伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2020/08/31

2020-08-31 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 9:1-10

ヨブは答えて言った、 「まことにわたしは、その事のそのとおりであることを知っている。しかし人はどうして神の前に正しくありえようか。 よし彼と争おうとしても、千に一つも答えることができない。 彼は心賢く、力強くあられる。だれが彼にむかい、おのれをかたくなにして、栄えた者があるか。 彼は、山を移されるが、山は知らない。彼は怒りをもって、これらをくつがえされる。 彼が、地を震い動かしてその所を離れさせられると、その柱はゆらぐ。 彼が日に命じられると、日は出ない。彼はまた星を閉じこめられる。 彼はただひとり天を張り、海の波を踏まれた。 彼は北斗、オリオン、プレアデスおよび南の密室を造られた。 彼が大いなる事をされることは測りがたく、不思議な事をされることは数知れない。」

神は正しい者を栄えさせ、罪ある者に災いを来たらせるとのビルダデの主張に、ヨブもまた、その見解はその通りだと自分も認識していると答えました。その上で、人はどうして神の御前に正しくありえようかと答えて、人とは罪ある存在に過ぎないのだと語りました。また、神は人には想像だにしない大いなることを行われるお方であると語り、人には不思議に思えることを平然となさる神の偉大さと奥深さをほめたたえました。ビルダデの神観は人から伝え聞いた知恵の受け売りの一般論に過ぎなかったのに対し、ヨブの神観の方がはるかに真理を悟っています。

https://www.bible.com/bible/81/job.9.1-10.ja1955

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ヨブ記 9:11-20

「見よ、彼がわたしのかたわらを通られても、わたしは彼を見ない。彼は進み行かれるが、わたしは彼を認めない。 見よ、彼が奪い去られるのに、だれが彼をはばむことができるか。だれが彼にむかって『あなたは何をするのか』と言うことができるか。 神はその怒りをやめられない。ラハブを助ける者どもは彼のもとにかがんだ。 どうしてわたしは彼に答え、言葉を選んで、彼と議論することができよう。 たといわたしは正しくても答えることができない。わたしを責められる者にあわれみを請わなければならない。 たといわたしが呼ばわり、彼がわたしに答えられても、わたしの声に耳を傾けられたとは信じない。 彼は大風をもってわたしを撃ち砕き、ゆえなく、わたしに多くの傷を負わせ、 わたしに息をつかせず、苦い物をもってわたしを満たされる。 力の争いであるならば、彼を見よ、さばきの事であるならば、だれが彼を呼び出すことができよう。 たといわたしは正しくても、わたしの口はわたしを罪ある者とする。たといわたしは罪がなくても、彼はわたしを曲った者とする。」

神は私たち人間の目には見えないお方であり、人の想像をはるかに超えた偉大な業を行われる故、人には神に対して、どうしてそんなことをなさるのですか?と意見することなど到底できないのだとヨブは語っています。たとい自分には罪を行った自覚がなくとも、災いを受けるべき理由がなくとも、神に向かってつぶやく愚かな者とならず、神がなさったことをそのまま受け入れることこそ、私たち人間の本分です。

https://www.bible.com/bible/81/job.9.11-20.ja1955

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ヨブ記 9:21-28

「わたしは罪がない、しかしわたしは自分を知らない。わたしは自分の命をいとう。 皆同一である。それゆえ、わたしは言う、『彼は罪のない者と、悪しき者とを共に滅ぼされるのだ』と。 災がにわかに人を殺すような事があると、彼は罪のない者の苦難をあざ笑われる。 世は悪人の手に渡されてある。彼はその裁判人の顔をおおわれる。もし彼でなければ、これはだれのしわざか。 わたしの日は飛脚よりも速く、飛び去って幸を見ない。 これは走ること葦舟のごとく、えじきに襲いかかる、わしのようだ。 たといわたしは『わが嘆きを忘れ、憂い顔をかえて元気よくなろう』と言っても、 わたしはわがもろもろの苦しみを恐れる。あなたがわたしを罪なき者とされないことをわたしは知っているからだ。」

ヨブ自身は、自分が罪を犯した身に覚えは一切ないと断言できましたが、神が自分に災いをもたらされたということは、何かしら罪があったのだと断言されても仕方なく、罪を犯していないのに罪人と一緒に滅ぼされるのは、神と人との仲裁人がいないからだと嘆き悲しみました。徹底して罪から遠ざかる人生を歩んできたヨブにとって、罪人と一緒に、あるいはそれ以上の災いを身に負わされている状況は、なかなか受け入れられない現実だったことでしょう。そのため、もはや神は自分を罪なき者と認めてくださらない以上、この世に生きてゆく価値がないと、厭世的な思いを抱いたのであろうと推察します。

https://www.bible.com/bible/81/job.9.21-28.ja1955

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ヨブ記 9:29-35

「わたしは罪ある者とされている。どうして、いたずらに労する必要があるか。 たといわたしは雪で身を洗い、灰汁で手を清めても、 あなたはわたしを、みぞの中に投げ込まれるので、わたしの着物も、わたしをいとうようになる。 神はわたしのように人ではないゆえ、わたしは彼に答えることができない。われわれは共にさばきに臨むことができない。 われわれの間には、われわれふたりの上に手を置くべき仲裁者がない。 どうか彼がそのつえをわたしから取り離し、その怒りをもって、わたしを恐れさせられないように。 そうすれば、わたしは語って、彼を恐れることはない。わたしはみずからそのような者ではないからだ。」

神が自分を罪なき者と認めてくださらないと嘆いたヨブは、神と人とを執り成す仲裁者がいないことを嘆きました。これが旧約聖書時代の神学の限界です。しかし私たちには、神と人との間に立って執り成してくださる、主イエスが常に共にいてくださいますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/81/job.9.29-35.ja1955
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【今日の聖句】 2020/08/31

2020-08-31 05:30:00 | 今日の聖句
箴言 序 3:7 新共同訳

自分自身を知恵ある者と見るな。
主を畏れ、悪を避けよ。

己を知恵ある者と思い上がる者は、心に驕り高ぶり自ら神に成り代わろうとする不敬の輩です。主を畏れることこそ知恵のはじめと心得、真理の御言葉に聞き従い罪と悪から遠ざかるまことの知者となる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/pro.3.7.新共同訳
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