「宮林勉氏」
私が全関西磯釣り連盟から別れて新しい連盟を亡き新竹氏に誘われて作って
後に、機関紙の編集長として活躍された故宮林勉氏。
彼とはクラブが違ったのですが当時、私は連盟の副会長だったのですが、彼とは釣を通じて仲良くなりよく一緒に釣りに行きました。
宮林氏は別注の家具製作専門店の工場を経営されておられました、
その家具は、作ってもらって20年からなり、今も私の家にありすが、
ひずみもありません、あの神戸の震災の時にも持ちこたえました。
私とタッグマッチを組んで連盟の機関紙を20年から続けた「さざなみ」も
今は廃刊となり、大阪府釣り連盟も、今は存続も危ぶまれている、残念なことですが、今、頑張ろうとして続けていかれている、会長の西勲氏、私が退任するときに次期会長に西氏を選ぶべきだったのか?
彼を選んでいたら連盟もどのように変わっていたか・・・
話がそれたが宮林氏が編集長をやっている間は彼とコンビを組んでまとめもやりましたし、磯釣りにも、釣り堀にもよく彼のワゴン車で出かけました。
私が運転をしたり彼が運転したりと今は遠い昔の夢です。