佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

わが友吉岡氏

2013-07-16 17:06:14 | 日々の思い

長年の仕事仲間でもあり、釣り仲間でもあった。

今は亡き吉岡考喜氏の葬儀が昨日行われました、

一昨日のお通夜にも200人を超える弔問客が来られておられましたが昨日も式場にはいれないくらいのお参りの人々でした。

 

幅広い付き合いと人望も熱く、釣りにしても剣道にしても熱心でした彼は

多くの人に親しみを持たれていたからでしょう。

彼は剣道7段という大変な高段者で、その腕前で外国まで試合に行かれておられました。

 

子供たちにも剣道を教え、奥さんと身体障害者の方のお世話もなされておられた関係もあり

子供さんもお参りにこられていました。

 

彼との思い出は尽きないのですが、仕事のこともあり彼が

北摂フイッシングクラブをやめられてからも付き合いは続いていました。

そばで見ていると、常に奥さんと二人三脚で、仕事に、釣りに、剣道にと行かれておられました。

まず何をするにも奥さん第一でした。

 

それによく奥さんは答えておられました、いつも偉そうに言っている反面

見ている僕たちには、奥さんがおらんと何もできないのというのがよくわかりました。

本人も奥さんにはいつも感謝していると言っていました。

 

彼とは五島列島・屋久島・隠岐島といった離島はもとより四国や紀伊半島にはよく釣りに

出かけました。

石鯛釣り1本の彼は大変熱心で、私のようにズボラ釣りはしません、あたりがなくても

コツコツと撒き餌を欠かさずにして、大判を釣り上げていきます。

葬儀に際して彼の石鯛の竿とリールを、剣道の胴着などと一緒に飾ってもらいました。

もう彼とは釣りに行くことはかないませんので、せめて、彼との思い出に、

彼の道具をもって釣りに行きたいと思っています。

 

昨日の葬儀に際して、私に弔辞を読んでもらうようにとの彼の遺言だったと奥さんに言われて

大変困ったのです、何故と言われると困るのですが、こういうのは、私が泣き虫なので

泣いてしまうので話せなくなるのですが、なんとか涙ながらに述べさせてもらいました。

今後は彼のお願いでもあった奥さんとのお付き合いとしての、大阪土田会にも入ってもらい

麻雀仲間として楽しく過ごしていただきたく思います。

あとは彼のご冥福を祈るのみです。

コメント
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