悲劇の戦艦「大和」撃沈60周年「追悼式」に思う~ライブドアとの類似性

2005年04月08日 15時19分44秒 | 経済
戦艦大和の沈没から60年、呉の旧海軍墓地で追悼式 (朝日新聞) - goo ニュース

 戦艦大和が1945年4月7日に米軍機に撃沈されて60年周の追悼式が7日、広島県呉市の旧海軍墓地で行われた。
 戦艦大和が建造された旧呉海軍工厰を眼下に見下ろす「宮原10丁目」というところで戦後間もなくして生まれた私は、子どものころこの辺りをよく散歩したものである。母の知人や隣人が大和の出撃の前に「海のモクズになるのよのう」と冗談まじりの挨拶をして、勇ましく出征して行き、それらのほとんどの人が大和と運命を共にしたという話をよく聞かされたのを思い出す。
 霞ヶ浦で航空隊を養成した山本五十六海軍大将が、爆撃機によりパールハーバーを奇襲して大勝し、軍事戦略思想が、「航空戦」が主流に変わっていたにもかかわらず、ミッドウェー海戦では、頭の固い海軍軍人たちが、時代遅れの「大艦巨砲主義」に固執し、遂に帝国海軍を壊滅させてしてしまった。航空母艦を失った海軍は、「大艦巨砲主義」の最大の傑作とも言うべき戦艦大和を「片道の燃料だけ」で自殺的とも言える沖縄決戦に向けて出撃させ、案の定、米軍機から銃弾や爆弾を雨あられのごとく叩き込まれ、潜水艦からは魚雷をあちこちから撃ち込まれて、八岐大蛇がのたうち回るようにして、巨体を反転させながら、海中に沈没していった。
 戦艦大和の悲劇を聞くたびに、軍事技術の大革命が、戦略思想の変化をもたらすという歴史的教訓は、果して、今日の日本で生かされているだろうか。
 
 いま急速に進展しているメディアとインターネットの融合も、技術変化がもたらす効果の一つである。ライブドアの堀江貴文社長がこのことを多くの国民に思い知らせてくれたのであるが、新聞、テレビ、ラジオなどのメディアに関わっている人々の多くが、すでに「時代遅れ」になっていることに気づいていないのではないか。あるいは、気づいていても、「大艦巨砲主義」に固執しているのではないか。戦艦大和追悼式の報道を見聞きしながら、ふと疑問に感じた。
 
 もう一つ、かつて朝日新聞の名物記者と言われた笠信太郎さんの著書「なくて七癖」が、思い浮かんだ。
 日本人の「七癖」の一つに「上へ登る癖」というのがあった。日本人は、むかしから「高いところへ登りたがる癖がある」というのである。富士山登山、伊勢参り、京へ上るなどである。
 明治維新以降、日本人は、「欧米列強を追いつけ、追い越せ」というかけ声で文明開花と近代化に励んできた。その過程で、「3流5流国から一等国を目指す」という気概が発揮され、日清日露戦争に勝利してからというもの、「世界の一等国」になったと増長し、うぬぼれてしまった。その結末が、敗戦であった。
 戦後は、「軍事大国への道」を捨て、「経済大国」への道に邁進し、遂に「世界第2位の経済大国」を築き、再び、増長するようになり、「バブル経済崩壊」という惨劇を経験した。
 いまは、「国連安保理事会の常任理事国」になろうとしている。戦勝国である米、英、仏、ロ、中の仲間入りしたいのである。これも「勝ち組」に入ろういう意味で、「上へ登ろうとする癖」の成せる業であろう。中国に反対されるまでもなく、「常任理事国」などにならなくてもよい。これからは「米中対決」が激化する時代であるから、日本が巻き添えを食わない方が、国益に叶う。財政負担や人命を損なう危険が目に見えている大変にことは、須らく「お節介焼き」のアメリカと「中華思想」に取りつかれた「物好きな国」の中国、そして何かと日本に対してライバル意識をムキ出しにしてつっかかってくる韓国に任せておけば十分である。
 
 もう一度、「吉田茂元首相」の平和戦略を思い出して欲しい。日本を守るのは、「日本の番犬・アメリカ」であり、米ソ対決時代は最前線の「韓国」だった。これは、日本国憲法の理念に最も適った「軍事戦略」だったはずである。この構図は、多少変形したとしても、崩すべきではない。大事なのは、日本の若者たちの貴い命を守ることである。すなわち「血の犠牲」に供してはならない。血を流すのは、「他国の若者たち」でよいのである。これこそ、狡猾で巧妙な高等戦術だった。日本は、危ないところにわざわさしゃしゃり出て、若者たちを犠牲にすべきではない。それでなくても、「少子高齢化」が進んでいるのだ。ヘタをすると若者たちの代わりに「65歳以上の高齢者」で編成する「老人部隊」まで創設しなければならなくなる。

 次に、新入生を迎える入学式が終われば、高校生は、一流大学を目指して「偏差値の上位」に向かって上昇のための勉強に励む。大学生は1部上場企業への入社を目指して、競争に突入する。
 上昇志向は、決して悪いことではない。「上」を目指し、日々向上していくことは、よいことである。
 だが、源平合戦の「先陣争い」ではあるまいし、また、「二〇三高地」を目指したような兵隊でもあるまいし、「一番乗り」したところで、何が得られるというのであろうか。「自己を見失う」のが関の山ではないだろうか。日本人も、そろそろ、「上に登る癖」から解放されて、各々が地道でもしっかり大地に足の着いた生き方を生き甲斐を求めてもよいのではないだろうか。

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