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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.10.21 素直であるということ

2010-10-21 06:29:36 | 日記
 子どもの頃、周りの大人たちから「素直なところがよい」と言われていた。今思えば、親や大人たちに対して従順過ぎたのかな・・・、とも思うが。
 さて、10月18日付け毎日新聞のコラムにこんな文章を見つけた。(以下転載)

          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

働き方・就職 プロの視点 樋口弘和 企業が求める「素直さ」とは

 リーマン・ショック以降、新卒の内定取得率が、下がり、就職氷河期の再来と言われている。だが、100社以上応募しても内定が取れない学生がいる一方で、応募した企業から次々と内定をもらう学生もいる。実際に企業の採用担当者からは「優秀だと思った学生ほど内定を辞退してしまい、内定辞退率は前年より上がってしまった」との嘆きの声も多く聞かれた。
 学生を就職活動の勝ち組と負け組に分ける差は一体何なのだろうか。色々な企業の経営者や人事部長と話していて、浮かんできたキーワードは「素直さ」だ。これは「いうことを何でも聞く」という意味ではない。高い目標と、自分と異なる意見も聞き入れて咀嚼し、自分の力にしてしまう。これが企業の求める「素直さ」だ。企業の面接官はこのような学生を「入社後に伸びそうだ」と評価し、「自分の部下として迎えたい」と感じるのだ。
 素直な人はサークルやゼミ、アルバイト等あらゆる場面で同世代の仲間だけではなく、先輩や先生など年の離れた人にもかわいがられている場合が多い。日々の生活でも素直さを発揮し、自分にない考えをどんどん取り入れていくので、つきあう人のストライクゾーンが広いのだ。これは社会に出た後に大きな強みを持つ。社会人は仕事も上司も顧客も選べない。だから与えられた環境を素直に受け入れ、どのような人ともうまくやっていける力はとても重要なのだ。
 面接用に作文された自己PRからではなく、自然な会話から素直さが感じられる学生は極めて少ない。だから企業が奪い合うのだ。(トライアンフ代表取締役)                                          (引用終わり)
     
           ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 月曜日に受講した研修が人材育成をメインテーマにしていたので、いろいろ思うところがあった。人材育成には終わりがないし、自分の方が立場的に上になれば、年齢や経験が上の人も育成しなければならないということも多々ある。一人ひとりの個性、経験値、方向性などを尊重した育成をしつつ、自分も共に成長出来ることが真の意味での人材育成なのだろう。

 一時期、人事の仕事に携わっており、新規採用者の面接も行った。
 中途採用や経験者採用は即戦力を採る、ということだから、新規採用者面接とは視点も違うのだろうが、新規採用者においてどこを見るかと言えば、やはり一緒に働きたいかどうか、育てがいがありそうか、まっすぐに伸びてくれそうか、あまりに出来上がりすぎていないか、ということだろうか。あまりに準備万端作り上げてきた回答で何人も何人も同じような回答が続けば、さすがにげんなりする。“自分の言葉”で話していない、ということがわかってしまうと、それ以上いくら長く話していてもつまらないのだ。
(それにしても最近は、就職のためのダブルスクールに通っているとおぼしき若い人たちのプレゼン技術が向上して、わずか数十分の面接だけではうかうかしているとそれだけで騙されてしまいそうになる。)

 私が就職活動をしたのはもう四半世紀も前のことだから、とても参考にはならないかもしれないけれど、それでも内定がもらえない人はいつまでたってももらえなかったし、もらえる人は業界を問わずダブルトリプル・・・とどんどん内定をゲットしていた。私は当時から「細く長く働く」ということが自分にとって一番大事に思えたので、公務員が第一希望ではあったけれど、4大卒女子に門戸を開いてくれるところには先輩訪問も含め幅広くエントリーした。(といっても現在では珍しくない100社エントリーの10分の1にも満たないけれど・・・)流通、コンピュータ、保険、マスコミ、外資系銀行等。こんな時でなければこれほどいろいろな企業の中を見せてもらえることなどないだろうから、という物見遊山な女子大生だった、といえばそれまでの話だが。

 けれど、公務員以外の業種における総合職の女性が求められる働き方はやはり“太く長く”(それが体力的に無理なら“太く短く”にならざるを得ない。)だったし、それもあってか、前を走る同性の先輩は殆どいなかった。もちろんその業界に向き不向きはあるだろうし、男性であるか女性であるかも大きな選択肢には違いないが、所詮どの業界であれ最終的には「人間」としての魅力を見るだろう。そうすると一緒に働きたいと素直に思える人材、可愛がって育てていける人材かどうか、ということに尽きるのだと思う。結果として、欲しい人材はどの業界にとっても欲しい人材になるのではないか、といったようなことを大学時代に就職体験記で書いた記憶がある。
 ところで四半世紀経過した今、結果としてこうした業界に就職した友人知人がどうなっているかといえば、結婚退職したか、出産退職したか、勤続していれば結婚はしても子どもがいなかったり、のどれかにあたっている。“太く長く”働くために子供を作らない、ということならば、それはそれでどうなのだろう、という気もするが・・・・。

 それにしても100社を訪問してもなお1社も内定がもらえない、というあまりに過酷な現実を前にすればどれほど辛いだろうか。これだけの数を回れば、自分のやりたい仕事がいったい何なのか分からなくなっても不思議はない。思い描いていたはずの仕事に対する夢が、どんどん遠のいていくという現実に押しつぶされ、心を病む学生も少なくないのでは、と心配になる。それこそ大学での勉強などとても手につかないだろう。自己否定をされ続ければ、自分の良いところも出せなくなってしまうだろうから。

 まだ内定をもらえず、就活を続けている学生たちにはエールを送りたい。心を柔らかくもって決していじけず、素直さ(決して従順なイエスマンになることではない)を発揮して自分にない考えをどんどん取り入れていく、この時期でなければ、そしてこれだけ活動をしなければこんなにいろいろな業界を見ることはできないのだから、くらいのずうずうしさを持って。

 今朝もお天気ははっきりしない。奄美大島では大雨で大変なことになっている。羽田空港では新施設オープンで朝4時から見学開始だそうだ。
 夏の間は暑くて寝ていられなくてかなりの早起きだったが、最近目が覚めてまだ暗いと、ベッドから離れるのが辛くなっている。現金なものだ。

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2010.10.20 ハーセプチン115回目、ナベルビン3クール1回目

2010-10-20 21:05:17 | 治療日記
 今日も診察前採血。家を出たときは雨が降りそうになかったので折りたたみ傘も持たずに出かけてしまった。ところが最寄り駅近くまで歩く間に雨がぱらつきだした。なんとかもってくれるか・・・と思ったけれど、病院の最寄り駅でもぽつぽつと降っていた。ここで風邪をひくわけには・・・、ということで諦めて途中のドラックストアで超軽量の折りたたみ傘を買う。

 今日もラッキーで採血は10人ほどの待ち人。10分足らずで番号が呼ばれ、白血球のみチェックのため1本の採血後、内科受付へ。こちらは結果が出るまで小一時間は待つ、と思っていたが、30分ほどで中待合に呼ばれ、その後診察室に20分足らずで入れた。
 「今日はとても早くてびっくりしました。」とご挨拶すると、「外来がすいすい進んでいるようですね。」と先生も。特に変わったことはないが、カテーテルが入っている首筋の引きつれと傷口のチクチクした痛みがあること、心なしか左胸の傷跡のしこりが小さくなっているように感じることをご報告。先生に触診して頂くと「確かに平べったくなっていますね。」とのこと。ナベルビン効果だとよいのだが。問題の白血球は4200で好中球も46%で問題なし。やはり3週間前の値まで戻っている。今回は8割の量で投与するので次回は少し下がるくらいなら(1000あれば)ナベルビンをやりたい、とのこと。

 処置室に顔を出すと、皆さんもすいすい進んでいたと見えて点滴椅子、カーテンで囲えるベッド全てが満席。ナースステーションの手前の開放ベッド1つしか空いていないので、そこでとのことで、廊下で30分ほど待ってから刺針。今日は若干チクリとしたがその後は問題なく、15分ほどして薬が届いて点滴開始。ベッドに寝てしまうと本が読めないので、枕や毛布をお借りして背あてにして読み始めたが、どうも体勢的に眠りを誘うポーズだったらしく、途中うとうとしてしまった。看護師さんには「珍しいわね、疲れているのかな、って言ってたのよ」と言われてしまう始末。
 ハーセプチンの後、今日の吐き気止めはデキサート、そしてナベルビンが38mgの規定量8割の30㎎、最後に生理食塩水。最後の2つは全開で落としたが両方とも15分かからず。合計3時間足らずで順調に終了。
 針を抜き、会計をして病院を出ると、やはり雨がぽつぽつ。傘を買っておいて良かった、と思う。

 今日は病院に入ってから出るまで5時間強。ランチタイムにも十分間に合ってゆっくり食事をして読書もして帰宅した。

 今日は2冊読めた。
 1冊目は唯川恵、畠中恵、角田光代さんら7編のアンソロジー「恋のかたち、愛のいろ」(徳間文庫)。解説で藤田香織さんが書いておられるように「複数の作家の短編アンソロジーの魅力は、未読どころか名前も知らなかった作家に出会える可能性が高いこと。こうしてアンソロジーで初読みして愛読するようになるケースは少なくない。読書の幅が広がることは、単純に嬉しくて楽しい」のである。今回のベストはお初の原田マハさんによる『ブルースマンに花束を』。恋愛における”切なさ”濃度が凄まじく、感動。同じくはじめましての朝倉かすみさんの『掛け星』も引き込まれた。畠中さんの『苺が赤くなったら』、ヴァシィさんの『号泣男と腹ペコ女』もそれぞれ楽しめたし、全部になってしまうけれど、オオトリの角田さんの『地上発、宇宙経由』はさすが、という感じ。それにしても学生時代に今のように携帯が普及していたら、みんなデートには困らなかっただろうな、としみじみ。

 2冊目は川上弘美さんの書評集「大好きな本」(文春文庫)。何より題名が良い。手にとってにっこり幸せになる感じ。川上さんの作品はとても好きなのだが、それにしても彼女が薦める144冊の本の中で読んだことがあるのは1割にも満たず、すっかりうなだれてしまった。読んでみたい本が沢山。ああ、時間が足りない・・・。とりあえず1冊、長田弘さんの『本という不思議』の書評より。「『(本を読むということは)権益だのおカネだのによって充たされえないはげしい希望、消費の量によって測ることのできないようなゆたかさの詰まった、どう言えばいいか、金本位制の夢なんかに頼らない言葉の新しい経験(なのです)』このような文章を読み進むにつれて、とてもいいものを分けてもらった気持ちになってくるのだ。ただし、いくらいいものをもらった気持ちになっても、それだけではきっとだめなのだ。なぜなら、さしだされる「いいもの」は、読書を通じて著者自信がつかみとったエッセンスであるにちがいないから。真にいいものは、自分自身で読書することによってしか得られない。そのことを、この本はきびしくあたたかく、繰り返し私に教えるのである。」

 今のところステロイド効果で元気。夕食の支度も手抜きをせずにしっかり頑張った。
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2010.10.19 瞬発力と持久力

2010-10-19 07:29:41 | 日記
 作家の渡辺淳一さんが新作小説「孤舟」を書かれた際のインタビューで「エッセイは瞬発力、小説は持久力が問われる。」とおっしゃっていた。
 初めて読んだのは高校生の頃で「花埋み」。本当に一生懸命読んだな、と思い出す。最近では「鈍感力」等のエッセイを興味深く読んだ。

 なるほどそうだろうな、と思う。
 比ぶるべくもないけれど、毎日こうしたエッセイもどきの日記を書くのは、本当にその時その時にピンと来たことを一気に書くから「瞬発力」なのだろう。が、いざ他人(ひと)様が読むに耐える小説を書くとなったら、まずは地道な取材から始まり、実際に書き始めるまでには半端ではない時間と努力と忍耐が必要だろう、というのは全くの素人の私にも想像くらいはできる。

 そして、もちろん若い人には若い人の小説の良さがあることは十分わかるけれど、年齢を重ねた人が書く小説が味わい深いのは、若い人たちには持ちようのない人生経験がものをいうからなのだろうと思う。いくら取材をしたところで、自分より年上の人を主人公に描ききることは難しいのではないか。やはりその年代を実際に経験してみないと本当のところ、リアリティをもって書けないことがあるだろう。うんと想像力が豊かで、老成している人はどうなのか、わからないけれど。だから年齢を重ねる、ということは小説を書く身としてはとても貴重なことだろうと思う。

 こうして毎日少しずつでもいろいろなことを思い出し、気持ちの整理をしていると、忘れていた青春時代をとても眩しく思い出すことが多い。そしてこれからそうした時代を迎える息子を本当に羨ましく、ちょっぴり妬ましくも思う。

 これから私がどれだけの年齢を重ねていくことが出来るかわからないけれど、きっと誰でも1冊の小説は書ける、というのはそういうことなのだろうな、と思う。真実は小説より奇なり・・・誰もが小説に優るとも劣らない一回きりの素晴らしい人生を生きている。
 そして人生にも日々の瞬発力とともに細く長く、の持久力が必要なのだと思う。

 今日は1日曇り空のようだ。3日ぶりの職場だ。明日はまた通院日。気がつけば10月も下旬に入る。2010年もあと70日ほどだ。
 ハロウィンの飾り付けが目立つようになったと思ったら年賀状印刷のお知らせなどが舞い込むようになり、今年もまた年末までまっしぐら、なのだろうか。
 自分なりの瞬発力と持久力(とりわけ持久力については、私自身のモットーが“細く長く”であるように、それなりの自信がなくもない。)を駆使して、後悔のない毎日を送りたい。



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2010.10.18 中央研修参加

2010-10-18 22:08:49 | 日記
 今日は本庁から徒歩5分ほどのホテルからの研修出席。久しぶりの登庁だ。この庁舎を離れてからもう15年近く経つのだなあ、と時の流れを思う。朝はさすがに空気がひんやりしている。

 私たちの職員研修所は臨海副都心にあるのだが、ここに朝の時間帯に通うには自宅から優に片道2時間半かかるので、3年前に2日連続の悉皆研修で参加したときには、やはり近くのビジネスホテルに宿泊した記憶がある。

 今回は本庁のサテライトルームでの開催だったこと、前泊も出来そうだったので思い切って申し込んだ。研修案内を見たときに、講師が過日読んでとても興味深かった「不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか」(講談社現代新書)を書かれた高橋克徳さんだったので。是非直接話が聴いてみたい、と思った。30人の募集人員だったが、ラッキーにも選考に通り、先週研修生決定の通知が来た。

 こうして局も職種も違う研修生が一堂に集まる中央研修に出席するのは本当に数年ぶり。どうしても普段閉ざされた職場にいるので、こうした機会は自分から手を挙げないと転がり込んでは来ない。実に刺激的だ。
 朝から夕方まで頭と手をひたすら動かし、グループワークと発表と演習の実にハードな研修だったが、充実していた。帰りにはミーハーを承知で新書にサインまでして頂いた。
 最後のセッションでは目が落ちくぼむくらい疲れたが、それでも達成感はあった。明日から気持ちを新たにやっていこう、という感じだ。

 帰りはちょうど最寄り駅に到着するのが夫とほぼ一緒になった。
 秋の大きなイベントも無事終わり、明日からまたいつもの毎日が始まる。結果的に先週水曜日にナベルビンが投与出来なかったのは幸いだったかもしれない。あまりにハードな週末だったので。今週からはきちんとスケジュールどおりに出来ますように。
 
 
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2010.10.17 校友会音楽祭無事終了

2010-10-18 21:57:39 | 合唱
 朝食後、駅まで2人に送ってもらい、大学へ向かう。予定より一台前の都電に乗れたので、集合時間まで時間があり、大学近くを散策しながら控え室の教室へ入った。既に準備は始まっており、数々ののぼりが立ち、出店のチラシ配りも始まり、早くも学内は賑やかになっていた。暑くも寒くもなく、穏やかな秋の一日の始まりだ。

 予定時間どおり簡単な発声練習の後、ステージリハーサルから指揮者の先生がみえた。15分しかなかったので、舞台の立ち位置確認とギターとの音あわせと、ピアノ伴奏のタイミングなど最小限の確認だけ。ソプラノはこの段階でも4人だけの出席。なんとも心細い。現役に助っ人依頼の連絡をしてあと2人は来るそうだが、いつも出席されていた先輩もいらっしゃらず・・・。
 それから教室に戻って30分弱、先生による最後の練習。その後12時の校友会オープニングに、講堂前で他の2つの合唱団と合同で校歌を歌うまで自由時間。着替えや楽譜のチェックをして過ごした。

 今年は大学が設立125周年ということで、去年とはちょっと様子が異なり講堂前に特設ステージが出来ていた。ここでソプラノの先輩が合流。卒業35周年ということで記念式典に出ておられたそうだ。
 このオープニングにも夫と息子が来てくれていた。
 合唱の後、ステージでは応援団によるデモが始まった。そこで私たちはいったん解散。2時からのステージまでに食事を済ませることになっていたので、夫と息子を誘って学食でお昼をとる。大学生協はどこもメニューが同じだ。勤務する大学にもあるメニューが沢山あった。学生の頃はこんな学食のビルはなかったなあ、と感慨深い。

 食後、2人と別れて控え室に戻る。今回は特に合唱団以外の友人には出演することを知らせていなかったが、昨夜、去年一緒にステージに乗った同期のご夫婦の奥様から、2人で聴きに行きますとのメールが入った。

 ステージに上がると、夫と息子が一番前に陣取っており、同期のご夫妻もその隣で仲良く聴いてくれていた。結局ソプラノは2人の現役が直前に駆けつけ7名になった。それでもアルトの半分の人数だ。男性は2列だったので女性の倍近くはいらしたはず。
 今日のプログラムは1曲目が大学創立125周年記念学生歌、2曲目はバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」、3曲目は谷川俊太郎作詞・三善晃作曲「混声合唱とギターのための組曲クレーの絵本第1集」より「黄色い鳥のいる風景」、4曲目はRandall Thompsonの「ALLELUIA」、5曲目はシューマンの「流浪の民」、最後は私たちが校歌、応援歌とあわせて3部作と称している歌、全6曲30分弱のステージだった。最後の曲はいつも演奏会の最後のアンコール曲で、皆で泣きながら(青春!です。)歌う曲なのだが、今回はセンチメンタルにならずに、という先生からの指示で速めのテンポで気持ちよく歌った。

 舞台の上で、去年の校友会音楽祭からもう1年経ったのだ、と思う。本当に1年なんてあっという間。今年も無事にこの舞台に乗れたことを本当に嬉しく、そしてまた来年、元気に参加したい、と心から思う。

 舞台は無事終了し、控え室に戻って着替えを済ませ、お世話になった方たちに挨拶をして外に出た。この後の打ち上げやグランドフィナーレには申し訳ないけれど欠席とお伝えして。
 外に出ると夫と息子が待っていた。そして同期のご夫妻も。夫と息子を紹介し、挨拶して別れた。後から御礼のメールをすると「ご主人と息子さんがかわるがわるママの晴れ姿を写真に撮っていました。ママは愛されているんだなあ、とほのぼのとした気分になりました。」とのお返事があった。照れ臭いが、素直に嬉しい。
 2人が抽選に参加していたので、(なんと去年は練習会場を提供してくださっている幹事の先輩が1等の“車”を当てた、と伺いびっくりした。)その結果が出るまで講堂前で待つ。結局下一桁だけが当たり、息子がお菓子セットを頂いて大学を後にした。
 ターミナル駅までバスに乗り、今日はどうもありがとう、ということで夫と息子にお茶とお菓子をふるまった。2人の夕食にと好きなお弁当を持たせて別れた。私もお弁当を持ってホテルにチェックイン。さすがにくたびれて読書も出来ずに、早めに就寝した。

 就寝前に、プチ虹のサロンのSさんから、昨日は(息子の)中学最後の体育祭お疲れ様、メールが入った。
 私は残念ながら、ゲネプロに参加したため、ムカデ競争しか見られなかったが、これは先頭第一走者で一位だった。担任から「このクラスは運動能力が高いので期待していてください」と言われていたのだが、確かに午前中はずっと学年1位だったようだ。担任いわく「ムカデ競争は実際、電車ごっこですから、そりゃ、彼は(鉄男なので)得意ですよ。」とのこと。確かに子供の頃、「シュッポ、シュッポ」と先頭で祖父母や両親(私たち夫婦)を引き連れて部屋の中を走り回ったな、と思い出した。

 夫が午後の障害物競走と騎馬戦はビデオに撮ってきてくれていた。こちらは残念ながら1位にはなれなかったけれどかなり頑張っていた。他のリレー等の競技の結果、クラスは学年1位を守れたのだそうだ。
 昨夜は興奮気味に「去年は体育祭なんてめんどっちーと思っていたけれど、今年はクラスが団結して凄くよかった」と喋りが止まらなかった。いい思い出が出来たようだ。こうして何にでも前向きに頑張ってくれると嬉しいのだが・・・。
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