「正しい歴史認識」に基づいた検定教科書とは、どういう教科書であるか?

2005年04月21日 15時44分08秒 | 反日問題
日中関係の悪化、両国にダメージ=新華社 (ロイター) - goo ニュース

 私の書棚にずっと放置していた小冊子に目がとまり、改めて開いてみました。
 「大東亜戦争 正当論~大東亜戦争は空前の人類革命」(日本民族覚醒の会、平成9年8月15日刊)という書名で、著者は「歴史研究家 草地貞吾」とある。表紙に「靖国神社拝殿」が掲げられている。
 草地貞吾(くさち・ていご)さんというのは、どういう人物か。略歴の一端を紹介すると、
 明治37年 大分県宇佐市に生まれる。
 昭和 2年 陸軍士官学校卒 陸軍少尉任官 青森五連隊(連隊旗手)
 昭和 9年 陸軍大学校入学(大尉)
 昭和18年 関東軍作戦班長(大佐)
 昭和20年 終戦・ソ連抑留
 昭和31年 帰国・復員
 昭和38年 日大卒文学士
 昭和42年~49年 国士館高校・中学校長として育英に精進
 昭和52年 日本郷友連盟副会長

 この小冊子のなかに「外人識者たちの大東亜戦争正当論に敬服」というのがある。この項を抜粋しておこう。
**** 以下、抜粋 ******************
 大東亜戦争正当論(肯定論)を書いたり、発表している外国人識者は存外多い。その若干例を左に紹介するが、その識見は全く敬服に属する。日本人の方が顔負けだ。大いに参考とすべし。
 (イ)アーノルド・トインビー(英国歴史学者)
 第二次大戦(大東亜戦争)において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために偉大なる歴史を残した、と言わねばならない。その国々というのは、大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
 日本人が歴史上に残した業績は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配して来た西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかにした点にある。
 なお、一層具体的に言えば、一九四一年(昭和十六年)、日本はすべての非西洋国に対して、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示が、有色人種の志気に及ぼした恒久的な影響は絶大であった。
 (ロ)ラグ・クリシュナン(インド元大統領)
 インドでは当時(一九四一)、イギリスの浮沈艦を沈めるなどということは、想像もできなかった。それをわれわれと同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって、東洋人でもやれるという気が起きた。
 (ハ)ガザリー・シャフェー(マレーシア元外相)
 日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが日本は貴国に対し、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対し、「どうして、そういう挨拶をなさるのですか、あの大戦で日本はよくやったではありませんか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が大きなイギリスを追っ払ったではありませんか。その結果、マレ-シアは独立できたのです。大東亜戦争なくしてはマレ-シアもシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ。」と応えている。
 某代議士が顔を赤らめたのは当然である。
 (ニ)クリリット・プラモード(タイ元首相)
 日本のおかげで、アジア諸国はみな独立した。日本というお母さんは、難産して母胎をそこねたが、生まれた子供たちはすくすくと育っている。今日東南アジア諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるか。それは身を殺して仁を為した日本というお母さんが、あったためである。十二月八日はわれわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。われわれは、この日を忘れてはならない。
 (ホ)ピアード博士(米国歴史学・政治学の泰斗)
 『ル-ズベルト大統領と一九四一年戦争』という本を著し、今次大戦の挑発者は、ル-ズベルト大統領自身であることを痛感している。
 (ヘ)マッカーサー元帥(日本占領軍最高司令官)
 昭和二十五年十月(朝鮮動乱中)にウェ-ク島において、トル-マン大統領に対し、「東京裁判(極東軍事裁判)は誤りであった」と告白している。
 更にその翌二十六年(解任帰国後)米国上院で「日本が行った戦争は自国の正当防衛のためであり、すなわち侵略戦争というべきものではなかった」と証言している。
 (ト)東京裁判における豪州のウェッブ裁判長は帰国の後、「東京裁判は誤りであった」と、反省を繰り返している。なお、また日本糾弾の急先鋒であった東京裁判首席検事のキーナン(米国)でさえ、裁判後数年にして、「東京裁判は、いくつかの誤判を含むのみならず、全体として復讐の感情に駆られた公正ならざる裁判であった」と告白している。
 (チ)インドのパール判事が、「日本は国際法に照らして無罪である」と主張し続けたことは有名である。
 また、オランダのレーリング判事、フランスのベルナール判事は、裁判中から、東京裁判にはいくつもの法的手続上の、また南京大虐殺という如き事実誤認があることを看てとり、裁判終結後には、それを公然と口にするようになった。(裁判中は厳重な緘口令が布野かれていた。)
 (リ)英国枢密院顧問にして国際法権威のハンキー卿は『戦犯裁判の錯誤』を著して、パール判事(インド)の主張が、絶対に正しいことを私は全然疑わない」と明言し、東京裁判の不正を真向から衝いている。
 同じく、英法曹界の重鎮ビール氏は『野蛮への接近』を著し、「東京裁判は戦勝者が敗戦者に加えた野蛮極まる復讐行為にほかならない」と断言している。
 以上のほか、まだまだあるが、大同小異であるので省略する。いずれにしても不可解なのは、日本人の方が、自虐、卑屈症にかかり、「日本は悪かった、全く悪かったです」と、平身低頭する体たらくであることだ。重ねて警告する。「外人の言が正しい。何か催眠術にかかっている日本人は早く醒めなさい」と。
***** 以上、抜粋終わり*******************

 引用は、取敢えず、以上であるが、こうした論調は、慶応大学塾長を務められた小泉信三博士の全集を紐解けば、克明に論述それている。私は、学生時代からの小泉博士の全集の愛読者であるが、草地貞吾先生の論述は、小泉博士のそれとほぼ同じようであるように感じている。
 もし、教科書執筆者が、これからの検定教科書において「大東亜戦争」について記述するなら、こうした「正当論」のような論調が、欧米やアジア諸国の有識者のなかにあったという事実を「正しく記述」して欲しい。「マルクス歴史観」や「極東裁判史観」などといった特定の歴史観に偏った論調で首尾一貫した記述をした教科書は、決して「科学的」とはいえない。個人的に嫌ではあっても、現実に「大東亜戦争正当論」がある以上、これも記述するのでなければ、単なるプロパガンダとなる。「正しい歴史認識」とは、そういうことである。


コメント (3)
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