中国大使に飯村氏内定、外務審議官には西田氏 (読売新聞) - goo ニュース
町村外相は2日、阿南惟茂中国大使を代えて後任に飯村豊インドネシア大使を充てる人事を内定、この秋に発令すると発表した。飯村大使は、外務省の中国語専門のいわゆる「チャイナ・スクール」と呼ばれる「親中派」ではなく、これまで中国とは関係が深くない外交官という。
阿南大使が「チャイナ・スクール」の中心的存在だったのに対して、それ以外の人材を中国大使に任命するのは、悪化した中国との関係の立て直しが、最大の狙いであるらしい。
「チャイナ・スクール」の大先輩といえば、加藤紘一元幹事長(元防衛庁長官)の顔が直ぐに思い浮かぶ。
だが、人間というのは、あまり親しくなり過ぎると、相手の言いなりになってしまう危険が大きくなる。
この点で、最近の日本の外務省の「対中外交」は、「情ない」の一字に尽きる。「癒着」とまでは言わないまでも、主客が転倒し、知らず知らずのうちに、どこの国の外交官かわからなくなり、相手の国の言い分を自分の国の政府に伝達する「メッセンジャー・ボ-イ」に成り下がるのである。この点で、「チャイナ・スクール」の外交官の罪は重い。
つまり、日本の主張をきちんと北京政府に伝え、抗議すべきときは、しっかり抗議し、要求するものがあれば、堂々と要求すればいいものを、相手の機嫌を損ねて、ヘソを曲げられては困るという奇妙な遠慮が、帰って相手を増長させることになる。
さらに悪いことには、相手に都合の悪いことを言ったり、要求したりして、相手との人間関係が悪化すると、自分の立場が不利になり、出世の妨げになると困る。そこで保身を図り、計算高く振る舞い、その結果、大事な外交問題をむしろこじらせてしまうことも往々にしてあり得るのである。
北京政府が、「小泉首相の靖国神社公式参拝問題」や「歴史認識」「歴史教科書問題」などを材料に日本の小泉政権を批判し、外交問題にまで発展し、日中関係がこじれにこじれてしまったのは、何はさておいても、外務省の失態である。
その最大の原因は、北京政府にゴマを擂り、相手の機嫌を取り、自分たちの保身に汲々となっていた「チャイナ・スクール」の外交官の不手際にあったとみることができる。町村外相が、新中国大使に「チャイナ・スクール」以外から人材を登用した背景には、このような事情があったものと推察できる。
「チャイナ・スクール」の外交官たちは、日本が戦後、「戦争放棄」「戦力不保持」を明記している日本国憲法の下で、いかに「平和国家」として歩み、「商売熱心」な「商人国家」の道を歩んできたかを、どこまで理解させてきたのか、疑問に思う。しかも、日中平和友好条約発効以来、3兆3000億円を越えるODA(政府援助)予算を投じて中国経済の発展に貢献してきてたかを一般国民に衆知徹底するよう要求してきたかをとらえると、まったくその努力の形跡すら感じられないのは、どうしたことか。
歴史教科書をとっても、あまりにも日本に対して、失礼極まりない記述にあふれているかについて、一度でも抗議したことがあるのか。
「チャイナ・スクール」の外交官たちは、北京飯店で接待したりされたりの「儀典外交」にどっぷり漬かって、頭のなかは、老酒のアルコールが回って、思考能力も判断能力も低下してしまったのであろうか。こんな連中に、対等な中国外交が行なえるはずもない。 また、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるけれど、最近の北京政府の首脳陣には、「不作法」で品がなく、「横柄」で「居丈高」で「教養のなさ」を感じさせる人物が多く目立っている。
早い話が「育ちが悪い」のである。呉儀副首相は最悪の女性閣僚であり、小泉首相との会談をドタキャンした無礼さもさることながら、日本からの賓客との会談の席で、足を組んで横柄に話をしている姿をテレビで見ながら、本当にガッカリさせられた。
どうも「強い」ところを見せつけたかったのかも知れない。賓客に対して、横柄に態度を示したところで、自分を卑しめ、祖国を辱めるだけにすぎないのに、そこのところが、教養のなさ、親の躾の悪さなのである。
同じ中国でも「清王朝」(金族による征服王朝)のころの中国では、おそらく「礼儀」がかなり重んじられたであろう。いまの北京政府は、最低である。
我が国を代表して天皇陛下に従い海外を訪問されている皇后陛下が、足を組んでお話されている姿を一度も見たことがないのに比べて、その程度の差には、呆れ果ててしまう。
新しく赴任する飯村大使は、こんな粗野な国の首脳と対等に話し合おうと思わない方がよい。
いずれにしても、中国は、まだまだ「後進国」である。「自由」も「民主主義」の未発達である。「人権思想」というのが、毛ほどもない危険極まりない国である。
こちらは、少なくとも明治憲法制定以来、欧米近代化の過程で、「自由」と「民主主義」の訓練を重ねてきた先進国である。そこのところを勘違いして、日中が同等の関係にあると錯覚してはならない。
そこで、先進国とはいかなる国を言い、どんな思想と哲学をもって政策を展開しているかを事細かに教え諭してやる必要がある。間違っても、中国共産党一党独裁の「後進国」の土俵に引き込まれて、欧米文化の価値観を血肉化している日本の思想、哲学、政策を曲げるようなことがあってはならない。最近の「親中派」と称する政治家や商売の損得勘定のみの観点から「中国を怒らせてはならない」と知ったふうな発言をしている財界人や学者、有識者、文化人らの発言を信じてもならない。
我が国は、少なくとも日本国憲法をアメリカからもらい、60年近くのこの「法の支配」「法の精神」の下で、自由と民主主義の定着と血肉化に努めてきた実績がある。これをブチ壊しにするような「ゴマ擂り」をするなど恥ずかしい態度や行動をとくに中国に対して取るべきではないのである。
飯村大使には、毅然とした日本外交を中国においても堂々と示して欲しい。その意味で、今回内定された町村外相の人事は、まさしく名人事であり、高く評価されるべきである。