していたのは別の親戚の女性で名前を教えていただいたが、メモしていませんでしたので、書けません。現在も伊藤野枝さんの親戚がご近所に住んでいらっしゃいます。誤解を受けたり誹謗中傷を受けたりしたこともあったかもしれませんが、野枝さんは一人の人間として、時代に抗って必死に生きた人々の一人だったのではと思います。縁あって今宿に住んでいる人が野枝さんのことに、関心を持ち、状況を学べば共感できる部分もあるように思います。来年没後90周年に当たります。静かに有志で花を手向けて冥福を祈れたらと思っています。代準介と野枝の父亀吉が立てた大杉・野枝・宗一の慰霊碑の石は今宿共同墓地にあったが、共同住宅建設にともない、墓は移転となった。石は転がされ一時放置されていたが、野枝さんの娘のるいさんが友人にたのんで青木の方に運ばれ、山の中でひっそり眠っています。、石はなぜか3つにひびがはいっています。それがちょっと哀れです。お骨は別のところに納められているらしいですが、そちらは伊藤家本家の方が管理されているようです。


大内士郎さんが書いた「炎の女 伊藤野枝」のこと

2012年11月18日 22時16分01秒 | 今宿関係

今僕が製作している今宿商協のリーフレットに「もっと今宿知っちゃってん」というコーナーがある。そこは今宿の郷土史家の大内四郎さんに執筆していただいている。今回6話の中の一つに伊藤野枝のことを僕がリクエストして書いていただいた。これから発行するリーフレットのコピーを発行前に発表することはルール違反かもしれないが、情報はタイミングとも言います。一人でも伊藤野枝さんと今宿のことを知っていただきたいので、この期に発表させていただきます。

炎の女 伊藤野枝

伊藤野枝、大杉栄、橘宗一の墓碑

 今宿生まれの著名人といえば、まず伊藤野枝が上げられます。野枝は、明治二八年、糸島郡今宿村大字谷(今宿一丁目)で、父亀吉、母ムメの長女として生まれました。明治四二年、叔父代準介を頼って上京。翌四三年四月、十五才で上野高等女学校四年に編入、ここで二番目の夫となる辻潤と出会います。その年、父親と叔父の勧めで帰郷し、加布里の末松福太郎と仮祝言、入籍。上野高等女学校をどうしても卒業したいという野枝の願いで再度上京、明治四五年に卒業し帰省。末松家に入るもののすぐに出奔し、東京に戻り、辻潤の家に身を寄せます。田舎娘だった野枝も、東京の知識人辻潤から多くの事を学び、メキメキと力を付けて行きました。特に辻の紹介で「青踏(平塚らいてう等が起した女性雑誌)」の編集部に入ったことにより、文学的才能も花開き、社会に対する目も開かれて「女性解放運動」へと突き進みました。

 大正二年、野枝が「青踏」紙上で発表した「新しき女の道」は、これからの女性の生き方を提唱し、これに賛同する女性や「青踏」にかかわる女性たちは、「新しき女」と呼ばれるようになりました。こうした活動の中で、アナーキスト(無政府主義者)の大杉栄と知り合い、辻潤と別れて大杉のもとへ走りました。

 野枝は、相当の知識人であり活動家でもあった大杉からも多くの事を学びました。大杉との間に五人の子どもをもうけた野枝は、妻、母、文筆家としての多忙な日々ではあったものの、充実した人生だったようです。

 しかし、大正十二年九月関東大震災が起り、そのどさくさに紛れて大杉夫妻は憲兵隊に拉致され虐殺されました。この時たまたま一緒にいた大杉の甥の橘宗一も巻き添えになりました。

 発見された遺体は火葬後分骨され、三人の遺骨は叔父代準介よって今宿に持ち帰られました。当時、大杉、野枝らの考え方や行動に対する世間の風は冷たかったのですが、翌年、父亀吉と叔父代準介は、三人の鎮魂のために今宿松原の共同墓地に無名の墓碑を建立しました。この自然石の墓碑は、墓地改装のとき撤去されましたが、今は野枝の故郷の海を見下ろす今宿の山の中に静かに置かれています。

 なお、大杉の墓は別に静岡市に、宗一の墓も名古屋市千種区にあります。

 

 

 

大内さんは、今宿のことを良くご存知です。今回橘宗一(たちばなむねかず)のことはあまり語られませんが、この大杉栄の甥がいたから、野枝さんたちが憲兵隊に惨殺され、井戸に捨てられ、埋められたことが判明しました。宗一さんがいなかったら、野枝さんたちは関東大震災の犠牲者の行方不明者として処理されていたかも知れません。宗一さんは大杉栄さんのアメリカロサンゼルスでレストランを経営して成功した橘家に嫁いだ大杉あやめさんの息子で、アメリカで生まれた。たまたま日本に帰国していた宗一さんは関東大震災に遭い、着の身着のままで大杉栄宅にたどり着き、被害を受けていなかった、大杉たちは同じ年代の娘魔子さんの着物をとりあえず着せていたと思われる、そのときを憲兵隊に襲撃されたようだ。たまたま魔子さんは隣の家にいっていたので難をのがれた。しかも憲兵隊は宗一を大杉の娘魔子と見間違えたのではとのこと。震災後大杉も野枝さんも宗一さんも行方不明として処理されそうになったのを、大杉栄の妹のあやめさんが不審に思い、アメリカ生まれの宗一さんにはアメリカ国籍があり、アメリカ大使館から圧力をかけ、憲兵隊が大杉たちが惨殺されたことが明るみに出たのだとのことです。

どうです。興味深いでしょ。大内さんはこういう話をいっぱい知っています。弥生時代から近年までいっぱい知っています。今宿の人たちが、もっと今宿の歴史に興味を抱いて、大内さんの今宿歴史教室でも生まれんことことを願って。


伊藤野枝さんの本

2012年11月18日 15時04分49秒 | 今宿関係

12/18読売新聞書評欄より

今日感テレビのコメンテーターデモ知られる矢野寛治さんが著わした「伊藤野枝と代準介」という本が出版されました。去年末から今年2月頃(たぶん)まで西日本新聞に連載された記事を編集しなおすと、元気バイ福岡で矢野さんがおっしゃっていた本だ。今宿の人必読です。

 

今宿商協のリーフレット「そうつい店いっちゃっ店」の最終稿を大内士郎さんにチェックしていただいた。その際、この書評のことを伝えると、明後日、舞台女優さんを連れて今宿を案内されるとの事。

「娘の名は野枝」というお芝居を東京の武蔵野市の劇場で何年か前にやっていて、今年また再演されるらしい。伊藤野枝さんとその母親むめ(梅とかうめと書いてある場合も有るが今宿では「むめ」さんとよばれていたらしい(大内談))の二人芝居で、今回は母親役の女優さんがみえるらしい。こんな感じで野枝さんのお陰で、いろんな人が今宿に興味を持ち始めています。

今、森光子さん追悼の「放浪記」をEテレでやっている。今調べたら林芙美子は伊藤野枝が生まれた1895年の8年後に生まれている。ほぼ同じ時代を生きている。林芙美子は女給さんの悲哀を描いているが、野枝さんは女給さんの人権を社会に認めさせようとした。二人が現代の女性の強さを見たらさぞ喜んだことでしょう。