ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.7.21 土用の丑の日に思うこと

2011-07-21 21:21:06 | 日記
 台風一過で抜けるような青空、という如何にも土用の丑の日にふさわしいお天気にはならず、台風の名残りの雨模様の天気。夕方から少し青空が覗いた。
 昨夜は案の定、気持ちが悪くてベッドの上で右に左にのたうちまわり、眠れなかった。無理に眠るのを諦めてリビングへ起き出し、録画していたドラマを見たり、メールチェックをしたり、と少しでも眠くなるのを待つが、殆ど効果はなかった。それでも横になっていた方が疲労回復のためにはいいか、と思い直して、またベッドに戻る。結局、3時間ほどうつらうつらしただろうか。寝る前には「その気持ち悪さを代わってあげられるものなら代わってあげたい。」と言っていた夫が、隣で鼾をかいて寝ている姿が羨ましくも憎らしい。
 本当なら、涼しくてこれまでの睡眠不足を帳消しにするくらいゆっくり休んで体力回復といきたかったのだが、投与当日はデキサート(吐き気止めのステロイド剤)のために半ば興奮状態なのか眠れない。そしてお腹の気持ち悪さもセットで付いてくる。脚の攣りがなかっただけで有難いと思わなければならないだろう。
 午後からの会議のため、発熱予防のロキソニンに加えて吐き気止めのナウゼリンを飲む。食欲はない。その結果、元気も出ない。

 それでも土曜日にはだんだん体力も回復してきる。来週は待ちに待った休薬週なので、単純に嬉しい。いつもいつも、前向きにしぶとく治療に頑張ると言ってはみても、実際にはそう容易なことではない。がんは切って終わりではなく、切ってからが付き合いの長い病気であるが、とりわけ乳がん治療は本当に長丁場だ。10年、20年の闘病すら決して珍しくはない。もちろん、ちゃんと卒業もできてサバイバーとして普通に生活している方も沢山いる。けれど、エンドレスの長く厳しい再発治療の途中で、心が折れてしまう患者さんがいることを、一体誰が責められようか。

 そして、抗がん剤投与の副作用で調子が悪いと、休薬したくなる誘惑にかられる。当面、薬が体から抜けてくれば、間違いなく体調は良くなるから。わずか1週間の休薬週でもそれを体感できる。けれど、指示にはない休薬をした場合に、体の中で本当のところ何が起こるのかは、誰もわからない。そのまま悪い細胞が眠ってくれて小康状態が保てるかもしれないし、はたまた活発な活動を再開する機会を虎視眈々と狙って、また動き始めるかもしれない。これまた神のみぞ知る、である。

 こうして生涯治療が必要な身になると、その辺のバランスのとり方が実に難しい。初発治療時のように、完治を目指して徹底的に叩けるならQOLが少しくらい落ちたって構わない、とは言えない。キツイ治療をすれば、間違いなくその間は体力も気力も落ちるのだから。そして復活するのにもだんだん時間がかかることになる。だからこそ主治医のさじ加減が物を言う。なるべく細く長く、体と心のダメージを最小限にしながら効果が得られる治療をして、今の小康状態を少しでも長く保ちたい。出来れば経済的・精神的な面も考えて仕事はなるべく長く続けたいから、次回使うであろう脱毛系の抗がん剤はなるべく先延ばしにしたい。(主治医からは、今回のナベルビンの後はおそらく完全脱毛必至のアンスラサイクリン系のレジメンが提案されると思っている。)

 再発治療にあたり“先のことはあれこれ思い煩わない。その場面になったら考える”をモットーにしているけれど、次は脱毛系の抗がん剤から逃れられない、となったらひとつだけ開始前にやっておきたいことがある。

 それは、遺影を撮っておくこと。
 タキソテールで完全脱毛した時から数えて、この11月で3年になる。おかげさまで髪の毛は大分元通りになってきているけれど、まつ毛と眉毛は薄いまま。体毛もすっかり薄いままだ。おそらくこのまま急に濃くなることはないだろう、と思っている。無駄毛については有難いことだ、とは言っても、とにかく眼力(めぢから)がないから、顔の印象は以前と比べて自分としてはかなり違っていると思う。特に映った写真を見ると、哀しいくらい実感する。

 だから、出来れば自分の髪の毛が生えているうちに、少しでも元気そうな写真を遺しておきたいと思う。毎年家族写真を撮っている慣れた写真館で、あのカメラマンさんに。もちろん、その後何年も長生きして、ずいぶん若い時の写真だわね~と言われれば、それは嬉しい誤算だ。

 次に脱毛系の抗がん剤を始めれば、これまたエンドレスになるだろう。そうでなくとも、ある程度人前に出られるほど普通の頭髪の状態になるまでには休薬後2年近くはかかるわけだから、最期までかつらが手放せなくなるだろうから・・・。
 お棺に入る時はスキンヘッドでかつらを被って、という辛い事実を受け入れるためには、そのくらいの贅沢はしたいな、と思っている。お骨揚げの時はかつらのクリップやらカテーテルの焦げた残骸がころんと残っているのかな、それとも溶けてなくなっているのかな、などとしようもないことをふと考えてしまう。

 土用の丑の日なので、今晩はあれこれ悩まずに鰻。夫も息子も喜んで食べていた。私はあまり食欲はなかったけれど、だからこそきちんと栄養をとってまもなく始まる骨髄抑制に備えなくては。
コメント (3)
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