ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.7.26 健康診断無事終了

2011-07-26 21:09:24 | 日記
 今年もこの季節がやってきた。職場では毎年7月の最終週に健康診断が行われる。去年も7月27日に「職場健康診断」と題してこのブログを更新していた。まあ1年経っても同じようなことを書いているな(進歩がない?)という感じはするが、記録として残しておきたい。

 昨夜から絶食で、朝食も食べられないので、身支度も早く済んで受付開始より15分ほど前に会場へ到着した。既に15,6人が待っていた。開始予定時間より前に受付が始まり、1時間もかからず全項目こなして職場に戻ることが出来た。集団の職場検診だから仕方ないのかもしれないけれど、皆が待っている(見える、聞こえる)場所で問診票を出し入れしてチェックしてもらうのはやはり気が重い。健康で仕事をしていることが前提だからこそ、のやり方なのだろうけれど、もうちょっと他の人たちの視線を感じない所で出来ないものか、と思う。

 大腸がん検診の検体を提出後、身長、体重を測定し、大会場に移動して血圧、採血、視力、心電図、腹囲、診察、聴力、尿検査、車寄せで待機している検診車の胸部レントゲン、胃部レントゲンでフルコース終了。
 体重はここのところちょっと減り気味で、特に今日は、絶食中だし水分もとっていないから仕方ない。血圧は朝早い時間なのに珍しく100-60もあり、驚いた。
 採血はコンスタントに通院する身となって以来、ごくごく普通のことになって、針を刺されることにはすっかり慣れっこになっている。けれど、健康な人たちは採血でちょっぴり針を刺されるだけでもあんなにストレスなのだなと、「嫌で嫌で仕方ない。」と言っている人を横眼に、何やら複雑な気持ちになる。なんでもない顔をして生きていくことはつくづく大変なことだ。
 普段殆ど机の中に入れっぱなしの就職する時(!)に作った眼鏡を、この時と免許の更新の時だけ持参している。かければ両眼とも1.2から1.5が見えてしまう。裸眼だと右目と左目がかなり違うので、あまり良くないのかな・・・とも思うが、遠方を見るとき以外は殆ど不自由しないので、眼鏡をかけずにそのまま放置している。私の齢だと老眼が出ても全く不思議でないのだけれど、今のところその兆しもなく、本や新聞を読む等の日常生活には、何不自由ない。
 問診票で既往症等を見た医師は「そうですか、ホルモン治療などですか?」「いえ、抗がん剤治療中です。」「どこの病院へ?」「○○病院です。」「いろいろ勉強されていると思いますが、主治医にもこの結果は見せてくださいね。」「はい。」と二言三言。貧血もなく、耳の下のリンパ節を確認、聴診器で心音を聞いて「特に所見なし」に○(マル)をされた。
 この数年来、尿検査では血が混じったり、タンパクが(±)だったり、とノーマークではなかった。「薬の影響もあると思います。」とのことで特に気にはしていなかったが、今日は全て(-)に○(マル)がついたので、ほっとした。
 さて最後のメインイベント。年に1度のお約束とはいえ、バリウムを飲むのは本当に憂鬱だ。今日は発泡剤もバリウムも珍しくすんなり飲めて安堵した。ゲップを止めている方が辛い。それにしても、あんなものを飲まされてゲップも止められて、上や下へとグルグル回されて・・・、最後に下剤まで渡されて。最初に受けた時は本当にびっくりした。こんなもの一体誰が考えたものやら、と。幸いなことに、これまで2次検査に進んだことがないので胃カメラは飲んだことがない。おそらく1ヶ月後に結果がやってくるだろうけれど、「異常なし」でありますように、と心から願っている。

 そういえば、2年ほど前のこと。この健康診断の結果をもとに、生活習慣病関係の診断リーフレットがご丁寧にも特定記録郵便・親展で自宅に届いたことがあった。タキソテール治療に専念するための病気休職中だったので、一体何があったのか、と封を開けるまで正直焦った。「今のあなたには生活習慣病(メタボ)の問題はなく、健康です。ですが、あなたの年代では特に乳がんに注意しましょう。」という、名前や関連数値だけが本人のものを入れ込める出来あいのパンフレットだったと記憶している。

 思わず吹き出した。もちろん一人一人の既往症を全てチェックして、その人その人にオーダーメイドのパンフレットを作っていたら大変なコストだというのはわかる。でも、こうして毎月医療費還付を受けるほど高額な再発乳がん治療を続けている職員に対して、「あなたの年代では乳がんに注意しましょう」はないのでないか、と。もう少し現実に即したコメントパターンがあってもいいのに、こんな意味のない(人によっては怒り出すかもしれない)パンフレットを個々の職員に郵送するほどの財源があるなら、もっと他に使おうよ、と思ってしまった。

 今日も今日とて頭痛が続いている。ロキソニンはただでさえ胃に負担が大きいから、胃薬を一緒に処方されることもある。今朝は絶食中でもあり、これを飲むわけにいかないと昼食まで我慢した。お昼には、18時間近くの絶食後だったので、たっぷり食事をした。お腹は下剤の影響が大きいけれど、なんとか痛み止めは飲まずに済みそうだ。

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2011.7.25 休薬の週に思うこと

2011-07-25 20:36:30 | 日記
 昨日は夕食を済ませた後、あまりにだるくて眠くて、そのままリビングでうたた寝をしてしまい、入浴後早々にベッドに入った。

 そして今朝、ちょうど明け方4時前にあった地震の頃に、頭が痛くて目覚めた。
 まだ早いか・・・と再度寝たのだけれど、やはり起きるなり頭痛で頭が割れそう。仕方なくまたロキソニンのお世話になり、出勤。出勤した頃には大分落ち着いてきたけれど、昼頃から薬が切れた感じでまた頭がズーンと重くなり、はっきりしない。
 寝不足が祟ったのか、調子に乗って週末に出歩いて遊び過ぎたのか、やはり骨髄抑制のためかしら、とちょっぴり反省する。

 先日、プチ虹のサロンでもこの話題が出たのだけれど、抗がん剤投与中に休薬をするのはその副作用である骨髄抑制により、白血球、赤血球、血小板が各々下がっている体を休ませるためなのだ。その時に発熱やらだるさやらといった目立った副作用がないからといって、調子に乗って出歩くのはセーブしないといけないな、と改めて思った次第である。
 今は発熱予防のために、投与当日の夜からロキソニンを飲んでいるから発熱しなくなっているだけで、実際、ロキソニンを服用する前のクールでは毎回週末に発熱していたのだ・・・ということを、今更のように思い出す懲りない私である。

 確かに、夜眠れなくても翌日の日中寝てしまえるなら無理に寝ないでもいいか、と開き直れるけれど、明日も仕事だと思えば、そうもいかず、ますます焦る。
 また、具合が悪くても、日中横になって休んでいられるなら、これまたいいか、と諦めもつくけれど、仕事となるとそうはいかない。
 そんなわけで、気がつけば矢張りなんだかんだと体の声を押さえ込んでいることに気付き、これまた反省する。(“反省だけなら猿でもできる”と言うわけですが・・・)

 抗がん剤の副作用による骨髄抑制は、一般的に投与1~2週間後にピークになり、7~10日で回復する。1週目の投与である程度白血球が下がったところで、2週目の投与。更に下がる。そして、下がり切った3週目に休薬することで、だんだん上がってきて、4週目に回復してきたところで再び新しいクールが始まる。
 だが、今、私はその4週目、つまり新しいクールのスタート時に採血して白血球をチェックしても、2000台が普通。先日はたまたま3000を超えたけれど、2500前後が通常になっている。(健康体の成人では白血球は3500-9000くらい)ということは、3週目というのは一番下がっている時期だから、2000を割り込んでいる可能性もある。毎回実際に測定しているわけではないが、主治医がおっしゃるには白血球や好中球が下がることは織り込み済みなので、余計な心配をしないために、あえて毎回測らないだけなのだそうだ。だからこそ、自分で手洗い・うがいをきちんとして感染症には注意してね、ということである。

 もちろん白血球がある程度低めでも、感染した炎症部位に遊走して集まって細菌を貪食殺菌してくれる、生体防御に大きな威力を示す好中球が白血球中に高い割合を占めていれば(健康体だと50-70%ほどあるようだ)、それほど心配しなくてもよいけれど、これまで私の好中球は3,4割がせいぜい。
 一般的に好中球が1000未満になると、感染のリスクが高くなり、500未満になると、感染のリスクは大幅に上昇する。ということは白血球が2000を割っていれば、好中球が1000未満である可能性は十分高い。抗がん剤投与時には、好中球は出来れば1000は欲しいけれど、投薬を予定通りに続けることも大切ということで、800程度あれば予定通り実行してきた。いたずらに心配しすぎるのは精神衛生上あまり良いことではないけれど、生体防御の要となる好中球がなくなると、感染に対する制御がきかなくなり、感染による死亡のリスクが生じるわけで、タキソテールの初回投与をした時に白血球1300、好中球0.5%となり、緊急入院したのだから、既に十分痛い目にあっているわけだ。

 ・・・反省した。と同時に、“猿”と言われないように、体を休ませることを心がけたい。
 これまで、休薬週にはあえて沢山の予定を入れて、免疫力アップにつながるから、と精力的に動き回っていたけれど、無理せず疲れたら休む、体調が悪ければ無理しない、という当たり前のことをきちんと実践しよう、と思う。
 とはいいながら、今週末には義母との家族旅行を控えているのだけれど・・・。


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2011.7.24 プチ虹のサロン~欲張りな一日

2011-07-24 11:29:27 | 日記
 昨日は、一昨日からのお腹の調子の悪さで朝から何となく力が入らずふらふらした。だが、楽しみにしていた月1回のプチ虹のサロンの日。夫と息子も地下鉄一日乗車券を持って出かけるということで、朝、一緒に出掛けた。

 今月はSさんの地元にある美術館を見た後、ランチと街歩きの予定だった。残念ながらもうお一人のSさんがお家の用事のため、Kさん、Tさんと4人での開催となった。

 Sさんが、集合駅まで車で出迎えてくださって、美術館へ向かった。大暑とはいえ、陽射しは明るいがとても爽やかな風が吹き涼しかった。目的地は昔から一度訪れてみたかった“ちひろ美術館・東京”だ。いわさきちひろさんが最後の22年間をすごし、数々の作品を生み出した自宅兼アトリエ跡に1977年に建てられたもの。年4回テーマを変えて作品を紹介している。今回は「ちひろが描いた世界の童話―アンデルセンを中心に-」が展示されていた。
 小さかった頃から、何とも言えない色合いと表情のちひろさんの絵に、とても惹かれた。おやゆびひめ、赤い靴、人魚姫などの絵本の原画に釘づけになり、また、絵本を読みなおしてみたい、と思った。
 美術館は静かな住宅街の角地、ちょっと奥まった場所にあって、周りにすっかり溶け込んでいた。1972年頃のアトリエが復元されており、実際に愛用していた品々を身近に見ることも出来た。展示室には、ちひろさんが愛用していたというソファが置かれ、ゆったりと絵と語り合える空間が提供されていた。ちひろさんが愛した草花が咲く庭にも、展示室とアトリエを結ぶガラス通路から自由に出ることが出来た。美術館が選んだという3000冊の絵本等が自由に閲覧できる図書室、赤ちゃんや小さい子供向けのプレイルーム“こどものへや”など、様々な工夫がされていて、タイムスリップをした気分になった。カフェテラスが設けられていて、ガラス越しにお庭を眺めつつ、飲み物や軽食を楽しむことも出来、来館者の方たちがゆったりとおしゃべりをして過ごしていた。Kさんはこれまでに何度も訪れていらっしゃるとのこと、その理由がよく分かった。近かったら通うのに・・・と、ちょっと残念に思った。
 帰りがけに、ショップでポストカードや「ちひろのアンデルセン」という文庫を買った。蛇足ながらちひろさんは55歳で亡くなっているが、がんだったのだ、と今回初めて知った。

 それから、Sさんが予約してくださっていたフレンチレストランまで車で移動して、レディスコースの料理に舌鼓。明るく素敵なレストランだった。学生時代に1度来たことがあったな、と懐かしく思った。食事とお喋りを楽しむうちにあっという間にクローズの3時になってしまい、喋り足りない感じでお店を出た。

 レストラン界隈は、日曜日ということで凄い人出だった。私はこの街で生まれ、3歳まで暮らした。学生時代には、途中下車して英会話学校に通っていたこともある。懐かしくも、ずいぶん変わってしまっておのぼりさんのようにきょろきょろしてしまった。可愛い雑貨屋さんやアクセサリー屋さん、パン屋さんやおもちゃ屋さんなど、ウィンドウショッピングしながら散策。人気の和菓子を並んで買ったり、と楽しんだ。
 さて、再度お茶をしようとしても、どこも一杯で、なかなか入れず。Sさんが走り回って探してくださって、なんとか落ち着ける良いカフェを確保し、再びお喋り。来月の予定を決めたり旅行のお話をしたり。
 Kさんはご主人のお誕生日の夕食会があるということで、一足早めに席を立たれた。残った私たち3人でひとしきりまた話に花が咲いた。出先の夫と息子に連絡を取ったところ、帰宅が予定よりも大幅に遅れそうということで、夕食の支度をしなくてもよくなり、すっかりリラックスしてお喋りに没頭する。
 あっという間に6時を回り、JRに乗るTさんと改札でお別れし、私は、ここからバスと私鉄を乗り継いで帰宅することに。Sさんが、バスが発車するまで見送ってくださった。今日一日、車の運転に私たちのお世話にと、ずいぶんお疲れになったのではと感謝である。

 自宅最寄駅に到着した頃には7時半を回ってしまった。夫と息子はまだ1時間ほどは帰ってこないということがわかったので、ホストファミリーへのお土産を物色しながら、軽食をとって一足先に帰宅した。
 洗濯物を片付けてお風呂を沸かして・・・という間に、2人が帰ってきた。地下鉄〇〇線の駅をほぼ全部降りてかなり歩き回ったとのことで、夫は足に豆を作っていた。

 その夫は、今日は休日出勤。息子は、われ関せずと、さきほどまで白河夜船。ホストファミリーに挨拶のメールを書いたり、出かける前に夏休みの宿題をある程度片付けておいたり、クリニックに薬をもらいに出かけたり、とやることは沢山あるはずなのに、やきもきするのは私だけ、という良くない事態である。

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2011.7.22 頑張るよりも頑張らせる方が難しい

2011-07-22 20:15:24 | 日記
 林真理子さん原作、中園ミホさんの脚本、黒木瞳さん主演のNHKドラマ「下流の宴」が終わった。
 8週連続。最初からリアルタイムでは見られないと思っていたので、毎週録画して後追いで見終わった。

 原作は読んでいないのだが、ドラマとは若干違う設定やエピソード等もあったようだ。とりあえずドラマのあらすじは以下のとおりだ。
 主人公は国立大学卒業の主婦。幼くして医師であった父を亡くし、妹と2人、母に育てられた。努力は何倍にも花開く、決して“下流”に落ちないように、との教えを受けて。夫は早稲田の理工学部卒業で一流企業の部長職。娘は有名女子大4年生で就活中。息子は受験勉強の末中高一貫校に入学したものの、入学するや否や今度は「6年後があなたの将来を決める」と再びネジを巻かれて、途中で気持ちが続かなくなり高校中退。今やマンガ喫茶で働く20歳のフリーター、という2年前から物語は始まる。
 主人公は、人生はいつでもやり直しがきくのだから、と何とか息子に高卒認定試験を受けて大学に行き直してほしいと強く望むが、決裂。息子は家を出てゲームのチャットで知り合った沖縄の離島出身の2歳年上の女の子(これまた高卒後4年間フリーター)と同棲してしまう。結婚したいという2人を鼻で笑い、万一彼女が医学部に受かったら結婚を認めましょう、という展開に。
 このカップルを手助けするのが、子供の頃、主人公の母に“下流”と言われて発奮した幼馴染の “受験のカリスマ”こと予備校の塾長。主人公からは、息子の受験勉強の手助けを頼まれたが、当の息子からは、自分ではなく彼女の合格の面倒をみてほしいと頼まれる。
 息子の彼女はそれこそ死に物狂いで勉強し、2年後には見事に医学部合格。ところが、さあ結婚・・・という段になって、息子から別れを切り出す。努力する人は凄いと思うけれど、自分は決してそうなりたいとは思わない、いつか彼女から自分が見下される日が来る。もう気持ちはすっかり離れている。一緒には暮らせない、と。そして自分はこれからも変わらない。一生フリーターだ、と。
 他方、見栄えの良い会社にこだわり派遣で働き始めた長女は、婚活にも頑張り、憧れの玉の輿結婚をしたはずだったが、そのエリート夫が鬱病で会社をドロップアウトして実家に戻る。地方で姑と同居するのが耐えられない、と娘は子連れで出戻り。
 主人公の夫は出向先から戻れずに関連会社へ。年収は半減、年下の上司に使われて・・・と、一家そろって負け組に転落。そして息子の彼女は一人大学へと旅立つ。主人公は孫をベビーカーに乗せて、かつて自分が子育てしてきた時のように「努力すれば願いは叶う。さあ、博物館へ行きましょう。」でエンディング。

 中高一貫校に入学したものの、努力が嫌いという無気力な息子の姿が、どうにも今の我が家の息子に重なってしまう。必死になればなるほど傍から見れば滑稽に見えてしまう母親がとても他人事に思えず、色々な部分で感情移入してしまって、なかなか辛いものがあった。

 標題は、主人公が息子の彼女に別れ際に言う言葉。「人に頑張らせるということは自分が頑張るよりずっと大変なことがわかったでしょう。」この言葉が最後に出てきた背景を説明するのは難しいが、本当にそうであると思う。日々、息子に「もっと努力しないと!」と言っている私は、息子から「僕はお母さんのように努力なんか出来ない」と言葉や態度で表わされている。
 高校の希望コースに入学して1ケ月ほどは「せっかく入ったのだから落ちこぼれないように頑張る。ビリじゃ嫌だし、皆からまぐれ、と言われているのも嫌だから、ちゃんとやるから。」と言っていた。4月末の実力テストはその結果、そこそこのもので、本人も(あれ、やればなんとかなるじゃない・・・)という感じだった。
 だが、その1ヶ月後の中間テスト、さらには先日の実力テストはどれもクラス最下位かブービー賞。もちろんどんな集団でもトップがいればビリがいるのだから、誰かがその席を引き受けなければならない。けれど、早くももう諦めてしまったのか、と思うとなんだかやるせない。
 では部活を頑張っているか、と言えば殆ど帰宅部同然。帰宅するや否やテレビゲームにスポーツ中継、ネットサーフィン。自室に行って勉強すると言うが、気付けばいつもベッドで爆睡中。そんな生活では学業不振は当然の結果だと思うのだが、いかんせんプライドだけは高い。質問するのは格好悪いと思っているから苦手で、努力はめっぽう嫌い。
 いつまでもそんなことが通用するとは思えないのだが・・・。
 別に勉強に限らない。高校時代というこの二度と戻ってこない珠玉の季節、自分のアイデンティティが確立される大切な季節に、本当に何か打ち込めるものがなくて良いのか、と唇を噛む。テレビゲームとネットサーフィンだけでいいのか、と思う。好きな本を読んでもいいし、スポーツをやってくれてもいい、決して勉強だけをしろ、などとは言うつもりはない。後で後悔するのは他でもない本人だ。このままただ高校2年間を何となく過ごし、3年になって周りの雰囲気で何となく受験して、結果を出せるだろうか・・・。息子を見ていると暗記力はあるけれど、思考力、想像力が本当にないな、と思う。
 眼先のことにとらわれてわずか3カ月後のことも眼中にはない。だから、私のことなど(死んじゃう、死んじゃう、って言いながらずーっと(3年半も)生きているじゃないか、この調子で本当はずっと大丈夫なんでしょ。)くらいにしか思っていないのだろう。
 夫には「努力できるのかどうかも能力のうちで、あいつにはその能力が欠けているようだ。尻を叩いてけなしてばかりでは、母親としてどうよ。母親は全て許して受け入れるものではないのか。」とまで言われている。果たしてそうなのか。
 本当に自分がやってしまった方がどれだけ楽か、とは思うけれど、紛れもない息子の人生。私が代わって送ることは残念ながら、出来ない。

 ともあれ、原作の小説も早く読みたい。まだ文庫化されていないので単行本を買うか、図書館にリクエストするか、なのだが。文庫化まではちょっと待てそうにない気分だ。

 今朝は久しぶりに爽やかな青空が広がった。カラリと晴れて湿度が低く気持ち良い。明日以降はまた猛暑日・・・という予報だから、貴重な一日だ。さすがに一昨日眠れなかったおかげで、昨日は夕方から眠くてたまらず、気持ち悪さのせいで体も重く、入浴しながらこっくりこっくりする始末だった。おかげでよく眠ることが出来、大分疲れがとれた感じだ。とにかく今日を乗り切れば明日には副作用も抜け始める。
 お昼は喉越しのよい麺を少し食べてみた。けれど、食後しばらくして、またお腹を壊してしまった。そんなに食べていないのに・・・。困ったものだ。

 さて、帰宅すると、なかなか受け入れ先決定の連絡がなく気を揉んでいた息子のホームステイ先決定の速達が届いていた。それより先、今朝、家を出ようというタイミングで、一緒のお宅にお世話になるお子さんのお母様から、坊ちゃんの携帯にホストから直接メールがあって驚いたとの連絡メールが届いた。お母様は、今日急遽浅草までお土産の手配に行くけれど、必要なものがあれば買ってきますが、というご連絡だった。とりあえず、お渡しするプレゼントがダブらないように何をご準備されたのかだけお教えください、とご連絡。ホストファミリーのご夫妻は、お二人とも数年日本にお住まいになったことがあり、12歳のお嬢さんを筆頭に、9歳、6歳、1歳の赤ちゃんまで2男2女の6人家族だそうだ。一人っ子の息子にいきなり4人もの弟妹が出来てしまう。息子は小さい子と遊ぶのが大好き(精神年齢が低いのだと思うが・・・)。楽しみなことだ。さて、いよいよ準備を急がなくては。



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2011.7.21 土用の丑の日に思うこと

2011-07-21 21:21:06 | 日記
 台風一過で抜けるような青空、という如何にも土用の丑の日にふさわしいお天気にはならず、台風の名残りの雨模様の天気。夕方から少し青空が覗いた。
 昨夜は案の定、気持ちが悪くてベッドの上で右に左にのたうちまわり、眠れなかった。無理に眠るのを諦めてリビングへ起き出し、録画していたドラマを見たり、メールチェックをしたり、と少しでも眠くなるのを待つが、殆ど効果はなかった。それでも横になっていた方が疲労回復のためにはいいか、と思い直して、またベッドに戻る。結局、3時間ほどうつらうつらしただろうか。寝る前には「その気持ち悪さを代わってあげられるものなら代わってあげたい。」と言っていた夫が、隣で鼾をかいて寝ている姿が羨ましくも憎らしい。
 本当なら、涼しくてこれまでの睡眠不足を帳消しにするくらいゆっくり休んで体力回復といきたかったのだが、投与当日はデキサート(吐き気止めのステロイド剤)のために半ば興奮状態なのか眠れない。そしてお腹の気持ち悪さもセットで付いてくる。脚の攣りがなかっただけで有難いと思わなければならないだろう。
 午後からの会議のため、発熱予防のロキソニンに加えて吐き気止めのナウゼリンを飲む。食欲はない。その結果、元気も出ない。

 それでも土曜日にはだんだん体力も回復してきる。来週は待ちに待った休薬週なので、単純に嬉しい。いつもいつも、前向きにしぶとく治療に頑張ると言ってはみても、実際にはそう容易なことではない。がんは切って終わりではなく、切ってからが付き合いの長い病気であるが、とりわけ乳がん治療は本当に長丁場だ。10年、20年の闘病すら決して珍しくはない。もちろん、ちゃんと卒業もできてサバイバーとして普通に生活している方も沢山いる。けれど、エンドレスの長く厳しい再発治療の途中で、心が折れてしまう患者さんがいることを、一体誰が責められようか。

 そして、抗がん剤投与の副作用で調子が悪いと、休薬したくなる誘惑にかられる。当面、薬が体から抜けてくれば、間違いなく体調は良くなるから。わずか1週間の休薬週でもそれを体感できる。けれど、指示にはない休薬をした場合に、体の中で本当のところ何が起こるのかは、誰もわからない。そのまま悪い細胞が眠ってくれて小康状態が保てるかもしれないし、はたまた活発な活動を再開する機会を虎視眈々と狙って、また動き始めるかもしれない。これまた神のみぞ知る、である。

 こうして生涯治療が必要な身になると、その辺のバランスのとり方が実に難しい。初発治療時のように、完治を目指して徹底的に叩けるならQOLが少しくらい落ちたって構わない、とは言えない。キツイ治療をすれば、間違いなくその間は体力も気力も落ちるのだから。そして復活するのにもだんだん時間がかかることになる。だからこそ主治医のさじ加減が物を言う。なるべく細く長く、体と心のダメージを最小限にしながら効果が得られる治療をして、今の小康状態を少しでも長く保ちたい。出来れば経済的・精神的な面も考えて仕事はなるべく長く続けたいから、次回使うであろう脱毛系の抗がん剤はなるべく先延ばしにしたい。(主治医からは、今回のナベルビンの後はおそらく完全脱毛必至のアンスラサイクリン系のレジメンが提案されると思っている。)

 再発治療にあたり“先のことはあれこれ思い煩わない。その場面になったら考える”をモットーにしているけれど、次は脱毛系の抗がん剤から逃れられない、となったらひとつだけ開始前にやっておきたいことがある。

 それは、遺影を撮っておくこと。
 タキソテールで完全脱毛した時から数えて、この11月で3年になる。おかげさまで髪の毛は大分元通りになってきているけれど、まつ毛と眉毛は薄いまま。体毛もすっかり薄いままだ。おそらくこのまま急に濃くなることはないだろう、と思っている。無駄毛については有難いことだ、とは言っても、とにかく眼力(めぢから)がないから、顔の印象は以前と比べて自分としてはかなり違っていると思う。特に映った写真を見ると、哀しいくらい実感する。

 だから、出来れば自分の髪の毛が生えているうちに、少しでも元気そうな写真を遺しておきたいと思う。毎年家族写真を撮っている慣れた写真館で、あのカメラマンさんに。もちろん、その後何年も長生きして、ずいぶん若い時の写真だわね~と言われれば、それは嬉しい誤算だ。

 次に脱毛系の抗がん剤を始めれば、これまたエンドレスになるだろう。そうでなくとも、ある程度人前に出られるほど普通の頭髪の状態になるまでには休薬後2年近くはかかるわけだから、最期までかつらが手放せなくなるだろうから・・・。
 お棺に入る時はスキンヘッドでかつらを被って、という辛い事実を受け入れるためには、そのくらいの贅沢はしたいな、と思っている。お骨揚げの時はかつらのクリップやらカテーテルの焦げた残骸がころんと残っているのかな、それとも溶けてなくなっているのかな、などとしようもないことをふと考えてしまう。

 土用の丑の日なので、今晩はあれこれ悩まずに鰻。夫も息子も喜んで食べていた。私はあまり食欲はなかったけれど、だからこそきちんと栄養をとってまもなく始まる骨髄抑制に備えなくては。
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