レビ記 15:1-12
主はまた、モーセとアロンに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『だれでもその肉に流出があれば、その流出は汚れである。 その流出による汚れは次のとおりである。すなわち、その肉の流出が続いていても、あるいは、その肉の流出が止まっていても、共に汚れである。 流出ある者の寝た床はすべて汚れる。またその人のすわった物はすべて汚れるであろう。 その床に触れる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者のすわった物の上にすわる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者の肉に触れる者は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者のつばきが、清い者にかかったならば、その人は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者の乗った鞍はすべて汚れる。 また彼の下になった物に触れる者は、すべて夕まで汚れるであろう。またそれらの物を運ぶ者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者が、水で手を洗わずに人に触れるならば、その人は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者が触れた土の器は砕かなければならない。木の器はすべて水で洗わなければならない。」
「肉の流出」と訳されているものは性病を指すものです。性病は主に乱れた性関係を持つことによって伝染する病ですから、罪の結果であり、神の忌み嫌われる汚れとされるのは当然です。現代社会では性を神の定められた尊いものとして考えるのではなく、快楽や流行の一つとして扱い、不倫や婚前交渉を美化し、神の御心に適わない不自然な性関係を是認する乱れた風潮の中に私たちは生きています。神に喜ばれる者となるためにはなおさら、性関係についてきよさを保つ必要があります。性病はもちろんのこと、乱れた性関係は神の憎まれる罪汚れです。汚れに触れるものは汚れます。罪を放置することは死に至る病であり、汚れたままの状態でいる者は神のきよさに与ることは決してできません。私たちを取り巻く環境は、殊に性的なことに関する誤った情報や、快楽主義的、興味本位の思想は罪汚れに満ちていますから、自らの意志でシャットアウトしなければなりません。世間の風潮に惑わされることなく、乱れきった性を頭の中からも根絶し、きよさを保つ私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/lev.15.1-12.ja1955
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レビ記 15:13-15
「流出ある者の流出がやんで清くなるならば、清めのために七日を数え、その衣服を洗い、流れ水に身をすすがなければならない。そうして清くなるであろう。 八日目に、山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を取って、会見の幕屋の入口に行き、主の前に出て、それを祭司に渡さなければならない。 祭司はその一つを罪祭とし、他の一つを燔祭としてささげなければならない。こうして祭司はその人のため、その流出のために主の前に、あがないをするであろう。」
罪から遠ざかり、性病が癒された者は、重い皮膚病の場合と同様、7日間のきよめの期間を過ごした後、流水で身をすすぎ、衣服を洗った後、会見の幕屋すなわち主の御前に進み出て、罪の購いの犠牲と燔祭を捧げてはじめて、きよい者と認められました。罪は購われなければ決してきよくなることはできません。
https://www.bible.com/bible/81/lev.15.13-15.ja1955
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レビ記 15:16-24
「人がもし精を漏らすことがあれば、その全身を水にすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 すべて精のついた衣服および皮で作った物は水で洗わなければならない。これは夕まで汚れるであろう。 男がもし女と寝て精を漏らすことがあれば、彼らは共に水に身をすすがなければならない。彼らは夕まで汚れるであろう。 また女に流出があって、その身の流出がもし血であるならば、その女は七日のあいだ不浄である。すべてその女に触れる者は夕まで汚れるであろう。 その不浄の間に、その女の寝た物はすべて汚れる。またその女のすわった物も、すべて汚れるであろう。 すべてその女の床に触れる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 すべてその女のすわった物に触れる者は皆その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 またその女が床の上、またはすわる物の上におる時、それに触れるならば、その人は夕まで汚れるであろう。 男がもし、その女と寝て、その不浄を身にうけるならば、彼は七日のあいだ汚れるであろう。また彼の寝た床はすべて汚れるであろう。」
射精や生理など性に関する日常的なことにおいても、体内からの漏出については神の御前に汚れとみなされました。これは、生まれながらの罪人である私たちの内側から出るものは汚れているという、聖書的な考え方に基づくものです。同時にこの教えは性的な不道徳を戒め、性の尊さときよさを保つための神の知恵でもありました。罪汚れから遠ざかり、神の定められた正しい夫婦関係と性の概念を守ること、これが人間にとって何よりのさいわいであり、祝福の基となります。
https://www.bible.com/bible/81/lev.15.16-24.ja1955
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レビ記 15:25-33
「女にもし、その不浄の時のほかに、多くの日にわたって血の流出があるか、あるいはその不浄の時を越して流出があれば、その汚れの流出の日の間は、すべてその不浄の時と同じように、その女は汚れた者である。 その流出の日の間に、その女の寝た床は、すべてその女の不浄の時の床と同じようになる。すべてその女のすわった物は、不浄の汚れのように汚れるであろう。 すべてこれらの物に触れる人は汚れる。その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 しかし、その女の流出がやんで、清くなるならば、自分のために、なお七日を数えなければならない。そして後、清くなるであろう。 その女は八日目に山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を自分のために取り、それを会見の幕屋の入口におる祭司のもとに携えて行かなければならない。 祭司はその一つを罪祭とし、他の一つを燔祭としてささげなければならない。こうして祭司はその女のため、その汚れの流出のために主の前に、あがないをするであろう。 このようにしてあなたがたは、イスラエルの人々を汚れから離さなければならない。これは彼らのうちにあるわたしの幕屋を彼らが汚し、その汚れのために死ぬことのないためである』」。 これは流出ある者、精を漏らして汚れる者、 不浄をわずらう女、ならびに男あるいは女の流出ある者、および不浄の女と寝る者に関するおきてである。
この戒めは生理のときだけでなく長期にわたって血の流出が止まらない、女性特有の婦人病に関する掟です。主イエスの公生涯において、長血の女が主の御衣にでも触れれば癒されると信じて癒された記事がありますが、慢性的な血の流出を伴う病についても、汚れとみなされました。なぜなら血はいのちの象徴であり、血の流出が止まらないということはいのちを蝕む罪と考えられたからです。この場合においても、癒された後には性病の場合と同様、罪の購いの犠牲と燔祭を捧げてきよめられました。このように神は私たちに罪汚れから遠ざかる生涯を送ることを望んでおられ、またたとい罪を犯し汚れたとしても、きよめの期間と回復の道を備えてくださいました。
https://www.bible.com/bible/81/lev.15.25-33.ja1955
主はまた、モーセとアロンに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『だれでもその肉に流出があれば、その流出は汚れである。 その流出による汚れは次のとおりである。すなわち、その肉の流出が続いていても、あるいは、その肉の流出が止まっていても、共に汚れである。 流出ある者の寝た床はすべて汚れる。またその人のすわった物はすべて汚れるであろう。 その床に触れる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者のすわった物の上にすわる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者の肉に触れる者は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者のつばきが、清い者にかかったならば、その人は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者の乗った鞍はすべて汚れる。 また彼の下になった物に触れる者は、すべて夕まで汚れるであろう。またそれらの物を運ぶ者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者が、水で手を洗わずに人に触れるならば、その人は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者が触れた土の器は砕かなければならない。木の器はすべて水で洗わなければならない。」
「肉の流出」と訳されているものは性病を指すものです。性病は主に乱れた性関係を持つことによって伝染する病ですから、罪の結果であり、神の忌み嫌われる汚れとされるのは当然です。現代社会では性を神の定められた尊いものとして考えるのではなく、快楽や流行の一つとして扱い、不倫や婚前交渉を美化し、神の御心に適わない不自然な性関係を是認する乱れた風潮の中に私たちは生きています。神に喜ばれる者となるためにはなおさら、性関係についてきよさを保つ必要があります。性病はもちろんのこと、乱れた性関係は神の憎まれる罪汚れです。汚れに触れるものは汚れます。罪を放置することは死に至る病であり、汚れたままの状態でいる者は神のきよさに与ることは決してできません。私たちを取り巻く環境は、殊に性的なことに関する誤った情報や、快楽主義的、興味本位の思想は罪汚れに満ちていますから、自らの意志でシャットアウトしなければなりません。世間の風潮に惑わされることなく、乱れきった性を頭の中からも根絶し、きよさを保つ私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/lev.15.1-12.ja1955
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レビ記 15:13-15
「流出ある者の流出がやんで清くなるならば、清めのために七日を数え、その衣服を洗い、流れ水に身をすすがなければならない。そうして清くなるであろう。 八日目に、山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を取って、会見の幕屋の入口に行き、主の前に出て、それを祭司に渡さなければならない。 祭司はその一つを罪祭とし、他の一つを燔祭としてささげなければならない。こうして祭司はその人のため、その流出のために主の前に、あがないをするであろう。」
罪から遠ざかり、性病が癒された者は、重い皮膚病の場合と同様、7日間のきよめの期間を過ごした後、流水で身をすすぎ、衣服を洗った後、会見の幕屋すなわち主の御前に進み出て、罪の購いの犠牲と燔祭を捧げてはじめて、きよい者と認められました。罪は購われなければ決してきよくなることはできません。
https://www.bible.com/bible/81/lev.15.13-15.ja1955
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レビ記 15:16-24
「人がもし精を漏らすことがあれば、その全身を水にすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 すべて精のついた衣服および皮で作った物は水で洗わなければならない。これは夕まで汚れるであろう。 男がもし女と寝て精を漏らすことがあれば、彼らは共に水に身をすすがなければならない。彼らは夕まで汚れるであろう。 また女に流出があって、その身の流出がもし血であるならば、その女は七日のあいだ不浄である。すべてその女に触れる者は夕まで汚れるであろう。 その不浄の間に、その女の寝た物はすべて汚れる。またその女のすわった物も、すべて汚れるであろう。 すべてその女の床に触れる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 すべてその女のすわった物に触れる者は皆その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 またその女が床の上、またはすわる物の上におる時、それに触れるならば、その人は夕まで汚れるであろう。 男がもし、その女と寝て、その不浄を身にうけるならば、彼は七日のあいだ汚れるであろう。また彼の寝た床はすべて汚れるであろう。」
射精や生理など性に関する日常的なことにおいても、体内からの漏出については神の御前に汚れとみなされました。これは、生まれながらの罪人である私たちの内側から出るものは汚れているという、聖書的な考え方に基づくものです。同時にこの教えは性的な不道徳を戒め、性の尊さときよさを保つための神の知恵でもありました。罪汚れから遠ざかり、神の定められた正しい夫婦関係と性の概念を守ること、これが人間にとって何よりのさいわいであり、祝福の基となります。
https://www.bible.com/bible/81/lev.15.16-24.ja1955
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レビ記 15:25-33
「女にもし、その不浄の時のほかに、多くの日にわたって血の流出があるか、あるいはその不浄の時を越して流出があれば、その汚れの流出の日の間は、すべてその不浄の時と同じように、その女は汚れた者である。 その流出の日の間に、その女の寝た床は、すべてその女の不浄の時の床と同じようになる。すべてその女のすわった物は、不浄の汚れのように汚れるであろう。 すべてこれらの物に触れる人は汚れる。その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 しかし、その女の流出がやんで、清くなるならば、自分のために、なお七日を数えなければならない。そして後、清くなるであろう。 その女は八日目に山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を自分のために取り、それを会見の幕屋の入口におる祭司のもとに携えて行かなければならない。 祭司はその一つを罪祭とし、他の一つを燔祭としてささげなければならない。こうして祭司はその女のため、その汚れの流出のために主の前に、あがないをするであろう。 このようにしてあなたがたは、イスラエルの人々を汚れから離さなければならない。これは彼らのうちにあるわたしの幕屋を彼らが汚し、その汚れのために死ぬことのないためである』」。 これは流出ある者、精を漏らして汚れる者、 不浄をわずらう女、ならびに男あるいは女の流出ある者、および不浄の女と寝る者に関するおきてである。
この戒めは生理のときだけでなく長期にわたって血の流出が止まらない、女性特有の婦人病に関する掟です。主イエスの公生涯において、長血の女が主の御衣にでも触れれば癒されると信じて癒された記事がありますが、慢性的な血の流出を伴う病についても、汚れとみなされました。なぜなら血はいのちの象徴であり、血の流出が止まらないということはいのちを蝕む罪と考えられたからです。この場合においても、癒された後には性病の場合と同様、罪の購いの犠牲と燔祭を捧げてきよめられました。このように神は私たちに罪汚れから遠ざかる生涯を送ることを望んでおられ、またたとい罪を犯し汚れたとしても、きよめの期間と回復の道を備えてくださいました。
https://www.bible.com/bible/81/lev.15.25-33.ja1955