しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

今日の天気 母の老化をみて

2017年02月19日 16時35分14秒 | 今日の天気・夕日・散歩等

晴れ、北風中。

昨日まで久留米で母の世話で、いろいろやってきました。

老いるということの難しさや、気持ちや感情の大切さをまた痛感してきました。

おそらく世界中で母のような認知症と呼ばれる後期高齢者や、僕のような世話を模索する子供や関係者が膨大な数いるはずです。

僕の祖父や祖母の晩年時代は、今のような介護保険もなく、ケアマネージャーやヘルパーさんのシステムもなかったし、今みたいに介護技術と資格を持った人もいなかったし、施設もありませんでした。だから多くの老人介護は家族の誰かが行っていました。でも、日本人の4人に1人が高齢者になっていくこの時代、高齢者を面倒を見る介護の対象ととらえるのではなく、その知恵や経験や人脈を「社会の資産」と、捉えるべきだという考え方を社会に広めるべきだと思います。

 

以前、国連が10月1日を老人の日と決め、その1周年のイベントの展示をタイのバンコクの国連で開くための作業を手伝ったことがあります。その時の国連の職員の人からの聴いた話では、世界中で飢饉や戦争やテロで、今まで住んでいた場所から移動せざるを得なくなり、難民になっていく人の数が増えていました。難民となった人々がある場所で難民キャンプに入れても、またそこを移動せざるを得ない事態が生じます。そういう移動のとき、置き去りにされる老人や、移動を拒む老人が増えていて、国連にとってもその人たちをどうするかとか、その数が増えないようにしていくことが課題になっているそうです。それで、老人をもっと大切にしようという意義を考える日として老人の日を決めたとのことでした。残念ながら、日本で老人の日がマスコミに取り上げられた例は観たことがありません。

 

しかし、高齢化真っ只中の日本で老人を社会の資産と捉え、もっと利用する社会づくりをしようという視点が必要とされているように思います。今宿でもそうですが、70歳以上の人たちが幼少期から小学校くらいまでにちゃんづけでお互いを呼び合っていて、70歳過ぎた今も、ちゃん付で呼び合っている光景をときどき目にします。その人脈をもっと利用すべきです。つまり、地元のことには地元の専門家がいるということです。業種や事業、職種などで分類された専門家と言われる人もいますが、地域の問題に精通し解決に取り組んできたた専門家もいるということです。自分たちがどういうやりかたで、問題解決をしてきたかの歴史を知っている人たちです。そして大事なのは、どういう考え方や、どういう哲学でその問題を解決しようと先人が努力してきたかを、後人に伝えられることです。いわば地元の魂の系譜をつないでいく作業です。そこに、文化が生まれると思います。

 

いろいろなまちおこし団体が各地に生まれています。しかしその多くが自分たちの手柄自慢で終わる傾向があり、横とのつながりもできず、どういう地域の未来にするかを具体的に青写真(ビジョン)があってその青写真のどの部分に貢献するためのまちおこし活動なのかをしっかり示して団体活動が行われることが必要だと思います。

ただいいことしようという段階から、3年後5年後10年後にその地域がどうなるための活動だと、活動者同志が認識できることが大切だと思います。そのために、今までどういう活動がなされてきたかを、地元の人同士が情報を共有する必要があり、その情報をたくさん持っている老人の人からの聴き取りをして、記録を残していく作業が大事だと思います。

地域には古くからいる人だけでなく、新しくその地域に入ってきた人がいます。その両者の心がバラバラだといい地域ができません。国ができることを地方に移譲するか、国が何かしてくれることを待っているだけだと、その地域は消滅していきます。地域の人が知り合ったり話し合える場が必要です。お互いが忌憚なく話し合えるためにはお互いが自分に自信をもって正直になれる独立した人に成長していくことが必要です。自分の目で見て自分で考え自分の意見を言い、自分で物事を決断していく人です。そして物事の問題をやたら他人のせいにしない人です。そういう人を育てられた地域が生き残れると思います。自分の親世代、そして自分を見てそう思いました。