昨夜は夫と“目にも鮮やかな秋のフルーツ一杯のタルトがデザートに頂ける!”とのメニューに釣られて、若い女子で溢れるレストランで洋食を頂く。少々気恥ずかしいものの、好奇心と食欲には勝てない。食後はそのまま部屋に入り、入浴を済ませて、早めにベッドに入った。
そして今朝。夜中に一度お手洗いに起きたものの、中途覚醒もなく再び眠り続けることが出来た。夫の鼾も気にならず(もしかしたら私も鼾をかいていたかもしれないけれど)たっぷり眠ってモーニングコールですんなり目覚める。
21階の部屋の窓からは雲一つない青空が広がっている。久しぶりの秋晴れ、晴天である。昨夜のうちにコンビニで朝食を調達しており、部屋でのんびりと食事を済ませた。
同期のNさんから、人身事故のため乗車予定のロマンスカーが運休で、もしかしたら遅れるかも・・・とLINEで連絡があった。昨夜遅く関西から帰宅し、早朝から立ったまま電車に揺られるのは何とも気の毒なこと。こちらは予定通りに部屋を出て、夫が最寄の路面電車駅まで送りに来てくれた。10分足らず揺られれば終点駅に到着し、大学を目指す。集合時間10分前、無事Nさんと一緒に控室に入ることが出来た。いいお天気。思わず深呼吸だ。
卒業25周年の年、再発治療が一段落した2009年に思い切って参加したこのOB・OG合唱団のホームカミングデー合唱も、驚くべきことに足かけ10年である。途中母の入院、父の急逝で2年間お休みしたけれど、昨年からまた復活出来、7回目の参加となった。例年の夏から秋にかけて3か月間限定練習という緩いペースが私にはいい塩梅だったが、今年は先月末の創立記念コンサートに参加したため5月から練習が続き、正直なところちょっとガス欠状態である。
まずは発声練習の後、教室棟ステージのリハーサル。舞台の立ち位置等を確認し、3曲歌う各曲の出だし等を軽く歌って終了。
今日はソプラノ8名、アルト5名、テナー4名、ベース6名合計23名という小編成である。ここまで少ないと一人一人の声が判るし、カンニングブレスも難しく結構怖いものがある。
次の別教室棟での校歌合同練習まで30分ほど時間があり、少しだけNさんたちとメインストリートを歩いてみることに。途中、高校時代の友人Gさんの姿を見かけて、びっくり。彼女は何年か前にこのステージを聴きに来てくださったことがある。今回は先月のコンサートが終わったばかりなので、ほぼどなたにも声をかけていなかった。急いでおられたようで挨拶してすぐに別れたが、夕方になってステージでの写真が添付されたメールを頂き、いらして頂けたことが分かって感激した。
お酒やお国自慢の食べ物飲み物等を振舞うブースからの呼び込みが凄い。着ぐるみのマスコットと一緒にツーショットの写真を撮り、同期のグループLINEにNさんが送る。あれこれ大学オリジナルグッズも増えていたけれど、荷物を増やしたくないので、邪魔にならない実用品として校歌がプリントされたクリアファイルだけ購入。そろそろ戻らないと、とNさんと一番端にある教室棟へ向かう。
去年は冷たい雨降りでとても寒く、ブラウスとスカートのユニフォームだけではとても歩けず、コートを着込んでの移動で大変だったが、それを思えば秋の日差し燦燦でとても気持ち良い風が吹く今日は、文字通りホームカミングデー日和だろう。
グリーと大学合唱団と私たち混声合唱団、3団合同でオープニングの合唱を担当するのは例年のとおり。いつもグリークラブから指揮者が出る。校歌、応援歌、愛唱歌の3部作と聞いていたが、別の歌を歌う、という話が出てびっくり仰天。グリークラブ以外の2団が歌えない!と反対して無事3曲に落ち着く。それぞれの編曲が微妙に違ったりしてなかなか難しい。
そして、3団体一緒に講堂裏へ、民族大移動の如くメインストリートの混雑を避けて裏道から向かう。まだ講堂の舞台裏の入り口が開いていない。暫く待ってようやく中へ。
講堂の演台に並び終えて、オープニング・セレモニーの開始を待つ。卒業から優に50年以上経た往年の名アナウンサーの方たちが自己紹介をするのを幕内で聞くうちに幕が上がり、ライトアップ。ちょっぴり緊張しながらも、ライトを浴びながら歌う校歌はいつもながら気分良いものだ。
無事3曲を歌い終えて、講堂前に出る。昨年ゲリラ的に初めて行って好評を博したのに気を良くして今年も、というフラッシュ・モブが始まる。
校歌を歌うと、どこからともなく人が集まってきて一緒に歌ってくれる。カメラを構えた夫の姿が見える。そして、今年卒業35年のホームカミングデーを迎えた1期上の先輩たちの姿も沢山。その先輩たちをNさんが合唱に引っ張り込んで、皆で楽しく歌うことが出来た。
卒業以来お目にかかったことがない方が殆どだったが、変わっていない方ばかり。前回のコンサートに来てくださった先輩もおられる。久しぶりで、お話したいのはヤマヤマだったけれど、次のスケジュールが控えているので、急ぎ恒例の学食でのランチに向かった。
例年のことだけれど、勤務している大学の学食と同じメニューが並ぶ。今日はアラカルトで定食にし、大学ブランドのペットボトルの水も購入。歌を歌い歩き回るのでお腹がすくことすくこと。しっかり完食。いつもは次の舞台まで自由時間があるのだけれど、今日は再び控室に戻って、Y氏の最後の指導が40分ほどある。何度歌っても本当にいい歌である。昨日の指示を確認し、いい感じに仕上がっていく。
そして、次のステージの前宣伝ということで、会場の隣の教室棟のエントランスで2回目のフラッシュ・モブ。校歌を歌い出すと、ここでもあちらこちらから人が寄ってきて一緒に口ずさんでくれる。歌はいいものである。皆がいつの間にか笑顔になっていく。指揮者のS氏が○時〇分から隣でステージがありますので、どうぞよろしくとご挨拶して、ステージのある教室棟へ移動。
今回唯一お声をかけていた職場のOさんからLINEが届き、来てくださっていることがわかる。会場の後ろで前の団体の舞台を聴きながら、夫が会場に入るのも見届けた。
今日のステージは前回のコンサートで歌った選りすぐりの3曲。20分の舞台だ。
Robert Schumann作曲 Emanuel von Geibel作詞 石倉小三郎訳詩 “Zigeunerleben(流浪の民)”
前回はY先生が振った曲を、23期のK氏が気持ちよさそうに振られ、こちらもリズミカルに身体が動く。
Carl Maria Friedrich Eenst von Weber作曲 “Gebet(祈り)”
前回は長老のF氏が振った曲を、40期のS氏がうっとりする感じで振られ、気持ち良く歌う。
信長貴富作曲 “混声合唱とピアノのための くちびるに歌を”から 第4曲“くちびるに歌を”
練習中から、とても良い曲で何回歌ってももっともっと歌っていたい、と思ったラストの邦人曲。ことばに思いを込めて心地良く歌うことが出来た。58期プロのY氏のエネルギッシュな指揮の威力が大きい。
この後、教室棟を出て、最後のフラッシュ・モブ。電子ピアノの伴奏もあったので、バッハや流浪の民などもサービス。それでも校歌、応援歌、愛唱歌の3部作がやはり周りを巻き込む力が大きい。楽しく歌い、お開き。
高校時代の先輩でもあるM先輩に思わず「こうして毎年同じことが出来るということは本当に有難いことなのですね。」としみじみ話しかけると、「本当にそうだね、今年もまた頑張れたじゃない、来年もまた一緒に歌おう。」と言って頂く。じーんとする。
夫にはエントランスで待っていてもらって控室へ急ぐ。先輩たちにご挨拶「お世話になりました。また来年もどうぞよろしく。」と控室を後にした。同期のNさんは早々にフラッシュ・モブを抜けて、次のコンサート会場に向かったという。本当になんとタフなことか。
本ステージのラスト、くちびるに歌を、でかなり喉がしんどくなったはずだけれど、よく最後まで歌い続けられたものだ。やっぱり歌のチカラは凄いのである。
なんだかんだとずっと多忙でゼローダ内服中でもあり、お腹の具合が悪くなったらどうしよう、痛みが出たらどうしよう、と心配だったけれど、こうしてまた頑張れた。
来年まで頑張れたらちょうど卒業35年の年になる。ここまで長い期間、頑張ることが出来るかもしれないなど、始めた年には全く思わなかった。感無量である。
ご機嫌で屋台の酒を飲んでいる夫と合流して、ターミナル駅行のバス停留所に向かう。職場のOさんと、お茶が出来ればと思っていたのだけれどあいにく行き違ってしまい、残念。また次回是非、とご連絡する。バスは満席、途中渋滞もあって、さすがに草臥れてティールームで水分と糖分の補給のため小休憩。ライナーでゆっくり座って、最寄り駅に到着。疲れて本を読む元気もない。
またしても夜は外食になってしまったが、これはもう織り込み済み。漆黒の空を見上げれば、十三夜の美しい月。買い物をして帰宅し、大急ぎで片づけと洗濯。ここのところ洗濯が夜、というパターンである。とにかく来週に負の遺産を残さずに済んでほっとする。
今年も一大イベントが終了。
夫から「こうして、今年もまたここに連れて来てくれてありがとう。」と言われてちょっとびっくりした。本当は合唱など興味ないし、休日は家でのんびりしたいんだけれど、と言いつつ毎回こうして毎回付き合ってくれるのだから、こちらこそ感謝なのだけれど。
来年もまた同じことを繰り返すことが出来ますように、と強く願う。
明日からは平常勤務。来週は母の通院付き添いや夫の行事の付き添いも控えている。早めに休まなくては。