佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

じやのひれ行き2

2016-06-24 19:33:19 | 釣り

23日、午前6時三橋氏から起こされて眠い目をこすりながら朝食に・・・

いつもの事ながら食事のことは横田氏と三橋氏が全部してくれるのでありがたい

朝は、横田氏がパンを焼いてくれて、コーヒーを立ててくれてありがたいことです、

その上、後片付までしてくれるので感謝感謝です。

 

お天気は曇り空、これなら暑くもないしよいのだがと思いながら釣り場に急いだ。

今日は申し込み3番だというが、希望していた沖側があいていたのでそこに入る、

じやのひれの名人の岩崎氏が応援に来てくれるかなと思っていたが、どうしても

抜けられない重要な会議が発生したので今回は残念ながら来月にとのこと。

 

午前8時前からつり始めたポツリポツリと三橋氏と横田氏がタイをつり始めた 

私にもアタリがあるのだが食い込まない、手をかえエサを変えてやっと1匹

御所名氏は仕掛けで少してこずっているようだ、手伝いしてやっと開始。

 

青物が相当残っているようだ、掛けたタイの後を追ってくるので、エサのアジを

買ってきた、大き目のアジの背中掛けをして掘り込んだら、このアジ背中のどこか

神経に刺さったようでクルクル回るのでそれが面白いのかメジロが寄ってきているが

食いつかない、それではとコブリのアジと差し替えたらすぐに食ってきた。

 

アオとのやり取り

アオや、さお上げてと三橋氏と横田氏に声を掛けて巻いていく途中で、1度御所名氏に

竿を持ってもってもらってひき味を経験してもらおうと代わった、そして巻いていく途中で

あげきっていなかった、2人の竿に絡んだその絡んだ横田氏の竿にもメジロが食いついて

3つ巴になり、御所名氏の手に負えず代わったが、私のほうはばれてしまった。

その後私が2匹釣り青物が3匹の釣果となり後1匹、青物を」釣ろうということで、私が

がんばって掛けてもう1度御所名氏にと代わって、彼がやり取りしてくれたが、又・・・

 

残念だったが青物の引きの強さを味わってもらえたので次回はきっとうまくあげると思う

 

本日の釣り3人分(横田氏の分は彼が料理中のため入らず)

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じやのひれ行き

2016-06-23 19:48:31 | 釣り

月例になった淡路じやのひれ釣行

今月は21,22、日と横田氏の車で乗せていってもらいました。

 

午前10時50分ごろに出て明石のドライブインで御所名氏と合流今日は曇り空ですが、

明日雨の予想(22日)は午後から雨の予想ですが午前中でやめたら雨にぬれない?

相変わらずの高速の渋滞、芦屋で高速を降りたほうがはやそうなので43号線を走ることにした

高速という名の渋滞道路で、高速代金が損である。

 

結局芦屋で降りて京橋まで下を走り、また京橋から高速に乗った。

御所名氏のほうも名神が込んでいて同じぐらいについたので、時間道理の行程になった。

 

先月じやのひれの、イカダの端から横田氏がキス釣りをするといったのでみんなが真似をして

型のよいのを釣ってテンプラにしてもらったのが美味しかったのに味を占めまたやろうとの事

で、着くなり4人で始めた。

 

今回は私も三橋氏も仕掛けを買ってきていたので横田氏のお邪魔をせずにそれぞれが仕掛けを

して始めた、すぐに三橋氏がリールを重たいよといいながらまいている、上がってきたのは

27センチからある大変なキス、皆がビックリ、その後、私と横田氏がキスでなくよい形の

キュウセンをつった、見に来ていた「じやのひれの」の森田氏がバケツに氷を入れて持ってきてくれた、やさしいなーと皆が感激、感謝。(キスの写真を撮るのを忘れた残念)

 

いつものとおり社長の姉婿の中川氏が来たので横田氏を残してキス釣りから退散した。

その後、横田氏が2匹の形のよいキスをつったけどエサがなくなったからやめたと、

帰ってきたが、皆がエサを使ったので足りなかったとぼやいていた。

一人分を4人が使えば早く無くなるわなー、スマンノー・・・

 

今夜はシヤブシャブでの食事、社長がハモにするかといってくれたのを来月にしてと

お願いして、今夜はシヤブシャブとキスのテンプラに社長の差し入れのタイのタタキを皆で

わいわいと楽しんで食べた。

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過ぎし日の磯釣り仲間の思い出3 

2016-06-22 18:52:20 | 釣り

「新竹柳一郎氏」

 

今は亡き新竹氏とは全関西磯釣連盟の第6支部として活躍していたのですが

新竹氏が支部長のときに全関西磯釣連盟の改革が始まり、各地にあらたな団体ができました。

 

和歌山県釣連盟、兵庫県釣連盟、三重県釣連盟、福滋岐釣連盟(京都府)

そして新竹氏を会長とした大阪府釣連盟ができあがりました。

その時に私も副会長としてともに立ち上げました。

 

以前にも書きましたが当時の第6支部のメンバーの大半が同調して新しい

大きな連盟が出来上がりました。

 

先の各団体との横のつながりで日本釣連盟連絡協議会というのがその後に立ちあげられました。

 

新竹会長とはその後20数年ともに磯釣りを楽しみましたが一人息子さんを亡くされてから、落ち込まれたのか急に亡くなられました。

 

初代新竹氏から2代目の私、そして3代目岡田氏になって、各クラブが抜けていき今、4代目の西氏が継いでいるが10クラブからあったクラブが今は4クラブほどになっているという、新竹氏も草葉の陰でなげいておられるであろう。

 礒釣の時代がすぎたのかも・・・今はルアーが全盛期であるためかも

 

この新竹氏のお孫さんがこの前のオリンピックに体操の代表選手に選ばれて

でておられた、健在であれば飛んでいかれたことでしょう。

 

 

 

 

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過ぎし日の磯釣り仲間の思い出2 

2016-06-21 18:46:36 | 釣り

「宮林勉氏」

 

 

私が全関西磯釣り連盟から別れて新しい連盟を亡き新竹氏に誘われて作って

後に、機関紙の編集長として活躍された故宮林勉氏。

 

彼とはクラブが違ったのですが当時、私は連盟の副会長だったのですが、彼とは釣を通じて仲良くなりよく一緒に釣りに行きました。

 

宮林氏は別注の家具製作専門店の工場を経営されておられました、

その家具は、作ってもらって20年からなり、今も私の家にありすが、

ひずみもありません、あの神戸の震災の時にも持ちこたえました。

私とタッグマッチを組んで連盟の機関紙を20年から続けた「さざなみ」も

今は廃刊となり、大阪府釣り連盟も、今は存続も危ぶまれている、残念なことですが、今、頑張ろうとして続けていかれている、会長の西勲氏、私が退任するときに次期会長に西氏を選ぶべきだったのか?

彼を選んでいたら連盟もどのように変わっていたか・・・

話がそれたが宮林氏が編集長をやっている間は彼とコンビを組んでまとめもやりましたし、磯釣りにも、釣り堀にもよく彼のワゴン車で出かけました。

私が運転をしたり彼が運転したりと今は遠い昔の夢です。

 

 

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過ぎし日の磯釣り仲間の思い出1

2016-06-20 18:44:18 | 釣り

「吉岡孝喜氏」

1昨年にガンで亡くなった仕事で仲間で釣仲間で、麻雀仲間でもあった

吉岡孝喜氏、彼の釣はイシダイオンリーでした。

 

南紀に釣に行くときは、彼は自分の専用車で行くのですが、この車2t車の

荷台を改造して自前の小屋をつんであり、その中には畳が引いてあり、天井

には竿掛けが仕組んである。

 

そしてこの車はキャンピングカーとしての性格を持っていてこの車で寝泊まり

しながら釣り場を移動してイシダイを釣り歩いている。

 

釣り場にも奥さん同行、仕事はもちろん麻雀にも常に奥さんは同行されていた。

釣り場で気分転換して仕事に戻ったら、今度はその車に積んである小屋を

ガレージに降ろして木材や仕事道具を積んで現場に出かけるのである。

 

この吉岡氏は小柄な人物ではあるが、竹刀を持たすと剣道7段で(財)修武館の指導員でもある剣道の達人でした。

彼と遠征の釣りに屋久島に行ったときでも竿袋には竹刀が入っていて、地元の子供たちに釣に出ないときに教えていたのでした。

 

今はもう会うことも見ることはありませんが1999年7月号の「つりのとも」(今は廃刊)には彼の当時の釣り姿が写真ででている。

 

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