ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.10.21 ホームカミングデー音楽祭、無事終了

2018-10-21 23:03:17 | 合唱
 
 昨夜は夫と“目にも鮮やかな秋のフルーツ一杯のタルトがデザートに頂ける!”とのメニューに釣られて、若い女子で溢れるレストランで洋食を頂く。少々気恥ずかしいものの、好奇心と食欲には勝てない。食後はそのまま部屋に入り、入浴を済ませて、早めにベッドに入った。

 そして今朝。夜中に一度お手洗いに起きたものの、中途覚醒もなく再び眠り続けることが出来た。夫の鼾も気にならず(もしかしたら私も鼾をかいていたかもしれないけれど)たっぷり眠ってモーニングコールですんなり目覚める。

 21階の部屋の窓からは雲一つない青空が広がっている。久しぶりの秋晴れ、晴天である。昨夜のうちにコンビニで朝食を調達しており、部屋でのんびりと食事を済ませた。

 同期のNさんから、人身事故のため乗車予定のロマンスカーが運休で、もしかしたら遅れるかも・・・とLINEで連絡があった。昨夜遅く関西から帰宅し、早朝から立ったまま電車に揺られるのは何とも気の毒なこと。こちらは予定通りに部屋を出て、夫が最寄の路面電車駅まで送りに来てくれた。10分足らず揺られれば終点駅に到着し、大学を目指す。集合時間10分前、無事Nさんと一緒に控室に入ることが出来た。いいお天気。思わず深呼吸だ。

 卒業25周年の年、再発治療が一段落した2009年に思い切って参加したこのOB・OG合唱団のホームカミングデー合唱も、驚くべきことに足かけ10年である。途中母の入院、父の急逝で2年間お休みしたけれど、昨年からまた復活出来、7回目の参加となった。例年の夏から秋にかけて3か月間限定練習という緩いペースが私にはいい塩梅だったが、今年は先月末の創立記念コンサートに参加したため5月から練習が続き、正直なところちょっとガス欠状態である。

まずは発声練習の後、教室棟ステージのリハーサル。舞台の立ち位置等を確認し、3曲歌う各曲の出だし等を軽く歌って終了。
 今日はソプラノ8名、アルト5名、テナー4名、ベース6名合計23名という小編成である。ここまで少ないと一人一人の声が判るし、カンニングブレスも難しく結構怖いものがある。

 次の別教室棟での校歌合同練習まで30分ほど時間があり、少しだけNさんたちとメインストリートを歩いてみることに。途中、高校時代の友人Gさんの姿を見かけて、びっくり。彼女は何年か前にこのステージを聴きに来てくださったことがある。今回は先月のコンサートが終わったばかりなので、ほぼどなたにも声をかけていなかった。急いでおられたようで挨拶してすぐに別れたが、夕方になってステージでの写真が添付されたメールを頂き、いらして頂けたことが分かって感激した。

 お酒やお国自慢の食べ物飲み物等を振舞うブースからの呼び込みが凄い。着ぐるみのマスコットと一緒にツーショットの写真を撮り、同期のグループLINEにNさんが送る。あれこれ大学オリジナルグッズも増えていたけれど、荷物を増やしたくないので、邪魔にならない実用品として校歌がプリントされたクリアファイルだけ購入。そろそろ戻らないと、とNさんと一番端にある教室棟へ向かう。

 去年は冷たい雨降りでとても寒く、ブラウスとスカートのユニフォームだけではとても歩けず、コートを着込んでの移動で大変だったが、それを思えば秋の日差し燦燦でとても気持ち良い風が吹く今日は、文字通りホームカミングデー日和だろう。
 グリーと大学合唱団と私たち混声合唱団、3団合同でオープニングの合唱を担当するのは例年のとおり。いつもグリークラブから指揮者が出る。校歌、応援歌、愛唱歌の3部作と聞いていたが、別の歌を歌う、という話が出てびっくり仰天。グリークラブ以外の2団が歌えない!と反対して無事3曲に落ち着く。それぞれの編曲が微妙に違ったりしてなかなか難しい。

 そして、3団体一緒に講堂裏へ、民族大移動の如くメインストリートの混雑を避けて裏道から向かう。まだ講堂の舞台裏の入り口が開いていない。暫く待ってようやく中へ。
 講堂の演台に並び終えて、オープニング・セレモニーの開始を待つ。卒業から優に50年以上経た往年の名アナウンサーの方たちが自己紹介をするのを幕内で聞くうちに幕が上がり、ライトアップ。ちょっぴり緊張しながらも、ライトを浴びながら歌う校歌はいつもながら気分良いものだ。

 無事3曲を歌い終えて、講堂前に出る。昨年ゲリラ的に初めて行って好評を博したのに気を良くして今年も、というフラッシュ・モブが始まる。
 校歌を歌うと、どこからともなく人が集まってきて一緒に歌ってくれる。カメラを構えた夫の姿が見える。そして、今年卒業35年のホームカミングデーを迎えた1期上の先輩たちの姿も沢山。その先輩たちをNさんが合唱に引っ張り込んで、皆で楽しく歌うことが出来た。

 卒業以来お目にかかったことがない方が殆どだったが、変わっていない方ばかり。前回のコンサートに来てくださった先輩もおられる。久しぶりで、お話したいのはヤマヤマだったけれど、次のスケジュールが控えているので、急ぎ恒例の学食でのランチに向かった。

 例年のことだけれど、勤務している大学の学食と同じメニューが並ぶ。今日はアラカルトで定食にし、大学ブランドのペットボトルの水も購入。歌を歌い歩き回るのでお腹がすくことすくこと。しっかり完食。いつもは次の舞台まで自由時間があるのだけれど、今日は再び控室に戻って、Y氏の最後の指導が40分ほどある。何度歌っても本当にいい歌である。昨日の指示を確認し、いい感じに仕上がっていく。

 そして、次のステージの前宣伝ということで、会場の隣の教室棟のエントランスで2回目のフラッシュ・モブ。校歌を歌い出すと、ここでもあちらこちらから人が寄ってきて一緒に口ずさんでくれる。歌はいいものである。皆がいつの間にか笑顔になっていく。指揮者のS氏が○時〇分から隣でステージがありますので、どうぞよろしくとご挨拶して、ステージのある教室棟へ移動。

 今回唯一お声をかけていた職場のOさんからLINEが届き、来てくださっていることがわかる。会場の後ろで前の団体の舞台を聴きながら、夫が会場に入るのも見届けた。

 今日のステージは前回のコンサートで歌った選りすぐりの3曲。20分の舞台だ。
 Robert Schumann作曲 Emanuel von Geibel作詞 石倉小三郎訳詩 “Zigeunerleben(流浪の民)”
 前回はY先生が振った曲を、23期のK氏が気持ちよさそうに振られ、こちらもリズミカルに身体が動く。

 Carl Maria Friedrich Eenst von Weber作曲 “Gebet(祈り)”
 前回は長老のF氏が振った曲を、40期のS氏がうっとりする感じで振られ、気持ち良く歌う。

 信長貴富作曲 “混声合唱とピアノのための くちびるに歌を”から 第4曲“くちびるに歌を”
 練習中から、とても良い曲で何回歌ってももっともっと歌っていたい、と思ったラストの邦人曲。ことばに思いを込めて心地良く歌うことが出来た。58期プロのY氏のエネルギッシュな指揮の威力が大きい。

 この後、教室棟を出て、最後のフラッシュ・モブ。電子ピアノの伴奏もあったので、バッハや流浪の民などもサービス。それでも校歌、応援歌、愛唱歌の3部作がやはり周りを巻き込む力が大きい。楽しく歌い、お開き。
 高校時代の先輩でもあるM先輩に思わず「こうして毎年同じことが出来るということは本当に有難いことなのですね。」としみじみ話しかけると、「本当にそうだね、今年もまた頑張れたじゃない、来年もまた一緒に歌おう。」と言って頂く。じーんとする。
 夫にはエントランスで待っていてもらって控室へ急ぐ。先輩たちにご挨拶「お世話になりました。また来年もどうぞよろしく。」と控室を後にした。同期のNさんは早々にフラッシュ・モブを抜けて、次のコンサート会場に向かったという。本当になんとタフなことか。
   
 本ステージのラスト、くちびるに歌を、でかなり喉がしんどくなったはずだけれど、よく最後まで歌い続けられたものだ。やっぱり歌のチカラは凄いのである。
 なんだかんだとずっと多忙でゼローダ内服中でもあり、お腹の具合が悪くなったらどうしよう、痛みが出たらどうしよう、と心配だったけれど、こうしてまた頑張れた。

 来年まで頑張れたらちょうど卒業35年の年になる。ここまで長い期間、頑張ることが出来るかもしれないなど、始めた年には全く思わなかった。感無量である。

 ご機嫌で屋台の酒を飲んでいる夫と合流して、ターミナル駅行のバス停留所に向かう。職場のOさんと、お茶が出来ればと思っていたのだけれどあいにく行き違ってしまい、残念。また次回是非、とご連絡する。バスは満席、途中渋滞もあって、さすがに草臥れてティールームで水分と糖分の補給のため小休憩。ライナーでゆっくり座って、最寄り駅に到着。疲れて本を読む元気もない。
 
 またしても夜は外食になってしまったが、これはもう織り込み済み。漆黒の空を見上げれば、十三夜の美しい月。買い物をして帰宅し、大急ぎで片づけと洗濯。ここのところ洗濯が夜、というパターンである。とにかく来週に負の遺産を残さずに済んでほっとする。

 今年も一大イベントが終了。
 夫から「こうして、今年もまたここに連れて来てくれてありがとう。」と言われてちょっとびっくりした。本当は合唱など興味ないし、休日は家でのんびりしたいんだけれど、と言いつつ毎回こうして毎回付き合ってくれるのだから、こちらこそ感謝なのだけれど。

 来年もまた同じことを繰り返すことが出来ますように、と強く願う。
 明日からは平常勤務。来週は母の通院付き添いや夫の行事の付き添いも控えている。早めに休まなくては。
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2018.10.20 家事を済ませたら、明日はいよいよ校友会音楽祭!

2018-10-20 18:56:17 | 合唱

 勤務する大学の後期が始まって半月。履修登録やら何やらで、仕事は夏休みモードからすっかり平常モードになった。ゼローダ内服中は仕事を終えるとどうしてもがっくり疲れるし、手足の痛みや爪の弱さも気になる。お腹の調子はまあまあだけれど、なんとなく身体全体が浮腫んでいる感じで体重が上昇傾向だ。
 火曜日、水曜日のゼローダ休薬日は夫が宴会、木曜日は抜歯ということで、ろくな夕食も作らずじまいの個食続きの1週間だった。久しぶりに仕事を終えてから地元のヨガスタジオでクラスに参加して少しリフレッシュした。
 母も造影CTやら大腸内視鏡検査と術後3年の検査続きで、合間には台風で被害を受けたガレージや母屋の屋根の補修などがあって疲れた模様。

 そんなこんなでようやくの土曜日。少し寝坊をして、朝の連続テレビ小説をベッドの中で鑑賞する休日の小さな幸せを味わってからのろのろ起きる。朝食を済ませ、息子からはそろそろ冬物を送ってほしいというリクエストがあり、あれこれ写真に撮って要るもの要らないものを選ばせてスーツケースに詰めることに。今彼が住んでいる寮の部屋は狭くてオールシーズンの衣類が収納できず、衣替えもこうして親がかりでやらざるを得ない。来年無事に卒業して少し広い部屋に引っ越せば、こんなこともこれで最後かな、と夫と話す。
 かくいう夫は、一昨日の抜歯後に出来上がった入れ歯(!)を詰めに出かけた。私はその間掃除に勤しむ。2人しかいない、汚す息子はいないといっても1週間に1度しかしない掃除だからそれなりの埃である。掃除を終え、夫が帰ってくる前に明日の校友会音楽祭のための最後の練習に出かけた。

 乗り換え駅のレストランでランチを済ませ、いつものK先輩の練習会場へ。2週間前の練習もそうだったけれど、先月末のコンサートが終わって、例年のこちらの校友会音楽祭に出演するメンバーはがっくり減ってしまった。またしても少し遅刻をしてしまったのだけれど、受付で明日のスケジュールやチラシを頂き、出席簿に○をして、見ればソプラノアルト合わせて女性が6人、男性も8人ほど。寂しい。本番ではもう少し増えるようだけれど、合計で30人にも満たないらしい。いつも現役が助っ人に入ってくれているのだけれど、今年は関西公演でそれもない。他の合唱団にも所属していて、その関西公演に出ている同期のNさんは、今晩とんぼ返りで明日も出演とのこと。脱帽のバイタリティーである。

 さて、40期のS氏の練習中だ。明日は他の音楽団体とメドレーのステージなので、私たちが歌うことの出来る持ち時間は20分ほど。先日歌った歌の中から厳選3曲である。S氏がウエーバーの「祈り」を、23期のK氏の指揮にバトンタッチしてシューマンの「流浪の民」、最後は信長貴富さんの「くちびるに歌を」の最終曲、これを58期のプロ指揮者・Y氏が振ってくださる。
 Y氏は今日海外から帰国後、成田からこちらの練習場まで直行されるとのこと。リムジンバスからまもなく到着という連絡が入る。それを待ちつつS氏が代わりに一通り復習。

 ほどなくして大きなスーツケースを携えたY氏が到着。わずか1時間弱の練習のためにこちらに寄り、終了後は再び別の団の指導に行かれるという。荷物を下ろすとそのまま指揮台に立たれる。まあ若いから出来るのだろうけれど、なんともハードスケジュールだ。やはり指揮者が変わっていきなりぴりりとムードが変わる。前回の半分以下のメンバー数なので、一人一人の声が大切になってくる。発声練習もなく、いきなり練習が始まったのでちょっと大変。歌いながら色々思い出し、人数構成が変わることでまた新しいアドバイスもあり、気分よくY氏の練習は終了。ありがとうございます、明日はよろしくお願いします、と皆で拍手で送り出した。

 残り30分で、舞台とは別にキャンパス内で3回予定しているフラッシュ・モブの曲の練習を軽く一通り。オープニングの校歌や応援歌の他に、いつもラストで歌う愛唱歌のうち編曲が変わって心配な曲のみさっと通してから、「遙かな友へ」と電子ピアノの伴奏で「主よ人の望みの喜びよ」を歌って無事終了になった。

 今日は練習場から歩いてすぐのホテルを予約しており、チェックインしてほどなく息子のスーツケースの集荷を終えてこちらに向かった夫と合流した。

 明日は集合9時。大学までは路面電車でドア・ツー・ドアで30分ほどか。休日はお家でだらだらのんびりが好きな夫が「それにしてもなんで60にも70にもなる人たちが(まだ60ではありません!)学生のノリでそんな朝早くから頑張って集合するの?」と言うのだけれど、スケジュールを見ればそれでも結構忙しい。

 そんなわけで明日の本番が終われば今年の合唱シーズンも幕を閉じる。思えば5月から本当に忙しかった。日々の仕事(家事とはもはや書けない)、合唱、ヨガに旅行に、と週末はほぼ出ずっぱり。紛れもなく自業自得なのだけれど、ようやくその生活も一段落。来週末は絶対に家にいて家事に勤しもう!と志だけは高くする土曜日、校友会音楽祭前夜である。



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2018.10.16 そうそうスパッと割り切れないけれど・・・

2018-10-16 21:03:08 | 日記


 毎日新聞のコラムを見ていてなるほどな、と思うものを見つけた。以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

見上げてごらん 治りたい気持ち=永山悦子(毎日新聞2018年10月15日 東京夕刊)

 人が持つ免疫の仕組みを利用するがんの新薬に貢献した本庶佑(ほんじょたすく)さんが、ノーベル医学生理学賞に決まり、がんの免疫療法が多くのメディアで取り上げられている。
 これまでの免疫療法は「効くか効かないか分からない治療法」だった。本庶さんらの研究から生まれた「免疫チェックポイント阻害剤」(オプジーボなど)は、免疫療法として初めて「効果あり」と各国の規制当局のお墨付きをもらった薬だ。
 インターネットの上位に並ぶ免疫療法の大半は「効果は不明」。だから本庶さんの受賞決定後、「あやしい免疫療法に注意」「免疫療法は万能ではない」と警鐘を鳴らす記事が相次いでいる。それでも免疫療法に引き寄せられる患者が少なくないのはなぜか。
 医療が発達し、早期のがんは治るようになってきたが、進行するとまだ難しい。科学的に根拠のある治療では治らず、やがて治療の選択肢がなくなったり、見通しが立たなくなったりするときが訪れる。そのとき、あきらめ切れない患者たちが、「わらにもすがる思い」で免疫療法に頼ってしまう「気持ち」を否定することはできないだろう。
 金沢赤十字病院のがん治療医だった西村元一さんは、2015年にステージ4の胃がんと診断された。がん治療の隅々まで知る西村さんが、免疫療法を受けた時期があった。西村さんは「すべての可能性にかけてみたいと思った。医師も、がんや死が怖くないわけはないですから」と話した。
 告知から2年後、西村さんは58歳で世を去った。その半年前、私は西村さんに聞いた。「根拠のない免疫療法は、受けるべきではないのではないか」。答えは「効果が確認されていない治療を患者に勧めることはしない。しかし、治療法がなくなったとき、納得のうえで何らかの治療を受けることで達成感や満足感を得られる場合もある。患者の気持ちをむげにすれば、逆に必要な治療から遠ざけてしまう恐れもある」。
 あやしげな治療について「患者の助かりたい思いにつけこんでいる」と批判するのは簡単だ。けれども、その「助かりたい」という切実な思いに、現在の医療は寄り添えているのか。治療結果が思わしくないとき、患者が置き去りにされていないか。そんな視点も忘れないでほしいと切に願う。(オピニオングループ)
.
(転載終了)※  ※  ※

 治りたい気持ちに付け込む(保険適応でない)自費の免疫療法には見向きもせず、標準治療を続けることで病気を克服する、克服しないまでも長期共存が叶う、というのはどのくらい恵まれた(運の良い)患者なのだろう。
 いわゆるインチキ免疫療法に手を出すつもりは今のところ、ない。それだけの大金が用意できるのであれば、もうちょっと何か別のことに使いたい、と思っている。それだけまだ切羽詰まってはいない、ということか。

 これまで手を変え品を変え、QOLを落とさないために、仕事や趣味が続けられるように体調にはことのほか留意し、治療薬の減量をしつつこれまで10年半に渡り再発治療を続けている私だ。けれど、冷静に考えれば今の段階で残されている使える薬はかなり数が限られている。もちろん使っていない薬が何種類あったとしても、全ての薬が私に効くという保障はないし、あれやこれやと使ってきて大分おんぼろになってきている身体がウエルカム!と全ての薬を受け入れてくれるとは限らない。

 もう使える薬がなくなって身体がきつい治療も受け入れなくなった時、藁にもすがる思いでそういうクリニックの門を叩くだろうか。考えても答えは早々簡単には出ない。夫はお金のことなど考えずにどうかやってくれ、と言うのかもしれない。

 コラムにあるように、医師だってがんや死が怖くないわけではないだろう。患者さんには勧めなくても、自分が試したい(実際に試されたようだけれど)と思うことも不自然なことではない。どんな聖人君子であろうと当事者にならなければ、本当のところはわからないだろう。

 オプジーボを使ってみればとか、免疫療法がいいとか、こういうサプリはどうかとか、あれこれ色々善意で言ってくださる人はいるけれど、効果が見込めるかもしれない標準治療というカードが使えるうちはやはり選択肢には入ってこない。お気持ちだけありがたく頂戴して丁重にお断りしているのは事実だ。
 本当に身体がきつくなれば、自費の免疫療法だって副作用が起きないとは限らない。上手に緩和医療を受けながら、の方がうまく命を繋げるのではないかとも思う。

 もちろんコラムにあるように、納得して自費の免疫療法を受けるということならば、それは本人以外がとやかく言うことではないだろう。がん治療を行うとは、その時その時の選択肢から、色々な方たちに助けをお借りするとしても、最終的には自分で決断すること。そして自分でその結果を受け入れること。
 厳しい現実だけれど、やはりそれに尽きるように思う。
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2018.10.14 あけぼの会創立40周年記念大会参加・・・そして銀ブラ

2018-10-14 23:42:30 | あけぼの会

 今日は乳がん患者会あけぼの会創立40周年記念大会だ。サブタイトルは「私たちは何を変えたか、そして未来!」だという。
 38歳で乳がんに罹患され、その後あけぼの会を立ち上げ40年に渡り運営されてきた会長さんが今回で勇退を決められた。

 2009年6月の誕生日に入会して足かけ10年になった。こうした大会に参加するのは6回目だ。
 会長さんから「ご主人も連れて来てね」というお話を頂き、今回は最後だし、悲しいことにご一緒する仲間もいないし、一度夫にも聞いてもらってもよいな、と、ともすれば引きこもり系の夫に同行を願った。

 11時開場だが、満員御礼でお断りもしていると漏れ聞き、開場直後にはホールに到着するように早めに家を出た。
 予定通りほぼ開場時間に到着する。今回の大会は、就職して通勤のため毎日通った場所に近いホールでの開催で、3年ぶり-昨年は熱海宿泊、一昨年はもう少し小規模な都心の別ホールでの開催-だったが、私がここに来たのは5年ぶり。

 夫と出会ったのもこの街である。庁舎が移転してから四半世紀以上経つので、駅周辺は様変わりしており、かつて勤めた庁舎も既に影も形もない。けれど、変わらぬ果物屋さんやら中華料理屋さんなど、懐かしさで一杯になる。
 大会は12時から16時までの4時間の長丁場。お昼を摂る時間もないので、途中のコンビニで軽食を調達してホールに到着。ショッキングピンクのTシャツに身を包んだ事務局の方たちや、お手伝いの各支部の方たちに迎えられ、広報でお世話になった事務局のSさんや、重複がんの治療から復帰されたカメラ片手のKさん等何名かの方にご挨拶。

 ホールに入ると既に席は殆ど場所取りが終わっている。最前席の前には補助椅子がギッシリ。700名を超える参加者がいるようだ。かろうじて前方右寄りの席を2つ確保してから、ロビーで軽食を摂る。ソファは一杯で、立食になった。ロビーには「会長さんに一言メッセージを」のコーナーがあり、夫とともにブルーの付箋に感謝の言葉を書いてきた。

 そして定刻通り会がスタート。司会は事務局のSさんだ。
 正面の舞台にはピンクの文字で今回のテーマが掲げられた看板と、会のスローガン「再び、誇り高く美しく」がスライドで写されている。
 黒い帽子を被りショッキングピンクのスーツに身を包んだ会長さんが開会のご挨拶。これまでの歴史を述べられた後、ご自宅で会を立ち上げた当時6歳だった息子さん、8歳だったという娘さんが、それぞれロンドンや広島から駆けつけてご挨拶された。可愛らしいお孫さんの姿もあった。ご主人がALSを患われ、数年にわたりロンドンを25往復しながら介護する傍ら会長を続けてこられたのだ。ご家族の支えにも本当に頭が下がる。

 そして全国各地から集結された6名の錚々たるドクターによるオムニバス形式の講演がスタート。
 愛知県がんセンターから岩田広治先生が「新しい治療法の開発―臨床試験には患者さんの協力が不可欠ですー」、がん研有明病院から大野真司先生が「未来を拓くーICT時代の乳がん医療―」、日本医科大武蔵小杉病院の勝俣範之先生が「再発しても希望を持って生きるーがんとうまく付き合っていくには?-」、数年前の会のシンポジウムでご一緒させて頂いた紅一点の清水千佳子先生が「サバイバーシップを科学するー新しい医療の創出―」、京大病院から戸井雅和先生が「トランスレーショナル研究―がんと宿主の特性を理解するー」、トリにはメルボルンから今朝帰国されたばかりという昭和大病院の中村清吾先生が「乳がんの予防はどこまで可能かー遺伝性乳がんのことなどー」という演題でお一人15分の持ち時間を目一杯使って熱弁を奮われた。

 それにしても10月の乳がん月間、お忙しい筈の著名な先生方がよくもここまで揃われたものだ。途中メモを取りながらさすがに情報過多になり、ちょっとオーバーフロー気味で酸欠状態。

 15分ほど時間が押して、休憩時間になる。
 水分と糖分補給のため、ソファに腰掛ける。お手洗いの行列が凄い。そんな中、先日の瞑想ヨーガ教室に参加してくださったお二人にバッタリ。お互いにびっくりである。笑顔で挨拶出来る方がいるという有難さを思う。

 お手洗いを済ませ、予定より5分ほど遅れて第二部開始。
 パネルディスカッションでは会長さん、新副会長さんと清水先生が司会進行をされ、6人の先生方がずらりと並ぶ。今回は、会長さん勇退ということで駆け付けられたであろう、既に治療は終えられた乳がん卒業生の方が多く、(再発)治療中の方は少数のように見受けられた。

 ギャラリーから患者からの要望なども受けつつ、先生方にお応え頂く。治療選択肢が複数示されても、一つしか示されなくても患者は悩む。主治医との人間関係や相性、コミュニケーション能力等問題は多岐に渡り、なかなか一筋縄ではいかない。難しい問題だ。それでも先生方の日々の忙しさを思うと、患者自身も勉強し、たとえ短い5分くらいの診察時間でも、それを最大限に活用できるようにその都度真剣勝負で臨まなければならないように感じている。

 最後に6人の先生方が、何を考えて乳がん患者のためになさっているか、その情熱の源を伺って、時間通りシンポジウムは終了。
 後半はお待ちかねの「全国からようこそ」のコーナー。北は北海道、南は鹿児島までの36道府県の支部長さんが舞台にずらりと並び、各県からの参加者人数が司会から報告され、参加者はその場に立つという、参加者にとってこの場にいることが実感できる大切な時間だ。東京からは200人弱の参加者がおり、私もその場で起立した。
 韓国のソウルからも会員がお一人いらしていてご挨拶をされた。

 いよいよ閉会の時間が迫ってくる。次期の副会長さん4人と会長さんの自己紹介に続き、製薬会社さんや新聞記者さん等関係者のご挨拶も。そして同行されたご主人たちもスタンドアップ。隣に座っていた夫も起立して拍手を頂いた。
 舞台の上の4名の事務局の皆さんからも一言ずつご挨拶があり(残念ながら事務局の方たちはこれでご卒業のようだ。)、最後は戸井先生が全員の三・三・七拍子の音頭を取られてお開きとなった。定刻の4時。

 かなり密度の濃い4時間。到着時間から引き続けば5時間近く。うーん、これは元気でないと治療中で体調がイマイチの患者にはかなりハードな時間である。かくいう私もかなり疲労困憊、であった。
 いつものように帰りはエスカレーターの脇で会長さん自らがお見送りをしてくださる。夫と2人で順番を待ち、ご挨拶と握手をしてホールを後にした。

 それにしても、医療者に対しても家庭でも職場でもともすれば立場が弱くなり得る患者に寄り添い励ましてくれた会の存在意義は大きい。会を立ち上げた会長さんには心から敬意を表したい。
 私がこうしてブログを綴るようになったのも会長さんの後押しがあったからである。感謝してもしきれないものがある。
 会長さん、長い間本当にお疲れさまでした、そしてありがとうございました。

 さて、水分補給と疲労回復のためにカフェに入って一服。せっかく銀座にいるのだから、といつもお世話になっている百貨店のショップでコーディネートのお手伝いをしてくださる店員さんが、今月から銀座の百貨店に異動されたので、差し入れを持ってご挨拶に。あいにく丁度休憩時間で、あと15分ほどで戻りますというので、時間調整をしたのが運の尽き。目の保養のつもりで売り場に言ったところ、夫のスーツを新調することになった。まあ無事店員さんにはご挨拶出来て、とても喜んで頂けたけれど。

 こうして何年振りか夫婦で銀ブラを楽しみながら、夫の出身県のアンテナショップで故郷のお菓子や漬物等の買い物を済ませた後、その2階にある、県産の食材のみをふんだんに使ったメニューが評判のレストランで、予約していたフルコースディナー。お昼が軽かったのでお腹ペコペコだったけれど、さすがに最後はお腹がはちきれそうになって別腹の筈のデザートを残す、という事態になってしまった。さくらんぼを餌に育ったというさくらんぼ鶏のパスタや、ダチョウのタルタルを添えた“雪若丸”米のリゾット、だだちゃ豆の餌を食したという仔羊のロースト、和梨のパンナコッタ等々とても美味だった。

 そんなわけで帰宅したのは朝家を出てから実に12時間後。充実した長い長い日曜日となった。
 明日からまた1週間が始まる。途中でガス欠にならなければいいけれど・・・。

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2018.10.13 少し復調・・・あれやこれや

2018-10-13 21:00:36 | 日記

 木曜日からゼローダを再開した。先月までの疲れが完全に取れていないのはわかっていたけれど、飲み始めたらいきなり不調になった。
 とにかく怠いし眠いし、目がやけに疲れて痛むほど。夕方仕事が終わる頃にはヨレヨレのヘロヘロ。予約していたヨガクラスに行くことも出来ずに帰宅、夕食の支度もろくに出来ずに、ソファに横になるダメダメの2日間を送った。

 昨夜も早々にベッドに入り、途中お手洗いに2回起きたけれど、合計9時間以上眠った。ベッドの中で朝の連続テレビ小説を視てからノロノロ起きたら、夫はもう起きていて朝食の支度をしてくれていた。
 洗濯機を廻しつつ朝食を終えて、洗濯を干している時に珍しく夫とひと悶着あり、久しぶりに瞬間湯沸かし器の夫の逆鱗に触れて一触即発。お互いなんとかぐっとこらえて修復に努め、一緒に家を出た。

 今日は1か月ぶりのお楽しみ、Wさんサロンのマッサージの日だ。お天気はぱっとしない。肌寒くて曇り空。今にも雨が落ちてきそうだけれど、あちこち凝っているし、疲れているし・・・楽しみに出かけた。
 頭のてっぺんから指の先まで丁寧にアロマオイルで解して頂き、夫とのこともブツブツお喋りしながらいつしか夢の中であった。施術終了時には随分元気になって、スッキリ。ハーブティとチョコレートを頂き、夫にもご機嫌が良くなりますようにとハロウィンの可愛いクッキーまで頂き、次回を予約してサロンを後にした。

 施術後は母と夫とレストランで合流。かくかくしかじか今朝はこんなことがあったと話してから、まあなんとなく仲直りをしてランチタイム。三者三様好きなものを摂ってデザートもお茶もたっぷり頂き、2時間半ほどゆっくりした。
 来週は、母が直腸がん手術3年経過に際しての造影CTだの大腸検査等が控えており、その書類を記入したり、先日の台風被害に関する保険書類を確認したり、あれこれ処理出来てほっとした。

 母を帰りのバスに乗せ、夫と一旦別れて私は久しぶりに肩こり改善ヨガのクラスに出席した。Wさんのゴッドハンドで丁寧にほぐして頂いた後だったので、思いのほか動きが良く、気持ち良くストレッチも出来、汗もたっぷりかいて凝り固まっていた肩回りがすっかり楽になった。眠くて怠くて・・・もシャヴァーサナと瞑想で大分軽減した。
 ふと気づくと患者会のEさんからメールが入っていた。「明日は最後の大会だから、会長さんにもご挨拶したかったし、●●さん(私)にもお会いしたかったけれど、体調不良のため、残念ですが・・・」とのこと。
 私より長く治療を頑張っていらっしゃる方だ。とても心配だ。落ち着かれたら私が逢いに伺いますからどうぞお大事に、とお返事をした。

 明日は2年ぶりの大会出席になる。40周年で会長さんは勇退されるとのこと。出席が叶わない方のためにも様子をブログにアップしなくては、と思っている。
 2年前の大会には2人のSさんとともに出席したけれど、お一人は昨年12月に旅立たれ、もうお一人も一人での外出が難しいとのこと。これでEさんもいらっしゃれないとなると、本当に親しくさせて頂いていた方が誰もいないことになる。
 だからこそ、がんという病の患者会なのだけれど・・・。なんとも切ない大会前夜である。
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