中国海軍の潜水艦事故で「中国の覇権行動」がバレ、「靖国神社」を「煙幕」に使用しているのが明白化

2005年05月31日 18時23分12秒 | 反日問題
中国潜水艦、南シナ海で火災か…海南島へ曳航 (読売新聞) - goo ニュース

 中国海軍の潜水艦が南シナ海で潜行中に事故を起こし、航行不能になり、海南島に向けて曳航されたという。事故を起こしたのは、「明」級潜水艦である。1970年代に建造されたディーゼル型潜水艦で、1987年からは改良型(全長76メートル、排水量2113トン、速力は水上で15ノット、水中で16ノット、乗組員は通常57人)が建造配備されているという。原因は、火災とみられているが、「案の定」という感じである。
 これは、「大陸国家」(ランドパワー)である中国が、「海洋国家」を目指す「覇権行動」が、北京政府にとっては「図らずも」バレてしまったということである。何のことはない。中国共産党一党独裁の北京政府が、「靖国神社」を「対日宣伝謀略」の道具とし、日本国民の目をくらます「煙幕」に使ったいることが、これではっきりしてきたと断言してよいだろう。この北京政府の「対日宣伝謀略」から日本国民は、一刻の早く、目を覚まさなくてはならない。 30日、TBS番組「ニュース23」に出演したアメリカのアーミテージ前国務副長官が、筑紫哲也キャスターのインタビューに、「小泉首相の靖国神社公式参拝問題」を聞かれ、「日本は主権国家であり、内政干渉である。中国が干渉するなら参拝しなければならない」と断言していた。アメリカ側から見ても、北京政府は、明らかにおかしいのである。狂っている。
 中国海軍の第1の目的は、南沙諸島などの南シナ海領有権問題(海底の石油・天然ガスを争奪)や台湾防衛の観点から、中国にとっての重要な戦略的拠点の確保である。
 第2の目的は、台湾有事の際に米軍の空母戦闘群の台湾支援の阻止である。
 第3の目的は、ASEAN諸国に対する「覇権拡大」を海から実現可能にすることである。中国海軍がマラッカ海峡を押さえれれ、日本は「シーレーン」の最重要海域であり、日本生命線ともいうべき石油輸送の最短距離を脅かされる。
 第4の目的は、太平洋を「庭」の最先端としているアメリカをASEAN地域から閉め出し、「華僑覇権」の確立を確実にすることである。
 (5月30日のTBS「ニュース23」に出演したアメリカのァーミテージ前国務副長官は、筑紫哲也キャスターのインタビューのなかで、「東アジア共同体構想」について聞かれ、「アメリカを排除しようとする意図があり、認められない。アメリカは警戒している」と中国の覇権主義的行動に不快感を示す発言をした)
 第5の目的は、さらに「海洋国家」として、中近東、中南米、アフリカへの「海路」を確保することである。蒙古が建国した「元」が宿願としていた「海のシルクロード」を中国共産党一党独裁の北京政府が実現することになる。
 しかし、中国は、元来、海軍力は弱体であった。日清戦争の際、北洋艦隊が大日本帝国海軍に敗れて、壊滅し、米ソ東西冷戦中も、「海軍力増強」は、実を上げることができなかった。しかも、潜水艦隊となると、誠に貧弱な戦力にすぎず、日米からも「脅威」とは感じられなかったのである。
 それは、長い大陸棚という海底の状況が、中国海軍には、マイナスであったからである。水深が浅く、海中深く潜って「隠密行動」する潜水艦には向いていなかったため、潜水艦隊が発達しなかったのである。水深が浅いところで行動してると、直ぐに敵の駆逐艦や哨戒艇などに発見されてしまう。爆雷を投下されれば、海中で撃沈されかねないのだ。
 どちらかと言えば、「ポンコツ」に近い中国海軍の潜水艦が、いつか海中で事故を起こして、沈没するか、沈没しないまでも浮上して曳航されるような事態が起こるのではないかという予想は、以前からあった。
 しかし、海上自衛隊のような高度な潜水艦救難艦も持っていないだろうから、大惨事になるとも予想されていた。
 平成15年には、今回と同じ中国海軍の「明」級潜水艦「361号」が、黄海で訓練中に「機械故障」による事故を起こし、70人の乗組員ら全員が死亡しているという。もちろん、中国共産党一党独裁の中国のことである。中国海軍も、北京政府も公表はしておらず、正確なことは不明ながら、艦内の酸素が急激に減ったのが、事故原因と推測されている。
 この点、アメリカ海軍の潜水艦隊はもとより、歴史と伝統を誇る日本の海上自衛隊は、世界最高水準の潜水艦探索能力を持ち、旧ソ連海軍からも恐れられてきた。
 アメリカ海軍や海上自衛隊は、中国海軍の今回の事故により、中国海軍の戦略目標や戦術のほか、どこで隠密行動していたかをキャッチする絶好のチャンスに恵まれた。それでなくても、潜水艦が海中で行動できる海域、海溝は限定されている。そのなかで、中国潜水艦隊の「尻尾」をつかむことができたのは、思いがけない「戦利品」でもある。
 潜水艦の事故といえば、昭和50年代、旧ソ連の潜水艦が、東シナ海から日本海に向かう途中、突然、浮上して煙をはきながら、ウラジオストックに向けて航行するのが発見されたことがあり、その際、アメリカ海軍や海上自衛隊が、ソ連潜水艦の潜水航路を捕捉できたという事例がある。
 それにしても、事故を起こした中国海軍の潜水艦が、いかにも古すぎるのがバレたのは、中国にとっては、大打撃だろう。
 しかし、侮ってはいけない。中国海軍が、懸命に潜水艦隊の近代化に努めるのは、目に見えている。その費用を日本からの「ODA(政府援助)」資金で賄うということもあり得るので、日本は、北京政府に対する資金援助は早々に止めた方がよい。バカを見るのは日本国民であるからだ。
 中国に援助したカネで潜水艦をつくられるくらいなら、日本が、原子力潜水艦やミニ航空母艦を建造・保有した方が、はるかにマシというものである。

 歴史家・草地貞吾先生(元関東軍作戦班長、元大佐)の「大東亜戦争正当論ー大東亜戦争は空前の人類革命」より引用。
 〔大東亜戦争は絶好無二の時点に発動した〕
 「その第二の理由は、予想大東亜戦場における敵方戦力の最低時であった。
 あの当時は恰も欧州において、独・伊枢軸側と英・ソ連側が、第二次世界大戦ともいうべき死闘を続けていた。ために、英・ソ連合側の東亜に対する戦力の増強指向は自ら制限せられた。加えてわが国は、ソ連との間に、昭和十六年五月、不可侵条約を結び、対北方の危険性が緩和された。
 反面、当時のアジア全地域は三百年来、白色帝国主義に完全支配され、ひたすら奴隷的桃源の甘夢をむさぼっている状態であった。 ただ、残された問題は米国であるが、米国太平洋艦隊の根拠はハワイを急襲成功すれば一年ぐらいの余裕が生じ、それまでの間に大東亜戦場の形勢は世界全戦場との関連において、何とかなるだろう程度の大本営判断ではなかったか。それ以上のことは、神様でも分かるものではない。
 大東亜戦争を頭から無謀の戦争という連中が多いが、前述の桶狭間合戦や関が原合戦、また日清・日露戦争に比しても決して無謀などというに当たらない。それが売られたケンカなるにおいて特に然りである。
 その第三は、台湾・海南島・仏印(インドシナ)にまで作戦面が延伸し、好適の前進基地が設定せられたことである。
 大観すれば日露戦争以来の歴史の集積の結果であり、ここまで出ていなければ、白色人種東亜の牙城シンガポールを攻略奪取することは、当時の戦争手段では不可能であったからだ。
 これを要するに、わが作戦発起地が仏印に推進せられざるかぎり、大東亜戦争の発動は無理であった。
 その第四の理由は、関特演(関東軍特殊演習)として対北方準備陣を布いていたことである。
 昭和十六年六月二十二日、突如として欧州東方戦線に独ソ戦が発生した。ためにわが国は北方情勢の急変に対処するため、七、八の両月にわたり約五十万に及ぶ兵力の大動員を行い、その主力を関東軍隷下に入れ、対北方警戒に遺憾なからしめた。これが、はしなくも大東亜戦争の総予備的戦力--昔式に言えば後詰め、ということになった。
 逆に言えば、適時に関特演の行われたこと自体、南方作戦発動の一つの引鉄的作用をなしたと言えないこともあるまい。
 かつて、対南方作戦の下準備と心構えが着々と完成しつつあった時しも、ハル・ノートという不遜無法の最後通牒が寄せられたので、チャンスとばかり十二月八日の開戦となった。
 その八日・九日・十日の七十二時間に、世界情勢は完全に一変した。そのことはほかならぬ英国首相チャーチルが告白しているのだから(前記)ウソとは申せまい。
 すなわち、あの十二げつ八日という時点は、世界史に特筆大書さるべき記念日である。その意味から言えば、ハルなる人物は、日本に対して、この歴史的最大・最高・最良・絶妙の『時』を与えてくれた恩人と言えないこともない。恰も本能寺の変が、豊臣秀吉に天下人となる絶好の機会を提供してくれた如くに」 (つづく)


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中国の覇権主義が日本と東アジアで激突する時代、中国はいい加減「乳離れ」すべきだ

2005年05月30日 21時37分47秒 | 反日問題
模倣品防止の国際条約提唱へ…知財推進計画政府原案 (読売新聞) - goo ニュース

 東アジア地域は、「日本と中国の2極激突」の様相が濃厚になってきている。アメリカの強大な軍事力をバックとする日本と覇権国家・中国が、「石油・天然ガス資源」や「知的所有権」をめぐって利害対立を先鋭化させているである。
 中国共産党一党独裁の北京政府の指導の下、中国は、高度経済成長が目ざましく、もはや「遅れた中国」ではない。日中平和友好条約締結以来、日本の強力な資金援助や技術援助を受けて、経済大国への道をひたすら驀進してきたけれど、日本を凌駕する大国へとのし上がってきている。
 こうなると、中国にとって支援国だった日本は、いまやレッキとした競争相手であり、圧倒すべき「敵」にもなりつつある。
 この「大国である」との自信を深めている中国は、露骨に覇権主義を振りかざし、「日本何するものぞ」「アメリカはアジアから出て行け」と増長すらし始めているのである。
 こうした中国を見ながら、日本は、「中国もはや資金援助の必要はなくなった」「一人歩きしても大丈夫だ」と思うようになり、いよいよ突き放す段階にきていると感じている。日本は、「子離れ」を決断して、中国に対して「いい加減乳離れしなさい」と言って、一人歩きを強く求めている。
 だが、中国は、人間にもあるように「反抗期」の最中にあって、日本に対してことあるごとに突きかかるようになっているのだが、それなら直ぐに「親離れ」するかと思いきや、「カネだけはもう支給し続けてくれ」と都合のいいことをほざいて、どこかのドラ息子のようなフテ腐れた態度を取っている。
 呉儀副首相は、愛知万博視察に訪れて、図々しくも北京オリンビックや上海オリンピック開催のついて、「トヨタ自動車」からの物心ともどもの支援を期待したとみられる。
 ところが、オット、ドッコイ、「トヨタ自動車」は、天下に知られたシブチン企業である。そう簡単に資金援助を約束するはずはない。日本経団連の奥田硯会長(トヨタ自動車会長)との昼食会でも、資金援助の感触を得られなかった。それにも輪をかけてケチなのが、小泉首相である。それもそのはず、緊縮財政家で鳴らした福田赳夫元首相の愛弟子である。
 日中正常化の井戸を最初に掘った田中角栄元首相や大平正芳元首相直系の「中国に甘い政治家」とはわけが違う。旧田中派(旧竹下派、橋本派)や旧大平派(旧宮沢派)などの政治家は、ちょっと脅しをかければ必ず「大盤振舞」して資金援助してくれるたものだったのに対して、岸信介元首相、福田元首相以来の台湾利権を引き継ぐ小泉首相は、中国に対して、決して甘くはない。むしろ、「冷淡」ですらある。靖国神社や歴史認識、歴史教科書問題でいくら揺さぶりをかけても、ビクともしないのである。小泉首相も「もう、その手は喰わない」と中国を突き放している。

 歴史家・草地貞吾先生(元関東軍作戦班長・元大佐)の「大東亜戦争正当論-大東亜戦争は空前の人類革命」より引用のつづき。
 〔大東亜戦争は絶好無二の時点に発動した〕
 「私は日本史並びに世界史、特に凡ゆる戦争史を究明したが、大東亜戦争はよくぞあの時点で---すなわち昭和十六年十二月八日に発端生起したものかなと、欣喜雀躍の念禁じ得ないものがある。 正しくあの時点---歴史には不思議にも運命の時間、或いは時点というものがある。その時点にあらずんば、如何に力んでも花開かず、実熟さざるが如く、その時を得ざれば如何なる歴史も結実しない。その実例を私は大東亜戦争によりはじめて真に認識理解するを得た。
 その理由とする第一として、大東亜戦争の発動は、有史以来、日本国力の最盛期であった。
 わが国は昭和十五年、皇紀二千六百年を迎えて、世紀の記念事業を挙行し、皇国精神の高揚振張と国力の充実発展は未曾有であった。固有領土はもとより、樺太・朝鮮・台湾・太平洋諸島・満州・シナ大陸の要部・仏印にまで、その勢力圏を拡大し、それらの人口を加うれば優に二億を超過していたであろう。正しく堂々たる世界の一等国として、これほど国力の充実した時代はない。すなわち、神武天皇建国の理想たる八紘一宇--世界一家--人類平等の悲願を達成すべき天与の絶好期であったのだ。     (つづく)


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小泉首相は、泰然自若として「靖国神社公式参拝」を「外交カード化」し、対中国外交上「優位」に

2005年05月29日 18時00分19秒 | 反日問題
「今年は断念を」57% 首相の靖国参拝で急増 (共同通信) - goo ニュース

 共同通信社が27、28の両日行った全国緊急電話世論調査(有権者のいる世帯1476件のうち、1016人から回答)を実施した。それによると、小泉首相の靖国神社公式参拝について、「今年も参拝すべきだ」というのが、34.3%(前回2004年12月51.0%)、「今年は見送るべきだ」が、57.7%(同40.8%)、「分からない・無回答」が、8.0%(同8.2%)という結果だった。この記事は「『今年は断念を』57% 靖国参拝慎重派が急増」という見出しつきである。
 「今年も参拝すべきだ」が、16.7%も減り、逆に慎重派が16.9%増加したのき、明らかに中国共産党一党独裁の北京政府が日本国民に向けて行った「呉儀副首相のドタキャン」とその原因についての孔報道局長の「小泉首相の靖国神社発言が原因」との見解報道とを巧妙に駆使した「思想・心理作戦」による「宣伝謀略」が功を奏したとも言える。この「宣伝謀略の道具」として、日本のマスコミや与党の公明党も含め民主党・社民党・共産党など野党の国会議員が利用された。これは日本の世- 論操縦して、日本国民を攪乱し、「目潰し」する明白な「間接侵略」の一種である。
 この攪乱・目潰した間隙に、呉儀副首相はロシアの先手を打って「モンゴル」に飛び、当選を果して新大統領と握手して、「モンゴル権益」を手中に入れたのである。孫子の兵法「兵は拙速を聞く」の教えを忠実に実戦に生かす、「スピード外交」である。
 日本に対し非礼を覚悟で、事態の急変に臨機応変に対処して、「利」の方を追うという誠に素早い外交戦術と言える。
 もう一つ、呉儀副首相が飛び去った直後、中国が、東シナ海の日中中間線付近の中国側海域での「春暁」などのガス田開発が急ピッチで進められ、櫓の上にヘリポートや宿泊施設まで完成していたことが判明した。日中協議が30日から始められる予定にもかかわらず、中国側がこれを無視した形である。直前まで呉儀副首相を案内していた中川昭一経済産業相が「右手で握手しながら、左手で殴っている」と怒り心頭で中国を非難するのは、当たり前である。中国の不誠実な振る舞いを知って、ニヤニヤ笑っていられるとしたら、精神は正常ではない。また、それでも「日本が悪い」などと言って中国をかばうようなマスコミ、ジャーナリスト、有識者、学者がいるとしたら、それらの言動は、完全に「利敵行為」であり、もっと言えば、「中国の手先」である。
 孔子は、「間を見破る法」について、次のような言葉を残している。
 「そのもってするところ(日常の行状)を視、その由るところ(経歴)を観、その安んずるところ(心のよりどころ)を察すれば、いずくんぞ隠せん(かくせない)」
 「間」とは、「間者」すなわち「スパイ」のことである。人を信ずることをモットーとした孔子も、「スパイ」には相当悩まされたらしい。現代に生きる日本国民も、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどから日々流れてくる「ニュース」に含まれている「宣伝謀略」を見破る努力と警戒を怠ってはならないのである。
 さて、こうした中国共産党一党独裁の北京政府の「悪辣な宣伝謀略攻勢」にもかかわらず、小泉首相は、「泰然自若」の姿勢を崩していない。この結果、意外な状況ができつつある。
 それは、小泉首相が「対中国外交」をはじめとする「アジア外交」において「主導権」を握り「優位」に立ってきたという奇妙な現象である。小泉首相の姿勢により、「靖国神社」が強力な「外交カード」に化けてきているのである。
 小泉首相が、靖国神社公式参拝について「他国が干渉すべきでない」と発言したのをキッカケに、にわかに「靖国神社」が強力な「外交カード化」してきたのである。ここまで言われると北京政府の胡錦濤国家主席らは、次の矢を放ちにくい。さりとて、日本に対して弱腰姿勢を示すと人民解放軍からの突き上げにあい、まかり間違えば、天安門事件で失脚した趙紫陽の二の舞いになり、失脚する恐れがある。このことから、「靖国神社」が、単なる「外交カード」どころか、胡錦濤国家主席らの首に突きつけた「刃」と化してきてもいる。そのことを小泉首相は、実は、「計算済み」のような平然とした顔つきである。
 おまけに、小泉首相の泰然自若とした姿勢は、国会でも「郵政民営化法案審議」から国民の目を「靖国神社」に反らす思いがけない「ご利益」を生んでいる。自民党、公明党、共産党、それに田中眞紀子元外相らしか本会議に出席せず、民主党、社民党は審議拒否をしつ続け、「院外闘争中」であるから、このまま一気に採決すれば自民党の抵抗勢力と共産党、それに田中眞紀子元外相らが反対したとしても、賛成は出席議員の過半数を獲得できる。ついでに参議院でも民主党、社民党が欠席すれば、同様の結果になる可能性が高いのである。郵政民営化法案審議に大部分の国会議員が興味がないので、議場で難行苦行したり、眠ったりしているよりはましということで、賛否を取れば、過半数の議員が挙手か起立して、「一丁上がり」となるに違いない。
 そればかりではない。小泉首相という政治家は、ピンチと思われるときに、いつも幸運に恵まれる。それは、フィリピンのミンダナオから突然飛び込んできた。「元日本兵2人が見つかった」というニュースにより、日本のマスコミは、一斉に取材に殺到し、日本国民の関心の的が、「中国の靖国神社参拝批判」から「元日本兵」に向けられ、その「元日本兵」が「靖国神社」に祀られているというこれもまた奇妙な結果が判明してきたのである。
 折しも、今年は大東亜戦争終結後、「60周年」を「8月15日」に迎える。これを間近に控えての「大ニュース」である。
 日本国民はもとより、もしかしたら、ASEAN諸国の人々まで大東亜戦争について考える機会を与えられることになったのかもしれない。
 そこで、とくに日本の左翼陣営やマスコミ、ジャーナリストたちの多くから批判の対象にされている「大東亜戦争」を「アジア解放戦争」とする「大東亜戦争正当論」の一部を紹介しておこう。この論旨は、私のような昭和21年生まれの「戦争を知らない世代」には、一種の新鮮さを持って響いてくる。
 歴史研究家・草地貞吾先生(元関東軍作戦班長、大佐)は、「大東亜戦争正当論-大東亜戦争は空前の人類革命」(日本民族覚醒の会刊)のにかで、以下のように述べている。

 「わが日本国家・民族が、総力を動員結集した大東亜戦争がなかったとすれば、間違いなく、アジア・アフリカ有色人種・民族四十億が、今日現在(二十世紀後半)の如き、自由・平等・解放・自主・互恵・博愛の人類理想を実現獲得することは不可能であった。このことは私が、戦後五十年間にわたり、東西古今の歴史を一意専心、周到且つ真剣に研究吟味した上での結論である。
 大東亜戦争緒戦の威力と成果、そしてこれが、白色人種と有色人種とに与えた物心両面の影響感作は絶大なるものかあった。
 すなわち、昭和十六年(皇紀二六〇一 西暦一九四一)十二月八日の開戦以来、ハワイ奇襲作戦・英国東洋艦隊の撃滅・引き続いてのマレイ上陸からシンガポール攻略作戦・香港攻略戦・フィリピン上陸並びに蘭領インドネシア占領作戦・ビルマ進攻作戦・海軍による南太平洋及びインド洋作戦の如きは、その速度(時間)・戦域(空間)・成果(質量)共、全く空前の破天荒ともいうべきものであった。それは人類の予想を遙かに越えたもので、あの暴慢なる白人たちの度胆を抜いた。流石に剛腹なイギリスのチャーチル首相でさえ、十二月十日にプリンス・オブ・ウエルズが僚艦レパルスと共に撃沈されたという報道を耳にした時には、『戦争の全期間を通じてこれ程大きなショックを受けたことはなかった。ベッドに寝転んで転々身もだえした。この報道の恐ろしさが自分の上に襲いかかって来た。・・・』という、率直な回想録を書いている。
 それと同様に、有色人種の突然変異ともいうべき完全覚醒を促した。一言には人類自由・平等の自覚である。結局のところ、敵方(白人)勢力の急低落に逆比例して我が方(有色人種)勢力は急上昇したのだから、その落差は二乗に二乗、すなわち四乗となって現れた。物理学上における力関係と形而上における風圧関係のいずれも、完全に逆転したのである。
 かくて、大東亜戦争は、この緒戦において完勝した。戦争目的の大部を達成したと言える。
 ところが、戦後の日本には反戦主義者・敗戦自虐症患者が充満していて、徒らに表面的の敗戦のみを難じ、緒戦におけるこの見事なる実質的の大勝利・大成果を口にする人は少ない。
 私の史眼には、緒戦で大体の戦争目的は達成された(東亜解放・人類平等)のだから、これ以上に勝ち過ぎることは禁物(過ぎたるは及ばざる如し)で、『もう、このくらいにして、あとは適当に負けてやれ・・・』と、天なる神様が行司となって、軍配団扇をあげた程度にしか映らないのである。すなわち、シナ大陸そのものは大東亜戦争遂行の足場に過ぎなかった。目的達成後、これが取り払われたのはむしろ当然で、その足場が自由・解放されてシナ・朝鮮・台湾等が出現したのも、大東亜戦争の結果の産物である。
                       (つづく)

(*なお、歴史研究家・草地貞吾先生の「大東亜戦争正当論」の主要部の引用を以後、数回連載します)


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「極東軍事裁判」の教訓を噛みしめ、日本は「海洋国家」として米英とともに「シーパワー」で平和と繁栄を

2005年05月28日 19時36分46秒 | 反日問題
「A級戦犯、罪人ではない」厚労政務官発言 与野党、論争に (産経新聞) - goo ニュース 

 「勝てば官軍」「負ければ賊軍」というところから考えるしかないのも事実である。
 「正義」は、常に勝者にある。それは「正」という文字が、「征服」を示しているからである。歴史書は、勝者の歴史が、「正史」、それ以外の事実を含んでいるのを、「外史」という。
 大東亜戦争(太平洋戦争)の勝者は、連合国軍であり、「極東軍事裁判史観」や「毛沢東革命史観」が、「正史」であり、戦後の日本は、敗戦国としてこれらの歴史観に屈伏せざるを得ない弱い立場にある。従って、残念ながら、「皇国史観」や「反極東軍事裁判史観」の立場は取れないのである。
 だからと言って、戦前の日本の行動がすべて「不正義」で「悪」であったと決めつけて済むことなのであろうか。
 現在の風潮は、中国や韓国、それに日本の左翼陣営の論調あるいは、プロパガンダにより、「極東軍事裁判」を最大の論拠に旧日本軍(台湾の高砂族や朝鮮半島の多数の志願兵や一般の兵士が含まれる)の「アジア解放」という「聖戦」を全面否定する傾向が強い。 ならば、欧米列強の白人支配がアジアから駆逐されないで中国はじめ韓国、あるいはASEAN諸国からさらにはインドまでずっと続いておればよかったとでもいうのだろうか。また日本は、お節介だったと、批判あるいは、非難するのだろうか。
 戦後、ASEAN諸国が次々に独立して立ち上がっていく勇気と力は、旧日本軍の「アジア解放」という大決断と実行を見て湧き上がったのをすっかり忘れてしまっている。それは真の歴史認識を歪曲することになる。
 「極東軍事裁判史観」や「毛沢東革命史観」が正しいということならば、本来、日本がとるべき道は欧米列強の白人支配を認めてこれに逆らうような行動は一切とるべきではなかった。つまり戦前まで、中国をはじめアジア諸国は、英国、アメリカ、フランス、オランダなど欧米列強の白色人種の帝国主義により植民地化されて、蹂躪されていたけれども、日本は、これらの国々が、いかに蹂躪されていようとも、お節介して、「アジアから白人を追い出す」という「アジア民族解放」のため戦争にしゃしゃり出ることはなかったという結論に至り、「奴隷状態」のまま放置しておけばよかったとなる。
 つまり「五族協和」とか「大東亜共栄圏」とか大それた理想を掲げることもなく、「聖戦」と称し大軍を大陸や海外に派遣することもせず、ひたすらアメリカの言う通り、満州から関東軍を撤退したり、中国から得ていたすべての権益を放棄したりしておけば無謀な戦争に突入しないで済んだはずである。そうすれば、その代償としてアメリカから、石油の輸入を保障され、「日本一国の平和と繁栄」を楽しむことができたかも知れない。
 ただし、世界大恐慌による経済的影響や凶作などにより、大量失業や東北地方の若い女性の身売りという深刻な事態を克服できたか否かは、不明である。少なくとも、陸海軍の兵力削減により国家財政はかなり軽くなったであろう。
 だが、当時の日本には、恐るべき特別高等警察や憲兵隊という「弾圧機関」が存在していたので、これら国家権力と戦えればという条件付の話である。朝日新聞や毎日新聞などの言論機関も、戦争に協力する言論や報道をしていたことも忘れるべきではない。
 冷静に考えれば、確かに日本の最大の間違いは、「海洋国家」であるにもかかわらず、「大陸」へ進出したことであった。日本がいかに「大陸国」となり、「ランドパワー」を手に入れて、大陸に覇権を築こうとしても、しょせんは無理であり、そもそもから不可能であった。
 それならば、海洋国家として「シーパワー」をやはり海洋国家のアメリカとの間で、たとえ屈辱を受けるようなことがあっても、臥薪嘗胆して「シーパワー」を分け合い努力をすべきであった。結局それができなかったのである。
 そのうえ、「アジアは一つ」という考えも大きな間違いであった。アジアは決して「一つ」ではない。「脱亜入欧」を果しつつあった日本は、もはや「アジアの一員」ではなく、「黄色い白人」として「欧米の一員」になろうとしていた。その大方針を転換して、「大東亜共栄圏」を築き、自ら「盟主」にとなろうとしたのが、「大敗北」を喫してしまう元凶であった。身の程知らずの蛮行だった。地政学上、旧陸軍が軍事戦略を誤ったのは否定できない。
 しかし私的には「極東軍事裁判史観」や「毛沢東革命史観」は決して正しいとは思わない。けれども正義が勝者にあるのであるから、この史観は今後も主流となり続けるであろうことは、認識しておかなければならない。
 これからのことを考えれば、「日本は海洋国家」であるという基本的な「地政学上」の「絶対条件」は崩してはならない。それが、たとえ、中国が内戦状態になろうとも「大陸」に関心を示してはならない。「対岸の火事」として静かに見守るのである。日本の江戸時代、清に滅ぼされ台湾に逃れた明の遺臣・鄭成功が徳川幕府に救援を求めてきたとき、幕府は、鎖国を理由にこれに応じなかった。このため日本は、清国から攻められることはなかった。これからの日本は、この故事に見習うべきである。
 朝鮮半島で第2次朝鮮戦争が勃発する危険性が高い。この際、難民が日本海を渡って日本列島を目指してくる危険がある。これも極力押し返し、できれば、強制的に韓国側に上陸させるように海上警備を厳重にする必要がある。
 ASEAN地域で、中国が、覇権を築こうとしている。「東アジア共同体構想」である。ASEAN地域の経済を牛耳っているのが「華僑」であるから、中国主導でこの構想が進められることになるだろう。華僑は、シンガポール、マレーシア、タイ、カンボジア、ベトナム、インドネシア、フィリピンの一帯に権益を築いており、これらの華僑財閥が、北京政府に呼び戻されて、いまの中国経済を主導している。中国経済は、華僑経済と言ってもよい。
 中国・北京政府と人民解放軍の武力を後ろ楯にして、ASEAN地域に「東アジア共同体」を築こうとしているのであるから、このなかに、日本やアメリカが紛れ込んでも、お邪魔虫扱いされるのがオチである。華僑は、「同族」「同郷」の者以外は信用せず、共に手を取ってビジネスしようとは心の底では思っていない。
 日本は、明治維新以来、すでに「アングロサクソン」と「ユダヤ民族」との関係が深く、ロックフェラー財閥やロスチャイルド財閥とは、資本提携・業務提携により深く結びついている。華僑財閥から見れば、日本は、ロックフェラー財閥やロスチャイルド財閥の一角をなしているとしか見えない存在なのである。はっきり言えば、「華僑の敵」である。
 中国共産党一党独裁の北京政府が進めている「世界覇権戦略」と「華僑覇権戦略」がピッタリ一体となって、「東アジア共同体」という美名に隠れた戦略を着々と進めているのが、明らかになってきている以上、日本がノコノコと出かけて行って、格好の餌食にされてしまう必要はない。実は、このことは、小泉首相が、とっくに気づいていることとみてよいだろう。
 日本は、戦前の「大東亜共栄圏」の悪夢を教訓に、華僑主導の「東アジア共同体構想」に仕掛けられたワナに嵌まらないよう、でき得るかぎり、日米同盟を一層強固にして、「米英」ともども「海洋国家」として「シーバワー」のエネルギーのなかで、平和と繁栄を維持し、発展させていく道を驀進すべきである。繰り返して言うが「大陸」に手や足を伸ばしてはならない。命取りになる。


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森喜朗前首相、森岡正宏政務官に拍手を、「聖戦」に生き続けた元日本兵に感動の涙を!

2005年05月27日 18時49分08秒 | 反日問題
中韓の教科書批判は「いちゃもん」 (産経新聞) - goo ニュース
「旧日本兵2人 比で生存」ミンダナオ島 引き揚げできず山岳に (産経新聞) - goo ニュース

 森喜朗前首相が、中国や韓国の「靖国神社」や「歴史認識」「歴史教科書」を材料とする「外交攻勢」に対して、「なんだかんだといちゃもんをつけてくる」と強い不快感を示し、「反撃」にでる姿勢を見せたのは、痛快である。
 森岡正宏厚生労働政務官が「中国に気遣いして、A級戦犯がいかにも悪い存在だという処理をされている」「国会では全会一致で、A級戦犯の遺族に年金をもらっていただいている。国内では罪人ではない。靖国神社にA級戦犯が祀られているのが悪いと言うのは、後世に禍根を残す」と吼え、中国・北京政府を批判した。
 森岡政務官は、旧内務官僚出身の政治家で、「大東亜戦争肯定論者」として鳴らした奥野誠亮元法相の秘書を務めただけあって、師匠を彷彿とさせている。「もう我慢ならぬ」、「北京政府の言いたい放題勝手にさせていては日本人の自尊心が傷つく」という怒りの発言である。
 もうそろそろ、我慢の限界ではないかと見ていたが、ようやく「反撃」に出始めたのである。
 北京政府にいいようにされていては、中国共産党・北京政府の「世界制覇戦略」の餌食にされてしまう。人民解放軍を完全には掌握できていない胡錦濤国家主席以下の幹部たちは、いつ拘束されるかわからないという不安定な状態にあり、それゆえに、日本を悪者に仕立てて、人民解放軍の意識を日本に向けさせているとも観測されている。こんなことをされては、たまったものではない。胡錦濤国家主席以下幹部の命がどうなろうと日本にとってはどうでもよいことである。彼らの保身のために日本を犠牲にしないで欲しい。
 そのことを知ってか知らずか、「小泉首相への批判・非難」を続けているマスコミ、ジャーナリスト、コメンテイターなどは、「利敵行為」を何とも思っていないのだろうか。「恥を知れ」と言いたい。
 小泉首相の靖国神社公式参拝で日中関係がギクシャクしている最中、フィリピン南部ミンダナオ島の山中で元日本兵2人が発見されたという情報が、日本列島を駆けめぐった。終戦から60年もの長期、戦い続けたものと感動する。横井庄一元陸軍軍曹が昭和47年1月24日にグァム島のジャングルで救出され、昭和49年3月10日、小野田寛郎元陸軍少尉がフィリビンのルバング島で救出されて以来のことである。
 横井庄一元陸軍軍曹が「恥ずかしながら帰ってまいりました」と語ったときの言葉や小野田寛郎元陸軍少尉が、ボロボロになった軍服と軍帽姿でかつての上官から「命令解除」を言い渡されて軍刀を返していた光景を思い出すといまでも涙腺が緩む。
 元日本兵2人は、「軍法会議」により「銃殺刑」の判決を受けることをいまでも恐れているという。天皇陛下が軍人に与えた「戦陣訓」の「本訓 其の二」の「第八 名を惜しむ」の項の「呪縛力」の強さに改めて驚かされる。
 「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」
 捕虜になることを恥と思う倫理観のない欧米の将兵には、およそ信じられないことであろう。
 大東亜戦争中、「欧米列強からアジアを解放する」との大義名分を掲げた「聖戦」を信じて多くの将兵が、歓呼の声に送られて、勇ましく出兵した。
 フィリピン、インドネシア、カンボジア、タイ、ベトナム、ビルマなどの戦地で、終戦を知らず、知っていてもなお「アジア解放」のために居残り各地での独立運動や反政府ゲリラなどに参加し、作戦指導をして戦った元日本兵は少なくなかったと言われている。
 スカルノ大統領が行ったインドネシアの独立戦争では、元日本兵の多くが参戦して勝利に導き、北ベトナム軍に参加した元日本兵の多くはフランスの「侵略軍」とディエンウェンフーなどで戦い、フランスを撤退させるのに成功し、フランスの後を継いだアメリカ軍に対しても勇猛果敢に戦って北ベトナムを勝利に導くのに大きな貢献をしたという話もある。
 彼らの大半は、決して「アジア侵略」を目的に出兵したのではなかったのである。戦後、無事復員を果たした将兵の多くに「侵略した」との意識がなく、むしろ「アジア解放軍」の誇りを持ち続けているのは、当然である。ベトナム戦争のときに起きた「ソンミ村事件」、すなわち村民虐殺という悲惨な出来事と同じような事件は、大東亜戦争のときも起きており、それが今日、「日本軍の侵略」と言われる原因にもなっていることを看過すべきではないけれど、欧米列強のような帝国主義と植民地主義とによる明らかな「アジア侵略」とは違うのである。
 もっも、元日本兵のなかには、たとえば、シンガポールで手を合わせて命乞いをする母子をスパイと疑う上官の命令で、やむなくピストルにより射殺し、そのことをいまでも悔やみ罪悪感に苛まれ続けている人もおり、戦争の悲惨さを痛感させられる。
 今回、元日本兵が発見されたミンダナオ島では、まだ元日本兵40数人がいると言われている。もちろん、フィリピンばかりでなくインドネシア、カンボジア、タイ、ベトナム、ビルマなども、現地に溶け込んでいる元日本兵は、相当数いるはずであり、日本政府、とくに厚生労働省は、実態把握に全力を上げるべきである。

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中国・北京政府の「宣伝謀略戦」に乗ぜられず、小泉首相の「泰然・沈着」な姿勢は、さすが勝負師!

2005年05月26日 13時12分54秒 | 反日問題
中国副首相帰国問題、政府が沈静化図る方針 (読売新聞) - goo ニュース

 これは、どうみても明らかに中国・北京政府の巧妙なる「宣伝謀略」である。強いていえば、「宣伝謀略作戦」を展開中なのである。日本人は、謀略戦に弱い。とくに左翼陣営の有識者や学者、ジャーナリストほど引っかかりやすい。
 そもそも、「中国・北京政府は、共産党一党独裁政権である」という歴然たる事実を日本国民は、しっかりと認識すべきである。日本やアメリカ、英国のような「自由民主主義国家」では、決してないのだ。
 しかも、中国共産党の指導下、人民解放軍を抱える北京政府は、「毛沢東革命」が進めた「世界革命」と「永久革命」を現在も継続中であることも併せて決して忘れるべきではない。
 毛沢東は、生涯を賭けて「階級闘争を忘れるな」と叫び続け、闘争と破壊と殺戮に終始した。これは革命のためには欠くべからざる過程に過ぎなかった。
 毛沢東が指導し中国共産党が推し進めてきた「五愛教育」は、「愛」とは裏腹に「憎悪の哲学」と「闘争の論理」に裏付けられ、今日まで引き継がれてきている。中国では「政治に隷属しない教育というものはありえない」のである。
 こうした観点に立って、北京政府の「対日政策」を解析すると、「小泉首相の靖国神社公式参拝中止」を求める「強圧的態度」は、まさしく、北京政府の「世界覇権戦略」の一環であることが透けて見えてくる。
 レーニンは、クラウゼウィッツの「戦争は政治の延長である」という言葉を愛用し、「戦争と平和とは同一のものの異なった両面であり、戦争が他の手段をもってする政治の延長であるならば、平和は他の手段をもってする戦争の延長である」という名言を残している。これが、マルキシズムで言うところの「永久闘争戦争観」と言われるものである。
 毛沢東は「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」として永久闘争観を明示し、「大衆を武装させる大衆軍隊論」を実践してきた。
 今回の「小泉首相の靖国神社公式参拝中止」を求める「対日攻撃」は、軍事的に見れば、「思想・心理作戦」による明らかに「間接侵略」である。この点を戦争論に立って、整理してみよう。
 日本の旧陸軍で教えていた「統帥綱領」(軍事機密)には、「戦争」について、こう教示している。
 「敵の意思の自由をたえず拘束破壊し、その自由を奪ってこれを圧伏するは、統帥のため緊要なる心理的着想なり」        中国・北京政府は、「敵=小泉首相=日本」の「自由意思を拘束破壊」するために、心理的圧迫を加えるために、日本の弱点である「靖国神社」「歴史認識」「歴史教科書」という武器によって攻めたてる。「自由を奪って圧伏する」ことにより「参拝中止」に追い込み、ひいては、日本の政治的・軍事的行動を制約するという巧妙な戦術である。
 戦略と戦術、目的と目標という軍事的テクニカルタームで言えば中国・北京政府の「戦略」は、遠くは「世界制覇」であり、近くは「東アジアにおける覇権制覇」である。そのためには「アメリカを排除し日本の動きを封じ込めること」が必要となる。この「目的」を果たすべく「間接侵略=思想・心理戦」という「戦術」を駆使してきているのである。要するに、東アジアにおける日本の影響力を減退させようとしているのだ。
 もちろん、この戦術によって、日本から「北京オリンピックに併せて新幹線を建設させる(資金調達させ、無償で技術提供もさせ、設計図も奪う)」とか、「ODA(政府援助)を継続させる」とか付随して「取れるものを取る」ことが可能となる。これが「宣伝謀略戦」でなくして、何と言うのか。
 統帥綱領の別のところを紐解こう。
 「巧妙適切なる宣伝謀略は作戦指導に貢献すること少なからず」 中国・北京政府は、この言葉通り、いままさに、「宣伝謀略戦」を日本に向けて実行中なのである。
 ならば、日本側は、この「宣伝謀略戦」に引っかからないようにするには、どうすればよいのか。統帥綱領は、こう教えている。
 「敵の行う宣伝謀略に対しては、軍隊の志気を振作し、団結を強固にして、乗ずべき間隙をなからしむるとともに、適時対応の手段を講ずるを要す」
 残念ながら、日本のマスコミの大半は、「敵に乗ぜられている」のである。朝日新聞などは、呉儀副首相の「ドタキャン」についてい、社説で「小泉首相が悪い」と断言している。まるで「敵の間者」のようである。
 しかし将帥という立場にある者は、「宣伝謀略戦」を仕掛けられているからといって、うろたえてはならない。統帥綱領は、いう。 「ことに難局にあたりては、泰然動かず、沈着機に処するを要す。この際内に自ら信ずるところあれば、森厳なる威容おのずから外に溢れて、部下の嘱望を繋持し、その志気を振作し、もって成功の基を固くするを得べし」
 小泉首相が、泰然自若として、「非生産的な言葉の応酬」を中止したのは、賢明であった。さすが博打に強い勝負師だ。細田博之官房長官の平然としてトボケた態度も、何だか催眠術にかかりそうな記者会見での応答も、大変よろしい。ついでに、このまま中国・北京政府も眠らせてしまい、「8月15日」には、小泉首相が靖国神社公式参拝を実行できるよう眠らせ続けることを切に期待するものである。

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中国共産党の北京政府は「覇道政府」、日本は「王道国家」であることをしっかり肝に命じるべきだ

2005年05月25日 14時55分44秒 | 反日問題
中国副首相帰国、これ以上のコメントは生産的でない=官房長官 (ロイター) - goo ニュース

 いまの北京政府からは、戦後の日本に見られた「傷痍軍人」の「乞食姿」を思い出す。東京・渋谷のガードの下あたりで、白衣を着て、アコーディオンを弾きながら、「軍歌」を哀しそうな声で歌っていた、あれである。「もういい加減にしなさい」と苦言を呈するとカッとなって怒ったりしたものだ。呉儀副首相の「ドタキャン」からどうしても、「傷痍軍人」の「乞食姿」が脳裏から離れない。
 ところで、日本国民は、日本としての正しい思想・哲学を精神的背骨(モラル・バックボーン)に筋金として打ち込んでおかなくてはならない。
 その基本は、「王道を歩む」ということである。「王道・覇道」という言葉は、中国の宋代の哲学者、邵康節(しょうこうせつ・易に精通し、孔子廟に祀られた人)が深淵な哲理に基づいて到達した学説の重要な「キーワード」である。
 東洋哲学者・安岡正篤先生がこれを、次のように図解している。
 道→化→自然→聖→皇
 ↓ ↓ ↓  ↓ ↓
 徳→教→譲-→賢→帝
 ↓ ↓ ↓  ↓ ↓
 功→勧→治-→才→王・・・ここまでを「王道」という。
 ↓ ↓ ↓  ↓ ↓
 力→率→争-→術→覇・・・覇道

 王道とは、「皇・帝・王」の道を志向するものをいう。王者が行う政治のことである。
 「王者が、天地の私心なきが如し、一不義を行いて天下を得るも為さず」(近思録・観聖賢)

 覇道とは、「権謀術数を弄して民を『率』いてゆく人間」すなわち「術者」の道を志向するものをいう。「術者」は、自分の権謀術数を力としてたのんで、人間の信用をアテにしない。力による政治を行いながら、表看板だけは、素晴らしい大義名分を振りかざしている者を「覇者」という。
 毛沢東は、「覇道」を好んだ革命家であった。決して「王道」は歩まなかったのである。それは、毛沢東の「政権は、銃口から生まれる」とか「世界革命は、暴力によってのみ達成される」などと言った演説や論文からも明らかである。
 毛沢東は、「力の哲学」を振り回し、数千万人もの中国人民を虐殺してきたのである。文化大革命のときは、さらに多くの中国人民を殺した。(このことは、日中両国の歴史教科書にきちんと明記する必要がある。それが「正しい歴史認識」というものである)
 「覇道」とは、「力の政治」のことであるから、中国人民は、形の上だけは、確かに服従した形はとるけれども、その内心においては、とっくに「離反」し、「反発」している。天下の人民が、心服していないということ自体、それはすでに「民心」を失っている。 中国共産党の一党独裁の「力の政治」は、毛沢東時代はもとより天安門事件を経て、すでに破綻していると見なくてはならない。
 これが、「反日デモ」「反日暴動」という歪な形で急激に噴出してきている。実態は、「反政府デモ」「反政府暴動」と断定してよい。
 「民心」を失った北京政府の政権基盤は、極めて脆く、政権の先はもうすでに見えている。中国各地で「農民暴動」や「学生デモ」などが起きており、これが全土に広がるといまの中国共産党の指導者はもとより、北京政府の要人たち、人民解放軍の高級軍人たちの生命・身体・財産は、危機に瀕してしまう。
 だから、北京政府は、人民への「弾圧」に躍起となり人民の視線を国外、とくに「日本」に向けざるを得ないのである。
 毛沢東が進めてきた共産主義革命思想に基づく「覇権主義」は、北京政府の「覇権戦略」「覇権外交」という形として現実に現れ、東アジア、中央アジアから、中近東、太平洋、中南米、アフリカにも拡大し、各地で摩擦を起こし始めているのである。
 呉儀副首相が、小泉首相との会談を「ドタキャン」して、モンゴルに飛んだのもモンゴルの新大統領誕生という「中央アジア戦略」に急な変化が生まれたためで、「ロシア」との覇権争いの一現象である。モンゴルは戦前から、「親日的な国」であり、日本の支援を求めているので、日本は小泉首相のように悠然と構えていればよいのである。
 だが、小泉首相はじめ日本国民の多くは、重大な錯覚に陥っていることに早く気づく必要がある。
 それは、中国が「儒教の国」ではないということである。孔子が理想的な政治として目指していたのは、「王道」であったのに対して、いまの中国共産党による一党独裁の北京政府は、「マルクス・レーニン主義」を中国化した「毛沢東思想」に基づく、あくまでも「覇道政府」である。
 従って、小泉首相が、「罪を憎んで人を憎まず」と言って孔子の名言を引き合いに出して、「靖国神社」に祀られている東条英機元首相ら「A級戦犯」をも含めて「御霊」に哀悼の誠を捧げるのだといくら説明しても、胡錦濤国家主席以下、北京政府の指導者たちを説得し、理解を得ることは、絶対と言っていいほど不可能なのである。
 もし万が一、小泉首相が、目先の状況を少しでも好転させようと思って、「靖国神社公式参拝」を取り止めたとしたら、中国の「覇道政府」の軍門に下ったことになり、それ以後、北京政府の言いなりにならざるを得なくなる。
 たとえば、「新幹線をつくれ」「新幹線の設計図をタダでよこせ」「ODA(政府援助)を続けろ」「コピー商品について、ガタガタ言うな」「北朝鮮にカネをくれてやれ」などと次から次に要求を続けてくるに違いない。
 この意味で、4年前に小泉首相が、靖国神社公式参拝の日取りを「8月15日」ではなく、「13日」に繰り上げたのが、大変な間違いであった。今年は、何としても「8月15日」に参拝して、「王道の姿」を見せつけねばならない。日中関係は、「日本の王道」と「中国の覇道」との対決なのであり、「王道」は負けてはならない。
 それにしても、朝日新聞をはじめ、報道各社やマスコミ人、あるいは、鳥越俊太郎のようなコメンテイターが、この「王道・覇道」の関係を知らず、「覇道」の巣窟である中国共産党と「覇道政府」である北京政府に味方し、小泉首相を非難する発言を繰り返しているのは、はなはだ理解に苦しむところである。それほど「覇道」が好きなのかと疑問に思う。
 「平和国家・日本」は、戦後60年の実績を踏まえ、これからも未来永劫、「王道国家」の道を驀進すべきである。日本国民は、中国人民の「民心」が離れつつある中国共産党と北京政府が崩壊とようと、中国で内乱が再び勃発しようと、「他人事」としてを黙って見ていればよいのである。

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乞食三昧の中国・北京政府の強要に応じない小泉首相の泰然自若の姿勢と態度を高く評価する

2005年05月24日 23時09分59秒 | 政治
小泉首相「話せばわかる」中国副首相帰国理由に不快感 (読売新聞) - goo ニュース

 本当に共産主義者というのは、「作法」も「外交儀礼」も「国際ルール」もあったものではないのだろう。
 こんな相手とまともに付き合おうと健気に努力している日本人も、阿呆である。
 中国の〃鉄の女〃と言われている呉儀副首相の「ドタキャン」を正しいと思うのは、頭がおかしい。まず、われわれ日本人は、自由民主主義社会に生きているということの意味を心底から改めて理解し直すべきである。変に共産主義者の言動に同情しすぎると、キツネに騙されるように惑わされる。「狸御殿」よりも摩訶不思議なのが、北京政府であるからである。絶対に眩惑されてはならない。
 それにしても、共産主義者に同情している日本人が何と多いことか。自由民主主義国に住む人間なら、何を考えても、何をしてもよい。それが自由民主主義国のよさではあるけれど、同じレベルで妙な同情などをすると頭の中が、支離滅裂になり、北京政府という狸御殿の化け物・魑魅魍魎・妖怪変化たちの術中に嵌まり、とんでもないことになる。
 このことに一番気づいているのが、いつもはノー天気なおじさんに見える小泉首相である。
 小泉首相が、呉儀副首相から「是非とも会って欲しい」と言われたから「会談」に応じ、忙しい「日程」のなかをやり繰りして、日時を組んだにもかかわらず、「ドタキャン」されて、「お前の言動が気にくわないから会わない」と言われたのでは、立つ瀬がないところだ。
 それを「小泉が悪い」という変な日本人が多数いると聞いては、もはや何をか言わんである。
 日本人は、自由民主主義国の国民なら、共産主義者の言動をまともに受け止められないはずなのに、何かにつけて、「日本人が悪い」と勘違いしている。だったら、共産主義者たちの巣窟である「北京政府」がすべて正しいというのであろうか。馬鹿もほどほどにしなさい。
 中国・北京政府にしろ、北朝鮮にしろ、共産主義者の考えていることは、およそ理解しがたい。こんな連中にいちいちまともに付き合っていたら身がもたない。といった感じで、呆れるやら、辟易するやら、不愉快を通りすぎて、度し難いと思っているのが、小泉首相と町村外相、それに自民党の安倍晋三幹事長代理だろう。しょせんは、共産主義者のやることだ。
 北京の共産主義者たちが、「靖国神社公式参拝問題」や「歴史教科書問題」「歴史認識」などというテクニカル・タームを巧妙に使って、アホな日本人に何を要求し何を奪い取ろうとしているかを、冷静にまさに科学的にしっかりと見破るべきである。
 一つ、オリンピック開催に合わせて、「新幹線」を日本のJRに作って欲しいのだ。しかも、共産主義者たちは、ずうずうしくもJRに対して、「新幹線の設計図もよこせ」と強要しているという。建設資金を日本が用意し、新幹線を建設してやり、メカテナンスの責任も押しつけられ、そのうえ、「新幹線の設計図もよこせ」と居丈高に言っているそうである。こんなことにJRが応ずるわけがない。
 日本が台湾の新幹線を建設したことに北京政府は、腹を立て、「台湾と付き合うな」とこれも強要してきている。日本が、これに応じようとしないので、苛立って、日本に「イチャモン」をつけている。
 これにアホな日本人やマスコミが、北京政府に同情を示すから、ますますややこしくなる。
 二つ、日本が対中国のODA(政府援助)をゼロにしようとしているので、北京政府は、怒り心頭なのだ。「これまで通り続けろ」と強要してきている。
 北京政府が日本の援助金で、北朝鮮を支援したり、核兵器を製造して、その核弾頭を日本列島に向けていることは、すでによく知られているので、小泉首相もこの方針を頑として変えるつもりはない。故に、北京政府は、ますます嫌がらせをしてくる。
 三つ、中国は、隣接しているモンゴルの国民から嫌われている。中ソ対立時代に、モンゴルはソ連と仲良くしてきた関係から、モンゴル国民は、中国が嫌いなのだ。 だが、経済成長し続けている中国の製品をモンゴルに買わせたい。このため、胡錦濤国家主席は、就任してどこの国よりも一番にモンゴルを訪問して、懐柔しようと懸命である。
 呉儀副首相が訪日中の23日早朝のことだが、モンゴルの大統領選挙の結果が、予定よりも早く判明した。これを受けて、北京政府は、「日本はもういいからモンゴルへ飛べ」と呉儀副首相に緊急指令を発している。
 通商貿易担当の呉儀副首相が、日本くんだりでモタモタしていたら、宿敵・ロシアに先を越されてしまう。新大統領の心をロシアに奪われてしまうと、北京政府がもくろんでいる中央アジアへの「覇権拡大戦略」が大幅に狂ってしまうのだ。
 だからこの日、呉儀副首相は、日本経団連の奥田硯会長ら財界人との昼食会でのごちそうをじっくりう味わう余裕もなく、気もそぞろにアタフタと飛行機に乗り込み帰国したのである。
 それも北京ではなく、大連で一泊してすっ飛んで行ったところがまさに「頭隠して尻隠さず」の無様な格好で日本から逃げ去ったのであった。
 このザマを見て、アホな日本人は、あくまでも「小泉首相の靖国発言が気にくわないから」と言い張るのであろうか。
 いまや小泉首相の一見「泰然自若」としている姿勢が頼もしく見える。日本はなるほど「国連安保理常任理事国入り」について中国の賛同を得たいところであろうが、こんな負担の多い「官位打ち」にもなりそうな辛い役目などどうでもよい。それ以外は、対中国・北京政府に対して、下手に出なければならないことは、何もない。要求なり、強要なりされているのが日本であれば、何も怯んだり、卑屈になったりすることは、何もないのだ。堂々としていればよい。
 「頼まれる立場」は、日本であり、中国・北京政府は、日本に何かにつけて「お願いする立場」であるはずである。それが、どうして卑屈な態度をして、ヘコヘコとなければならないのか。馬鹿馬鹿していではないか。「政冷経熱」、大いに結構だ。
 乞食三昧の中国・北京政府に屈してはならない。日本はこの際、「政経分離」で行こう。経済は、「ケチケチ会社で有名なトヨタ自動車会長でもある日本経団連の奥田硯会長に任せっ切りでよい。トヨタが自ら大枚支払って上海万博に協力するほど太っ腹ではない。それどころか、すでに「巨額の上納金」を北京政府に「お備え」させられていると聞く。北京政府は、トヨタのシブチンぶりをたっぶりと味わわせられるがよい。そうすれば、「資本主義の何たるか」を思い知らされるはずである。


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中国の胡錦濤国家主席らに対する日本からの要求と北京政府への「内政干渉」のススメ

2005年05月23日 18時37分13秒 | 反日問題
靖国参拝・歴史教科書「目にしたくない」 胡主席が批判 (朝日新聞) - goo ニュース

 中国の胡錦濤国家主席は22日、自民党の武部幹事長と冬柴幹事長に会談し、「近年目にしたくない動きが日本にある」として、
 ①靖国神社問題
 ②歴史教科書問題
 ③台湾問題
 の3点を挙げて、小泉首相の靖国神社公式参拝に反対する考えを重ねて表明したという。
 自由民主主義国家である日本が、①と②について、「共産主義国家」である中国の思想・政治哲学・戦略・政策に従えるはずはないにもかかわらず、執拗に強要しようとしているとしか思えない。
 重ねて言うが、「霊」や「魂」もその存在を認めていない「唯物論」を思想哲学としている共産主義者が、まるで「霊魂」の存在を前提としているような要求をするのは、おかしい。
 また、共産党一党独裁の北京政府の「唯物史観」に立脚した歴史をそのまま、日本が受け入れられるはずもなく、また、中国の「国定教科書」のように「北京政府に都合のよい歴史」を日本の執筆者のすべてが書くわけがない。
 なかには、マルクス・レーニン主義に立って執筆する者がいるだろうが、そのマルクス・レーニン主義ですら、旧ソ連の「マルクス・レーニン主義」と一口に言っても、実は「スターリニズム」の影響が強く、ましてや中国のマルクス・レーニン主義は、「毛沢東の革命思想」に則っり、異質なものになっている。
 あえて言えば、「日本共産党」は旧ソ連の共産党や中国共産党とは路線対立から「自主独立路線」を歩んできているので、これも単なるマルクス・レーニン主義という言葉では理解を共通にはできない。
 ③の「台湾問題」については、それこそ中国の国内問題であるから、北京政府が、戦争を仕掛けるなり、独立するなり、内乱を起こすなり、「勝手におやりなさい」と言いたい。
 しかし、日本は、「平和憲法」の下で、どこの国の人々とも、どこの地域の人々とも、別け隔てなく、付き合うことを国是としている。他国の政治には関与せず、専ら経済・文化などの交流をする姿勢を変えるわけにはまいらない。
 もし、中国・北京政府の言いなりになり、台湾との経済・文化などの交流を止めるとなれば、今度は「台湾に対する内政干渉」にもなりかねない。
 胡錦濤国家主席が、①靖国神社問題②歴史教科書問題③台湾問題について今後ともに、執拗に強要をし続けるなら、「日本への内政干渉」として受け止め、日本は、明白な「日中平和友好条約違反」として、厳重抗議せざるを得なくなる。
 お互いに内政干渉をし合ってもよいと言うなら、日本は、北京政府にいろいろ注文をつけてもよいことになる。
 胡錦濤国家主席への要求としては、たとえば、以下のようなものがある。
 ①自由貿易機構に加盟して、資本主義社会で生きて行こうとするなら、まず、「中国共産党」を解党し、「自由民主主義体制」に体制転換と憲法改正を求める。
 ②中国を7つのステイツに分け、アメリカのような連邦制度(台湾を含めたければ含めればよい)を採用すべきである。
 ③基本的人権を尊重し、中国国民に思想・信条の自由、集会・結社、言論・出版・その他表現の自由、信教の自由などを保障せよ。 ④北朝鮮からの「脱北者」の生命・身体・財産を守り、人身を保護せよ。
 ⑤旧ソ連とともに建国した北朝鮮を崩壊させ、自由民主主義体制に建て直せ。
 ⑥中国辺境地域の少数民族を解放せよ。
 ⑦チベットやベトナムへの侵略をして多くの人々を虐殺したことに対して、謝罪し損害賠償せよ。
 ⑧日中平和友好条約に違反する「覇権主義」を直ぐさま止め、南沙諸島や尖閣列島地域でも軍事行動を中止せよ。
 ⑨「元」を即刻、切り上げよ。
 ⑩毛沢東革命下の共産党による虐殺を深く反省、謝罪し、国共内戦と文化第革命の誤りを認め、犠牲になった数千万人の中国人への慰謝と損害賠償を行え。
 ⑪天安門事件で海外に逃れた中国人への追及を止めよ。

 この他に、要求したいことは、まだまだ多くある。日本政府は、北京政府から要求されっ放しになるのではなく、逆に正々堂々と要求すべきである。いつまでも「土下座外交」「朝貢外交」に甘んじている場合ではない。日本は、中国の属国ではない。
 それでなくても、日本国内では「愛国主義教育の復活」や「国を守る気概教育」を求める声が、大きくなりつつある。不用意に「寝た子」を起こすべきではない。
 いつまでも放置していると、日本国内で「ナショナリズム」が再び燃え上がり、収拾がつかなくなる恐れがある。
 このことを一番よく知っているのが、かつて超国家主義集団「玄洋社」を生んだ福岡県出身の政治家であり、この思想的流れを汲む山崎拓前首相補佐官自身のはずである。日本の治安当局も、北京政府もこのことを忘れるべきではない。
 (参考:「玄洋社」は明治14年、平岡浩太郎を社長として、頭山満、箱田六輔らが創立。大陸進出の綱領を掲げ、対外強硬色を強め、大隈重信外相を襲撃、軍とも密接に結び、日清・日露戦争などに裏面的に協力、大陸浪人を生み出した。昭和21年、占領軍の指令によって解散させられが、その残党の流れは、三原朝雄元総務長官ら政治家を生み、現在でも右翼のなかに脈脈と生き続けている。最近の「反日デモ」「反日暴動」のような事件が起きると、敏感に反応する傾向があるので、これらのことも、中国の胡錦濤国家主席ら要人たちに厳重注意を促す必要がある。事実、中国大使館や領事館などに「実弾」や「剃刀の刃」などが送り付けられているのが、兆候の一つであり、一般市民の間でも「日本の右翼は何をしているのか」と奮起を促す声が出始めているのを軽視してはならない)

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中国・北京政府は「毛沢東革命下の共産党による虐殺」を「日本軍の仕業」にして責任逃れするな!

2005年05月22日 19時29分15秒 | 反日問題
靖国参拝、改めて慎重な対応要求 中国の唐国務委 (朝日新聞) - goo ニュース 

自民党の武部幹事長、公明党の冬柴幹事長が、21日、中国を訪問し、北京政府の唐家セン国務委員、中国共産党の王家瑞・対外連絡部長と会談した。唐家セン国務委員、王家瑞・対外連絡部長ともに、「血塗られた中国共産主義革命」を指導し、多数の中国民族を虐殺した毛沢東の遺志を受け継いでいる中国の要人である。胡錦濤国家主席をはじめ、最高幹部らも同様である。彼らは中国共産主義革命を終えたわけでも、放棄したわけでもない。「日中関係」を見ていく場合、このことを念頭においておく必要がある。
 中国・北京政府が、日本の教科書問題や首相の靖国神社公式参拝などにイチャモンをつけてくる真の理由と目的は、公式には表明されていないので、一体、何が不満なのか首を傾げている国民は少なくない。
 だが、中国人が最大の価値を置いているのが「カネ」であることに気づけば、考えるまでもなく、「カネが欲しい」のである。それを正面切って言うといかにも卑しくなるから、婉曲にナゾをかけて相手に悟らせようとする。日本人は、案外に鈍感だから、「はっきり言ってくれないと分からない」などと真意を聞き出そうとする。 中国人は、むかしから「現世利益」しか信じない民族である。それに輪をかけて、霊や魂を信じない「唯物史観」に立つマルクス・レーニン主義の共産主義体制を維持している。霊や魂を信じていない中国人が、東条英機元首相らの「御霊」が、見えるはずはないのに、「御霊」の存在を前提とするような非難や批判を繰り返すというのは、奇妙な話である。となれば、日本人の弱みを突く、単なる言いがかりにすぎず、卑怯極まりない。
 中国は、上は共産党、北京政府から、下は、末端の属僚まで、「賄賂」が横行しているといい、何か物を頼もうとすると、「袖の下」をつかませなくてはならない。掴ませれば、話は早いと言われている。どうも、小泉首相は、そのことを百も承知して、中国に麻胡麻擂り外交をしたくなかったようである。
 これも中国3000年の歴史を振り替えれば、明らかなことではあった。中国人の心のなかに、いまでも「朝貢外交」という意識が残っているものとみえる。中国には、「東夷西戎南蛮北狄」という周辺国を蔑視する言葉がある。中国人にとって、日本は依然として「東夷」(ひがしのえびす)つまり、東の方の野蛮人なのだ。こうした意識は、中国に行った日本人が少なからず感ずることである。いかに貧しくとも、何しろ「中華大帝国」である。中国を訪問するとき、忘れてはならないのが、「お土産」だ。それも、「現金」に限る。このことを怠れば、何度も日本の教科書問題や首相の靖国神社公式参拝を追及され続け、「誠意を行動で示せ」と脅迫されるのである。
 もう一つ、日本軍の「南京大虐殺」について、被害者の人数が、当初、20万人だったのが、50万人になり、2000万人になり最近は3000万人という数字も飛び出してきている。これは、「白髪三千丈」の国のことだから、だんだんとオーバーになっているという見方もあるけれど、もっと大事なことを見過ごしてはならない。それは、「八路軍」を率いた毛沢東「蛮行」を、日本軍の仕業にしているのではないかということである。その張本人が、「江沢民」であったことも思い出そう。
 中国・北京政府は、「抗日戦線」で日本に勝利したのは、「中共軍」であると言い触らしているけれど、昭和20年8月15日の終戦当時、日本に勝利したのは、国民党の蒋介石総統率いる「中華民国」の政府軍であった。内戦を経て、中華人民共和国が誕生するのは、昭和24年10月1日のことで毛沢東が主席に就任している。 この内戦の間、国民党政府軍と共産軍とが激しく戦い、多くの戦死者を出し、とくに毛沢東が、同胞を虐殺している事実に目を向けなくてはならない。このことについて、拓殖大学海外事情研究所に勤務された佐藤慎一郎先生が、「毛沢東の運命-毛沢東に見られる人間学」と題する論文まなかで、以下のように記述されている。

 「毛沢東は、国民党の湯恩伯将軍に、『政治の要諦は、悪人を如何にコントロールするかにある』と、直接語っている。
 毛沢東のこの冷酷無情な人間不信の哲学こそが、彼の革命を成功させている。彼は革命の名において、驚く可き数にのぼる。同じ民族を犠牲にしている。
 一九七一年八月十二日、米上院法制委員会の治安関係諸法適用調査小委員会(イースランド小委員長)では、『中国共産党下における人的犠牲』と題する報告の中で、
 『一九二七年以降の第一次内戦から、文化大革命に至るまで、中国共産党を通じて、政治粛清や強制労働などの犠牲となった中国人は、計三千四百三十万人ないし、六千二百五十三万人に達する』(昭和四六・九、『師と友』、各時期における詳細な数字は、略記) と驚くべき数字を報告している。
 また、他の書籍においては、『中国の共産主義者たちの残虐行為』として、一九四九年の土地改革から一九六八年までの文化大革命に至るまでに、『殺された人々の数』として、
 『六千六百四万人』
 と云う数字をあげている。(『毛沢東主義の暴政の真実』、二~三頁、各時期における詳細な数字は略記)
 更にまた米南フロリダ大学国際関係研究所長リチャード・レ・ウォーカーは、『中国革命における人的犠牲』として、詳細な分析とともに、次のような数字をあげている。
 『一九二七年の第一次国共内戦から、一九六六年に開始された文化大革命に至るまでに、革命の名において犠牲にされた中国民族は、最低推計三千四百三十万人から、最高推定六千三百七十八万四千人』
 と、発表している。
 要するに、毛沢東革命とは、自らの同胞を殺し抜いた『血ぬられた革命』とでも言うべきものであろう。
 一九七四年五月八日、中国共産党の中央機関紙『人民日報道』は、『革命暴力万歳』という長文の論文を登載して、暴力を賛美し、暴力こそ共産主義の本質であると称賛している」

 この論文のなかで、とくに注目して欲しいのは、「革命の名において犠牲にされた中国民族は、最高最低推計三千四百三十万人から、最高推定六千三百七十八万四千人」という下りである。中国・北京政府が、「日本軍によって虐殺された中国人の数」をだんだんと増やしているのと並列させてみると、毛沢東革命の犠牲者の数のことを言っているのではないかと思えるほどである。もしかしたら、毛沢東革命下の共産党による虐殺を「日本軍の仕業」としてすり替えようとしているのではないかと疑いが濃厚になってくる。
 なるほど、中国共産党政権の「正当性」を国民に植えつけるのに「毛沢東革命下の共産党による虐殺」は、どうしても隠蔽しなくてはならない。ついでに、「日本軍の仕業にしてしまえ」と策謀をめぐらしたとしてもおかしくはない。毛沢東に殺された人々の遺族の多くが、まだ健在だからである。
 北京政府は、日本との間で、「歴史の共同研究」をすることで合意したと言われているけれど、この点は、しっかりと正確に記述してもらわないと「ニセの歴史書」をつくることになる。毛沢東革命の誤り、文化大革命の誤りは、正しく「犯罪的な誤りであった」と記述し、中国共産党自ら、中国人に謝罪と損害賠償をしてもらう必要がある。


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