列王紀上 17:1-6
ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。 主の言葉がエリヤに臨んだ、 「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。 そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。 エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。 すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。
イスラエル史上最悪の王アハブが現れたとき、神は旧約時代最大の預言者ともいわれるイザヤを送られました。神が全イスラエルに雨を降らせなくしたのは、五穀豊穣の神アシラと嵐の神バアルの力を封じ込めるためのもので、大自然をも意のままに動かすことのできるのは、偶像の神々ではなく、まことの神、主ただお一人であられることを世に示すためでした。そして神はイザヤをカラスによって養われましたが、カラスは鳥の中でも自己中心で、食料のためには仲間をも攻撃して奪い取るほど貪欲な鳥の代表です。そのカラスがイザヤに毎日パンと肉を届けたということは、自然界では到底あり得ない奇跡です。聖書の神こそ、天地万物を統べ治められるまことの神であるという確かな証です。
https://www.bible.com/bible/81/1ki.17.1-6.ja1955
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列王紀上 17:7-16
しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。 その時、主の言葉が彼に臨んで言った、 「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。 そこで彼は立ってザレパテへ行ったが、町の門に着いたとき、ひとりのやもめ女が、その所でたきぎを拾っていた。彼はその女に声をかけて言った、「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。 彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。 彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。 エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。 『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。 彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。 主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。
イスラエルに雨が降らなくなり、東部の山々からの湧き水で潤っていたケリテ川も、ついに枯れてしまいました。そこで神はイザヤを異邦人の地ザレパテに行くようにと命じましたが、遣わされたのは生活に余裕のある裕福な人の元にではなく、身寄りのない貧しい未亡人の元に遣わしました。彼女は手元に残った最後の小麦粉を使ってパンを作り、死のうとしていました。しかしイザヤの言葉に従って、まず神の御前に小さなパンを差し出すと、なくなるはずの瓶の小麦粉は尽きず、油も絶えず、飢饉の間も食料に困ることはありませんでした。これは神を第一とする者はすべての必要が添えて与えられるとの御言葉の実践です。私たちの手の内にあるものを、自分のためだけに用いるのではなく、まず神の御前に差し出すとき、この世の必要は満たされ、いつまでもいのちを保つ恵みに与ることができますから感謝いたします。
https://www.bible.com/bible/81/1ki.17.7-16.ja1955
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列王紀上 17:17-24
これらの事の後、その家の主婦であるこの女の男の子が病気になった。その病気はたいそう重く、息が絶えたので、 彼女はエリヤに言った、「神の人よ、あなたはわたしに、何の恨みがあるのですか。あなたはわたしの罪を思い出させるため、またわたしの子を死なせるためにおいでになったのですか」。 エリヤは彼女に言った、「子をわたしによこしなさい」。そして彼女のふところから子供を取り、自分のいる屋上のへやへかかえて上り、自分の寝台に寝かせ、 主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、あなたはわたしが宿っている家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか」。 そして三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。 主はエリヤの声を聞きいれられたので、その子供の魂はもとに帰って、彼は生きかえった。 エリヤはその子供を取って屋上のへやから家の中につれて降り、その母にわたして言った、「ごらんなさい。あなたの子は生きかえりました」。 女はエリヤに言った、「今わたしはあなたが神の人であることと、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました」。
イザヤを通して与えられた神の恵みによって餓死を免れたザレパテの未亡人親子でしたが、病によって頼みとしていた一人息子が死んでしまいました。生きる希望を失った未亡人はイザヤに詰め寄りましたが、イザヤが3度、死んだ息子に身を重ねて神に祈ると、一度は失われた魂が元に帰り、一人息子は生き返りました。死者のよみがえりを目の当たりにしたザレパテの女は、イザヤが単なる魔術師ではなく、まことの神の預言者であることを認め、主の言葉が真実であると信仰告白するに至りました。この信仰が神の民イスラエルではなく異邦人に与えられたのは、異邦人の時代と呼ばれる今の時代、そしてイスラエル情勢と似ているところがあります。私たち異邦人が神の恵みに与ったことに感謝すると同時に、接ぎ木されたオリーブの根株であるイスラエルの救いと祝福のために祈る私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/1ki.17.17-24.ja1955
ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。 主の言葉がエリヤに臨んだ、 「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。 そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。 エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。 すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。
イスラエル史上最悪の王アハブが現れたとき、神は旧約時代最大の預言者ともいわれるイザヤを送られました。神が全イスラエルに雨を降らせなくしたのは、五穀豊穣の神アシラと嵐の神バアルの力を封じ込めるためのもので、大自然をも意のままに動かすことのできるのは、偶像の神々ではなく、まことの神、主ただお一人であられることを世に示すためでした。そして神はイザヤをカラスによって養われましたが、カラスは鳥の中でも自己中心で、食料のためには仲間をも攻撃して奪い取るほど貪欲な鳥の代表です。そのカラスがイザヤに毎日パンと肉を届けたということは、自然界では到底あり得ない奇跡です。聖書の神こそ、天地万物を統べ治められるまことの神であるという確かな証です。
https://www.bible.com/bible/81/1ki.17.1-6.ja1955
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列王紀上 17:7-16
しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。 その時、主の言葉が彼に臨んで言った、 「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。 そこで彼は立ってザレパテへ行ったが、町の門に着いたとき、ひとりのやもめ女が、その所でたきぎを拾っていた。彼はその女に声をかけて言った、「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。 彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。 彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。 エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。 『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。 彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。 主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。
イスラエルに雨が降らなくなり、東部の山々からの湧き水で潤っていたケリテ川も、ついに枯れてしまいました。そこで神はイザヤを異邦人の地ザレパテに行くようにと命じましたが、遣わされたのは生活に余裕のある裕福な人の元にではなく、身寄りのない貧しい未亡人の元に遣わしました。彼女は手元に残った最後の小麦粉を使ってパンを作り、死のうとしていました。しかしイザヤの言葉に従って、まず神の御前に小さなパンを差し出すと、なくなるはずの瓶の小麦粉は尽きず、油も絶えず、飢饉の間も食料に困ることはありませんでした。これは神を第一とする者はすべての必要が添えて与えられるとの御言葉の実践です。私たちの手の内にあるものを、自分のためだけに用いるのではなく、まず神の御前に差し出すとき、この世の必要は満たされ、いつまでもいのちを保つ恵みに与ることができますから感謝いたします。
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列王紀上 17:17-24
これらの事の後、その家の主婦であるこの女の男の子が病気になった。その病気はたいそう重く、息が絶えたので、 彼女はエリヤに言った、「神の人よ、あなたはわたしに、何の恨みがあるのですか。あなたはわたしの罪を思い出させるため、またわたしの子を死なせるためにおいでになったのですか」。 エリヤは彼女に言った、「子をわたしによこしなさい」。そして彼女のふところから子供を取り、自分のいる屋上のへやへかかえて上り、自分の寝台に寝かせ、 主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、あなたはわたしが宿っている家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか」。 そして三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。 主はエリヤの声を聞きいれられたので、その子供の魂はもとに帰って、彼は生きかえった。 エリヤはその子供を取って屋上のへやから家の中につれて降り、その母にわたして言った、「ごらんなさい。あなたの子は生きかえりました」。 女はエリヤに言った、「今わたしはあなたが神の人であることと、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました」。
イザヤを通して与えられた神の恵みによって餓死を免れたザレパテの未亡人親子でしたが、病によって頼みとしていた一人息子が死んでしまいました。生きる希望を失った未亡人はイザヤに詰め寄りましたが、イザヤが3度、死んだ息子に身を重ねて神に祈ると、一度は失われた魂が元に帰り、一人息子は生き返りました。死者のよみがえりを目の当たりにしたザレパテの女は、イザヤが単なる魔術師ではなく、まことの神の預言者であることを認め、主の言葉が真実であると信仰告白するに至りました。この信仰が神の民イスラエルではなく異邦人に与えられたのは、異邦人の時代と呼ばれる今の時代、そしてイスラエル情勢と似ているところがあります。私たち異邦人が神の恵みに与ったことに感謝すると同時に、接ぎ木されたオリーブの根株であるイスラエルの救いと祝福のために祈る私たちでありますように。
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