「純然たる警察」でもなく「純然たる海軍」でもない海上自衛隊は、海上保安庁が根本的に嫌いなのだ!

2008年02月28日 18時40分16秒 | 政治
◆石破茂防衛相が、イージス艦「あたご」の航海長をヘリで防衛省に呼び、漁船衝突事故について海上保安部が現場に到着する前に事情聴取していたことがバレてしまったという。誠にお粗末な出来事である。防衛相が率先して、不都合な事実に口封じし、証拠隠滅を図ろうとしたと疑われても仕方がない。
 領海内での海難事故の捜査は、海上保安部が担当するのが当たり前であり、これは、陸上での交通事故の捜査を所轄の警察署が行うことを考えれば、交通警察が急行する前に事故を起こした運転手が、現場を離れてしまうのと同様に、たとえ上司から命令されたとはいえ、航海長の行為は犯罪的である。石破防衛相はじめ海上幕僚長ら高級幹部も非常識であり、同罪である。こんな違法行為がはっきりしたからには、防衛相はじめ海上幕僚長ら高級幹部は、このこと自体で、即刻クビである。
◆石破防衛相はじめ海上幕僚長ら高級幹部が口封じ、口裏合わせ、証拠隠滅を疑われるこんな違法行為を行った要因について防衛庁記者クラブにかつて所属していたことのある某全国紙の政治部記者であった某政治ジャーナリストが、民放テレビで「防衛大学校を卒業したエリート自衛官は、縦横の団結が緊密で、お互いをかばい合おうとする習性があるので今回のような行動を取ったのだろう」というような趣旨の発言をしていた。確かに自衛隊高級幹部も「官僚」であるから「組織防衛」に走り勝ちになるのは、その通りである。
 しかし、このコメントは、あまりにも一面的な見方であり、本質を捉えていない。むしろ防衛大学校・自衛隊の習性について、無知も甚だしく、素人論の域を出ていない。石破防衛相はじめ海上幕僚長ら高級幹部の違法行為は、単に「組織防衛」から行われたというよりは、海上自衛隊と海上保安庁の積年の確執に起因していると言った方が、より正確である。海上自衛隊は創設以来、50年以上にわたり、海上保安庁に「敵意」を示してきた。根本的には、海の守備範囲をめぐる争いがある。
◆公海における警備・警察活動は、海上自衛隊、領海内のそれは海上保安庁と峻別されているのだが、海上自衛隊は、「純然たる警察」でもない、かといって「純然たる海軍」でもない。言うなれば、「庶子」あるいは「まま子」として生まれ、成長してきた「いかがわしい存在」でもある海上自衛隊は、現在曖昧なままにされている「使命・任務」あるいは「守備範囲」に納得も満足もしていない。
◆そういう一種の劣等感から、領海内で活躍している海上保安庁をむしろ、馬鹿にしてきた面がある。それにもかかわらず海上保安部の捜査陣は、これ幸いにデカイ顔をして、取り調べに当たっている…と内心苦々しく思っているのが海上自衛隊の深層心理といったところだ。要するに海上自衛隊にとって最も屈辱を感じる相手なのだ。これが正式な「軍隊」であるなら、事故捜査は「憲兵隊」の役目であり、「軍法会議」で裁かれる筋合いの事故である。
だから、今回の衝突事故では、イージス艦「あたご」自体に完全に非があるのは、だれの目にも歴然としているのだが、それでもいつも毛嫌いし、対抗意識を燃やしている海上保安部の捜査陣に乗り込まれて、「軍事機密の塊」のような艦内を隈なく捜査されるのが、海上自衛隊には死ぬほど我慢ならない。これは、口封じ、口裏合わせ、証拠隠滅とは、質の違う問題なのである。
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福田康夫首相以下、「ボンクラ」ばかりであり、「真の将帥」に恵まれない日本国民は不幸だ 

2008年02月22日 18時07分35秒 | 政治
◆福田康夫首相、石破茂防衛相、吉川栄治海上幕僚長、船渡健1等海佐(イージス護衛艦「あたご」艦長)は、「真の将帥」だろうか。
こういう疑問を抱きながら「将師についての名言」(『統帥の源流』より)を改めて読み直してみた。そのなかから、以下、ピックアップして、それぞれに当て嵌めて検討すると、「何だか違うなあ」という感覚になり、暗澹たる気持ちに陥ってしまう。「どいつも、こいつも偽の将帥」であり、日本国民を不幸のドン底に陥れる「ボンクラ」「愚か者」ばかりであることに気づかされる。

●将師に必要な「感情の強固(ゲミューツ。ステルケ)」とは激情のことではない。激情の中にあっても心の均衡を失わず、遠謀と深慮を働かし得ることが大切で、心の中に不動の羅針盤をもたねばならない。
●事の真相を正しく見極めることは困難である。事は予想どおり現れているのに、全然予想が外れたように見えることが多い。目前の幻影を取り去って、真相をつかむことが大切である。
●戦争において確実なのは、将師自身の意思と実行力だけである。
●大胆は全将兵に必要であるが、上級の将師になるに従い、この大胆に熟慮を付加しなくてはならない。将師の大胆には目的があり、計算がともなわなくてはならない。興奮に駆られた暴進ではいけない。
●地位の進むに従って無能になる者が少なくない。地位ともに理性と洞察力が進まないからである。単純で勇敢なだけでは将師にはなれない。
上級指揮官になるとともに決断力を失う者がある。恐ろしさがわかるようになるからである。
最高の地位にあって、胆力のある将師は稀である。
●危険と責任は名将の判断力を活発にするが、凡将の判断力を駄目にする。(クラウゼウィッツ)
●指揮官が全能力の発揮を躊躇すれば、たとい指揮官として優秀なる能力をもっていても役に立たない。また自己の企図を実行するにあたり、その能否を疑うようなことがあれば、いかなる妙案も実現させることはできない。指揮官の最高の能力とは、現行を一致させ得る意志力である。最善の決心も、責任感にもとづく信念がなくては実現できない。(フランス軍参謀総長デブネー)
●軍みだるるは、将重からざるなり。(孫子)
●将は理官(判断役)なり。
●将、愛するが故に、下、二心なし。威あるが故に、下、上を犯すことなし。将たるもの、愛と威を兼備し、偏すべからず。
●勤労の師は、将必ず己を先にす。暑にも蓋を張らず、寒にも衣を重ねず、険には必ず下りて歩し、軍井なりて後に飲み、軍食塾して後に飯し、軍塁なりて後に舎し、労伕必ず身をもってこれを同じくす。かくの如くなれば、師久しといえども老せず弊せず。(将師が率先して苦労に当たる軍は長期戦にたえ、いつも士気旺盛である)。
◆36年前、海上自衛隊幹部候補生学校に入校したとき、「統率科」の教官(2等海佐)が「何を教えていいかわからない。どうしてよいか迷ったら教育参考館へ行け」と言って嘆いていたのが思い出される。海上自衛隊はいまでもいい加減な「指揮官教育」しか行っていないのであろうか。
◆「ああ、情けなや」というのが、本日の結論である。
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海上自衛隊は、「五省」の一つ「不精に亘るなかりしか」を忘れたのか

2008年02月21日 19時29分56秒 | 政治
◆「やっぱり」という感じなのが、イージス護衛艦「あたご」の漁船衝突事故である。報道によると見張り要員が、衝突の「12分前」に「清徳丸」から発せられる「赤い灯り」を目視していたというのに、デッキの当直士官に連絡されていなかったという。「あたご」は、「自動操舵」を解除もせず、漁船群に突っ込み、そのなかの一隻「清徳丸」に衝突したというから呆れ果ててしまう。
◆「あたご」の失敗は、東京湾に近づいていたころ、早く「自動操舵」を解除して、手動に切り替えて操舵しておくべきだった。次に沿岸地域の「漁協」に対して、魚場への進入を事前に予告して、現場の漁船群に警戒するよう知らせておけばよかった。これらを怠ったのは、文字通り怠慢である。旧帝国海軍から伝わる「五省」の一つである「不精に亘るなかりしか」を忘れていたのかも知れない。
もう一つ、これは自衛隊全般に言えることではあるが、上官が部下を動かそうとしても、部下は、素直に動こうとしない風潮がある。海上自衛隊幹部候補生学校時代の小生の同期生が、かなり以前から嘆いていた。同期生が言うには、「休暇を与えるからやってくれと言わなければ、命令に従おうとしない」というのである。「あたご」の見張り要員が、上官の命令に従わなかったというわけではないが、陸上でも海上でも、上官が部下を使いこなすのは、簡単ではないらしい。見張り要員が「赤い灯り」を見ていたにもかかわらず、レーダー要員に連絡もしていなかったというのであるから、何をかいわんやである。
◆今回の事故で、自衛隊の悪しき風習が、またもや露呈している。一つは、「情報隠しの体質」であり、「報道機関に対する報道管制の体質」である。「情報隠し」は、インド洋に派遣された艦船が「航海日誌」を捨てたという不祥事である。「海の男」が、果たして「航海日誌」を捨てるだろうか。常識ではあり得ない。ということは、政治的に都合の悪いものは、「捨てた」ことにしたとしか考えられない。二つ目は、横須賀総監部の山崎郁夫幕僚長が、行方不明の乗組員の家族に対して、「報道機関に余計なことはしゃべらないように」と釘を刺して回ったというから、驚きである。
◆いまや自衛隊は、どうもかつての旧軍時代のように、市民から隔絶した集団になろうとしているらしい。創設時代に目指したはずの「市民の軍隊」は、どこに行ったのであろうか。由々しき事態である。  
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石破茂防衛相は、即刻辞任を、福田政権は、「政権担当能力」がなく、政権交代すべきである

2008年02月20日 19時33分22秒 | 政治
◆「軍乱るるは、将重からざるなり」という言葉が、「孫子」にある。福田康夫首相、石破茂防衛相は、まさに「将重からざるなり」である。いかにも軽軽しい。
防衛省事務方のトップだった守屋武昌前事務次官の汚職事件、海上自衛隊からの機密漏洩、護衛艦内における大火災の発生、そして今回のイージス護衛艦「あたご」(艦長・船渡健1等海佐)による漁船衝突事件である。しかも、現場から石破防衛相への報告が、事故発生から1時間半もかかり、福田首相に報告されるまでに2時間以上も経ていたとは、驚きである。これが敵国からのミサイル攻撃だったら、一体どういう事態になっていたか。想像するだけでも、恐ろしい。
◆これまでの報道からの情報の範囲内に限るが、どう見ても、「あたご」の責任は、甚だ重い。これが戦前であったら、船渡艦長以下、幹部士官や下士官、兵は、明らかに軍法会議ものである。
◆これだけの不祥事の原因は、一つには、最近の防衛省・自衛隊の「驕り」がある。ハワイでの訓練を終えて、意気揚揚と帰還中の「あたご」の乗組員には、「日本の防衛を担っている」という傲慢さの半面、漁船を軽視する気持ちがあったのではないか。
二つには、ハイテクで装備した最新鋭の護衛艦に頼りきり、目視による「見張り」を怠ったことが考えられる。いかにハイテク技術による「レーダー」が発達したからと言っても、それに全面的に依存していると、今回のような大惨事が起きる。
◆民主党の鳩山由紀夫幹事長は、私見として「石破防衛相は、辞任すべきである」と述べているが、その通りである。緩み切った防衛体制を建て直すには、まず、石破防衛相が辞任し、さらに自民・公明連立与党にもはや「政権担当能力」が失われているとするなら、福田内閣は直ぐに総辞職して、政権交代を図るべきである。
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イージス護衛艦「あたご」の事故は、福田政権崩壊の前兆か?

2008年02月19日 20時17分08秒 | 政治
◆海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」が2月19日午前4時すぎ、千葉県南房総市の野島崎沖の太平洋で、漁船と衝突した。漁船は真っ二つの割れ、乗組員2人が行方不明となった。政府は、首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置した。しかし、石破茂防衛相への「事故報告」までに1時間半も要したという。
 これが日本の防衛態勢の実態である。「あたご」は、舞鶴の第3護衛隊群に所属し、ハワイでの対空ミサイル発射試験を終えて、舞鶴港に寄港するため一旦、横須賀港に向かっていたという。横須賀港までもう少しのところでの事故だった。
災難は、いつ、どこで襲ってくるかわからない。「海の交通事故」とはいえ、過失は、双方にあったと思われる。漁船の乗組員2人は気の毒な限りである。「あたご」の艦長以下乗組員も、御愁傷様である。おそらく、艦長と航海長の2人は、クビになるだろう。
◆それでも「あたご」の責任は、重い。最新鋭のレーダーを備え、見張り要員も配置しているはずであるから、「漁船の接近に気づかなかった」としたら、怠慢そのものである。日本列島の近海に近づいた際には、多数の漁船が操業しているということに思いを馳せ、警戒を一段と厳重にして、注意しつつ航行しなければならない。未明の事故なので、目を覚まして操舵していた乗組員は、少なかったのではないか。見張り要員も、寒風のなかしっかりと任務を遂行していたのか疑わしい。
 イージス護衛艦は、ミサイルを撃ち落とすのが、主たる任務であり、「空」ばかり見ていたのが、災いしたのかも知れない。文字通り、「足下」とも言うべき「海上」をよく見ていなかったとも言える。「専門バカ」とはこのことである。
 もっと言えば、ミサイルを撃ち落とすことばかりに専念して、本来の目的である「国民を守る」ことを忘れているとしか思えない。
◆今回の事故は、福田内閣を直撃している。森喜朗元首相がゴルフの最中、アメリカ潜水艦がハワイ沖で急浮上し、訓練中の高校生を乗せた「えひめ丸」に衝突し、沈没させた事故が起き、報告を受けながらゴルフを続けていたため、国民の多くから非難の声を浴び、内閣支持率が低下し、ついに退陣に追い込まれた悪しき前例が思い出される。
 福田首相は、ゴルフをしていたわけではないが、同じような運命に晒されているようである。イージス護衛艦の事故は、その前兆でもある。
◆偶然にも、この日の読売新聞朝刊は、一面で「内閣不支持率51%」「支持39%、初の逆転」と世論調査の結果を報道していた。今後、支持率が上向く可能性は低い。福田首相のあのような「やる気のない顔」を毎日見せられたのでは、支持率が上がるわけがない。森元首相の二の舞になるのが、関の山である。それなら、いっそ一刻も早く政権を投げ出してもらった方が、国民にとっては、幸せというものである。
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鳩山邦夫法相の発言は、「近代刑法の精神」「推定無罪」の大切さを改めて認識させてくれたので高く評価する

2008年02月17日 19時21分05秒 | 政治
◆共産党の志位和夫委員長が2月17日、山梨県昭和町で記者会見し、鳩山邦夫法相が、鹿児島県志布志の選挙違反事件で逮捕・起訴された住民が鹿児島地裁で無罪判決を受けた件で、「冤罪とは言えない」と述べたことについて、「検察の違法捜査を擁護する発言であり、許しがたい発言である」と批判したうえで、「法務大臣としての資質に欠ける。任命権者の福田首相は、鳩山法相を罷免すべきだ」と要求した。
 しかし、日本国憲法第31条(法定の手続きの保障)以下、第40条(刑事補償)までの規定や刑事訴訟法上の規定を総じて、逮捕・起訴された「容疑者・刑事被告人」は、「有罪判決」を受けて、刑が確定するまでは、「無罪の推定」を受けているのであるから、正確には「犯罪人」とはいえない。あくまでも「容疑者・刑事被告人」であるに過ぎない。志布志で逮捕・起訴された住民は、「無罪の推定」を受けて、刑事法廷での審理の結果、検察側が「有罪の立証」をできず、自由心証主義に立脚する裁判官の判断で、被告人全員が「無罪判決」を受けたのであり、住民は「冤罪」を被ったわけではなかった。
◆冤罪とは、本当に罪がないのに有罪判決を下され、刑が確定して服役させられた者をいう。この「有罪判決を受け、刑が確定した」というところが重要なポイントなのだ。たとえば、富山県起きた事件で逮捕・起訴されて、有罪判決を受け、服役した後に、「真犯人」が判明したような事件の被害者は、紛れもない「冤罪の被害者」である。つまり志布志の住民は、「冤罪の被害者」にされかけ、間一髪のところで、裁判官に救われたということである。
この意味で、鳩山法相の発言は、正確な発言であり、東大法学部卒業の「法学士」なるが故に厳密に述べたと言える。志位委員長が「検察の違法捜査を擁護する発言であり、許しがたい発言である」と批判したのは、明らかに間違いである。
◆最も問題なのは、マスコミを含めて、一般国民の多くが、官憲により「逮捕・起訴」され、「容疑者・刑事被告人」を、この段階では「無罪の推定」を受けているにもかかわらず、いかにも「有罪判決が確定」して服役している「犯罪者」のように意識してしまうところである。これは、「近代刑法の精神」をしっかりと理解していないところに由来する「悪弊」である。前近代的な古い意識とも言える。もっと言えば、日本国民のなかに巣食う「風土病」のようなものである。一日も早く払拭しなければならない。特高警察など官憲から厳しく追及されてきた共産党の末裔である志位委員長が、「警察・検察アレルギー」に依然として囚われているのは、理解できるけれど、大事なのは、国民の間に「「近代刑法の精神」を植え付け、正しく醸成することである。
◆とくにマスコミが「無罪の推定」を受けている一般市民を「容疑者」あるいは「刑事被告人」と呼んで報道していることも、「近代刑法の精神」に反している。
日本の司法が「裁判員制度」がいよいよ実施され、一般市民が重大事件の刑事裁判に参加する時代になっているのに、マスコミ自体が、「近代刑法の精神」を疎かにしている状況下では、それこそ、「冤罪」が多発する危険がある。この点から、「近代刑法の精神」や「推定無罪」について改めて考えさせてくれた鳩山法相の発言を高く評価し支持したい。
ちなみに韓国では、「裁判員制度」よりもっと進歩した「陪審員制度」を採用していることを見逃してはならない。

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若者たちの劇団「圧力団体イクチヲステガ」が「物語」をテーマに3月9日から9日まで公演!

2008年02月16日 17時10分48秒 | お知らせ
 「圧力団体イクチヲステガ」は、これまで「政治」、「恋」、「死」をテーマに公演してきたのに続き、今回は「物語」をテーマに演ずる。
チラシから「物語」が一体どんな物語なのかを想像してみよう。「口上」はこう触れ込んでいる。

あなたはペディル・コルフォイを知っているだろうか?
かつて世界が熱狂したあのペディル・コルフォイを。
知らないならば良い機会です。
きっとあなたも好きになる。ペディル・コルフォイ。
世界の涯てに忘れ去られた、ペディル・コルフォイ。
何処へ行った、ペディル・コルフォイ。
我々はついに見つけたのです。
地上のどの文献からも失われた、時の狭間に埋もれし伝説の物語
ペデイル・コルフオイ。
今、我々は数世紀ぶりに再びこの物語を紡ぎ始める。
確信する。
我々の活動は全てこの物語を伝えるために。さぁ呪文のように唱えよう
ペデイル・コルフオイ。
あなたも私もペディル・コルフォイ。
この名を覚えてください。
あなたにも私にも決して忘れられない名前になるフォイ。

イクチヲステガが開拓した精神の荒野、そして到達した新しい物語の地平彼の地であなたと出会えることを心よりお待ちしております

イクチヲステガのSさんからメールが入り「物語」の趣旨について以下のような解説がありましたので紹介しておきましょう。

今回は「物語」をテーマに据えて、物語を紡ぎ出す我々にとって、また物語を受け取る全ての人々にとって、それが一体何であるのか。人々が「物語」を感受するときに一体何を思っているのか。「物語」が「物語」たる所以は何なのか。歴史は「物語」たるのか。だとするならばその最先端にいる自分たちはどうか。宗教は。日々営まれている生活は?
突き詰めれば極めて個人的な感覚でしかない「物語」という概念は、時代の流れとメディアの発達により何処にでも内在しているように思われますが、では自身が信じられる本当の「物語」とは何なのか。それを見つけるきっかけになるような。そんなお芝居を作っています。

なお今回は、3月6日19時、7日14時、8日14時、9日13時からの4公演の公演終了後に15~30分ほどのアフタートークを予定されているそうで、私も、3月8日にはトークゲストとして参加させていただくことにしている。若者たちの生の声を聞くとてもいい機会と楽しみにしているところだ。

あらためて公演の日程、場所などは、以下の通りである。
 開演日時:3月6日(木)19時から▽7日(金)14時から、19時から▽8日(金)14時から、19時から▽9日(日)13時から、18時から
 場所:阿佐ケ谷「アルシェ」(東京都阿佐ケ谷南1-36-15 レオビルB1)、電話03―3317―2296
 JR中央線「阿佐ケ谷駅」から徒歩4分、地下鉄丸の内線「阿佐ケ谷駅」から徒歩6分
 チケット:前売り券2000円、当日券2500円、通し券4000円
 問い合わせ:070-5020-9624 ichth@infoseek.co.jp      
 みなさん、奮って参加を!

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死刑を廃止すると、被害者の遺族による「仇討ち」が復活し、殺し合いの連鎖を招く危険はないか?

2008年02月15日 18時34分02秒 | 政治
◆超党派でつくる「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長=国民新党代表代行)が、死刑廃止に向けて「終身刑創設」「死刑制度調査会の国会設置」「四年間の死刑執行停止」を柱とする議員提出法案をまとめ、今通常国会での参議院提出をめざして与野党議員に働きかけている。死刑執行の停止を求める法案が国会に提出されれば、1956年以来、52年ぶりとなる。
◆亀井氏は警察官僚時代、「冤罪」により死刑を執行された受刑者がいたことを知り、「死刑論者」となり、自著「死刑廃止論」(花伝社刊)で、「先進国で死刑制度を残しているのは、アメリカと日本のみ」「死刑はなぜ廃止すべきか」「なぜ、ヨーロッパを中心に死刑制度は廃止の方向にあるか」などと熱心に説いてきた。その過程で議員連盟を設立、公明党の浜四津敏子代表代行や自民党議員も含め約70人がメンバーとして参加して、地道な運動を続けてきた。
◆しかし、近年、殺人や強盗殺人、放火殺人などの凶悪事件が多発しており、死刑判決が相次いでいる。福田内閣になってすでに6人が死刑を執行され、いつ処刑されてもおかしくない死刑囚は現在、100人を超えている。もし、死刑が廃止されたり、執行停止になったりすれば、「凶悪犯抑圧の効果」が薄れる恐れがあるうえに、「国家が被害者の遺族に代わって処刑する」という法の目的が失われ、「仇討ち」を復活する危険があるとの「死刑廃止反対論」が噴出してくる可能性がある。
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福田首相は、いかにもトロすぎる。一刻も早く退陣せよ!

2008年02月14日 17時18分16秒 | 政治
◆せっかく景気が大勢上昇軌道にありながら、福田康夫政権は、これを力強く押し上げることもなく、貴重な時間を無為に過ごし、その結果、日本経済が「不況」へと突入するのを「無策」のまま静観し、国民の多くを「座して死を待つ」の悲惨な奈落の底へと突き落とすばかりになりそうである。
 今回の大勢上昇軌道は平成14年秋から始まり、7年を経て、平成21年暮れにピークに達し、そこから3年後の平成24年夏に終息する。好況・不況が、「10年周期」で循環しているからである。前回バブル経済のとき、実態上のピークが6年目の末であり、最後の1年が、デリバティブの成せる業だったことと照らし合わせれば、平成20年暮れが、「本当のピーク」であるとも言える。
◆そのピークを前にアメリカからは、サブプライムローン破綻の影響が、日本経済を直撃し、中国からは、「毒入りギョウザ事件」が襲ってきたのだから、たまったものではない。
しかも、8月開催の北京オリンピックを控え、アメリカ映画のスピルバーグ監督が、中国に対し、「芸術監督」を辞退すると通告したとの報道があり、前途に不吉な暗雲が漂い始めている。20万人もの犠牲者が出たと言われる「ダルフール虐殺事件」について、中国政府がスーダン政府に何ら抗議の声も上げていないことにスピルバーグ監督が怒っているのである。日本人が同じようなことをすれば、中国は、官民揃って「反日運動」を起こすに違いなのに、相手が有名な白人とあって、グーの音も出せないらしい。もっとひどいのは、福田首相である。中国に何も言おうとしない。誠に情けない限りである。
◆アメリカのブッシュ大統領は、16兆円規模の減税措置を議会の賛成を得て断行、国民・納税者1人当たり、「6万円」の小切手を送るという。これでもって国民の消費意欲を喚起しようとしている。その効果のほどはともかく、何と素早い措置か。その機動力には、つくづく感動をさせられる。
◆これに引き換え、福田首相は、いかにもトロすぎる。7月の洞爺湖サミット前に一刻も早く退陣してもらいたい。そうでなければ、国民の多くが、「無策」という名の「悪政」の被害者にされてしまう。
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沖縄県警や東門美津子・沖縄市長は、基地外の米兵の行動を厳重監視し、微罪でもドシドシ身柄を確保せよ

2008年02月13日 15時46分53秒 | 政治
◆沖縄県の米海兵隊員(38歳)が中学3年の女子生徒を乱暴した容疑で逮捕された事件は、日米軍事関係に大きな禍根を与えたと同時にもう一つ極めて興味深い教訓を残した。それは、沖縄県警沖縄署の素早い対応だった。犯人の米兵が基地内に逃げ込む寸前に待ち伏せしていた署員が、身柄を確保したことである。基地内に逃げ込まれてしまえば、日米地位協定により日本の捜査権の手が届かなくなるから、一刻も猶予はない。
これまで、沖縄県警は、何度も地団太踏み続け、被害を受けた女性たちは、泣き寝入りを強いられてきた。捕まえてしまえば、こっちのものだ。日本の司法権の下で、起訴し、有罪判決を下せば、日本の刑務所にブチ込める。
◆日本の国土を守るのは、自衛隊だが、国民の生命・身体・財産を守るのは、警察の役目である。国土をいつまでも米軍に守り続けられていては、独立国とは言えず、本来「自分の国は自分で守る」という気概を持って、「自主防衛」すべきであるが、米国に隷属している「奴隷国家・日本」は、自国すら防衛できない情けない国である。だから、核保有国である中国や北朝鮮に侮られる。しかし、そうであればこそ、日本警察への期待が膨らむのである。
◆今回の不幸な事件を教訓にして、沖縄県警は、基地から出てくる米兵に対してそれこそ、「マン・ツー・マン」で見張りをつけるくらいの厳しい姿勢で目を光らせ、たとえ微罪であろうとも、徹底的に検挙、身柄を確保して、どんどん留置場に放り込み、検察庁は、ジャンジャン起訴して、有罪判決を得るよう懸命に努力すべきである。留置場、拘置所、刑務所が足らなければ、道路財源を投入して、増設したらよい。沖縄本島で増設するのが、難しければ、ハブがうじゃうじゃ這い回っている離島に厳戒体制の監獄をつくり、有罪判決を受けた米兵を閉じ込める。これだけの強力な姿勢を示せば、米兵も怖くて基地からノコノコ出てきにくくなるはずである。こうすることによって日本警察は、沖縄県民を守ることができるのである。その意味で、これまでの日本政府や警察は、駐留米軍に甘すぎた。
◆さらに言えば、基地外に出てくる米兵の行動を逐一監視するのを、警察だけに頼っているばかりではいけない。沖縄県民が、「自分の身は自分で守る」「県民どうしお互いに守り合う」という毅然とした姿勢で日常生活を送らなくてはならない。市民団体「沖縄平和運動センター」や労組は、事件が起きるたびに、集会やデモを行っているけれど、こんなやり方は手ぬるい。東門市長は、その地位に安住してばかりいないで、率先して、「米兵監視組織」をつくり、即、行動すべきである。この程度のことができなければ、「革新市長」とは言えない。
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