昨日の3月19日は、悪名高き「治安維持
法」が国会で可決された日である。1925
年。そして10日後、男子だけの普通選挙
が成立した。(女性は戦後を待たなけれ
ばならなかった)
政府が普通選挙によって、反対勢力、と
りわけ社会主義・共産主義者が国会に出
てくることを阻止するためであった。
「国体もしくは政体を変革」しようとす
る者、その考えを犯罪として、刑は死刑
までに改悪されていった。
人の頭の中を取り締まる法律であり、そ
の実行者として「特別高等警察」が猛威
をふるった。「思想警察」であり、通称
「特高」と呼ばれていた。
(戦後解散させられたが、幹部の多くは
戦後警察に残り新たな幹部として出世し
ていった)
治安維持法で逮捕され拷問で虐殺された
り獄死した人が194人、獄中で病死し
た人が1503人、逮捕投獄された人は
数十万人におよぶ。小林多喜二もそのひ
とりであった。
治安維持法は戦争反対者だけでなく、協
力者まで手をひろげていった。
大本教や創価学会などは戦争に協力して
いたにもかかわらず「不敬罪」で弾圧さ
れていった。キリスト教も戦争への協力
をさせられていった。
同じく、ヒットラーによる戦争の猛威が
ヨーロッパを焼き尽くしていた。
ドイツの牧師、マルティン・ニーメラー
の言葉
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、
私は声をあげなかった。
私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、
私は声をあげなかった。
私は社会民主主義ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、
私は声をあげなかった。
私は労働組合員ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき。
私のために声をあげる者は、誰一人残っ
ていなかった。
(wikipediaより引用)
3月19日は平和法制=「戦争法」の強行
可決から半年にあたる日であった。
全国で反対運動が展開された。
ここ釧路でも反原発と「戦争法」反対が
一緒になって映画上映会が開かれた。
「戦争法」廃止、立憲主義回復の一点で
大同団結がはじまっている。
自民・公明の与党とその補完勢力を少数
に追い込むため。