ネヘミヤ記 8:1-6
その時民は皆ひとりのようになって水の門の前の広場に集まり、主がイスラエルに与えられたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに求めた。 祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、 水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。 学者エズラはこの事のために、かねて設けた木の台の上に立ったが、彼のかたわらには右の方にマッタテヤ、シマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤおよびマアセヤが立ち、左の方にはペダヤ、ミサエル、マルキヤ、ハシュム、ハシバダナ、ゼカリヤおよびメシュラムが立った。 エズラはすべての民の前にその書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼が書を開くと、すべての民は起立した。 エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。
エルサレムの城壁を再建し、いったんはそれぞれの嗣業の地に戻ったイスラエルの民は、誰かから召集を受けたわけでもなく、自発的に、7月1日にエルサレムに上り、皆ひとりのように水の門の前の広場に集まりました。なぜなら7月1日はイスラエルの成人男性は皆参加すべき主の例祭が行われる月だからです。そして祭司エズラに、主の律法を持ってきて人々の前で語り聞かせるようにと願い出ました。エズラが木の台に立ち、律法の書を開くと民は皆起立し、朗読すると民は皆その言葉に耳を傾け、アーメン、アーメンと答え、ひれ伏して主を拝しました。神殿や城壁が再建されても、信仰が再建されなければ何の意味もありません。イスラエルの民は皆、自発的に主を求め、律法を慕い、神の御言葉を喜んで聞き入れました。私たちもまた礼拝すべき時に神の御前に進み出て、御言葉を慕い求め、健全な信仰を立て上げさせていただきたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/neh.8.1-6.ja1955
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ネヘミヤ記 8:7-12
エシュア、バニ、セレビヤ、ヤミン、アックブ、シャベタイ、ホデヤ、マアセヤ、ケリタ、アザリヤ、ヨザバデ、ハナン、ペラヤおよびレビびとたちは民に律法を悟らせた。民はその所に立っていた。 彼らはその書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。 総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである。 そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。 レビびともまたすべての民を静めて、「泣くことをやめなさい。この日は聖なる日です。憂えてはならない」と言った。 すべての民は去って食い飲みし、また分け与えて、大いに喜んだ。これは彼らが読み聞かされた言葉を悟ったからである。
祭司エズラが律法を朗読した後、レビ人たちが民にその御言葉の意味を解き明かして悟らせました。律法の意味するところを学んだイスラエルの民は、自分たちの罪深さに心を刺され、涙を流して悔い改めました。その様子を見ていた祭司エズラと総督ネヘミヤは、主の祭りの日に泣いてはならない、主を喜ぶことはあなた方の力ですと諭し、主の御前で会見の食事を共に楽しみ、喜び祝いました。律法は私たちの罪を暴きますが、裁くものではなく、私たちを悔い改めに導き、主に立ち返らせ、共に救いの喜びを味わうために制定されたものです。御言葉を学び、その意味するところを悟り、自分の生活に当てはめて悔い改め、罪赦された喜びに満たされる、御言葉を愛し守り行う健全な信仰生活を送る者とならせていただきたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/neh.8.7-12.ja1955
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ネヘミヤ記 8:13-18
次の日、すべての民の氏族の長たち、祭司、レビびとらは律法の言葉を学ぶために学者エズラのもとに集まってきて、 律法のうちに主がモーセに命じられたこと、すなわちイスラエルの人々は七月の祭の間、仮庵の中に住むべきことがしるされているのを見いだした。 またすべての町々およびエルサレムにのべ伝えて、「あなたがたは山に出て行って、オリブと野生のオリブ、ミルトス、なつめやし、および茂った木の枝を取ってきて、しるされてあるとおり、仮庵を造れ」と言ってあるのを見いだした。 それで民は出て行って、それを持って帰り、おのおのその家の屋根の上、その庭、神の宮の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場などに仮庵を造った。 捕囚から帰って来た会衆は皆仮庵を造って、仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの日からこの日まで、イスラエルの人々はこのように行ったことがなかった。それでその喜びは非常に大きかった。 エズラは初めの日から終りの日まで、毎日神の律法の書を読んだ。人々は七日の間、祭を行い、八日目になって、おきてにしたがって聖会を開いた。
律法を学んだイスラエルの民は、毎年7月には仮庵の祭を行うべきことを知りました。そこで民は皆出て行って、仮庵の祭のために必要な資材を調達し、おのおの仮庵を造ってその中に住み、イスラエルの歴史を思い起こす時を過ごし、7日の間毎日エズラの朗読する律法を学び、8日目には聖会を行いました。このように捕囚から帰還したすべてのイスラエルの民が盛大に仮庵の祭を行ったことは、約束の地に入植したばかりのときにヌンの子ヨシュアの時からなかったと記されています。彼らは神殿を再建したときに過越の祭と初穂の祭を行い、城壁を再建したときに仮庵の祭を行うことで、イスラエルの3大例祭が再興されました。3大例祭の復興は信仰の復興の象徴、神の民イスラエルが本来あるべき姿を取り戻したのです。私たちも礼拝の持ち方を再度見直し、御言葉と信仰に基づく人生を建て上げさせていただきたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/neh.8.13-18.ja1955
その時民は皆ひとりのようになって水の門の前の広場に集まり、主がイスラエルに与えられたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに求めた。 祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、 水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。 学者エズラはこの事のために、かねて設けた木の台の上に立ったが、彼のかたわらには右の方にマッタテヤ、シマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤおよびマアセヤが立ち、左の方にはペダヤ、ミサエル、マルキヤ、ハシュム、ハシバダナ、ゼカリヤおよびメシュラムが立った。 エズラはすべての民の前にその書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼が書を開くと、すべての民は起立した。 エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。
エルサレムの城壁を再建し、いったんはそれぞれの嗣業の地に戻ったイスラエルの民は、誰かから召集を受けたわけでもなく、自発的に、7月1日にエルサレムに上り、皆ひとりのように水の門の前の広場に集まりました。なぜなら7月1日はイスラエルの成人男性は皆参加すべき主の例祭が行われる月だからです。そして祭司エズラに、主の律法を持ってきて人々の前で語り聞かせるようにと願い出ました。エズラが木の台に立ち、律法の書を開くと民は皆起立し、朗読すると民は皆その言葉に耳を傾け、アーメン、アーメンと答え、ひれ伏して主を拝しました。神殿や城壁が再建されても、信仰が再建されなければ何の意味もありません。イスラエルの民は皆、自発的に主を求め、律法を慕い、神の御言葉を喜んで聞き入れました。私たちもまた礼拝すべき時に神の御前に進み出て、御言葉を慕い求め、健全な信仰を立て上げさせていただきたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/neh.8.1-6.ja1955
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ネヘミヤ記 8:7-12
エシュア、バニ、セレビヤ、ヤミン、アックブ、シャベタイ、ホデヤ、マアセヤ、ケリタ、アザリヤ、ヨザバデ、ハナン、ペラヤおよびレビびとたちは民に律法を悟らせた。民はその所に立っていた。 彼らはその書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。 総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである。 そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。 レビびともまたすべての民を静めて、「泣くことをやめなさい。この日は聖なる日です。憂えてはならない」と言った。 すべての民は去って食い飲みし、また分け与えて、大いに喜んだ。これは彼らが読み聞かされた言葉を悟ったからである。
祭司エズラが律法を朗読した後、レビ人たちが民にその御言葉の意味を解き明かして悟らせました。律法の意味するところを学んだイスラエルの民は、自分たちの罪深さに心を刺され、涙を流して悔い改めました。その様子を見ていた祭司エズラと総督ネヘミヤは、主の祭りの日に泣いてはならない、主を喜ぶことはあなた方の力ですと諭し、主の御前で会見の食事を共に楽しみ、喜び祝いました。律法は私たちの罪を暴きますが、裁くものではなく、私たちを悔い改めに導き、主に立ち返らせ、共に救いの喜びを味わうために制定されたものです。御言葉を学び、その意味するところを悟り、自分の生活に当てはめて悔い改め、罪赦された喜びに満たされる、御言葉を愛し守り行う健全な信仰生活を送る者とならせていただきたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/neh.8.7-12.ja1955
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ネヘミヤ記 8:13-18
次の日、すべての民の氏族の長たち、祭司、レビびとらは律法の言葉を学ぶために学者エズラのもとに集まってきて、 律法のうちに主がモーセに命じられたこと、すなわちイスラエルの人々は七月の祭の間、仮庵の中に住むべきことがしるされているのを見いだした。 またすべての町々およびエルサレムにのべ伝えて、「あなたがたは山に出て行って、オリブと野生のオリブ、ミルトス、なつめやし、および茂った木の枝を取ってきて、しるされてあるとおり、仮庵を造れ」と言ってあるのを見いだした。 それで民は出て行って、それを持って帰り、おのおのその家の屋根の上、その庭、神の宮の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場などに仮庵を造った。 捕囚から帰って来た会衆は皆仮庵を造って、仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの日からこの日まで、イスラエルの人々はこのように行ったことがなかった。それでその喜びは非常に大きかった。 エズラは初めの日から終りの日まで、毎日神の律法の書を読んだ。人々は七日の間、祭を行い、八日目になって、おきてにしたがって聖会を開いた。
律法を学んだイスラエルの民は、毎年7月には仮庵の祭を行うべきことを知りました。そこで民は皆出て行って、仮庵の祭のために必要な資材を調達し、おのおの仮庵を造ってその中に住み、イスラエルの歴史を思い起こす時を過ごし、7日の間毎日エズラの朗読する律法を学び、8日目には聖会を行いました。このように捕囚から帰還したすべてのイスラエルの民が盛大に仮庵の祭を行ったことは、約束の地に入植したばかりのときにヌンの子ヨシュアの時からなかったと記されています。彼らは神殿を再建したときに過越の祭と初穂の祭を行い、城壁を再建したときに仮庵の祭を行うことで、イスラエルの3大例祭が再興されました。3大例祭の復興は信仰の復興の象徴、神の民イスラエルが本来あるべき姿を取り戻したのです。私たちも礼拝の持ち方を再度見直し、御言葉と信仰に基づく人生を建て上げさせていただきたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/neh.8.13-18.ja1955