自民党は、民主党の「容共体質」を糾弾、攻撃し続ければ、政権政党を堅持できる

2008年06月14日 21時09分50秒 | 政治
◆ある出版社社長さんから「民主党の派閥抗争」というテーマを与えられで、気軽に執筆作業に入ったところ、民主党が平成8年(1996)9月28日に結成される前後からこれまでの12年をトレースしている間に、長い時間を要した。このためブログを書く余裕がなかったのである。
 作業に熱中していると、この12年の間に、政界から姿を消していった政治家が少なくなく、それは屍を累々と積み重ねたような風景が脳裏に浮かび上がってきた。その屍を乗り越えて、現在の民主党が存在しているのであり、大雑把に言って「8つの派閥」が形成されていることに気づいた。
民主党内には、参議院での圧勝に小躍りし、大半の政治家が熱病にかかった感があった。その症状はいまでも続いており、「後期高齢者医療制度」が国民に不評なことから、まるで「鬼の首」を取ったかのような勝利感に浮かれている政治家が少なくない。このため、「政権獲得」という「山頂」に向かって「八合目」きたと感じている政治家人が多い。
「政権交代」の声が現実味を帯びてきているのは、確かである。だが、民主党内にも、「まだ六合目くらい」と厳しい見方をしている幹部も少なくない。要するに「いつまでも浮かれていては、手痛いしっぺ返しを食らうぞ」という諌めである。
冷静な眼をさらに大きく開いて、見えにくい部分に目を凝らし見ると、民主党が「いま一歩」のところで、奈落に転落してしまいかねない要素が見えてくる。その最大の元凶が「派閥抗争」である。しかも元来、思想的にもイデオロギー的にも相容れない複数の政治集団に属していた政治家たちが、「自分の議席確保」という極めて私利私欲で集まっている「シェルター政党」にすぎないというまさに「出自」のところで、国民・有権者を裏切っているからである。日本の政治が腐敗もなく、清浄な姿で推移していくには、「二大政党」による政権交代が行われるのが望ましい。言わずもがなである。
◆だがしかし、政治家に最も求められるのは、「公」という意識である。「公のために死す」という崇高な目的があるからこそ、「国民を代表する」という地位と権限を付与されるのである。この「公のため」という意識を民主党の政治家たちがどれだけ喪っているかは、極めて疑わしい。本物の政治家と言えるのは、せいぜい小沢一郎、菅直人、鳩山由紀夫、藤井裕久、長妻昭、馬渕澄夫、三井辨雄の各氏くらいのものであろう。土壇場のところで、派閥抗争を激化させて、「政権取り」が失敗する可能性が大なのである。
 もっと言えば、民主党の政権取りを遠ざけるのは、「野党共闘」という戦術である。参議院で野党が過半数を取り、自民・公明連立与党が、過半数に「17議席不足」しているとは言っても、民主党が単独で過半数を得ているわけではない。民主党が強気でいられるのは、あくまでも共産党7議席、社民党5議席、国民新党4議席に助けられているからである。
◆民主党が永久に政権政党になれないのではないかという懸念は、これら野党共闘のなかに潜んでおり、なかんずく共産党、社民党との共闘は、「致命傷」となる可能性が大きい。これは、日本の政治を根底から支えている「ガチガチの保守層」の感情を逆撫でしているためである。小沢一郎、その隣に、共産党の志位和夫、菅直人、土井たか子、鳩山由紀夫の各氏が並んで、「がんばろう」とシュプレヒコールする姿は、いただけない。つまり気に入らないのである。これが民主党への反感を招いている。
◆とくに北朝鮮による拉致事件に対して、「拉致はない」と言い張り続け、いまでも猫を被っている土井たか子元社会党委員長は、「一体どこの国の政治家か」という批判もある。こういういかがわしい連中と席を同じくしているいまの民主党は、政権からは限りなく遠いところに位置している。自民党が政権を維持しようとするなら、まず、民主党内に瀰漫している「容共体質」を徹底的に糾弾することに全精力を投入しなければならない。共産党は、いまだに「暴力革命放棄」を明言していないのである。
板垣英憲マスコミ事務所

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