中国の専門家・加藤紘一元幹事長を「外務大臣」に抜擢し「日中関係修復」の任に

2005年04月23日 17時34分14秒 | 反日問題
小泉首相と胡主席が会談へ、日中関係修復が目的 (ロイター) - goo ニュース

 ジャカルタで開かれているアジア・アフリカ会議(バンドン会議)に出席中の小泉首相と中国の胡錦涛国家主席との首脳会談の調整が進められていた最中、自民党の加藤紘一元幹事長の寄稿文が、朝日新聞の23日付朝刊の「オピニオン」欄に掲載されていた。「首脳は改善へ意思示せ」との見出しがつけられている。
 加藤氏は、2001年4月の小泉政権発足後、初めて迎えた8月に「終戦記念日の靖国神社参拝」という自らの公約への中国の批判に、いらだちを見せていた小泉首相に「『参拝はやめた方がいい』と進言したが、聞き入れてはくれなかった」と述べ、「靖国参拝問題の本質は、神社にまつられている14人のA級戦犯をどうみるかということに尽きる」として、小泉首相にいかに忠告した内容を縷々紹介している。
 そのうえで、日中関係の悪化を避けねばならないとして、その方策について、加藤氏は「いまこそ小泉首相と胡錦涛主席が、『関係悪化をここで食い止めるんだ』という明確な意思表示をすることが、極めて重要だ」と提言している。
 加藤氏は、外務官僚出身の政治家である。若手官僚時代、北京の日本大使館に勤務し、中国・北朝鮮情報を収集・分析を担当し、中国人顔負けの流暢な北京語を操ることでも知られている。「本物の情報を収集する抜群の能力の持ち主」として大平正芳元首相から信頼を得て、大平内閣の官房副長官(福田内閣の森喜朗副長官の後任)に抜擢されて、国会内外で情報収集に当り、政権をよく助けた。 日本の政権は、「アメリカ」「中国」両国の厚い信頼を得なければ、外交上、安定政権を維持できないという宿命を背負っている。逆に言えば、両国から厚い信頼を得られれば、少なくとも外交上は「安定した良好な政権」を維持できるということである。今日、小泉政権は「ブッシュ政権」とは極めて緊密で良好な「同盟関係」を堅持している。「ブッシュ政権」が、「石油・軍需・ゼネコン」の3業界を支持基盤とし、とくにチェィニー副大統領が「ハリバートン」という石油会社のトップであり、小泉政権が「石油業界」を支持基盤にしているという似たような関係から、相性がよいからでもある。小泉首相の出身母体である自民党森派は、旧商工省(現在の経済産業省)の「革新官僚」と言われて岸信介元首相が「資源エネルギー利権」を掌握して以来の「石油利権」を継承してきている。 この「石油利権」を基盤にしている小泉政権が、東シナ海の尖閣列島付近において中国が行っている油田・ガス田の開発に神経質になるのは、当然である。
 だが、加藤氏が指摘しているように、「日中関係の悪化」は、両民族にとって「プラス」にはならない。小泉首相と胡錦涛主席は、「危機回避」のために努力を惜しんではならない。そのためには、いずれも「メンツ」にこだわる「愚」をも避ける必要がある。
 「山崎拓・小泉純一郎・加藤紘一」の3人は、「YKK」と言われた「盟友どうし」だったはずである。加藤氏は、「加藤の乱」により一時失脚したことはあるが、「禊」を終えていまは「復権」を果たし、「近い将来の総理総裁候補者」の地位を復活しつつあり、日本にとって大事な大政治家である。
 小泉首相は、この危機を乗り越えて、自民党総裁任期満了までの残された「1年5か月」の間に、経済再生・景気回復などの実績とともに、「外交上の業績」を上げなくてはならない。
 そのためには、小泉首相がこの秋にも予定していると言われている内閣改造では、中国人以上に流暢に北京語を操れる「中国通」の加藤氏を「外務大臣」として入閣させて、「中国」との関係修復の任に当たらせ、「アメリカ」との同盟関係と相まって、「安定した良好な政権」を維持して、「有終の美」を飾るべきである。
 小泉首相の政治の師匠であった福田元首相は昭和53年8月12日、日中平和友好条約締結に踏み切る際、東洋哲学者・安岡正篤氏を首相官邸に招いて、教えを請うた。福田元首相は、岸信介元首相から「台湾利権」を引き継いでいて、福田派の国会議員たちが、台湾との深い付き合いを重んずる立場から「日中平和友好条約締結」に反対し、自民党内は大荒れした。反対派の急先鋒は、鼻息の荒い「青嵐会」の若手議員たちで、このなかに現在の東京都知事・石原慎太郎衆院議員や中川昭一経済産業相の父・中川一郎衆院議員、後に首相になる森喜朗衆院議員、浜田幸一衆院議員らの暴れん坊がいた。
 福田首相にどうすればよいかを聞かれた安岡正篤氏は、「覇道ではなく、王道を歩みなさい」と教示を授けた。福田首相が「王道ですか」と聞き直したのに対して、安岡氏は、「そうです」と答え、福田首相は「わかりました」と述べて、破顔一笑したという。
 首相執務室から出てきた安岡氏を「福田番」の記者団が取り込んだ。毎日新聞政治部記者として「福田番」を務めていた私は、すかさず「何を話されたのですか」と訊ねた。安岡氏は「王道と覇道ということです」と一言言い残して、車寄せの乗用車に乗り込んで、去って行った。すったもんだの末に、日中平和友好条約は締結された。
 小泉首相は、このときの福田首相の「心中」をいま一度、思い起こすべきである。
 ちなみに、「靖国神社」がどう対処するかは自由であるが、主張するのも自由であるから、「靖国神社」にあえて一言進言したい。 「日本の政権を困らせ、日本民族の前途を誤らせるようなことは即刻、お止めなさい」
 もちろん、中国民衆が今後、「共産党一党独裁」と「資本主義経済」との間に矛盾を感じ、「自由」と「民主主義」を求めて、「革命」に立ち上がり、「共産主義体制」を崩壊させるか否かは、わが日本民族の一切関知するところではない。内政干渉しないよう、この面で日本が、「モンロー主義」を貫くべきであることは言うまでもない。

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