ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.2.13 第九練習続行中

2010-02-13 19:58:10 | 合唱
 日々慌しく過ごしている中で、あっという間に4週間が過ぎ、今日は第九合唱の2回目の練習に参加してきた。毎回練習場が変わり、普通では行かない場所に出かけて行くのも楽しみの一つだ。
 おりしも今日は朝から雪模様。自宅の暖かなリビングでバンクーバーオリンピックの開会式を見る夫と息子を横目に見つつ、しっかり防寒対策をして出かけた。

 今日の会場は東京の東の端だったので、もっとずっと時間がかかるかと思ったけれど、乗り換えの接続が良く、思いのほか早く到着した。受付で参加費を払い、代わりにチケットを3枚頂いた。
 登録したメンバーはソプラノとアルトが各々100名ほど、男声も入れると320人ほどの大所帯だそうだ。
 4週間経って、前回の練習の注意事項をすっかり忘れていて、指揮者には大変申し訳ない感じだった。次回3月中旬の練習日はあいにく伯父の3回忌の法事と重なってしまったので、次に参加するのは3月末、オケとの初めての合同練習になる。それが7回のうちの練習の4回目だから、いよいよ折り返しも過ぎてゴールデンウィークの本番はもうすぐだ。
 合唱団が予想していたより大勢になったため、本番前日のゲネプロの練習場は、大人数が入る所に変更するとのことだった。次回参加予定のオーケストラ初回練習には、朝日新聞の取材もあるそうで、しっかりしなければ・・・、という感じである。

 座っていてはなかなか高い声が出ないので、立って練習した。2時間半の間10分ほど休みはあるけれど、どこにこんなに体力が残っていたのか、と不思議に感じる。
 最近いろいろな場所で自分の方が年長、ということが多くなってきており、久しぶりにたくさんのお元気な先輩方の中でまだ若手、という立場にいられるのはとても安心で幸せな気分だ。

 今日もしっかり元気を頂いて帰ってきた。家で食事の支度をしておいてくれた夫にも感謝、感謝だ。
 次回までにちゃんと復習をしておこう、と思う。



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2010.2.9  ハーセプチン80回目

2010-02-10 22:55:33 | 治療日記
 内科受付後20分ほどで中待合へ、その後10分ほどして診察室に入った。先週は、左胸の傷口周辺がこれまでの圧痛、鈍痛に加え、特に押したり触ったりしなくてもズキンと痛むことがあったことをご報告した。触診して頂き、傷口周りのごつごつ感を確認して頂く。
 気になっていた腫瘍マーカー値は横ばい。6ヶ月ぶりに上昇が止まり、安堵した。理由は不明だが、結果オーライだ。診察室に入るまでは(今月もまた上昇していたら、CTの後、来月から薬の変更かも・・・)等といろいろ考えていたので。先生からは「今後も自発的な痛みの状況の頻度等、変化に気をつけてみていきましょう。」と言って頂いた。
 今日は昼前に点滴開始。前回と同じ新しいタイプの針を使って頂いた。刺す時はこれまでの針より若干痛むが、順調に終了した。

 今日は明日の早朝会議に備えて、また、都心に前泊した。時間もたっぷりあり、合計5冊読めた。
 1冊目は藤原正彦先生と小川洋子さんの「世にも美しい数学入門」(ちくまプリマー新書)。このお二人の対談が面白くないわけがない。一気呵成に読み、「数学はただ圧倒的に美しい」というくだりに、職場である大学の数学専攻の先生方をふと思い浮かべた。私は数学が苦手だったけれど、数学の美しさには神の手がかかっている、ということを納得する。
 2冊目は茂木健一郎さんの「すべては音楽から生まれる 脳とシューベルト」(PHP新書)。「絶対的な座標軸-たとえば『喜びや美の基準』といったものさし-が自分の中にあれば、日々の雑事や苦しみはずいぶんとやわらぐものである。その存在がその人にとって生きる、ということの決め手になるのだと思う。」「『いかに、どれだけ、耳をすませられるか、人生はその勝負にかかっている』といってもかまわないだろう。」というくだりに実に納得した。私はクリスチャンではないけれど、今日は1冊目、5冊目の本も含めて、本当に神様はいらっしゃるのだ、との感を強くした。
 3冊目は梨木香歩さんの「りかさん」(新潮文庫)。おばあちゃんから送られた市松人形にまつわるお話だったが、あっという間に引きこまれて、これまた一気読み。後日談の「からくりからくさ」も読まなくては、と思った。文庫版書下ろし短編の“一歳児にとっての外の世界”の描き方も凄い。
 4冊目は同じく梨木さんの「エンジェルエンジェルエンジェル」(新潮文庫)。これまたおばあちゃんと孫の不思議なやりとりのお話。テーマはかなり重いのだが、こんなに読後感が良いのは彼女ならでは、だ。
 5冊目はご自身も乳がん経験者である中島みちさんの「がん・奇跡のごとく」(文春文庫)。”もっとも進行した病期で治療を受け、その後社会復帰してほぼ10年をクリアした”という条件をもとに、6人のがん患者を取り上げ、その闘いの過程を克明に記録。文庫化にあたり、6年後の再取材(この時点で全員が健在だった!)し、今日の治療水準も報告するという、2005年5月発刊のもの。ちょうど私の初発の頃にあたる。それから5年経っている。その間の医療の進歩たるや目覚しいのは言うまでもない。私など患者としてはまだまだ、だ。そして生きているからこそ、なのだ、と再び元気をもらった。

 病院を出る時、ロビーでボランティアの方たちがお雛様を飾り付けてくださっている最中だった。暦の上では、もう春、だ。
 今日はジャケットすらいらないくらいの暖かさ。東京では21度もあったそうだ。息子を含む花粉症の方たちには悪いけれど、早く暖かくなって欲しい、と思う。
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2010.2.8 中学受験雑感

2010-02-08 20:12:45 | 日記
 中学受験が一段落して、塾の「御三家中学合格○○名!」等とうたった合格実績チラシが舞い込み始めるようになった。

 2年前、我が家はその渦中にいた。ちょうど2月1日の第一志望の中学校に息子を送り届けて、その足で、今、お世話になっている病院にセカンドオピニオンを受けに行った。再発治療開始と中学受験の本番が同時並行だった。

 息子に当日の動きは内緒にして(これまで治療していたのが実は乳がんという病気であること、更に再発したことをきちんと説明したのは中学に入学して1ヶ月が経過したゴールデンウィークだった。)いたので、「(前泊した)ホテルの近くで待っているから、試験が終わったら携帯に連絡してね。」と言って別れたけれど、実際に連絡を受けたのは病院のロビーだった。(前日出かけるときに私が大きなCTフィルムを持っていたのに息子が「それは何?」と気がつかなかったのは幸いといえば幸いだった。)
「ごめんね。急にお仕事が入って迎えに行けなくなった。パパが代わりに迎えに行くから2人で美味しいものを食べて気をつけて帰ってきてね。」と言って電話を切った。
 帰り道にカツラ屋さんまで足を伸ばし、試着したり、サイズを測ったりして帰宅した。

 みんなが舞い上がっていたのか、夫は前泊したホテルに受験票のコピーを忘れてくるやら(部屋の掃除を終えたホテルから驚いて電話があったそうだ。「明日が発表なので取りに行きます。」と答えたという。)2人でお昼を食べたレストランに息子がお財布を忘れてくるやら(これについても電話をして、翌日の合格発表時に回収できた。)、中学校がある駅近辺によほど去りがたいものがあったのか、それなら結果オーライか、と思ったけれど、残念ながら不合格であった。

 なんのご縁か、現在通っている病院への通り道に当時通っていた塾の本部校舎がある。
「がんばれ 中学受験生」のポスターを毎週のように見ることになった。地方に受験に行ったときにお世話をしてくれた担当の方とすれ違うこともあった。先方は覚えていなかっただろうけれど、声をかけるのも憚られてなんとなく会釈だけして通り過ぎた。

 去年の2月1日は日曜日で、息子は漢検を受けに行っていた。
受験が終わって半年過ぎて、息子が元気に今の中学に通う夏になっても、私は塾のカバンを背負った小学生を見ると心臓がばくばくして涙が出てくるような状態だった。そうして1年経過しても、恥ずかしながら私の方がまだ吹っ切れていなかった。

 今年の2月1日も当然学校は休みで、自宅で好きに過ごしていた。
高校受験がないのですっかり「中2病」(やらなければいけないことはたくさんあるのに、それをないことにしてだらけている病気―本人の弁)でゆるみきった毎日である。カバンを背負った小学生を見ると、いまだに胸が苦しくなるけれど、それでもようやく心の中で「がんばれ」と言えるようになった。

 中学受験の過酷さは経験してみないとわからないことだろうと思う。知らない人からすれば「小さな子どもを夜遅くまで塾に缶詰にして、毎晩送り迎えまでして、親の自己満足で、ばかじゃないの」と思われるかもしれない。私自身公立育ちだったので、中学受験を一度経験してみて、もしまだ他に子どもがいてもトライさせる元気はない。
 土日もお盆もお正月もほとんどなく、自分の大学受験の頃よりずっと勉強していたのではないか、と思う。それでも第一志望校に入れる子どもは3分の1。その事実がわかっていても、親も子も「ここまでやったのだからと、どんどん後に引けなくなる。自分の子が残りの3分の2になることはない・・・」かのように思ってしまうイケイケの雰囲気。

 チラシには満面の笑顔で「おめでとう!第一志望合格!」と掲載されている子どもたち(似顔絵もある。)。
 1年後、2年後、この子達がずっと笑顔のままで、幸せになっていてくれればいいけれど、としみじみ思う。
 息子の学校でも特待生で入学したものの、その後素行不良で退学したり、超難関校確実といわれつつ受験前日に怪我をして、不本意ながらこの学校に進まざるを得ず、結局やる気をなくし、やはり去っていった同級生がいるという。

 子どもにとっても親にとっても何が幸せなのかわからない。
 もちろん子どもの幸せを願わない親はいない(児童虐待等の話を聞くにつけ、そう思いたい、とトーンダウンせざるを得ないのだが・・・)のだから、みな子どものためを思って、良かれと思ってしていること。
 けれどとにかく元気に毎日学校に行ってくれるだけで幸せだ、と思うとともに未来を担う子どもたちの幸せを心から祈りたい。
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2010.2.6  歯科検診雑感

2010-02-06 09:23:51 | 日記
 また3ヶ月が経って歯科検診に出かけた。
 今日もおかげで特に問題なく、磨きにくい部分を確認して、表面をきれいにしていただき、次回3ヵ月後の5月に予約を入れて帰宅した。特に問題がなければ本当にあっという間、15分ほどの検診である。

 こちらの歯科医院にも家族3人でお世話になっている。先生は、掲げてある医師免許証見ると私と同い年だ。息子は市役所の3歳児検診が終わると同時に、もう10年以上通っている。先生はその頃の印象が強いらしく、いまだに「はい、ごろんしようか~(診察椅子を倒す)」とか「お口ぶくぶくしようか~」と言われるんだ、と憤慨しつつも、なかなか「ボクはもう大人ですから、普通にしゃべってください。」とまで言えないらしい。全く内弁慶な息子だ。
 
 それでもこれまで欠かさず3ヶ月に1度検診して頂き、フッ素塗布を続けてきて本当に良かったと思う。噛み合せも見ていただけるし、今のところ虫歯になったことがない。日々見ているととてもきちんと歯磨きが出来ているとはあまり思えない。それでも虫歯にならずにすんでいるのはフッ素塗布のおかげかなと思うし、削られたり抜かれたりという、歯科の本当に怖いところを息子は知らないですんでいる。幸せ者だ。

 私は「歯の質が弱いから磨いても虫歯になる。」と言われ、3歳の頃から歯科とは長い付き合いだ。子どもの頃は「40歳になったら総入れ歯かも・・・」と歯科医だった伯父に脅かされたこともあったが、幸いなことに虫歯は多かったものの、まだ入れ歯は一本もなく、保っている。歯並びが悪く実に磨きにくいので、子どもの頃、矯正も試みたけれど、結局挫折して今に至っている。

 それでも自分の歯で美味しくものが食べられること、これもとても幸せなことだ、と改めて思う。

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2010.2.4 5年生存率100%

2010-02-04 22:58:23 | 日記
 今日で初発手術からまる5年が経った。

 あっという間、といえばあっという間だし、いろいろあった、といえば実にいろいろあった。特に再発してからのこの2年は早かった。それでも今ではすっかりリズムが出来て週1回の治療が仕事と同じように生活にきちんと組み込まれている。

 初発当時テレビで「87% ー私の5年生存率ー」 というドラマをやっていた。主人公は30代のシングルマザー。最終回はとりあえず再発もなく2年経過、だったと思う。子育てが始まってからウィークデーの連続ドラマなどはほとんど見られなくなっていた。数年ぶりに見たドラマだった。もちろんドラマだからいろいろ「?」の部分もあったけれど、ちょうど放映が1月から3月までの期間だったので自分の状況と重なるところが多々あって、18日間入院をした病室でも1,2回見た記憶がある。
 生存率を正面に出したショッキングな題名は当時賛否両論だった。あまりに露骨に生存率の数字なんて出していいの、闘病中の人たちに配慮がなさ過ぎる、といったことだったと思う。結局途中からサブタイトルは削除されたという。自分と同じような患者が100人いれば、そのうち5年間で13人が死ぬってこと?!とヒロインが夜の職場で荒れるシーンがあった。

 今は、確率論は正直もう関係ない、と思っている。自分に起きてしまえばそれは間違いなく100%だし、起きなければ0%。再発率80%と言われたって、再発なく過ごすこともありうる。20%と言われたって残念ながら再発するときは再発する。そのとき、何がいけなかったのだろう、とくよくよ考えてみたところで詮無い話だ。

 とりあえず今日という日を無事に迎えられた私は、初発から5年生存クリア。実に私の5年生存率は100%である。早期乳がん5年生存率は9割以上というから、おかげさまでその9割に入ることが出来た。ただその間何もなく、の5年ではなく、再発・遠隔転移を2年含むわけだから、そのあとのことはもう考えても意味のないことだ、と思う。

 5年前の退院の日は雪が降っていた。病院内は本当に暖かくて、リハビリも順調のつもりでいたので最後の数日は暇で早く帰りたいと思っていたけれど、いざ帰宅すると寒くて傷の痛みで体がこわばって、まいった。

 当時小学校3年生だった息子が帰宅して飛びついてきた時には、思わず身構えた。母が制してくれたけれど。

 そのとき息子からもらった手紙には「母ちゃん(“ママ”のルビあり。当時は外でママと呼ぶのが恥ずかしくなってきていて、友達の前では母ちゃんと言っていた年頃だと思われる。)へ。たい院おめでとう!ぼくはこの日をずっと待っていました。このプレゼント(たい院きねん)といっしょにこの手紙も大切にしてネ!! 」とメモ用紙からはみ出しそうな大きな字で書いてあった。
 プレゼントは、私の入院中、夫に連れて行ってもらったゲームセンターのUFOキャッチャーで、思いもかけず取れたというスワロフスキーのハート型のペンダント。本人は当時「なんであれしてくれないの」とよく聞いていたが、なんだかもったいなくてなかなか出来なくて、今も手紙と一緒にこっそりしまってある。

 今日は東京横断の出張の往復と帰宅後の時間をずっと読書時間にあてられた。
 1冊目は蓮見圭一さんの「水曜の朝、午前三時」(新潮文庫)。素敵なラブストーリーだった。1970年の大阪万博の記述もとても懐かしかった。
 2冊目は平田オリザさん編著の「16歳 親と子のあいだには」(岩波ジュニア新書)。息子対策で一気読み。12人の元16歳の大人が熱く語った十人十色の青春記。高校時代、幸せだったな、と思い出した。
 3冊目は駒込病院院長・佐々木常雄先生の「がんを生きる」(講談社現代新書)。帯には「主治医から余命を告げられたらどうすればいいか」-読めてよかった。そしていつか落ち込んだときに這い上がるためにきっとまた読むだろうと思う。とにかく今、こうして気持ちを整理するために書けていること、そして幸いなことに私には本音で話すことのできる相手がいることに感謝しつつ、とても幸せな読後感だった。

 今、私がすべきことは、これからも「あせらず、あきらめず、頑張り過ぎず」決して投げずにきちんと治療を続け、たくさんの情報をきちんと取捨選択して少しでも賢い患者になるために、毎日を穏やかに、好きなことをしつつ家族とともに過ごしていくことだ、と改めて思う。

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